第15話

 大きく振りかぶった拳を最後に残った維新志士の鳩尾に入れ、そのまま突き上げるようにして身体を持ち上げる。空中に浮かんだその身体は片足を握り振り回して投げ飛ばす。

喧嘩なんていうのは結局は相手の否定のし合いで意味なんか何処にも無い。暴れたい人間が勝手に暴れているだけという事もあるだろうし否定される事を否定したがり喧嘩に発展したなんて事もあるだろう。意味なんかないのだ、喧嘩には。人を傷付ければ暴力で人を殺せば殺人である。けれど無意味な事でも極めれば其処には何か意味が産まれるんじゃないかと考えたのだ。人は過ぎる程に斬られ死んだ。町は過ぎる程に焼かれ消えた。だからもう殺し合いは止めて喧嘩で良いんじゃねえかとも思うのだ。主義主張がぶつかり合う戦ならお偉方が喧嘩をしてそれで解決すりゃいいんじゃねえかと。

 喧嘩の会場になった埠頭に立つのは長船だけ。

 相手は全員、海に放り込んである。

「全く、喧嘩も満足に出来ねえ奴が国を如何にかしようなんてしてんじゃねえ」

 封鎖区画に仲間は入った頃だろう。

 破れたジャージを羽織り背中の彫り物を隠すようにして長船は屋敷に戻った。

 長船の鳴らす踵だけが大気を揺らす。

 全身の筋肉が隆起し彫り物が浮かび上がるその身体からは、未だ湯気が立ち上っておった。

 結局、維新志士総勢五十四名を殺してしまった長船。和尚に頼んで供養ぐらいはして貰った方が良いかもしれぬか。幾らオサレ感覚で自由民権を謳うリーゼントだろうと、死ねば供養は必要だろう。

 人を殺した者は酒で身を清め、奪った命に悼を捧げねばならぬ。人を殺してヘラヘラしておる事など出来ぬ。人を殺して当然の権利だったのだと主張する事など出来ぬ。奪った命の先には家族がおり、奪った命の傍には恋人もおったかもしれぬ。

 許せとは言わぬ。

 喧嘩を売られたのも買ったのも長船であり、殺してしまったのも長船だ。

 しかし他人とぶつかりたがる人間の気持ちが解らぬ。勝負に拘りたいとかいうスポーツマン気取りの人間がよく解らぬ。簡単に他人の否定をする者も。簡単に自己の正当化をする者も。自分は良いけどお前はダメだというような理不尽を簡単に口にする者も。

 世の中、そんな者が多過ぎる。

 お前はこうだから間違ってるとか、俺はこうだから正しいとか。

 勝ちてえのか。

 この日、黒田長船は会津を救う前に四畳を救った。

 そしてこの日を境に、長船は四畳の英雄として民に慕われる事となったのである。

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