第20話

 米沢藩に荷を降ろし、局地戦闘を何度か行ったのだが、装甲車は強力過ぎた。大筒の砲弾さえ弾く。そして積まれているM2の威力は漆喰の壁を障子紙の如く貫く。

「義姉上、そろそろ移動するべきかと。空の薬莢を埋めねばなりませぬ」

「燃料はあと幾つ残ってるんだい?」

 携行缶と呼ばれる燃料入りのタンクは後部に四つ、車外に二だ。

 車外の燃料タンクは被弾し爆発でもしたら大事なので土を詰めた麻袋で護ってある。

「帰りの分も考えると、あまり寄り道は出来ないかもね」

「先代の遺した兵法書によると太陽を背に戦う事が定石のようです。敵は常に眼下に置き、太陽を背に出来る位置につく。これが出来ぬ場合はそもそも戦闘を行うべきではないとか」

 義姉はチューチューと水分を補給しながら長船に向き直る。

 玉のような汗が出ておるのでやはり車内は熱いのだ。

 それに胸元の谷間に汗が吸い込まれていくので眼に悪い。

 兵法書に眼をやる。肌を見るのと胸元を見るのでは意味合いが全然違う。

「そんな面倒な事をしなくても、結構普通に戦えてるけどねえ?」

「ええ。俺も其処は気になってました。この兵法書にはまるで敵も佐渡兵器を使って来た場合に如何するかばかりが記載されているんです。そんな筈は無いんですけど」

 しかし先代は意味の無い事をせぬ。もし数で勝る新政府が佐渡兵器を使って来た場合はどうしようもない。兵法書には装甲車の欄だけではなく、更に強力な兵器である「戦車」など言われる頁もある。戦う車、おそらくは装甲車より強力なのだろう。兵法書には戦車を破壊する際には空からの爆撃に頼るのが良いとも書かれてある。空の黒船の運用が当たり前に行われている事が大前提の謎の兵法書。

 五年前に一体何があったのか。

 五年前と言えばまだ京都で維新志士がコソコソと暗躍をしていた時代だが。

「しかしタクティカルスーツは車内で着るもんじゃないね。何で竜胆ちゃんが水着なのか分かるような気がするよ」

「確かに暑いですからね。ならば義姉上も水着になれば宜しいと」

 ゴキブリを見るような視線を送られる長船。

 今の発言に下心は全く無かった。

 女性を心配したのにその女性に嫌われるのはいつも男性の優しさと真面目さが原因。

 何時の時代も変わらぬ。

 優しく真面目な侍が損をするのは変わらぬ。

「ハゲ。此処等で水着売ってるわけねえだろ」

「まあ、お互いスーツの中は普通に夏場の洋装ですからね。脱ぐしかありますまい」

「車内は熱が篭るからねえ。まあ、そうするようにしようか」

「義姉上はそうして下さい。俺は外に出る必要がありますから脱げませんが」

 一度脱ぐと着るのが面倒だからというのもある。

 いつそのような事態に出くわすか解らないからというのもある。

 何よりそろそろ新政府軍にもこの装甲車の事が知れ渡っている頃なのだ。何か対応出来る物を投入しなくてはならない時期であろう。兵法書に書かれてあることが本当であるならば相手は決してこうした兵器を知らない訳ではない筈。

「もしこの装甲車が危険な目に遭うような事があれば義姉上は逃げて下さい。米沢まで逃げれば俺の友が助けてくれます。絶対に捕まるような事にだけはならないでください」

「あの妹は捕まる前に死んだんだろ?なら、アタシもそうするさ」

 長船を見ないで由美は言った。

 この辺りが、長船にはダメなのだ。

 妻に似過ぎていて。

 この凛とした辺りが似過ぎていて。

 失う事を想像しただけで泣きたくなって来る。

「…貴女は死なせません。俺が護ります」

「…ハゲ。男がそういうのを言って良い女は生涯に一人だけだぞ」

「双子なのでノーカンです」

「まあ、黒田さんが妹を愛してたってのは痛い程に伝わるけどね」

 愛しておった。

 あの、寂しいというだけで。城にやって来るような妻を。

 あの、会いたくなったというだけで。城にやって来るような妻を。

 その度に長船は「奥方様がまた来ておられるぞ。おしどり夫婦でござるなあ?」とバカにされては急いで妻が待つ所へ走って行った。家老には「侍を何と心得る。侍を何と心得る。若い男女が城で会うなど。若い男女が城で会うなど。ミハラヤマノボレ」と愚痴を言われたが、家老の愚痴も聞き流せるほどに妻を愛しておった。殿も殿で長船と妻の仲睦まじさには苦笑をしながら呆れかえる程であったし、会津の城では長船と妻が手を繋いで歩いている事がある意味での城が平和である証となっていた。妻は城で働く侍達に受け入れられていたし全ての部署で有名でやはり妻が作ったスイートポテトを争奪し殴り合いを始めるのだが。そんな様子を困ったように二人で笑う事が出来る世を愛しておった。

 強面で低い声だから子供に怖がられる長船と。

 一見すると清楚で慎ましく子供に好かれる奥方とが。

 手を繋いで、城の庭を番いで歩く様を眺めるのが。

 この戦を忘れる唯一の時でござるなと。

 あの斉藤殿も口を滑らした。

「あーダメだ、泣きそう。今帰るよ。会津の皆、黒田君が今帰るよぉ?」

「黒田さん、アンタ今は四畳の老中だろ」

「星を落とす兵器で時間は稼げたんだし、もう俺等で会津行っても良いんじゃねえ?」

「補給の算段無しで戦うのかい?白船は敵の撤退を促す切り札だろ」

「久し振りに喜多方ラーメン食いてえなー。義姉上、意外と喜多方ラーメンは味噌味が美味いのです。太縮れ麺で食べる野菜たっぷりの味噌は地元の者しか食べませんが。醤油ではなく味噌でチャーシューを煮込んだダレに野菜を加えた創作喜多方ラーメンとでもいいましょうか。茹でたモヤシと摩り下ろしたニンニクをこれでもかと乗せるのです。分厚いチャーシューも八枚も乗りますし、仕上げに背脂を具材が視えなくなる程にチャッチャと」

「何言ってんだい。幕末に次郎系無いだろ」

「あるんです。つーか、会津は佐渡文化を取り入れてんです。主に食文化だけ。あー、ダメだ。次郎系喜多方ラーメンと円盤餃子でビール飲みてえ」

「アタシまで飲みたくなっちゃうだろ!こんな暑いんだから!」

 ゴソゴソと、長船は足元の私物が入れられた大きな背嚢を探る。

 取り出したのは箱だった。

 クーラーボックスだった。

「義姉上。実は口煩い楓に見つからぬよう、酒をコッソリ車内に持ち込みまして」

「マジか!」

「冷却剤をたっぷり入れて来たのでキンキンに冷えておりまする」

「お前やるな!」

「どうです?一杯」

「絶対に真似しちゃダメなヤーツだね?」

「こんな大人になっちゃダメなヤーツです」

「クヒヒヒ。アンタもワルだね黒田さん」

「グフフフ。飲むのは峠の林に車体を隠してからで、如何です?」

「よぉーし。全速前進!これより我等は待機任務とすぅーる!」

「義姉上、肴もありますからね。こんな任務飲まずにやってられっかぁ!」

 峠の林に車体を頭から突っ込み、バキバキと周囲の林を倒して風景に溶け込む。

 倒れた木々が図らずとも迷彩効果を産みだし。

 乾いた空気が続いた天候が道にタイヤの痕を残さないのも幸いした。

「かんぱぁーい!」

「ささ、義姉上。グイッと!」

 缶のプルタブを開ける音も外に漏らさない。

 これも装甲車の機密度の高さが成せる業か。

 二人はグッとビールを飲み干し。

「あー、うめえ」「あー、うめえ」

 ダメな大人の声が重なる。

 白船はそろそろ大間を抜けて太平洋に出た頃か。

コッチ来る時に大間のマグロを捕まえてくれねえかなと長船は気楽なことを思った。

「よく背嚢に入れて楓にバレなかったね?」

「まず楓が居ない時を狙って乗艦しましたからね。何処かで酒を買えばアシが付くので酒もツマミも屋敷に在った物を入れて来ましたし。」

 背嚢からは出てくる出てくるダメな大人の証。

 このオヤジ、バックパックに酒とツマミしか入れて来なかったのだ。

 遠足の一番の楽しみはオヤツ。

 それは大人も子供も変わらぬ。

 幕末でもいつでもそれは変わらぬ。

 そもそも幕末は酒に酔った状態で戦に出る事が当たり前の時代である。

 ならば飲んでしまえ。

 ビールもウィスキーも車内で飲んでしまえ。

「竜胆ちゃんに悪いとは思わないよ!アタシ等だって戦ってんだから!」

「俺も楓に悪いとは思いません!米沢助けたんだから!」

「そもそもなんなんだい!あのリーゼントの集まりは!昭和の不良かい!」

「絶対、こうやって装甲車の中で飲んでる侍いましたよね。だって戦闘っておっかねえし」

 長船はツマミであるゲソの燻製を鼻に入れて大久保卿の真似をした。

「ギャハハハ!良いぞ黒田!大久保なにするものぞぉー!」

「俺は実は小久保だぁー!」

 義理の姉である由美も日本酒でガラガラとうがいをしてから飲み込む。

「グワハハ!良いぞ義姉上ぇ―!」

「風邪予防―♪」

 二人はツマミであるサバの唐辛子漬けの缶詰を食べて笑い合う。

「ギャハハハハ!辛い辛いー♪」

「ちょっ、これは俺、無理でござる…」

 実は長船、辛い物があまり得意ではない。辛さを飛ばす為にビールを飲むがそのビールには既に義姉がウィスキーを垂らして混ぜていた。

「アァッ!キツい!これはキツいですぞ義姉上!」

「必殺!知らぬ間にチャンポンだぁー♪」

 義姉は酔えば妻にそっくりだった。

 長船は、自然と涙が零れる。

 笑いながら、涙を流す。

 泣く程、楽しいからか。

 亡くした妻を、其処に見たからか。

 今、妻の死んだ地が手の届く所に来ているからか。

 楽しいのだと長船は思うようにした。酒の場に涙は無粋だ。

 長船は泣き上戸ではない。

 こうして妻と笑い合って飲んでいたのだ。

 くだらないと思えるような事も二人ならば楽しかったのだ。それを奪われて、泣く暇も無い程に戦って、泣く間も与えられずに佐渡に流されて、妻の為に泣く事をせずに此処までやって来たのだ。


 お前。

 今、近くにおる。

 一人で土の下は辛かっただろう。

 戻ったら、手厚く葬る。

 今暫く待て。


「ギャハハハ!飲め飲め―♪」

「グワハハハハ!俺の背嚢からは缶詰が何処までも出てくる―♪」

「あ!それオイルサーディンじゃん!くれくれ!醤油垂らして食うから!」

「どうぞどうぞ。まだまだございますからねー?」

 長船は大好きな義理の姉とその晩ムチャクチャ飲んだ。

 酔い潰れて座席に横になり眠る義姉とは違い。

 銃座で飲み続ける長船にはいつまでも酔いが回らなかった。

 星が綺麗な夜であった。

 悲しい程に。

 何処までも吸い込まれそうな夜であった。

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