第18話
◇
吉田松陰の『狂』という教えはそのまま必要悪として維新志士を駆り立てた。長船は何度か松蔭の教えを記した書物を読んだ事があるが、それは確かに徳川の世という膠着して固着したカサブタを剥がすには有効だったし。決まりきった組織同士で癒着をしている世の中に風穴を開ける為には必要な考え方だと言えるだろう。痛みを伴う改革とでも言えば良いのか、それは悪性の腫瘍を外科手術で取り除くような改革論だと思った。その痛みを受けるのは民ではなく徳川だとする論理立ては納得する物だったが実際は民が傷付き民が苦しんでおった。
其処で黒田長船は吉田松陰の『狂』で命より大切な妻を失った者として一つの自分の為の思想を打ちだす。『兇』と呼ぶその思想は国を変えず国を形成する人を変える事での変革を目的とした考え方であった。
戦をこの世から無くす為の必要悪。
それは狂気を帯びた行動力で社会を変革する維新志士の外科手術ではない、兇器を以て人の志を変化させるという漢方治療にも近い社会思想であった。「武器を棄て手を取り合え。さもなくば殺す」その思想には長船自身が抑止力となる必要があるのだが、『狂』よりも民に舵取りを任せるその思想は命を懸けるに相応しいものだと勝手に長船は考えている。戦いを放棄するという思想ではないのがポイントであり、世界の全ての戦いは長船が引き受けるというある種の世界思想にも近いのだが。妻を喪って、妻を殺されて、長船はその黒く燃え盛る炎を心に産んだ。
四畳藩の技術を与えてはならぬ人物なのかもしれない。
戦いを終らせる事を最上の目標とする長船は戦場価値以上の戦力を投入する事を厭わない。
間違っているとは気付いておる。
優しくないとも正しくないとも理解しておる。
しかし新たな世を作るとの正しさが長船から妻を奪い。
しかし民の為とする優しさが長船から故郷を奪った。
そして新政府の者が何をしておるかと言えば寒村で略奪と女を犯す事しかしておらぬ。
聴こえの良い甘言で民衆を維新に巻き込んだ結果がこれだ。
国を変えると大きな声を出す前に誰が敵なのか何が原因なのかを考えなかった民も悪い。
浦賀に来たペリーに対抗する国を作る前に、浦賀に来たペリーを受け入れる国を作ればよかった。
誰が悪いってペリーが悪い。
いきなり艦隊射撃をしてきたペリーが悪い。
無論、世の中には脅迫から始まる交渉術もあるにはあるが。
それは力が下の者に対してしか使えぬ上に下策中の下策だ。
「この状況、誰かの歪んだ野望に巻き込まれているとしか思えん。西郷でも桂でもない、誰かの欲に塗れておる。しかしそれが誰なのかが解らん。その者なかなかに狡賢い、維新の流れを作り出したからといって自分がその流れの中心には立たん。流れを作り出してその事の顛末を笑ってみているような悪性を感じる」
「まるで女子中学生みたいなお方ですね。私、その方に天誅を与えますか?」
「天誅は安政の大獄に関わった者を斬る際に志士が好んだ言葉だ。楓、お主は人斬りだが志士の真似事をする必要はない」
「んじゃ何誅?」
「俺は会津一中」
この場合、出身中学が何処かは関係無い。
「そいつは自己中だな」
「アル中じゃないだけマシですね」
アル中かもしれぬ。
手の震えがあるのかもしれぬ。
長船も若い頃に付き合っていた女性が勝手に浮気をして勝手に出て行った時には暫く酒浸りの生活になったものだが、そのオナゴも自分の都合しか考えぬ自己中だった。本当に自分さえ良けりゃそれで良いと言う考え方の者は世を乱す。当時の長船は自分の何が悪かったのかを考えなかった日は無い。自問自答を穴が開く程繰り返し、それこそ本気で胃に穴が開く程繰り返し、何度か血を吐いて悟りを開くに至った。男女の問題はどちらが悪いかではない、受け入れるか受け入れ難いかのみであると肝を据えていた方が良い。
そうでなくては身体を壊す。そうでなくては胃に穴が開く。
まあ、妻と知り合い妻と結婚してからは別の意味で胃に穴が開いたが。
血を吐く長船を見て妻は言った。
なんで。
何で貴方はそんなにも真面目なの?
何で貴方はそんなにも弱いの?
クリボー並みに弱いの?
目付きの悪いキノコの山なの?
私はタケノコの里派だハゲ。
オラ、薬飲め。
薬飲んで寝てろ。
長船はキノコの山派だった。
四畳藩から送って貰ったキノコの山を会津ではよく食べていた。
思い出せば妻の出身地である佐渡の文化を会津に居ながら既に幾らか経験している。黒田邸にのみテレビはあったし、地下に埋めた発電機で電気もあった。妻が妻になり嫁入り道具として持ち込んだ数々の品は長船の生活を一気に変えた。
あるいは殿は気付いていたのかもしれぬ。
だからこそ妻の出身地である四畳藩に自分を送ったのかもしれぬ。
「封鎖区画の解放も進んでおる。白船が動けばその自己中を討つ機会もあるだろう」
「種子島を艦長としたんですね。小娘を船長に任命した老中の度胸というか器の大きさには驚くばかりです。他に乗組員は誰を?」
「揖保寺の住職とキャバクラのボーイを。住職は六分儀による座標計算によって地理を知る術に長けておるので火器管制役と航海士だ。五右衛門さんは諜報が得意だし眼が良いのでな、哨戒と警戒を担当して貰っておる」
「六分儀って、ハイテクなのかアナクロなのか判りませんね」
「白船が完全に白船として機能するにはやはり人員不足が目立つな。自動航行という白船が意思を持つ機能も使えぬし、虎の子だと言われているイージスを使う事が叶わぬ」
どのような機能なのかは解らぬ。種子島を艦長にしたのは他に白船を知る者が居ないからであり、出来るのであれば海戦に詳しい者を、それこそ勝麟太郎の教えを受けた坂本辺りを任命したかったのだが。坂本は京で死んでおる。そして勝の教え子は維新志士だ。
勝本人を四畳藩に組み込めればあるいはと思ったが。
長船は勝と面識が無い。
しかし早急に海の戦に造詣が深い者を誰か登用せねば、種子島への負担が大き過ぎる。
今度は種子島の胃に穴が開く。
「海戦を得意とする侍は西日本の者に多いですからね。瀬戸内海の侍でなければ海流を読む事も出来ないでしょう」
「そもそも人々が戦を忘れた頃に戦を始めたからな。テロの広がりは戦に繋がる。これは何時の時代も変わらぬ。会津の侍は地上の騎馬戦と白兵戦にばかり特化しておるから白船に乗せたところで役に立つとも思えぬし」
その前に堅物の会津の者は佐渡の文化を知ったら気が触れるかもしれぬ。
それでも長船のように必死に異文化を理解しようと努力するのだろうが。
真面目過ぎるのも考え物だ。
「白船の兵装は五年前と変わらぬのですか?五年前の強さを今も持つならば、乗組員が足りずともある程度の戦はこなすでしょうが」
「種子島は艦隊戦における絶対的な武器といったか、海蛇のように進み敵艦を沈める兵器があると。地上を攻める際には主砲のみらしい」
「やはり、ミサイルは積んでおりませんでしたか。先代は武装解除を進めていたのですね」
「星を落とす兵器は外されておった。こうして島民を使い大急ぎで作業を進めているが、やはり五年前の白船には遠く及ばぬ」
それでも会津を守るには白船は必要だ。
この封鎖区画にあると思われていた『空の黒船』の所在は今も不明であったが。
「こう、髭が素敵なパイプを銜えた艦長みたいなのが飲み屋に居ればな。すぐさま金を積んで仲間にするのだが、此方が欲しい人材は欲しい時に限ってなかなか現れぬ」
「ネモ船長が居れば良いんですけどね」
「幕末にネモ船長はいねえなあ」
「しかし白船は発掘戦艦ですからノーチラス号のようなものです。髭の素敵な艦長が座るべき席に今は銃砲店を営むニット帽の小娘が座っていますけど」
「俺もお前も完全に人間相手の能力だけなんだよな。島にやって来る新政府の人間を生かさず殺さずで捕獲して説得を続けて味方にするぐらいしかねえんじゃないか?相手がオナゴなら義姉が働くキャバクラに送り込んで義姉に説得させても良いし」
「老中、またエロゲーみたいな事を考えますね」
元服前は厳禁だ。
元服しても三年は我慢しろ。
「白船を動かす事が出来て四畳藩の基地も手に入れましたが、やはり問題は人材不足ですね。私も老中もこの前やって来たリーゼントは殺しちゃいましたし」
「会津に戻って斉藤殿を島に連れて来るぐらいはしたいんだがなあ」
「元新選組の斉藤一ですか?」
「ああ、三番隊を率いていた斉藤さんなら俺等より人を扱う者として適任だろ。内政能力で考えると会津での俺はガキンチョの面倒を見るのが仕事だったし、お前は元農民だろ?」
「はい。ビーツやケールを作っていました」
「幕末にビーツもケールもねえよ…」
「ペリー持ち込んだんでしょうね…」
いつものお約束も歯切れが悪い。
折角手に入れた宝が大きなゴミと変わらぬ。
「私が完全な戦闘要員ですからね。白船に乗ったとして甲板を掃除するぐらいしか出来る事はありません。しかし会津に向かうとして、仲間に入れるのは斉藤一と誰を?」
「まだ生きてたら会津の未亡人は島に避難させてえ。銃の扱いには長けてるし、何より俺のカミさんを知ってる。八重殿が居れば八重殿を島に呼びたかったんだが」
「八重さんは会津を離れたんですよね?」
「らしいな。それでも会津を離れない夫を失った女は島に連れて来てえ。此処ならリーゼントが来ても俺等で何とか出来る。俺とお前、どちらかが島に残っていれば対処は可能だ」
「会津への援軍の際には、私は島に残ると?」
「四畳が無防備になるからな。お前と美空の二人で島を防衛してくれ」
島を出る事を楽しみにしていた楓は口を尖らせたが、理解してくれたらしい。
「私も喜多方ラーメン食べたかったです」
「土産で買って来てやっから。あと会津の揚げ饅頭が美味いけど、それも買ってくっから」
揚げ饅頭は妻も好きだった。
身分を隠した殿さまとカミさんが二人で縁日の時などは屋台で饅頭を揚げていたのものだった。
縁日で二人を見つけた長船はどれだけ驚いた事か。
まず、殿さまが殿さまやってねえんだから。
連れていった子供達もまさか屋台のオヤジが仕える主君だとは思うまい。
妻は屋台を切り盛りするのが上手く、行列が出来る程に盛況だった。
割烹着に隠れてても分かるほどに大きな胸の膨らみが話題の看板娘がいる屋台であり、長船はそう噂される看板娘の事を聞いて血を吐いたのだった。
伴侶が美人だと夫は心労するばかり。
よく死ななかったなと長船は自己分析をする。
「老中、その遠い眼はまた奥方様を思い出していますね?」
「いよいよ会津に戻る事が出来るんだからな。スキンヘッドが坊主頭になるぐらいに時間が掛かったんだ。そろそろ会津も陥落してもおかしくねえ」
「間に合うでしょうか?白船は航行速度も速いですが」
「一発だけ星を落とす兵器が基地に残ってたらしい。まずはそれを日本海から会津に展開する前哨基地に放つ。時間稼ぎにはなるだろ。村上から俺と義姉上が本州に降りて会津を陸路で目指す。あとは白船が津軽経由で会津の海に来れば良い」
「従姉妹と老中が陸路で向かうのは何か意味が?」
「佐渡兵器で各地を見廻る新政府軍を倒しながら向かえば会津に駐留する基地から援軍が来る。末端で暴れれば暴れるだけ本隊がいる会津が手薄になるんだ。あとは手薄になった本隊を白船で奇襲する。これは桶狭間で信長公がやったのと同じなんだが、軍ってのは末端を突かれれば放ってはおけないんだ。どんな小さな諍いでも兵の士気を乱さぬ為に本隊から数を送らなければならん。見殺しにされる様な隊にいると知れば兵は士気を落とす」
現場で問題が起きれば本部から対応出来る人が出ていく。
本部から人を散らすには末端で問題を発生させればいい。
無論、それには機動力が欠かせないのだが。
其処は四畳藩。
千里を走る馬より速いクルマがある。
「しかし、荒事に臆す種子島が奇襲をかける事が出来るでしょうか?」
「白船は太平洋に停泊して主砲射撃だけで良いんだよ。会津の城を攻めている連中は俺が倒す。白船は新政府の牽制と避難民を運ぶだけで良い」
優しく脅えてしまう種子島は前線を知らないでよい。
戦を盤上で眺めるだけで良い。
「白船が本隊ではなく老中が本隊なのですね?」
「本隊ってか本命だな。基地には装甲の厚いクルマもあるし、佐渡兵器も幾らか積める。機関銃を使い各前線の拠点を一方的に叩く。拠点を焼いて回って新政府に地味に嫌がらせだ。地味な嫌がらせってのは内側に効いていくからな」
「由美姉が運転で老中が銃座につくと。つーか老中は戦が上手いですよね、やっぱり元指南役だからですか?」
「性質が悪戯好きな悪たれ小僧だからじゃねえか?誰かを困らせる為の戦が上手いのは男子で、誰かを殺す為の戦が上手いのがオナゴってのが世の常だが」
「魚を捌くからですかね?」
「世の中、オナゴのイジメで引き籠りになる人間の多さだ。男子は其処まで出来ん。絶対に矢面に立たない人間が攻撃的になると怖いぞ。カミさんは真っ直ぐに矢面に立つ人間だったから喧嘩になってお互い傷付くってタイプだったけど、自分は傷付かずに相手を一方的に傷付けるってのは悪性と暴力性って名前の才能がいるんだ。そういうのは結婚してから旦那が苦労するタイプだな。真っ直ぐじゃない歪んだ性格の人間は伴侶に嫌われやすい」
「維新志士の親玉は根暗なオナゴなんですかね?」
「少なくとも自分は傷付かずに大勢で民を追い込んで、女々しくはある」
白船に必要物資を積み込む作業を管制室から眺める二人。
今少しで会津へ向かえる。
長船は無意識に右手の関節をコキコキ鳴らした。
護る為。
殺す為。
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