第11話 会津の鬼

 四畳藩情報部の宿舎。義姉が勤めるキャバクラの宿泊施設の目覚めは頗る良かった。店の酒も当然美味かったが自動販売機で売られている缶ビールが何故か格別に感じられたのだ。部屋で寝酒として飲むそれは下の店内で飲んだ高級な酒よりも身体に沁み渡った。

 何故自分がこの島に送られたのかを考えれば会津を救う為であり。

 その会津を救う為には白船が絶対に必要になる。

 それはもう間違いが無い。その白船が眠ると言われる封鎖区画の鍵を手に入れ、仲間が増えていくこの感覚は未開の地を開拓するにも近い。

 深酒をした筈なのに残らないのはそんな長船の心持が違うからだろうか。

 妻の形見の黒銃も今日は一段と黒光りしているようにも見受けられる。

 眼下に広がる四畳の町並みは今日も変わらず忙しそうに軽ワゴンと軽トラが細い道を忙しそうに走り回るが嫌々動いているという感じが無い。世の中にノリノリで働いている人間などいないのでそう見えないという理由は長船の心一つなのだろうけれど。

 遠くに見える日本海もザッパーンとは言っていない。

 今日はカモメの声も島に響く。

 港にも多くの船が入って来ておった。

 港は流通の要である。島には漁港とはまた別に埠頭があるが、その埠頭では大きな鎌首をあげた蛇のような車輛が重そうなコンテナを軽々と持ち上げて彼方此方と忙しなく動いておった。

 埠頭には様々な都市からの荷物が入ったり出て行ったり。

 しかし、今日は何故か漁港に沿うように併設された船着き場に観光船の量が多いのだが。

 自分が島に来た時は観光船ではなく帆があるだけの筏のような小舟であったが。

 つーか、多過ぎねえか?

 百人は言い過ぎだろうが一つの船にそれぐらいは人が入ると言われても信じるような客船が四隻も船着き場にいるんだが?

 修学旅行にしては時期が早過ぎる。

 そもそも四畳藩は幕府の中でも秘匿事項である筈だ。

 燃ゆる水が齎したこの面妖な文化は何が何でも隠し通すべき事である筈。

 しかし此処からでは遠く誰が客なのかの判別が出来ぬ。

 嫌な予感がする。

 本来ならば閉じている筈の島に多くの人間が入って来ただけでも異常であるのに。

 気のせいか。


 商店街に誰もいなくねえか?


 バタバタバタバタと宿泊施設を乱暴に走り回る足音が聞こえる。

 続けてドンドンドンドンと乱暴に長船の部屋のドアを叩く。

「老中!竜胆です!起きて下さい!」

 ドアを開けるとまだパジャマ姿の種子島が其処に居た。妻のパジャマのようにピンク色のウサギの着ぐるみではなく品の良い絹地で色も落ち着いた濃紺のものであった。黙っていれば職人だとは思えぬほどの気品がある種子島にはこうしたシックな服装が良く似合う。

 シックが解らぬが。

 南蛮由来が良く似合う。

「どうした?」

 部屋に招くと種子島はダッシュで長船の部屋に入り込みベッドに飛び込む。

 そして足をバタバタさせながらゴロゴロと転がり出した。

 長船はドアの取っ手を握ったまま、その様子を眺めておった。

「種子島。お主、何をしに来たのだ?」

「やべえんですって!島に長ランでボンタンでリーゼントの集団が来てて!」

 それを聞いた長船の目は冷ややかな凄みを帯びる。

 ベッドに倒れてゴロゴロ転がる種子島は長船のその視線には気付かなかった。

 肝を入れ替えた事に、気付かなかった。

 自然、腰に差した黒銃を探るように右手で探る。

「維新志士か?」

「それもすっごい数です。今朝早くに和尚様がこのお店に来て店から絶対に出ないようにと。和尚様は島の一軒一軒にそうやって指示をしているみたいです。外に出ているのは運送業の方とか営業の方とか仕事中の方だけで住民は家に篭っています」

「楓は今何処におる?」

「楓君は老中と合流する為にってこの店を目指してるって由美さんが。クノイチの皆さんは燃ゆる水を汲みあげるプラント方面へ。由美さんだけが島でリーゼントを迎撃するといって店に残っています」

 ならば取敢えず心配はないのか。燃ゆる水のあの掘削施設を失えばまず間違いなく四畳は四畳足り得るこの文化そのものを失う。クノイチの戦闘力がどれ程のものかは解らぬが妻と双子の姉がそうだという事はあのケンカの強い妻ぐらいの戦闘力は持っているのだろう。ならば今は島を優先し維新志士を迎撃する事に重きを置く。

「お前アトリエは鍵かけて来たか?維新志士に佐渡兵器を奪われるワケにはいかんぞ?」

「大丈夫です。鉄格子とシャッターによる二重の防壁があるので破られる事もないと思います。鉄格子はクロモリで出来てますし日本刀でも叩き斬る事が出来ませんから」

「ならば一先ずは良し。ならば種子島、お主は五右衛門さんと二人で封鎖区画へ向かえ。これが封鎖区画を開く鍵となる」

 小さな鍵を種子島に手渡す。その小さな金属の細工物がこの島の切り札になるとは。

 なんと持ち運びに易い切り札であろうか。

 しかし鍵を受け取った種子島は長船を不思議な表情で眺めていた。

「老中。なんでそんな場馴れしてるんですか?」

「お主のような民にとって鉄火場に立つ事は非日常だろうが、俺等のような侍にとったらこれが日常なんだ。民を鉄火場に巻き込ませた時点で侍としては失格なのだが、今回は奇襲というか押しかけて来たからなあ…」

 民の知らぬところで捕物劇は行うべきだ。

 そもそも武士とは鉄火場の華であり日常の華ではない。

 民だ、日常の主役は。

 その主役を危険な目に合わせてしまった時点で御叱りを受けるのは甘んじなくては。

 黒銃と刀も臨戦態勢を思わせるように鈍く光った。

 あの人数を相手にするのは些か骨が折れる。当然、自分自身が会津の鬼黒田である事は伏せなくてはならないし《もっと伏せなくてはならない事情》も長船は抱えている。維新志士が粋がって単身乗り込んで来たぐらいであるならば軽口でも飄々と言いながらあしらう事も出来たのだが、あの数に任せたやり方は如何な物か。

 ただ数を纏うだけの強さに正義は無い。

 ただ数を揃え勢力とする事は形骸化した武士の真似事でしかない。

 それは傭兵となんら変わらぬ。

 普段の不真面目さから誤解されがちであるが、長船は秩序を重んじる正義の人である。

 師はそんな長船を嗜めるように「人は中庸こそ目指すべき道。秩序にも混沌にも傾いてはいけない。人間性が善か悪かでいえば善であるに越した事は無いけれど、社会性が秩序か混沌かに傾いてはいけない。どちらかに傾けば最早それは人ではなく神様の領分なのだからね」と難しい事を言っておった。

 知らぬ。

 ヒトとして、世話になった者を護りたいと思うのは当たり前の事。

 そして維新志士とは世の全てを一度否定し零に戻す者。

 零になどさせぬ。

 世の歯車が時代を真っ新な零にする為に噛み合い動いているのであれば、自分はその歯車に挟まり異音を奏でる邪魔者である事に矜恃を覚えよう。時代を動かす程の歯車であるならば余程精緻に噛み合う筈。ならば紛れ込んだ砂粒の一つにも影響するであろう。

 単純に言えば長船は維新志士が嫌いなのだ。

 妻を殺したから。

 会津が滅びそうだから。

 人ん家に砲弾撃ち込んで「俺の熱いソウルは誰にも止められねえぜ!」とか言ってるから。

 嫌いなのだ。

 そういう、騒がしいのは。

 贅を尽くして遊ぶ事を自慢するばかりで、親から貰った身体を誇らない者は。「自分はこんな高級車乗ってるんだぜ凄いだろ!」とか、出会い茶屋で抱いた女がどんな美人さんだったかを競い合うように語るとかさ?

 そういう維新志士の精神性が何ともムカつくのだ。


 長船は親から貰った二本の脚で日ノ本を歩んだ事を誇るし。

 女といえば泣き虫で口が悪くて何でも体当たりなカミさん一筋なのだ。


 変わらず島の人間はなってないが。

 維新志士はまず人間としての魅力がねえ。

「種子島。着替えたら裏口から五右衛門さんを連れて封鎖区画を目指せ。俺と楓と義姉上で退路は守る」

「でも老中。喧嘩とか出来ますか?そんなガリガリなのに」

「ガリガリでも民を守るのが侍だ。ゲリゲリでも民の為ならば押っ取り刀で駆けつける」

「下痢なら無理すんなって民は言うと思う…」

「鍵は持っているな?行け。行って封鎖区画を五年の眠りから解放しろ」

「…分かりました!」

 ドタドタと走り去る種子島。

 鍵は渡した。

 ならば封鎖区画は解き放たれる筈だ。

 白船も手に入れる事が叶おう。

 長船は努めて静かに宿舎を出た。

 なんの為にリーゼントが島に来たのかを心の中では理解しつつ。

 《連中の標的》である自分を囮とする為に。

 いつもの真っ黒いジャージと真っ黒い袴という出で立ちで。

 今はもう慣れ親しんだ商店街へと歩みを進める。


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