第9話

 秋刀魚の煮付けが美味い店は酒が美味い。頭を落として醤油と生姜と日本酒で煮付けた後に酒蒸しをする事が美味さの秘訣である。これは秋刀魚だけではなく煮付けた後に酒蒸しをするという調理法は魚であれば大抵の物に応用が利く。金目鯛やカレイの煮付けは甘辛く煮付けた後に酒蒸しをすれば身がふっくらとするだけでなく淡白な白身魚であっても味に奥行きが出る。

 和尚の店の秋刀魚の煮付けは長船の知る店の中でも間違いなくダントツで美味かった。

 煮付け、酒蒸しをしたものを注文が入ったら更に追って酒蒸しする。

 骨まで食える。

 二度酒蒸しをする事で産まれる喉に張りつくような旨味は酒が進むのだ。

 江戸で美味いのは泥鰌と軍鶏。

 駿河で美味いのは鰻と餅。

 土佐は鰹とウツボ。

 薩摩は豚と薩摩芋。

 日本各地、酒を美味く飲む為の肴には事欠かぬ。

 そして酒を美味く飲む為の肴というのは日本酒を美味く飲む為の肴である事を忘れてはならぬ。魚介類は刺身に煮付けに焼き物にと冷酒が美味く、獣肉は煮込みに焼き物にと熱燗が美味い。そして日本酒を美味く飲める肴であれば洋酒であろうと麦酒であろうと美味く飲む事が出来るのだ。肴を選り好みしやすい日本酒に合う肴であれば他の酒を美味く飲めるのは道理。

 此処が世界一の居酒屋とは日本の物であると言われる所以であろう。

「黒田殿。如何ですかな?私の店は」

「正直言って舐めてました。和尚の作る飯は何でも美味いですし何より海の傍の立飲み屋というのが良い」

 日本海の荒波が押し寄せて来るが、間違いなくオーシャンビュー。

 鳥羽一郎が聞こえて来る。

 何処からか鳥羽一郎が聞こえてきおる。

「老中!老中もこっち座ってスッポン食べましょうよ!うめえっすよ!」

「和尚様!アタシに生き血をくださいな!動脈から溢れ出たばかりのフレッシュな奴!」

「いや、スッポンはそんなテンションで食う食べ物じゃねえんだけどな…」

 結局、義姉とクソ娘にはスッポン鍋と〆の雑炊、それと生き血の赤ワイン割りを頼んだ。長船も食べようかなとも思ったのだが、店舗内全てが調理場であるこの立飲み屋の中で処刑を待つ罪人の如く絶望して水槽の中を泳ぐスッポンと眼が合ってしまったので食べる事が出来なかった。

 懇願しておった。

 スッポン、助けてくれと懇願しておった。

 可哀想で食えるモンも食えぬ。

 なので缶ビールを手に海を眺めながら立ったまま飲んでおる。

 相当な人気店なのかビールケースを裏返した簡素な椅子には島で働く者が多く来ており皆が美味そうにビールを飲んでおった。酒場の雰囲気でその町の情勢を知る事が出来るとは師の言葉である。暗そうに飲む民が多ければ町の政治は腐敗しておるし、楽しそうに飲む民が多ければ政治は機能しておると推察する事が出来るのだとか。現在島に藩主は不在だが、皆が楽しそうに飲んでおる様子を眺めるのは昔から嫌いではない。

 長船は生きていて全く楽しくないが。

 楽しさを分けて貰っておるような気になるからだ。

 注文した焼鳥を手にして和尚が長船の所へと来てくれた。

 禿頭に人好きのする笑顔。

 そして溢れる知性。

 ふむ。

 どうやら和尚、元来知識者の性質であるらしい。

 纏う雰囲気が資料室勤務であった文官によく似ておる。

「島の酒場も良い物でしょう?燃ゆる水の恩恵でこのような特殊な文化のある島ではございますが、酒を振舞う場に響く声はどんな場でも変わる事はございません。昔から良き酒は和を醸すと言いましてな?」

「和醸良酒、仕込み蔵に古くから伝わる言葉ですね」

「おお。黒田殿は博識ですな」

「俺は風来坊の気が抜けませんで、知る為に旅を続けておりました。お恥ずかしい話ですが会津に戻ったのも二十代も半ばの頃です。仕込み蔵で働く者と一緒にバカをやっていた事もありますから」

「人は歴史。どのような経験であってもそれが糧とならない事はありますまい。きっと黒田殿がこの島に遣わされた事にも何か意味があるのでしょう。お釈迦様も『世の全ては悟りに通じる道である』とおっしゃっております」

「そうなのですか?」

「いえ。そうだったら良いなーと勝手に思っております」

「そうなんすか…」

 お釈迦様も大変だ。

 勝手に思われて、勝手に教えを拡大解釈されておる。

 教えの広がりとはそういうものだが。

「海の夜風を受けてもふらつかないその体幹の良さ。やはりあの有名な黒田殿ですね?」

「やっぱ、判りますか?」

「五年前、黒田殿のようなお侍様は多く島に居ました。先代がそうでしたからね。そして四畳は完全中立。新政府も旧幕府も等しく島にやって来ては観光をしております。侍を見る機会には事欠きません。最近はリーゼントに長ランの連中ばかりが目立ちますが」

「維新志士、ですね…」

 昭和の不良みてえな格好してお前は。

 そう、長船は思っていた。

 昭和がどのような時代かは解らぬが。

 ビーバップハイスクールみてえな格好してお前は。

 そう、長船は感じていた。

「世の中解りませぬな。音に聞こえし『会津の鬼黒田』とこんな所で会う事が出来るとは」

「出来ればまだ伏せていたいので。内緒でお願いします」

 忘れたい過去こそ消えてくれぬのは何故だ。消したいと願う物こそ枷のように足を重くするのは何故だ。そういう物の積み重ねで人は出来ておるのだから仕方がないと言えばそれまでなのだが。

 鬼と呼ばれる事に慣れても鬼として生きるつもりは無い。

 難しい。

 生きるとは。

 そして武士道とは自己犠牲の上に成り立つ物であるので尚更に。

 正義は悪を正せばよい。

 忠義は主君に尽くせばよい。

 仁義は優しくしておればよい。

 齢三十を過ぎてもまだどの義を掲げればよいのかが解らぬ。

 恐らくはその全ての義を掲げねばならぬのだろうが。

 難しい。

 岩の隙間から生える山草のような逞しさが羨ましく思うのだ。

 生きるとは恥を晒す事であると師は長船に教えたが、まだ晒す恥が足りないのか、それとも晒す恥の質が劣るのか。眼に見える幼い形での勝利に拘泥するほどガキではないし、日々耐え忍んで生きている民を見て悦に入るほど武士の身分に傾倒しているわけでもないが。

 侍とは公的に生きてこそ。

 公共の益となる為に力を振るってこそ。

 だというのに長船は会津をこの戦から解放しようとしておる。

 自分だけに都合が良いように。

 歴史を変えようとしておる。

「黒田殿もスッポンを御賞味下され。秋刀魚の煮付けしか食べておらぬではないですか」

「この島の食材は俺にとっては珍しくて不思議過ぎて手が出ないんですけど。和尚の作る飯は本当に助かります。ゆっくり味わいたいんです、こういう古き良き日本の味ってのを。この辺じゃ珍しい薩摩の芋焼酎も美味いですし」

「関西のオデンにしか入らないクジラの喉笛なんぞもございます」

「え、此処、立飲み屋っすよね?」

「ええ。たとえ立飲み屋であっても企業努力は欠かせません。努力を怠る者は何をやってもそれまでの人間でございますからな。関西風のオデンは出汁を強めに利かせれば後は食材が勝手に美味しくしてくれますから。流石は着倒れの西日本で唯一食い倒れの文化を持つお国柄の味だと言えるでしょう」

「夜風に当たりながらのオデンも良いなあ…」

「会津のお侍様は酒を水代わりに飲むのでしょう?ならば今宵は大いに飲んで下され」

 東の日本は金を食べ物に使う食い倒れの文化があり。

 西の日本は金を反物に使う着倒れの文化がある。

 食い倒れの東日本であっても東北は其処から更に金を酒に使う飲み倒れとでも言うべき文化に変化するのだが。兎に角人が集まれば酒を飲む習慣がある。しかし江戸に多く見られる酒を飲んでの喧嘩という文化は東北には無い。喧嘩出来るぐらいの酒は酒とは呼ばぬ。足腰が立たなくなるまで飲むのが礼儀であるのだ。

 長船の場合、足腰が立たなくなるまで飲んでも喧嘩をしておったのだが。

 江戸の千葉道場に居た頃は坂本と一緒によく他の道場の門下生と喧嘩をしておった。

 懐かしい話だ。

 千葉道場玄武館の悪たれ二人は。

 他の道場との他流試合どころか他流喧嘩に暇が無かったのだから。

「東北には酒の恥は武勇と同じであるってアホな考え方がありますからね…」

「黒田殿にもあるのですかな?」

「そんなもん、忘れたい話ばかりですよ。酔い潰れて道端で寝てたとか納屋で寝てたとかはいつもの事で眼が覚めたら馬に乗ってたとかはよくあります。一度、目が覚めたらホテルのエレベーター前だった事もありますし、極めつけは留置所で眼が覚めた事もあります」

 財布も何も盗られていなかった事だけが幸いした。

 あの時は飲み過ぎて転んで唇を切ったものでもあった。

 本当、酒を飲んで良い事は無い。

 なのに飲んでしまうこの不思議。

「そんなに飲む程に会津の酒は美味いという事なのでしょうなあ」

「俺はカジカの骨酒が好きでして、川からカジカが絶滅するんじゃねえかというほどに乱獲をして飲んでいた事もありました。黒焼きにして酒に入れて囲炉裏で加熱すれば勝手に骨酒になりますし」

「この店にカジカの骨酒はありませんが鮎の骨酒はございます。旬ではございませんが、川魚は骨酒にするのが一番美味しいですからな」

 確かに。骨酒は京の都で出される高級なものであり、会合の席で振舞われるような物であるからグビグビとは飲まぬが。会津の侍は骨酒をグビグビ飲んで骨酒を肴にして冷酒を更に飲むのだった。

 バカか。

 まずお前等は味わって飲むを覚えろ。

 しかし長船、酒の飲み方は完全に会津の飲み方に染まってしまっていたのであった。

 島の若者は遊ぶところが無くゲームばかり。

 しかし会津の大人も飲んでばかり。

 東北の飲み倒れの文化はなかなかに理解されぬ。

 妻を喪ってから、飲んだくれになった長船の場合は飲み倒れとはまた違うけれど。

 忘れてしまいたい逃避が理由で酩酊を待つように飲んでいただけなのだけれど。

「なら俺等に鮎の骨酒を三つ頼めますか?あの娘達に骨酒はまだ早いような気もしますが」

「ええ。かしこまりました。席に着いてお待ち下され」

 缶ビールをコンクリに背を預けたまま飲む。

 真っ黒な海は何処か不安を煽るが、店の明かりを乱反射し綺麗であった。飲み干した空き缶をゴミ箱に投げ入れアルバイトのケツがエロい姉ちゃんに追加で生中を頼み、娘達がスッポンを食べているテーブルへと向かう。

「なんですか?スッポン鍋はやりませんよ?」

「なんだい?スッポンの生き血はアタシのだよ?」

 要らぬ。

 酒は肴がなくともしみじみ飲めば良い。

 ケツがエロい姉ちゃんが生中を持って来てくれたので長船はグイッと飲んですぐさま紙巻き煙草を銜えて火を点けた。

 煙草だけは南蛮由来が良い。

 赤いマルボロが良い。

「老中、お酒飲むのか煙草を吸うのかどちらかにしましょうよ」

「煙草を肴に酒を飲んでおる」

 吐き出す紫煙が夜の星空に溶けて行く。

 成程、立飲み屋とは晴れた夜だと星空が肴となるのか。

「黒田さん。生き血が煙草臭くなっちゃうだろ」

「義姉上は生き血を飲み過ぎです。吸血鬼ですか貴女は」

 ドラキュラ伯爵のモデルとなったカーミラを連想させおる。

 カーミラぐらいに美しいのは確かだが。

 義姉は義姉で酒の飲み方が乱暴であった。

 綺麗な見た目で、オヤジのような飲み方。

 やはり、妻の双子だと首肯する長船。

「ちなみに和尚には何を頼んだのですか?なんか向こうで話をしてましたけど」

「骨酒という。川魚の黒焼きを日本酒と一緒に和紙に包んで囲炉裏で熱するのだ。黒焼きの旨味が酒に溶け出してな。本当ならばカジカの骨酒を頼みたかったのだが、無いと言うのでアユの骨酒を頼んで来たのだ。同じくヤマメやイワナも骨酒が美味いのだぞ?」

 日本人であるならば試して貰いたいものだ。フグのヒレ酒は手軽に楽しめるが骨酒は手間暇がかかる分なかなか飲む機会が無い。

 種子島は流石に知らないらしくキョトンとしておる。顔が小さく美しいので、そうしておれば嫁の貰い手には困らないだろう。普段のクソ娘成分を出さなければ、すぐにでも角隠し姿になる筈だ。

「老中。それ、ドラゴンボールでいうと誰ぐらいに戦闘力がありますか?」

「そうだな。完全有機農法で育てられた肥えた酒米を限界ギリギリまで磨いて作る大吟醸をサイヤ人だとするならば、骨酒はどんな酒を使っても美味いからな。渋い飲み方という観点から言ってもピッコロさんじゃねえか?」

「男子ってピッコロさん大好きですよね」

「理想の上司だからだろ。厳しくとも相談出来る年長者というのは慕われるという良い例だろう。俺の師もあんな感じだった」

 長船を侍から戦う医者にした師。

 根性と気合だけで戦う侍を効率性と洞察力で戦うよう作り変えた師。

 生きておれば、恐らくはピッコロさんのように仙人の如く生きておるのだろう。

 今はもう何処で何をしておるのか解らぬが。

「老中の先生って事ですか?」

「ああ。江戸で剣を学んだ後に蘭学を修めようと長崎に向かってな。其処で出会った」

「じゃあ剣術の先生じゃないんですか?」

「剣術の師は千葉先生であるが。生き方の師はその者だ。色々教えて貰ってなあ」

 厳しかったが。

 充実もしておった。

 肌の色は緑色ではなかったが。

 触覚も無かったが。

 医者というわりには戦に詳しい者であった。

「そういや黒田さんの若い頃の話って聞いた事無いね。あの妹と結婚してからは妹に振り回されてたって話なんだろう?」

「美香さん、元気いっぱい女の子でしたからね」

「カミさんと結婚してからはそうか。俺が振り回されてたというか何というか…」

 会津の城で働く侍全てがあの娘に振り回されておった。

 城内を着ぐるみパジャマで走り回るような娘。

 長く波打つ栗色の髪をした美しい娘は台風のような娘であり、その台風は会津を直撃したのである。ピンク色のモコモコな兎の着ぐるみを着た若い娘が城内を走り回るのは大層シュールな光景であったが。其処は会津松平家。寛容なお心で許して頂いた。カミさんの為に長船の仕事終わりを待つ間の私室まで作って貰って、それはそれは胃に穴が開きそうな毎日であった。

 カミさん、会津名物揚げ饅頭を食べニコニコしながら長船に手を振っておった。

 その日を境に寂しいからと泣かなくなったのは良かった。

 寂しい日は城について来たからだ。

 朝の挨拶の時なんか殿様座る筈の上座にカミさん座っててな。

 殿様、何事も無かったかのように畳に座って朝の挨拶を始めたからな。


殿様挨拶してるってのに太刀持ちの若手にちょっかいかけたり。

殿様挨拶してるってのに家老の髭を引っこ抜こうとしたり。

殿様挨拶してるってのに頭を下げる長船の背中に飛び乗って来たり。

殿様挨拶してるってのに「飽きたっ!飽きたっ!」と大きな声で喋ってみたり。

殿様挨拶してるってのに「ボスハゲ話長いぞオラ!」と殿にドロップキックしてみたり。


 破天荒な娘であった。

 ピンク色のモコモコの兎が城に来た日は一日が優しい時間の流れとなったのだ。

 妻の大きな胸をガン見する仲間の藩士は結構強めに殴っておいたが。

 懐かしい。

 会津には優しい思い出が詰まっておる。

「白船を動かさねばな。和尚も何か知っておるのだろうか?」

「あれ?封鎖区画の鍵は和尚さんが持ってる筈ですよ?先代と仲が良い方に預けてる筈ですから。五年前は廃仏毀釈運動もありませんでしたから揖保寺の歴史的な価値が残るものと一緒にと保管していた筈です。私、由美さんはそれを知ってて老中にこの店を紹介したんだと思ってましたけど?」

「竜胆ちゃん、それ本当かい?」

 これをご都合主義というのか。

 それとも御仏の導きだとでも言うのか。

「種子島、それは何処で聞いたのだ?」

「封鎖区画を解放する為に色々聞き込みをしてたら色々と知る事が出来たのです。エンジニアの大半が島の外に出ましたが白船の予備の部品も何処にあるのかを聞き出しましたし。エンジニアはエンジニアの横の繋がりがありますからね」

「竜胆ちゃん有能だねえ」

 長船は何も掴んでおらぬ。

 ついさっきの事だというのだからそれも仕方のない事であるのだが。

 餅は餅屋という事なのだろう。

「ならば種子島に任せれば白船は動くのか?」

「んー。封鎖区画に白船があるのは間違いなさそうですけど。どの程度整備が必要なのかにもよりますね。アセンブル交換だけで済むなら私だけでも出来ますけどセッティングとなるとお手上げです」

 アセンブル?

 セッティング?

 南蛮由来がまた出て来おった。

 しかしこれで白船が動くという目標は大きく前進したと言えよう。

「竜胆ちゃん。イージスは動かせそうにないかい?」

「あれは部品を交換して如何にかなるもんじゃありませんからね。システム的な物はシステムエンジニアが居ないと無理です。けど火器管制とか自動航行とかならば多分大丈夫かと。最悪、FCS無しでも主砲は撃てますし」

 動けばよい。

 黒船の倍以上大きな船が動く。

 それだけでまずは良い。

 長船は和尚が骨酒を持って来てくれるのを待った。和尚にも聞き込みをせねばならぬ。先代が五年前何と戦っていたのかも解らぬし、先代から鍵を預かった者であるならば何か有益な事を知る筈と考えたからだ。勢いがついて生中を空にする。ケツがエロい姉ちゃんにおかわりを頼む声も気持ち弾んでおるのが解る。白船は会津解放の象徴だ。会津だけではない。戊辰の戦を止めるための象徴になり得る。

 ボロボロでも構わぬ。

 まずは動きさえすれば良い。

 動けば必ず島に必要な者が集う筈だ。

「島に来てから初めて酒が美味いと思った。種子島、良き知らせであったぞ?」

「でも乗組員が足りないので結局動かないんですけどね」

 急に酒が不味くなる長船。

 上げて落とす。

 笑いの基本ではあったが。

 乗組員?

 もうこの店の客を詰め込めば良いんじゃねえの?

「天候を読む航海士、居場所を知る測量士、白船の心臓部を動かす機関管理者、戦闘をするなら砲舵手も必要です。船長は誰かが兼任するとしても最低四人ですね。会津に向かう時は楓君を乗せますか?」

「いや、それでは島が丸裸になる。隙あらば若いオナゴを食い物にしようとするあの人間性はクソだが楓の剣腕はまず間違いが無い程に確かだ。警固方に残す必要がある」

「竜胆ちゃんは船長で固定だろうね。黒田さん、天候を読めるかい?」

 出来る筈がない。

 気温と湿度と雲の流れだのなんだので空を読むなど侍の役目ではない。

「下駄を飛ばし占うのでよければ」

「白船完全に海難事故に遭いますよね、それ」

「そもそも会津を解放するには黒田さんが船を下りなくちゃならないんだから頭数に入れちゃダメだったね。そうすると乗組員が足らなくなるんだけど」

 此処でもまた人手不足が問題となったか。

 島の慢性的な問題として人手不足はいつでも浮上して来おる。

「船医の経験はあるが船を動かすとなると経験が無い。アヒルボートをカミさんと二人で漕いだぐらいだ。まあ曲がりきれずに転覆したんだが」

「アヒルボート転覆させるってどんだけ速度出してたんですか」

「白船もペダル漕いで動けば良かったのにねえ」

 そんなイージス艦は嫌だ。

 奴隷を使って風の無い日でも進むというガレアス船を連想とさせる。海路を進む船といえばガレオン船かシップ船が主流であるが、海戦となると戦列艦を用いる艦隊砲撃戦が主となる。それをペダル漕いで何とかしろというのが無茶な話だろう。

 ガスタービンで動く船だというが。

 そのガスタービンもなんなのか解らぬ。

 燃ゆる水があれば恐らくそのタービンも動くのだろうが。

「消耗品の交換だけで良いのか?五年も放置されてるんなら装甲板とか動力炉とか全体を交換しなくちゃならないんじゃねえの?」

「出来ればそうしたかったですけどね。白船を作った造船所が何処なのか判りませんから」

「アナハイム社じゃないのかい?」

 アナハイム社の訳がない。

 義姉は時折ガンダムネタをブッコンで来おる。

 しかし確かにアナハイム社ぐらい途轍もない組織でなければ白船の建造は不可能であろう。島で建造されたのか、それとも何処からか島にやって来たのか。先代が居ない今はそれを知る術は無い。島で建造されたのであれば大規模な造船所があってもいいような物だが、島は決して狭くはないが広くもない。そのような施設があればかなり目立つ筈だ。まだ島の全てを知ったわけではないが、そのような大規模な施設は燃ゆる水の掘削施設しか見受けられぬ。

 あれもあれで誰が作ったのか不明だが。

 海に浮かぶその施設、天を突く様な塔からは常に大きな炎が出ておる。

 夜だと人魂みたいで怖いのだ。

 _さて。和尚は骨酒の入った品の良い梨地の皿を三つ手にして席に来てくれた。

 骨酒独特の芳香が夜風に溶けて店周辺を甘くする。

 長船は長く旅を続けていたが鮎の骨酒はまだ試した事は無い。

 骨酒を知らずして酒を語るなかれ。

 もしも祇園で飲もうと思えばトンデモない額の銭が消える一品。

 材料、川の魚と日本酒だけなのにだ。

「黒田殿、美人さんを二人も連れて何やら思案顔ですな?」

「嫌ですよぅ和尚。美人さんだなんてぇ」

「美人って女性に対して褒め言葉じゃないよ和尚」

「ええ。白船を動かす為に今度は人手不足が表面化して来まして」

 スッポンを食べた女性二人は元気いっぱいに骨酒をグビグビ飲み始めた。

 チビチビ飲めや。

 そう、長船は言いたかった。

「白船ならば私も同行致しますが。確かにあの規模の船を動かすとなると、どうしても人手は要りますからな」

「和尚は船に乗った経験が?」

 棚から牡丹餅。

 今は一人でも多くの船員が嬉しい。

 そして骨酒ウメエ。

 鮎の強い香りが燗にされた日本酒の甘みに溶け出す。成程、カジカの骨酒は深い味わいを楽しむ事が出来たが鮎の骨酒は深い香りを楽しめるのか。これならば味付けの濃い煮付けだけでなく山菜のお浸しを肴に飲んでも良いだろう。鮎は香魚とも呼ばれる程に香りが強い川魚である。だから煙草に近い、この酒は。鼻から抜ける香りが全身に広がりおる。

 黒焼きを和紙に包んでバーベキューの端っこの方にでも放置していれば出来るのでは?

 ダメか。

 水分を通さない程の和紙は一般人が手にしようと思って手にする事が出来る物ではない。

「測量の心得がございます。六分儀さえあればですがね」

「由美さんのお店のボーイさんなら物知りだし天候を読む位は出来るんじゃないですか?」

「五右衛門さんだね?まあ、誘ってみても良いんだけど」

 そういえば長船、義姉が働くキャバクラに行った事が無い。

 そもそもあのカミさんの双子ならなんでキャバ嬢などとしておる?

「和尚。封鎖区画の鍵を預かっても良いですか?俺等は白船を動かす為に動きますから和尚にも協力を頼みたいのですが」

「ええ。先代もそれを望むでしょうからね、構いませんよ?」

 そういって手渡してくれた鍵は和尚が首飾りとして身に付けていた物であった。

 焼鳥の薫香がしおる。

 鍵見てるだけなのに焼鳥が食べたくなって来おる。

「義姉上。五右衛門さんという者は今日は店に?」

「居る筈だよ。凄腕のボーイさんさ。狙撃手としてもボーイとしてもね」

「私も何度か見かけた事があります。オールバックでサングラスの男性です。こう、パリッとした服装が似合う黒服さんですね」

 ならばその者も仲間に入れておいた方が良いか。

 早い方が良い。

「和尚。領収書下さい。宛名は四畳藩で、接待費で」

「接待費で良いのですか?」

 接待してしまえ。

 会社の金で自分を接待してしまえ。

「義姉上。クルマは此処に置いてキャバクラに連れてって下され。飲み足りない分は義姉上が働く店の酒を俺が振舞うようにします。まずは五右衛門さんに俺を会わせて下さい」

「っしゃ!そういう事ならサッサと行くよ!」

「っしゃ!高い酒だけ飲んでやろ!」

 和尚の店の会計を終え、長船は両手に花の状態で島の商店街を歩く。

 義姉は男に声を掛けられればパンチで応戦し。

 種子島は男に声を掛けられればキシャ―と威嚇し。

 その様子は両手に花というか。

 まるで食虫植物に寄生されておるようであったけれど。

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