第14話

「ドンドン来いやオラァ!」

 長船は志士の頭を掴んだまま路駐の自動車に叩きつける。

 ゴシャア!と色んな出ちゃいけない汁が志士の頭から勢いよく噴き出した。

「老中。そんな強かったんですか?」

「おお、楓か。そなたも無事のようだな」

 義姉を守る様に背中合わせ。

 楓は刀を正眼に構え、長船は半身で左拳を下げデトロイトスタイルに構えた。

「老中。一体会津では何の仕事をされてたんですか?」

「俺か?俺は会津白虎隊の元・指南役だ。ガキ共に運動と武道を教えるのが仕事だったな」

 その教え子達も集団で自害したと聞く。

 なんと悲しく惨い事だ。

 全部、維新志士が悪い。

 全部、このリーゼント達が悪い。

「元・戦所務めだったと?てっきり事務方だとばかり」

「おお。よく言われるぞ?」

 志士の持つ刀の腹を殴り、二つに割る。

 皆がこの程度ならば、此方が抜刀するまでも無かろう。

 カッコばっか気にして喧嘩も出来ない見せる為だけの筋肉をつけるからそうなる。

 侍とは結局信じる者の為に喧嘩をするのが仕事だ。

 それを忘れた者は侍とは言わぬ。声と態度だけがデカい偽物など何の役にも立たぬ。

「それにその若さで白虎隊の指南役だったと?老中ってもしかして凄い侍なんですか?」

「別に凄くねえぞ?だから教え子達を殺しちまったし、カミさんも守れなかったんだし」

 楓が地面ごと志士を斬る。

 長船が地面ごと志士を蹴りあげる。

 斬られた志士はその場に崩れ落ち、蹴られた志士は宙をクルクルと縦回転で回る。

「カッコばっかで弱えなあ。維新志士ってのは女子供にしかデカいツラ出来ねえのか?」

 目の前で事切れた志士の遺体を何ともつまらなそうに蹴り、海へと飛ばす長船。

 戦所勤務であった長船は敵の命を奪う事に躊躇が無い。

 敵の命に躊躇も無ければ遠慮も無い。

 誇示する為に力を持っておらぬ。

 力など殺す為の物だけで良い。

 腕っ節の強さというだけならば長船は幕末最強であろうが、殺し方を覚えている事も長船を鬼と形容する材料になっていた。そもそも急所をコンパクトに打ち抜く戦い方は喧嘩とは呼べぬ。

 生物には死に易い点がある。

 頭部であればコメカミと耳朶を殴れば脳に痛手を与え、顎を殴れば脳を揺さぶる。

 胸部であれば鳩尾、腹部であれば左脇腹、それぞれ殴られれば内臓の活動に影響を与える。

 腕であれば肘、脚であれば膝。

 人間の身体など壊れやすい場所だけだ。

 人間の身体など壊しやすい場所だけだ。

 しかし長船は喧嘩で其処を打つ事は滅多にしない。

 簡単に殺すのでは面白くない。

 頭部であれば何処を殴っても骨を陥没させ脳を潰すだけの膂力を持っておる。胸部であれば何処を殴っても骨を砕き心臓を潰すだけの膂力を持っておる。腹部であれば何処を殴っても内臓を破裂させ、腕も足も一撃で動かぬようになるほどの力を持っておる。

 そうした力持ちであるフィジカル特化型の侍は歴史を遡れば意外にも少なくない。

 寧ろ、剣豪と呼ばれる者の多くは元々フィジカル特化型であっただろう。

 同じ時代の『武士の鑑』山岡鉄舟。

 戦国終期の『伝説の剣豪』宮本武蔵。

 塚原卜伝に教えを受けた『剣豪将軍』足利義輝。

 皆、鍛え抜かれた肉体にその技を支えられている。

 だがしかし。

 フィジカル一極特化型の侍はどうだ?

 戦国時代の武神とまで呼ばれる本多忠勝でさえ長船より身体を鍛える事に傾倒してはいまい。鎌倉の明王、武蔵坊弁慶でさえ長船のように肉体を鍛える事に拘泥してはいまい。

 ただ、身体を鍛えておれば良い。

 自分を苛めて、自分を蔑にして、自分を虐げれば良い。

 大切なのは日々の積み重ね。

 重ねた量がいつか質に転化する。

 重ねた層はそのまま自分を現す厚さとなる。

 遊んでる暇など無い。

 ウェーイ!など言っておる暇など無い。

 健全なる精神は健全なる肉体に宿るとは武芸百般に通じる教えであるが。

 超然なる精神は超然なる肉体にこそ宿ると長船は信じているのだ。

 単純な脳筋。

 しかし脳筋も極めれば人の規格の外。

 会津の鬼黒田。

 鬼より強い、鬼黒田。

「そのトサカみてえな髪型、どこの髷結処でやってくれんだ。バカの一つ覚えみてえに揃いも揃って変な髪型しやがって。坊主にしろ坊主に。そんで運動やれ。身体鍛えろ」

 長船は四畳藩にやって来た維新志士全員に向かって大きな声で言った。

 その様子は子を諭す教官のようであった。

「もう帰れ。二度と佐渡にくんな。此処には維新も攘夷も無い。コッチから攻める事も無い。俺等四畳藩は中立だ。どっちの味方でもどっちの敵でも無い。こんなしょうもない偵察任務でこれ以上の損害を出し続けたらお前等無能の証になるぞ?」

 それでも勇敢に長船に斬りかかって来た志士が居た。

 鞭の様にしなる裏拳を喰らい、その志士は顎が外れて動けない。その動けない志士の胸を殴りつけ、心臓が鼓動を止めたと確認した長船は片手で持ち上げやはり海に放り投げる。

「全滅するまでやるならやるで、俺は別に良いんだぜ?」

 通りの向こう側から続々と集結する維新志士の集団に向かって片手で持ち上げた大型バイクを投げつける。一人を下敷きにし、金属の塊はカラカラとタイヤを回した。

「老中。多勢に無勢。封鎖区画に入りこの者どもを迎撃しましょう」

「だな。鍵は逃げた種子島が持っている」

「ええ。殿軍は私が。由美姉をお願い出来ますか?」

 長船は維新志士を見渡す。

 その眼は喧嘩を日常の物とする侍の物であった。

 もしくはチンピラ。

 見た目的にはチンピラが正しいだろう。

「いや俺が殿軍を引き受けるよ。俺は車運転出来ねえし、種子島も封鎖区画に入れなきゃ白船はどちみち動かねえ。楓、義姉上と種子島を連れて封鎖区画へ向かえ。種子島は五右衛門さんと一緒に歩いて封鎖区画に向かってる。途中で二人とも拾って封鎖区画を解放するのだ」

 そう聞くと楓は気を失った義姉を担ぎあげクルマを停めていた所にまで下がった。そしてすぐにホイールスピンをさせながら封鎖区画へと向かう。

 良い奴だ。

 気ままでチャラチャラしているが、根は素直で良い奴だ。

 完全に楓が見えなくなったところで長船は包囲している維新志士に視線を送った。多数派である事からの余裕なのか、その視線に脅える者は一人もいない。

 そうだ。

 そういう、俺等の方が多いんだぜって眼だ。

 そういう、俺等の方が沢山居るんだぜという多数派である事に価値観を置く者の眼だ。

 長船は半端に破れたジャージを脱ぎ捨て完全に上半身を露わにする。

 その時の維新志士の心情は如何なるものであったか。

 刀創や銃創がおびただしい長船の身体を見たからではない。

 ゴツゴツした岩の様な肉体を見たからではない。

 心を乱すものが。

 より具体的に言うのであれば。

 日本人の心を強制的に乱す彫り物が。

 長船の背中には彫られていた。

 真っ黒な。

 それこそ漆を流したかのように真っ黒な。

 それこそ墨を皮膚下に直接流したかのように真っ黒な。

 大きく背中に咲く、葵花。



 それはそれは見事な。

 真っ黒な、大きな『德川葵』の御紋。



 それが長船の背中には彫られていた。

 攘夷を志す者はなんという罰当たりだと咎めたであろう。

 維新を志す者はなんという不倶戴天の不届き者だと責め立てであろう。

 ただの侍が、大殿の御紋を身に刻むなど。彫り物というよりは焼印に近いその家紋はよく見れば德川葵そのものとは細部が違ってはいたが。あの徳川縁の者にのみ身に付ける事を許された紋章を身に刻むなど、維新志士に気が触れていると思われてもおかしくは無い。

「お前等。これ見ても槍を納めねえって事は本当に俺の事知らねえんだな。クハハ。会津の鬼黒田も今や昔か。男は結婚すっと丸くなるってのは本当だわな」

 勇気か、蛮勇か。

 長船に声をかけた志士が居た。

「動くな!殺すぞ!」

「殺す、だと?」

 嗤う長船。

 眼が、凶悪に嗤っている。

「俺を殺すのは相当気合い入れねえと無理だぞ。まあ殺し合うのは待てや。やり合う前にチロッとオッサンの昔語りと言うのも良いじゃねえか」

「何を!」

 大上段から刀を振りかぶって来たその勇気ある志士は金縛りにあったように動けない。

 簡単な話、長船が顔面を片手で掴んだのだ。

 万力のような握力で志士の顔を握り潰すが如くギチギチと締め上げる。

 白目を剥き、泡を吹いて気絶しても。長船は志士の頭を締め付ける事を止めない。

「東照権現の側室の子ってのはそれはそれは不憫なもんでな。その流れは歴代将軍全員に通じる悪性というか悪い慣習というかなんだが。それは側室だけじゃなく親戚筋にも言えるぐらいに広く普及したんだ。だからこそ親戚筋の連中は徳川の血の証なんてもん、必死になって残そうとするんだがな。徳川の血であれば親戚であっても将軍になれんだしよ?」

 ゴキンと掴んでいた志士の顔面から小気味の良い破砕音が聞こえた。それが顎関節を砕いた音だと気付いた者は流石に怖気づきそうだと知らない者は刀や槍を構え直した。

 ドサリと掴んでいた男をその場に放置し、志士に向かって歩き出す。

「前将軍家茂公には姉が居て、その姉の息子である甥っ子が居たんだが。まあその甥っ子というのが何をやっても遊び半分で何をやっても不運な男でな。まだ文字も読めない頃からお前が徳川の血族である事が御家続いての何よりの汚点であるとまで言われたその可哀想な可哀相な甥っ子はせめて立派な武士になろうと思って毎日毎日吐くほど走って毎日毎日吐くほど腕立て伏せをして毎日毎日吐くほど腹筋をして過ごした。元服した時にその甥っ子は思ったね。御家続いての何よりの汚点であるならば、御家続いての誰よりも徳川家を背負ってるんじゃねえかとな。そしてその甥っ子の可愛い弟分は何とも可哀想な事に無血開城を迫られ今じゃ軟禁状態だというじゃねえか。誰がやったってお前等だよなあ?」

 その辺に転がっていたコンクリの破片を手にし、長船はダラリと両手を下げて構えた。

「お前等知らねえだろうがテレビで遠山のお奉行さんは『金さんの世直し桜、夜桜を、テメエ等散らせるもんなら、散らしてみなぁ?』って決め台詞を言うんだが。生憎葵花は散らねえんだ。葵花背負うモンは手前勝手に散る事すら許されねえ。俺の舎弟もだから殺される事なく飼い殺しにされちまってる。甥っ子は更に思ったね。勝手だな、とよ?」

 一度静かに目を閉じ、そして見開いたその眼は爛々と輝く。

 殺し、殺される事を受け入れる自己暗示。

 肉体を作り変える程に強い、過ぎる程の覚悟。

 昔は侍なら誰もが出来た仕合の儀式。

 此れが出来ぬ侍は侍に非ず。

 長船は手にしていたコンクリの塊を志士の一人に投げつけた。

 それが合図となり、大量のリーゼントと坊主頭の侍との大喧嘩は始まる。




 楓は封鎖区画に向かう道の途中、キャバクラのボーイと走っている種子島を後部座席にそれこそ誘拐でもしたんじゃないかと思われる様な程に乱暴に詰め込んで再度発進した。上司があんなに強かったとは思わなかった。しかし流石にあの人数、すぐに戻らねばとの強い責任感が楓を焦らせていた。

「…あー、いってぇ。妙齢の女を棒切れで殴るなんて信じられないハゲチャビンだね」

「眼が覚めましたか、由美姉」

 前を向いたままで楓は言う。

 トンデモない速度で運転中だ、脇見は出来ぬ。

「え、殴られたって…。ちょっと由美さん大丈夫なんですか?」

「五右衛門は驚いてます。由美がやられるなんて」

 事情を知らぬ二人が言う。

 殴られたのは由美の負けん気の強さに理由があるのだと楓は言わなかった。

「楓。速度落としていいよ。黒田さんなら大丈夫だから」

「しかし…」

 その声は何処か確信しているかのような、安堵し切った声である。

「え。老中が何かまたやらかしたんですか?」

「五右衛門は戦慄しています。維新志士があんなに島に来るとは」

 更に事情を知らぬ二人が言う。

 やらかしたというか、ブチ切れたというか。

「妹が結婚するって時にさ。江戸から使者がウチに来たんだよ。徳川家縁の者に嫁ぐ御家の方であるならば是非貴方も黒田の屋敷に向かってくださいってね。アタシはクノイチ頭だし断っちゃったけど。だから黒田さんは大丈夫なんだ。徳川の直系が弱い筈がない」

「え」「え」「え」

 事情を知らぬは今度は三人だった。

 楓、驚きのあまり急ブレーキをしてしまう。

 後部座席に座る種子島が「うおおおおおおお⁉」と、つんのめって転がった。

「妹が嫁いだのは会津松平家重臣、黒田家の長男で長船という御仁。その御方、前将軍・徳川家茂公姉君の御子息なんだよ。だから徳川慶喜公とは従兄弟って事になるね」

「ええ!」「ええ!」「ええ!」

 安堵し切った様子の由美を見た楓は漸く其処で忘れていたシートベルトを装着した。

 弱い筈がない。将軍家の末裔ならば。これはとんだ間違いをしてしまった。

 上司は残念侍ではなく、残念王子様だった。いや、王子と言うにはかなりガラが悪いが。

 封鎖区画までの道のりは安全運転で良い。

 楓、既にこの騒動に出番が来ない事を悟っておった。

 それにあの膂力。

 鬼が人に負ける筈も無い。

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