第16話 白船、起動

 封鎖区画は島の東に存在する。少し先に進むとフェンスという網状の金属でグルリを囲まれた一帯が見えてくる。この前、長船はこのフェンスをよじ登ろうとして大仁多先生になった。ついつい連鎖もしていないのに「ファイヤー!」と叫んだ。

 本当に大仁多先生には頭が下がる。

 あんなもん、一般人が喰らえば死んでもおかしくはない。

「老中。草刈り機があったとはいえ、私と老中の二人でこの藤を刈り取るのですか?」

「楓。侍とは公的に生きるを是としなくてはならぬ。やらねばならぬ」

「かったるいです」

「俺だってやりたくなんかねえよ。でもヨシコも探さなくちゃならないし」

 ランエボを停めた先からはブィィィィンと言いながら回転する刃で草を刈る機械を手にして二人で山に入る。コヤツ、良い感じで草を刈りおる。しかし刈った草が内部に詰まりそれを取り出そうとする時はしっかりと刃が止まった事を確認してからではなくては指を飛ばされる。長船、危うく親指を失う所であった。今は絆創膏で止血しておる。

 草刈りの際は細心の注意が必要だ。

 これも幕末から続く文化であろう。

「老中、灰色熊に勝てますか?」

「日本に灰色熊はいねえだろ。ツキノワさんぐらいだ」

「しかし、ハチミツが好きなあの可愛い黄色い熊も腹が減れば人を襲います」

「夢の国の住人は決して人を襲わぬ」

 あの夢の国の住人、意外と無表情なので襲い掛かって来たら怖いかもしれぬ。あの可愛い熊が「ぶらああああ!」と叫びながら爪を武器に腕を振り回す様は普通に狂気を与える。

 ツキノワグマぐらいならばなんとかなるかもしれぬが。

 さすがにグリズリーはどうにもならぬ。

 長船と楓が藤を刈りながら山を進むと伸び放題だった藤の根本には多くの金属片が転がっておった。五年前の戦で使われた者なのかどうかを思わずに長船は山に不法投棄する民の良心を嘆いた。いやその金属片調べろよと誰もが思うであろうが長船は調べなかった。たとえそれが種子島が求める銃火器だとしても長船にとってはゴミ同然であるのだ。

 山には神様がおる。

 不法投棄をすれば神様が黙っておらぬ。

 成程、ならばゴミを買い取りリサイクルをする業者を雇用先として藩が用意すれば住民が山にゴミをすれる事も無くなるのかもしれぬ。

 藤の根元に捨てられていた多くは弾丸であったけれど。

 長船、それが弾丸だとは知る由も無い。五年前の戦の証拠を集めれば当時の事を何か知る事が出来るやも知れぬというのに、長船は見事にそのフラグを圧し折った。

「全く、ギンギンと刃にゴミが当たって敵わぬな」

「こんな所にゴミを捨てて。きっと不法投棄を行った者は藤が大好きなのでしょう。家に帰り藤を愛でてはペロペロする特殊な変態なのかも知れませぬね」

 そして楓もバカだった。

 この二人、腕は立つのにバカであった。

 藤を刈る。ゴミを弾く。グングン封鎖区画までの道を整備していく侍が二人。頭がバカでも体力はあるのだ。まずは封鎖区画に入る手前の広場を確保する。その為にランエボ周りを刈って行くのだが刈った藤が山のようになってしまうのもすぐさま問題として浮き彫りになった。この量、如何にして処分すればよいか頭を悩ませる。藤の繊維は発酵させて川の水でよく洗えば取り出せるが取り出した所で編む人間がこの島には居ない。編んだところで使う人間も居ない。長船は駿河の国の葛を編んだ袴を気に入っておったが。葛を編む職人は駿河にしかおらぬ。そもそも藤は葛よりも弱く袴には適さぬ。

「山のようになってしまったな。そして根元には多くのゴミがあるが楓。お主ならばこれを如何にして処分するか?」

「焼けば良いかと」

 野焼きは消防法で禁じられておる。

 しかしそれは百五十年後の話。

「ふむ。しかし、この量だ。刈ったばかりで乾燥もしておらぬ」

「燃ゆる水をぶっかけてから火を点ければあっと言う間でしょう」

 ガソリンをかけた野焼きは消防法というか山火事を誘発させる放火にもある意味で通じるので、普通に刑法や迷惑防止条例で禁じられておる。しかしそれも百五十年後の話。

 焼いてしまえ。

 都合の悪い物は全部焼いてしまえ。

「このゴミの山は如何にするか?見る限り金属だ、焼いて灰になるとは思えぬが?」

「ならば海に棄てましょうぞ」

 環境破壊なんのその。

 幕末だろうが明治だろうがこれから海で大きな鉄の舟がドンパチやって海を汚すのだ。

 ならば明治の時代に侍が海にゴミを捨てるのはノーカンだ。

 この二人、山に不法投棄した人間と同レベルであった。

 捨ててしまえ。

 都合の悪い物は海に棄ててしまえ。

「ではお主のランエボにゴミを積むのか?」

「それは止めろハゲ!」

 怒られた。

 部下に怒られた。

 ハゲって言われた。

 禿げてねえし。

 坊主だし。

 楓、中性的な美少年なだけに怒ると怖いのだ。

 あの山本家を従姉妹に持つだけの事はある。

「じゃ、じゃあどうやって運ぶのさ?」

「藩に公用車の軽トラあるんで、それで運びましょう」

「なんで幕末に軽トラあんだよ?」

「ペリー持ち込んだんじゃね?」

 お約束である。

 維新志士を斬った後でもお約束は忘れぬ。

「俺、車運転出来ねえぞ?」

「藩の軽トラ、オートマなんで大丈夫ですよ。アクセルとブレーキしかありません」

「どっちがどっちだかも判らねえんだぞ?」

「もし踏み間違いをしたとすれば老中が海にダイブするだけの話でありましょう?」

 其れもそうだ。海にダイブするだけであろう。ゴミと共に藻屑になるだけであろう。

 別に長船は泳いで港まで帰還すれば良いだけである。

 無免許運転なんのその。

 道交法なんぞ幕末には無いのだ。

「右のペダル踏むと進むんだっけか?」

「ええ。そして左のペダルを踏むと止まります」

「お前のランエボ、ペダル三つなかったか?」

「一番左にクラッチというペダルがありますね」

「そのクラッチを踏めば赤い甲羅を射出するのか?」

「ギアチェンジする度に赤い甲羅を飛ばしていたら交通事故ばかり起きてしまいます。そもそも私のランエボはスーパーなカートじゃねえですし」

 ならば一番左のペダルは何なのだ。もしかしたら、あれを踏んでタイヤに空気を詰めておるのかもしれぬ。

 考えれば楓がランエボを運転する際にはしきりにクラッチを踏んでおった。

 成程。

 スポーツカーはタイヤの空気圧が重要だと聞いた事がある。一生懸命空気を入れておるのだろう。スポーツカーは大変だ。すぐに左足の筋肉がパンパンになる事は避けられぬ。

「もう、サッサと燃やしてしまいますからね?」

「燃ゆる水かけ過ぎじゃねえか…?」

 楓は車に積んである携行缶から燃ゆる水を大量に草に振り撒き火を点けた。黒煙がモクモクと上がり、封鎖区画近辺は軽い山火事のような有様である。紙巻き煙草に火を点け、取敢えず一服をする長船。焼いて出来た灰は屋敷の畑に撒けば良いか。それか森に撒いても良い。このような文明が栄えた島であっても川の周辺はまだまだ自然が多く残されており、海に川の養分をたっぷりと含んだ水が入る河口付近では栄養価が豊富なプランクトンを食べる為に魚や貝類が多く生息する。島の住民は働かずとも良いとして働かぬが、燃ゆる水が止まればこの島の文明は其処で終わるだろう。

 長船が居る間に長船が居なくなっても大丈夫なぐらいには島を開墾せねばならぬ。

「老中、最初から刈らずに火を放てば良かったのではないでしょうか?」

「それじゃ封鎖区画の施設まで燃えるだろ。それにこの辺りに暮らすヨシコも焼きヨシコになる危険性も高い。カミさんが連れ込んだペットなら俺が責任を持って飼わなくてはならん。クマさんは満腹ならば臆病で優しい動物だしな」

 長船、動物好きなのであった。

 人間より動物の方が好きだといっても良い。

「老中。さっきから私、気になっていたんですけど。あのフェンスの向こう側からコッチを見ている大きな犬が居るんですよね。あれ、本当に犬なんでしょうか?」

「あ!」

 ヨシコ、発見。

 面倒臭い事に封鎖区画の中におった。

 煙いのか、眉を下げてコッチを迷惑そうに見ておる。

「あれ?灰色熊ってあんな小さかったか?ヒグマの事だろ?」

「それに胸元に半月の模様がありますね」

「ヨシコ。毛色が灰色ってだけでツキノワさんなんじゃねえか?」

「泣いてますね。相当煙いのかも知れませぬ」

 ヨシコ、此方の視線に気づいたのか驚いて逃げていきおった。

 前足で鼻を押さえて二本足でテコテコ走って逃げていきおった。

「…あれ、絶対中にヒト入ってるだろ…」

「熊の中にヒトなど入りませぬ」

「鍵あるから、封鎖区画入るか?ヨシコをあのままにしておけねえし」

「あの時はリーゼントから逃げる為にがむしゃらでしたからね。ゆっくりと調査も出来ませんでしたから、刈った草が燃えるまでヨシコを追うのも良いかと」

 電流が流れない金属の網で出来た扉を開ける。

 これで封鎖区画に入るのは二度目であった。

 楓は白船を磨いておったから何度も入っておるようだが。

 廃墟には独特の虚しさが付き纏う。盛者必衰とはいえどこの物悲しさには何処か郷愁めいたものを感じる。それが会津の事であると思った長船は頭を振った。何の為の島流しかと考えればこの封鎖区画を解放し会津を救援する為であろう。

 白虎隊は全滅した。子のいない長船にとって実子同然の教え子が皆自害した。

 許せぬ。

 終った戦を続ける旧幕府側も。

 終った戦を続ける新政府側も。

「おーいヨシコ―?怖くないから出ておいで―?」

「いや、クマをそんな風に呼ぶのはどうかと」

「一体何を食って生き延びていたんだろうな?」

「此処には五年前の戦で使われた保存の効く糧食が残されております。恐らくはそれを食べていたのでしょう。何も食っていないわりにはマルマルと太っていましたし」

「しかし封鎖区画の中は広いな。島特有の建物が点在しておるし一つ一つが大きい」

「島の学校が幾つもあるような感じですね」

 放置されて風雨に晒されたからか外壁や窓は傷んでおるがまだまだ使えそうなものばかりだ。舗装された道路にも雑草が多く生えておるがまだまだ使用に不便はありそうにない。草刈り機のような機械が保管されておる小屋もあったし何より施設の壁は会津の城並みに分厚いのだ。

 やはり此処を藩邸とする事が望ましい。封鎖区画は入江付近にまで陸路で近付かねば視認出来ぬし海から見ようにも高い崖に守られておる。その崖際には幾つか土の入った麻の袋が詰まれており、まるで此処に種子島のアトリエに在った機関銃を設置する為のような土台もある。小高い土地には一回り大きな大筒が並んで設置されておりその大筒一つ一つに大きな冷蔵庫のような機械が取りつけられていた。

「まるで要塞だな。俺でも此処を攻めるには気を揉むぞ?」

「もし老中が此処を攻めるなら如何に攻めますか?」

「正面にはフェンスがあり鍵が無くては入れぬ。強行突破すれば中の者に気付かれるからな。しかし崖をなんとか登っても機関銃だろ。船から砲撃を行うしかねえんじゃねえか?」

「しかしあの大筒を更に大きくしたような形の大筒は海への迎撃を目的とする物なのでは。銃身が老中の背丈よりもありますし」

「するってえと後ろにくっ付いてる冷蔵庫みてえなのは冷却装置って事か。なにか縄のような物が伸びておるが」

「あれは電源ケーブルですね。この区画の電源はあの高圧電流を流すフェンスにも通っていましたからまだ生きているのでしょう。しかし幾らこのような長銃身を持つとはいっても大砲の弾を使うだけで冷却装置など必要なのでしょうかね?」

 封鎖区画を調査しつつ二人で歩いていると前方に仰向けになってグースカと寝ているクマがおった。野生動物は決して腹を見せないのだが、あのクマは警戒心などまるで持たずにいびきをかいて寝ておった。

「あ。ヨシコいた」

「呑気に寝てますね…」

「どう見ても灰色熊じゃねえな。大きさからいってツキノワさんだ」

「こうして見てる分には可愛いですけど…」

 寝ているヨシコの顔を覗き込み、長船は優しくヨシコの頭を撫でた。灰色のツキノワグマ。どこか惚けた感じのするオットリとした熊であった。

「ヨシコ起きろ。お主を保護しに参った。俺は会津藩士・黒田長船。コヤツは四畳藩士・山本楓だ。お前このまま此処にいると種子島が「今度は熊の右手の煮込みが食べたいです」とか言って来て美味しく食われる事になるぞ?」

「ガウ?」

 と。

 ヨシコは長船に急に飛び掛かって来た。楓はすぐさま刀を抜こうとし、抱きつかれた長船は片手で楓の柄尻を強引に押し、鞘に納める事でそれを制した。

「老中!」

「大丈夫だ。甘えてるだけだよ」

 抱きついていたヨシコは長船が腰に差すM4を口に銜えると愛おしそうに強く抱きしめ大声で泣き出す。涙をボロボロ流してワンワンと泣いておる。

 M4カスタム、涎でビッチョビッチョ。

「ああ、その銃からはカミさんの匂いがすんのか」

「クマの鼻は利くと言いますからね」

 長船、ヨシコの頭を撫でてやった。

 チクチクするが、こんなものはデカい柴犬と変わらぬ。

「ろ、老中。さすがにクマを撫でるのは」

「大丈夫だ。ヨシコは人に慣れておる」

 ヨシコ。長船からも飼い主の匂いがすると知ったのか頭を押し付け摺り寄せ甘えて来おる。

 灰色のツキノワグマ。

 なんとも優しい眼をした人懐こい熊だ。

「グワハハ。憂い奴憂い奴」

「老中、そんな極道みたいな見た目でホンット動物好きなんですねえ…」

 長船、横這いになったヨシコの腹をワシャワシャしてやる。

 封鎖区画内部、何か途轍もなく大きな小屋のような建物の前。

 長船は楽しそうにクマと遊ぶ。

 遊びながら区画内を見渡す。

 学校のような建物の正面にはカビと藤壺がこびり付いた例の白船が静かに眠っておる。

「以前此処に入った時にヨシコが見つからなかったのは維新志士が大勢いたから脅えて隠れていたんでしょうね。私はあれから白船の船底をずっと磨いていましたけど、恐らくは私にも脅えていたのでしょう」

「お前サイコパスだから怖いんじゃねえ?」

「南蛮由来の言葉は存知兼ねます故」

 気ままな人間だ。

 楓はいつの間にかタバコを吸いながら区画内を歩いておる。

「しかし、このガレージ。一体何が収められていたのでしょう。これだけの大きさとなると私のランエボが十台は楽に入りますが」

「白船の中にあった鉄の箱みたいな車が入るにはピッタリだが…」

「装甲車ですね。しかしバッテリーが無いので動きませんでした。あ、老中にも分かりやすいように言えばエレキテルを呼ぶ心臓のようなものです」

「その『ばってりぃ』ってやつ、区画内に予備がある筈だろ。俺じゃどれがその部品なのか解らねえから種子島に任せるしかねえんだけどな」

 倉庫内は間違いなく宝の山だろうが。

 長船ではどれがゴミでどれが宝なのか判らぬ。

 見る物全部がゴミに見える。

「大容量バッテリーがあってもバッテリー液が無い事には動きませんからね。しかし五年も前の物となれば劣化しているでしょうから如何にしてバッテリー液を探すかも問題になります」

「まずは種子島を呼んで白船とソーコーシャを動かすには何が必要かを検分し洗い出すか。幸いにも俺はメディックだ。薬品の調合ならば少し出来る。必要なモンは作れば良い」

「老中が新たにバッテリー液を作り出すと?」

 驚いた様子の楓。

 それに対して長船はヨシコを撫でまわしたままだ。

「俺じゃその『ばってりぃ液』ってのがどんな物なのか解らねえ。けどエレキテルを生みだす心臓部みたいな部品って事は蓄電作用のある液体を充填するって事で恐らく間違いねえだろ。となると人間でいえば電解質と浸透圧になるんだが_、塩と砂糖だけで機械は動かないだろうからな。多分、身体を溶かすようなムチャクチャ強い酸性のもんじゃねえと高濃度のエレキテルは蓄える事が出来ねえと思う。となると塩酸か硫酸、もしくは王水か。その辺は島の薬局に行けば手に入るだろ。無論酸性の液体単体だけじゃ充填する事が出来ねえだろうから其処に何か粘性を生みだす様な物を加えるんだろうけど」

「老中、意外にインテリなんですよね。脳味噌まで筋肉で出来ているのかと思ってました」

 失礼な。

 これでも私塾を幾つか梯子する程度に学ぶ事は嫌いではない。

 酸性の液体に粘性を持たせる。大凡だが加えるのは不純物を取り除いた水で間違いはない。

 ならば塩酸ではなく硫酸だろう。しかし濃硫酸では過剰反応を起こす。この島で掘削されていた鉱物を薬品加工する際に用いるような硫酸があれば蓄電作用のある液体を調合する事は可能な筈だ。比率だの何だのは種子島に貰った兵法書に書かれておるかもしれぬ。

 気分はキテレツ大百科。

 その内、コロ助が出来上がるかもしれぬ。

「建物も荒れ果てていますね。島の者に掃除をさせれば兵舎として機能するでしょうが」

「学校に基地にと、五年前の物を再利用するしかないからなあ」

「しかし兵舎として機能しても詰所として使うにも兵が私と老中しか居ません」

「其処はこれからだろ。封鎖区画が解放され白船が動いたと知れば人も戻って来る。まずは封鎖区画周りの整地だな。藤はまだまだ蔓延ってるしゴミも散乱してる。まあ、今日はヨシコを保護出来ただけでも良しとしようや」

「本当、老中に懐いていますね。何処にヨシコを飼うおつもりですか?」

「俺の屋敷にはナナがいるからなあ。順当に考えて今は廃校になってるけど学校じゃねえか?あそこに小屋を建てていずれ学校を再開させた時にヨシコの世話をさせれば、子供達も動物を大切にするって優しさも得る事が出来るだろうし」

 動物を大事に出来ぬ者は人を大事には出来ぬ。

 それに学校であればヨシコの散歩にも十分な広さがある。

 動物園のような機能を持つ小屋を学校敷地内に併設すれば教育にもプラスに働くだろう。

「子供、喰われませんかね?」

「ヨシコは甘えん坊さんだから大丈夫だろ。野良犬や猪の方が危険だ」

 ゴミを漁る野良犬や猪、それにカラスは終ぞ人を襲う様になっておる。

 島は文明が発達しておるが発達しておるからこその問題も出て来ておる。

 島の子供が悪戯な正義感に駆られて害獣に手を出せば。

 最悪、命に関わる。

「老中。それで種子島の工房はどの辺りに建設致しましょう?」

「この封鎖区画は広い。製造を行うに適した場所も必ずある筈だ」

「となると工房で出来た兵器を兵舎に運ぶ為にも軽トラが必要ですね」

「軽トラも一台では間に合わぬな。藩命でクルマを販売する者に譲ってくれと頼むしかあるまい。他にも必要な物は多い。なんせ此処を戦所とするのだからな」

 車輛管理においては車輛管理事務所から車両整備工場をこの大きなガレージ付近に持つ必要があるだろう。その場合はやはり車輛に詳しい者を雇い入れる必要がある。学校のような施設は兵舎及び司令本部として機能させるとしても、まだまだ封鎖区画には建設物が数多い。先代が無能でないならば自衛消防本部も編成していたであろうし当然燃料となる燃ゆる水を保管する燃料区画の整備も出来てある筈だ。

 小火器・弾薬庫は種子島の工房に併設させるのが望ましい。無論、保管・管理棟も一緒にだ。正門から入ってすぐ左手の入江を使った港には白船が停留するのだろうから船舶管理棟から船舶整備工場も近くに必要だろう。

 何より、星を落とす兵器の様なトンデモない兵器を隔離する施設も必要だ。

 やる事いっぱい。

 藩の財政の半分以上は恐らく消える事となるだろう。しかしそれは行く行くの話であり今は白船を動かし装甲車を動かし会津に救援に行く事が先決だ。


「よし。ならばヨシコを連れて帰るか」

「どうやって連れて行きますか?」

「俺がヨシコに乗って行けば良いんじゃねえか?」

「こんな文明が発達した島で金太郎みてえな事を言いますね」


 ペットの背中に乗って一緒に旅をするのは動物好きなら誰でも一度は夢に見るだろう。クマの背中に乗って商店街で買い物しても良いかもしれぬ。代金をまけてくれぬあの酒屋の主人辺りのケツを噛み付かせても面白い事になるかもしれぬ。

「そういやクマって何を食べるのでしょうか?」

「クマは雑食性だ。ドッグフードで良いだろう」

「老中に係ればクマも犬と変わりませんよね…」

「犬と変わらん。そして犬と違って満腹なら散歩も必要ない」

 ヨシコを立たせて乗っても良いかと尋ねると自分から頭を下げた。

 やはり動物は人の言葉を解する。

 馬術に秀でる会津藩士は動物と意思を疎通するのだ。

「動物と会話出来るとか、老中ドンドン化け物染みて行きますけど…」

「会津藩士にとっちゃ普通だ。会津の侍は屋敷に馬を買う者も多かったからな」


 よっこいしょとクマに跨る長船。

 何処かヨシコも顔を上げて誇らしげ。


「また、あつらえたかのようにそうしてるのが似合いますよね…」

「人は動物と共存出来る生き物だ。ならばクマに乗る侍も俺だけではないだろう」

「動物に好かれる侍というと天下の傾奇者を思い出しますけど」

「米沢藩には多くの遺品が残されていると聞くが。穂先以外が全て紅く染まった槍ってのは俺も視てみたいと思っている。戦国時代に流行した皆朱の戦支度ってのは、あの傾奇者が流行らせたような物だしな」

「槍で有名なのは色々とありますけど。老中は槍も使えるのでしょう?」

「有名な槍ってえと蜻蛉切りとか人間無骨か。親戚筋に御手杵ってのを保管してる奴も居るが。それと俺は槍は上手く使えねえ。教えてくれる所がねえんだもん」

 宝蔵院の槍もまた、廃仏毀釈を受けてそれどころではなくなったのだ。月形十文字の槍と喧嘩をした事はあるが、あの時は遣い手がヘボだったので裏拳一発で倒してしまった。

 その槍を何処で手に入れたのか、また何処で槍術を学んだのかを聞こうにも殺してしまっては聞くものも聞けぬ。

「老中、本当に東照権現の末裔なんですか?そうしてると田舎のヤンキーって感じです」

「ヤンキーって年齢じゃねえだろ。そもそもヤンキーはクマに乗らねえ」

「んじゃ極道ですかね?」

「侍だよ」

 楓の歩調に合わせてヨシコはゆっくりと歩く。二人の会話に時折首を傾げながら。

 長船、何故妻がこの熊を飼おうと思ったのか少しだけ理解出来た。

 ヨシコは長船を乗せたまま封鎖区画をテクテクと歩く。

 二人の無駄口に時たま二人を見上げ、時たま首を傾げながら。

 積んだ藤が灰になる頃、既に長船はクマの保護という任務の達成を確信していた。こんなもの、危険でも何でもない。ただ臆病な動物が今も飼い主を待って生きる為に必要な環境がある場所に潜んだに過ぎぬ。背中に乗る長船がバランスを取りやすいように気を遣って歩くヨシコの様子からも解る通りこの熊は人間無しでは生きる事が出来ない。妻が野に放したとしても全然野生に帰ってなどいないのだ。

 なんと健気なものであろうか。

 渋谷駅前に銅像が建った秋田犬がこれから現れるだろうが。

 ならば港辺りに銅像を建てても良いかもしれぬ。

 その銅像には何と彫ろうか。『スコスコプンスコシコシコヨシコ此処に眠る』だろうか?

 名前。

 名前が宜しくない。

「さて、白船は確かに封鎖区画にありました。空の切り札の行方が分かりませんが、海の切り札だけは確認する事が叶いました。次はバッテリー液の作成と種子島による白船の修理が目的になりますね。着々と前進しておりまする」

「ヨシコも保護したし、揖保寺の檀家を封鎖区画に入れて整備してくれって和尚に頼めるな。封鎖区画には人が住めるような施設が多い。此処を長屋として会津の未亡人に提供すればそれだけでグッと良くなるだろう」

「では和尚の店に向かい、住民を此処に入れますか?」

「ああ。皆で封鎖区画を眠りから開放せねばだ」

 楓は草刈りをしていた広場前に停めていたランエボをバックでUターンさせ。

 長船はヨシコに跨り町へと下りようとした。

 しかしヨシコは凄い速さで走るランエボに喜んだのか、長船を乗せたままで楓のランエボを追いかけ始めたではないか。

 熊のダッシュにビビる長船。

 むっちゃ速い。

 しっかりと掴まっていなくては振り落とされそうだ。

 コマを回して空を飛ぶ隣りの森の妖精に掴まるあの姉妹の如く、ガッシ!とクマに掴まる長船。風に乗るどころか本当に「拙者、風になってる!」とでも言うセリフがぴったり来る。グオオオオオオオオオオオ!と風を切る音が凄いのだ。車高が低いからだろう、体感速度が半端無く速く感じる。

 熊のダッシュ。

 お値段、プライスレス。

 しかし、ガッ!と。

 ヨシコは勢い余ってコンクリの段差につまずいた。

 その速度のまま、長船を乗せたまま、盛大に吹っ飛ぶヨシコ。


 楓はランエボを運転しながら吹っ飛ぶ一人と一匹を見て口をあんぐり。


 ヨシコと長船吹っ飛んだ。

 ヨシコと長船吹っ飛んだ♪

 ヨシコと長船吹っ飛んだ♪




 種子島は封鎖区画に眠る白船を修理する為のエンジニアを集めていた。島の左官屋さんは「ああ、装甲なら俺が修理出来るから竜胆ちゃんは心配しないで」と何故か粘土を取り扱う左官業なのに金属加工で装甲を張り直す事を了承してくれたし、島の設備屋さんのお兄さんは「ああ、白船の電装系なら俺やっておくわ。俺、電気工事者の資格あっから」と快く引き受けてくれた。スクリューモジュールの修理も島の板金屋さんが「ああ、白船のスクリューなら大丈夫だ。膨大な圧縮空気を使って無理やり前に船を押し出す緊急駆動用のエアブースターもついでに付けておくわ」と簡単に承諾してくれた。

 四畳藩凄い。

 種子島は戦慄するしかなかった。

 島の人間だけでも充分に白船は蘇る。

 残念な事にイージスシステムだけはどうしようもなかったが。

 仕方あるまい。

 あれは電子妖精を産み出せるエンジニアが居なければ修理出来ぬ。

 大量の資料を抱えて種子島は様々な組合を往ったり来たり。

 多分、一番自分が働いているんだろうなと種子島は確信していた。

「あの二人、スコスコプンスコシコシコヨシコを捕まえに行ったとか和尚は言ってたけど。今頃、喰われたりしてねえだろうな…?」

 あの会津からの残念な単身赴任者、とんでもねえ強さだった。

 ミニミを片手で振り回したので力持ちであるとは思っていたが。

 熊にも勝てそうな気もする。

 背中に真っ黒な葵の御紋を彫られたお侍様。

 頼み込んで見せて貰ったのでハッキリと覚えておる。

 細部はあちこち違っていたが、あれは間違いなく葵紋であった。日本古来から傾奇者が好んで施す和彫りというよりは島の若者で流行しているタトゥーに近いのか。種子島にも《それなり》に怖い人の知り合いはいるから彫り物自体は決して珍しくは無かったが。珍しいっつーか、《彫り物をしている者こそが五年前の戦に参加していた証》なのだから。種子島の場合は幼かったのでその彫り物を施される事は無かったのだけど。

 あれは焼印だと、聞いた事がある。

 二の腕とうなじにそれぞれバーコードの彫り物。

 だからこうして組合を回る時、それを目印にして話を聞いて回れば良いのだ。

 これは、あの侍には言えない事であるが。

 まだ島の秘密を知られるわけにはいかぬ。

「東照宮の末裔だってか。ただの酔っ払いにしか見えなかったけど…」

 奥方を亡くしてからは飲んだくれになったらしい。奥方が浮気をした時に男がそうなるとはよく聞くが、どうやら男という生き物は伴侶を失うとてんでダメな生物のようだ。

 種子島には結婚とか想像も出来ないが。

 怖過ぎるが。

 殿方と一緒に生活をするなんてのは。

 まあ種子島の結婚観は如何でも良い。

 今は白船が先だ。

 良い男は皆が順序よく結婚していく。

 良い女も順序よく結婚していく。

 でも結婚が女の幸せとかそれだけじゃねえだろとも種子島は思うのである。

 決して、彼氏がずっと居ない僻みではない。

 決して、殿方と手さえ繋いだことが無い妬みでもない。


 こーんな可愛いのに道を歩いていても誰も声を掛けようとしないとは。

 こーんな気合入れてオサレして街を歩いているのに誰もナンパしないとは。

 おいおい日本男児。

 大丈夫か日本男児。

 眼球ちゃんと入ってっか?

 視神経ちゃんと機能してっか?


 これならジャージで出歩いてた方が良かったわ。

 まあこんな真昼間っから若い日本男児が外を歩いている筈もねえんだが。

 種子島はバーコード型の彫り物が施されている住民を探して回った。白船を蘇らせる為に、今まではただ其処に在るばかりで動かそうと等は誰も思わなかったあの船をもう一度四畳の海に浮かべる為に。結局、誰が舵取りをするかなのだろう。島には今まで民を導く人間が不在だった事も勿論原因として挙げられるだろうが_。

 思えば出逢った時からすでに黒田長船は白船を戦力に計上しておった。

 決して行動力に溢れるわけではないが、目的意識は高い。

 否、目的意識は高くない。

 目的が明確なのだ。

 一緒にいると楽しいと思う空間演出能力に長け、歴史の先を見通す先見の明があり、粗暴で大雑把な人柄で誤解されがちだが頭が非常に良い。東照宮の子孫である事にも起因して、あの侍にはカリスマという人の心を掴む何かが備わっている。

 それはきっと、親友だという坂本様にもあるのだろう。

 四畳には今まで居なかったタイプの侍。

 維新でも攘夷でもなく、中庸の為に生きる侍。

 種子島はあの侍の事を考えると何処か苛々してしまう。種子島の事をバカにして来る事もそうだが、これは恋心というよりかダメな兄に対して持ち得る感情に近い。なんでもっと真面目にやらないのか、真面目にやったら凄い人なのにどうしてふざけるのか。そんな才能を腐らせる事を何とも思わない長船の態度に種子島はヤキモキしてばかり。

 それは長船自身に野心が無い事を意味するのだけれど。

 まだ齢十九の娘には理解出来ないのも仕方があるまい。

 大きな力を小さな場所で振るう事にこそ貴さが産まれるのだと説明されたところで、世間知らずで島の外にいつか出てみたいと好奇心が先走るような幼さを持つ者には理解が出来ぬ筈も無かろう。

 人を駆り立てるのは野心であり欲望だと歴史家や思想家は言うが。

 世界には駆り立てられて動く者ばかりに非ず。

 民と同じ視線の高さで生きる為にはまず受け入れる事を生き様とする他ない。

 クソみたいな事ばかりが起こる世の中をクソみたいなままで受け入れる。民と同じ悩みや憤りを持つ事こそ、長船は士農工商の無い平等な社会であると考えておるのだ。

 しかし、このクソ娘はそんな事を配慮する事も出来ずに苛々してばかり。いい大学を卒業したら省庁勤務になるべきなんじゃねえのかという、そういう、ある意味では『お堅い』考え方が種子島の根幹にはあるのだ。それは幼くして天涯孤独の身となった苦労人からの意見でもあるのだけれども。

 しかし種子島はまだ理解出来ぬのだろう。

 本当に人を救うつもりであるならば大きな力は小さな閉じた社会でのみ使わなくてはならないという規律が存在する事なんぞ。人の世の中、二十代前半は根拠のない自信が全能感を齎し攻撃的な姿勢に焦がれるものなのだが。

 だから結局、種子島竜胆が持つ苛々は黒田長船という大きく今まで見た事も無い異質な存在に対する劣等感の表れなのかもしれぬ。

 反抗期と呼べる反抗期を過ごせなかった種子島にとって、遅めの反抗期であるとも言えた。

 そんな風に甘える事がいつの間にか出来てしまっている事にも苛々してしまうのだけど。

 と。

 エンジニアのリストを片手に歩いている種子島の目の前に。


 空からクマが降って来た。


 眼を回して気を失っているクマ。

 種子島は理解が追い付かない。

 ビクッと身体を捩り周囲に助けを求める視線を流してみても此処は既に商店街の外。

 晴れ時々豚?

 金魚注意報?

 いや、双方、空からクマ降って来るなんて話は無かった筈だ。

 まるで飼い犬みたいな雰囲気のクマだが…。

 もしかして、スコスコプンスコシコシコヨシコ?

「親方ぁー!空から女の子がぁー!」

 一応、気の効いたセリフを叫んでみた。

 メスのクマであるからそれは間違いでは無い。

 その辺にあった棒切れでツンツン突っついてみる。

 おっかなびっくり、突っついてみる。

 全く動かない。

「な、なんなの…?」

 肌を出したがる若い娘には理解が追い付かぬ。道の真ん中に落ちて来たクマを避けようと恐る恐る道の端を歩いて何も見なかった事にした種子島。こんな日も千年に一度ぐらいはあるかもしれない。いきなり隕石が島に落ちて来る可能性がゼロでないように、いきなりクマが空から落ちて来るなんて事だってムチャクチャ可能性が低いだけで決して可能性はゼロではないのだ。

 ポジティブに考えろ。

 ラッキーだ、逆に。

 一生交通事故の現場に遭遇しない人間だっている。

 クマが降ってくるなんて珍事に遭遇したのだから、きっと運勢は鰻登りだ。

 眼を回して腹ばいになり動かない可愛いクマには申し訳ないが、まだまだエンジニアの力を結集しなくてはならぬ。

 種子島は気持ちを切り替えて決意も新たに前を向く。


 今度は空からオヤジが降ってきた。

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