第6話 メインヒロイン 種子島竜胆

「お主が種子島か?」

「はい!私が八代目種子島です!」

 その者、まだ幼い容姿を残しつつオイルの匂いをさせるオナゴであった。髪は妻や姉のようにウェーブが掛かるロングではなく恐らくは作業の邪魔にならぬようにであろう花の意匠をした紅い髪留めでまとめておる。全体的に線が細いのはまだ子供の身体つきを抜けていないのか少なくともあの姉妹のようにムチムチでは無い。

 そして何より服装がビキニの水着であった。

 一気に不安になる長船。

 少女の水着を見てはしゃぐ歳ではない。長船は今年三十と二になる。

 女体に飢えておるわけでもない。そもそも長船は妻帯者なのだ。

 武器屋の主人が子供で女でしかもビキニの水着だ。

 今どき、中学生が考える妄想だって今少しマシな物が出て来る。

「あ、この格好ですね!工房は熱いので!私、見せたがりの変態じゃないんで!」

「そ、そうか」

 その水着も布面積が小さいのなんの。起伏に乏しい身体つきだからこそ何とか見れるのであって、こんな恰好を妻や義姉がすれば完全に何かのコードに引っ掛るであろう事は間違いない。

 女性は安易に肌を出すべきではない。島では萌えの流行なのかどうか週末や祝日に不埒な格好のオナゴが多く目につくが、若いオナゴは女を安売りするべきではない。それを買いたがる男はそれこそ星の数ほどいる。

 長船、その辺りは固かった。

 もし自分の妻がこんな恰好をしたらと思うと悲しくなるのだ。

「本当に工房って熱くてヤバいんで!裸で仕事してたいぐらいに熱くてヤバいんで!だからこんな恰好なだけなんで!私、自分の身体を見せて安い男を喜ばせようとか考えるタイプじゃないんで!本当に工房は熱いんで!あと声がデカいのは工房で働いてるとしばらく耳が変になってるだけなんで!」

「着替えてから店内に来ればよかろう?」

「客が来る度にライン停めてたら仕事になんないんで!」

 ゴウンゴウンと奥からは地鳴りのような音が聞こえる。成程、どうやら此処は問屋から商品を仕入れるのではなく自分が製作した物を販売する類の店らしい。ならば商店ではなく工房とする話は正しい。長船の持つ刀も職人による仕事だ。職人と客が顔の見える関係で一対一で取引される中には邪魔が入らぬ。今の長船は妻との約束で刀を抜く事を自らに厳しく禁じているが。

「拙者は四畳藩の者だ。楓から此処で装備を整えよと言われ馳せ参じた」

「ああ楓君!私、楓君とは同い年なんです!」

 ならば、今年二十歳か。

 身体つきを見る限りは今少し若いかと思っていたが。

  元々細い体質なのだろう。

「侍なのに着物は目立つと言われてな。それにこの島では人より獣を相手にする事が多いとも楓は言うのだ。種子島、どんな装備をすれば良いか?」

「お侍様なんですか!私、お侍様を見るって初めてで!丁髷じゃないんですね!」

先程までは丁髷だった。今は月代に合わせてスキンヘッドという髪型である。

「髷も目立つと言うのでな」

「それでスキンヘッドなんですね!私、サンプラザ中野さんの真似をしているのかと思いました!えっと…?」

「ああ、皆は老中と呼ぶ」

「じゃあ老中様!佐渡は平和なんですけどこの島は食べ物が美味しくてですね!ゴミを漁る野生動物が問題になっているんです!楓君が今まで一人で追っ払っていたんですけど!だから楓君と同じ装備をしていれば問題ないですよ!」

 動く度に水着に隠された中身が見えそうで長船は気が気じゃない。二十歳といえば出会ったばかりの妻と同じ年齢だ。既に妻は二十歳の時点でムチムチでボローンだったが。

「ならば楓と同じ物を揃えてくれるか?」

「はい!かしこまりました!」

「それと此方の話が本題なのだが」

「はい!なんですか!」

 元気が良いのか耳が遠いのか。良く解らなくなってくる。

 華奢な身体が面積の小さな水着で一層弱弱しく見える。

「藩の軍備を整えようと思ってな。先代が存命だった頃は整備されていた軍備も今は皆無だと言って良い状態になっておる。四畳藩には二つの切り札があると楓が言っておったのだが?」

「はい!空と海に一つずつ切り札があります!」

 楓の話は本当だったようだ。

 長船は少し考える。楓の話が本当ならば、何故そんなとてつもない兵器が歴史の表舞台に記録されていないのか。

「海なら私も関わっていましたけど空は全然解りません!」

「何?お主、海の切り札に関わっておるのか?」

 身を乗り出し種子島の顔を覗き込む長船。

 驚いたのか、あどけなさを残した表情が一瞬強張る。

「白船には五年前乗っていましたから!昔は見習いの乗組員でした!」

「名前も聞いていた話と一致するな。ならば本当なのか?」

 白船。

 海の切り札である。

「種子島、詳しく話を聞かせてくれるか?」

「あ、じゃあ工房の火を一旦落として来ますね!」

 店内まで聞こえていたゴウンゴウンの地鳴りがやがて収まる。種子島は水着の上に薄手の白い生地の洋装を一枚だけ羽織り長船の要る店内に戻って来た。

 何故か一枚多く身に付けているのに破廉恥さは上昇する。

 上だけじゃなく下も穿けと。

 オジサンは言いたかった。

「先代がなんだか北前航路には近い未来に京都からの獅子がやって来るとか言い出しまして。その獅子だったかヒヒだったかを陸路のみにしなければ鋏がどうのこうとか言い出しまして。北前航路のフーサだったかのお仕事で白船を動かしたんです。機関室勤務でした」

「やっと声量が普通になったな」

「老中様、ご迷惑おかけしました。もう工房って熱いし五月蠅いし大変なんです」

「いや、続けてくれ」

 獅子とは間違いなく維新志士の事だ。

 そして北前航路とは日本海を渡り庄内藩に繋がる海路。鋏とは挟み撃ちになると先代は考えたのだろう。確かに北と西から来る維新志士を相手に戦をする事は無謀だ。日本を一つの戦場に見立てるそれは現代の関ヶ原だとも言えるのだが、どうやら先代は相当に頭の切れる人物らしい。

 まず海路を封じる事で先手を打ったわけだ。

「白船はイージスって呼ばれてるんです。獅子やヒヒだけじゃなく外国からも日本海を護る最強の盾だとかなんだとか。白船の名前の通り、船体が真っ白なんですよ?」

「黒船さえ一撃で沈める事が出来ると楓は言っていたが?」

「一撃というか、ぶつかるだけでペッシャンコに出来ると思います。海賊が積んでいた大筒が直撃しても無傷でしたから。艦に飛来する脅威に対して兵装の自動選択・照準の自動追尾で迎撃するって機能がありまして」

「全く何の事か解らぬな…」

 黒船を潰せる?

 大筒で無傷?

 自動選択に自動追尾?

 先代は何処からそんな物を持って来たのだ。

 そんな恐ろしい兵器があれば維新志士どころかエゲレスの戦列艦さえ蹂躙出来る。長船は種子島の言っている事の半分も理解出来なかったが、白船は間違いなく佐渡文化の結晶であるらしいことは理解出来た。

「もっと詳しい事は解らぬのか?今一度動かすためには何が必要だとか」

「船底に近い所で働いてましたからねえ。それも燃料の管理だけでしたし」

 港の逆側。

 不自然に入江付近を封鎖してあるあの区画に白船が眠ることは間違いない。しかし封鎖区画に入る事も白船を動かす事も出来ぬのでは会津に援軍を送るなど夢物語だ。

「ですけど動かなくなった原因は解りますよ?」

「本当か!」

「佐渡兵器は全て使用後にはメンテナンスが必要なんですよね。それは老中様が使うであろう銃にも言えるんですけど。白船は帰港してメンテナンスを受けずにドッグに放置されたんです。それも五年も前の話ですから、素人目に考えても消耗品は交換しなくちゃならないですし機関内部で固着したオイルを洗浄しなくちゃならないですし」

「種子島にはそれが出来るのか?」

 この島の全ての銃を産み出す職人である。

 出来ると信じたいが。

「いや、無理ですよ。分野が違うって言って老中様に伝わるかどうか。簡単に言えば白船ってのは一つの大きな城なんです。お城を機能させる為には様々な職人さんがその専門的な技術を使っていますよね?漆喰を塗り直す左官屋さんだったり瓦を修繕する職人さんだったり」

「うむ。それならば解り易い」

 半裸の姉ちゃんに知識レベルを落とされた事に少しショックを受ける長船。

 裸に洋装一つを羽織っているようで眼に悪い。

「私が働いていたのは大きなお城の一部分でしかなくて、そのお城をもう一度使うには全体的に修理をしなくちゃダメなんだって事です」

「具体的に言えば何が主な問題となるのだ?」

「そうですね。電装関係が致命的でしょうね。五年前は確かに居たヒューズを作る職人さんも島を出ましたし当時のシステム管理者も戊辰戦争で亡くなったと聞きます。白船を動かすには白船を全くのゼロの状態から建造出来るぐらいの人材が必要なんだという事ぐらいでしょうか」

 それでは白船を動かすことは叶わぬ。

「五年前、先代が亡くなったという『歴史に残らぬ戦』で何があった?」

「それは誰も知らないんです。ごめんなさい」

「では問を変えるか。『歴史に残らぬ戦』で先代は誰と戦った?」

「あ、それは父上から聞いた事があります。えっと、えっと、ナントカ、ナントカダァー?」

「いや、俺に聞かれても」

「ナニダァー?ナニパァー?もしかしてハゲパァー?あ、ハゲダァー!」

長船、不本意ながら現在ハゲである。


「種子島、お主、殴られたいのか?」

「違うんですって!老中様の事じゃないんですって!」


 拳を固めた長船を見て半裸の娘は流石に焦ったらしい。雑誌のグラビアに載ってる姉ちゃんみたいな恰好をした小娘に長船は本気でムカついていた。

 胸が大きくて全体的に丸みを帯びたグラマラスな女性が好きなのだ、長船は。

 ウェーブのロングヘアーで胸が大きい女性が好きなのだ、長船は。

 簡潔に言えば妻以外の女性が嫌いなのだ、長船は。

 生前、妻の栗毛の髪を褒めた事があった。


なぁに?

この髪の色が珍しいの?

私は貴方の真っ黒な髪が好きよ?

真ん中ハゲだけど。

ハゲ。

月代?

いや、それハゲでしょ?

ウェーブはね、佐渡の美容院でかけて貰ってるの。

髷結い処?

ハゲ。

丁髷ハゲ。

私に髷なんぞ無いわハゲ。

佐渡?

佐渡は良い所よ?

でも貴方は行かない方が良いわ。

理想と現実の狭間に迷い込んでその存在を無限宵闇の虚数理論に包まれるから。

中二病?

なぁに中二病って。

星の堕ちた地の色に染まる瞳とか、時の庭に咲く砂の薔薇の雫とかが好きな病気?

余計なお世話じゃハゲ。

ボスハゲに言うぞ。

城のボスハゲに言うぞ。

亭主が趣味趣向を病気扱いするんですって。


 次の日、殿にビンタされたものだった。会津の殿さまは兎に角女性に優しくしろと言い聞かせ、そして女性には男は当てにならぬからお前達が国を守るのだと言い聞かせた。結果として会津の女は強く逞しくなったのだが、長船はもうちょっと殿も言い方があった様に思えるのだ。

「老中様、今の四畳藩は人手不足が深刻で全盛期の半分にも満たない状態なんです。そんな状態で白船を動かすってのは無理がありますよ?まず電気を扱える者がいませんし電子を扱える者がいませんし。エンジニアが圧倒的に足りていないんです」

 電気。

 エレキテルの事か。

 エンジニア。

 恐らくは技術者の事だろう。

「先代の藩主がその電気系統や電子系統を扱えるエンジニアでしたからね」

「全ては先代の死で機能しなくなっているという事か」

 海戦は詳しく知らぬが帆を張らずに風下であっても無類の強さを発揮したと謳われる白船を手に入れれば黒船に脅える事は無くなるのだが。

 イージス。

 真っ白な船体の船。

 それは長船に伝説の白いクジラを連想させた。

「種子島、なんとかならぬか?白船が動けば維新志士を止める事が出来るのだろう?」

「維新志士を止めても更に戦火が広がるだけですからね。それに維新は既に成りましたし、ならば過ぎた兵器は不要なのかなとも思うんです。それは空の黒船も同じで」

「楓の言う『ヘリ』とかいう兵器か」

「先代は燃ゆる水の利益を技術革新に傾倒していましたし拘泥していましたからね。やり過ぎたのですよ。抑止力にならず呼び水になる技術になんの意味がありますか」

 技術革新を起こし過ぎた。

 極小の産業革命を起こし過ぎた。

 そのツケだと。

 半裸の姉ちゃんは言う。

 乳の形が丸わかりな姉ちゃんは言う。

「ならば、白船と空の黒船の二枚の切り札抜きで島を護る為には何が必要か?そもそも我が藩に侍は楓と拙者の二人しかおらぬ」

「老中が持つM4があればこの島を護るぐらいは老中一人で出来ると思いますけどね。それ、先代も使ってた銃ですから。奥方様の婚姻祝いに先代が贈ったのでしょう?」

 四畳藩からの婚礼の品で。

 今は妻の形見。

 M4。

 真っ黒な、黒船のような銃。

 エムフォー。

 刀が差されている左腰とは逆の右腰に佩く、妻の刀。

「ならばこの銃の量産は可能か?」

「それも先代が居れば可能でしたけどね。今はギリギリでプレス加工が出来るだけに技術力は落ちていますから。AKっていう突撃銃ならば製作も出来ますけど、AKの弾薬のレシピが無いんです。生産性を無視すればですけど、FAL程度になるでしょうね。先代が遺した弾薬のレシピはNATO規格だけでしたし」

 ふぁる。

 それが如何様な銃なのかは知らぬ。

 まあ、シャスパーより性能が劣るという事はあるまい。

「妻の形見のこの銃は弾薬を作れるのか?」

「五年前の先代の戦ではその銃が主力でしたから。弾薬ならこの店にも在庫は多く残っていますし製造も可能です。レシピだけなら八九式もあるんですが材料が手に入らないので」

 まずレシピが何の事か解らぬ。

 設計図のような物だろうか。

「老中だけならば五年前の銃を幾つか用意出来ますが?」

「それには及ばぬ。形見のこの銃だけで良い。女々しい事だが、この銃を持つと妻が傍に居てくれるような気がするのでな。それに何度か撃ったがこの暴れる感じが妻の怒りを表しているようでそれも良いのだ」

「カービン銃は初弾が出るまで少し時間を有します。其処だけお気を付け下さい」

「引き金を引いてから少し間が空くのは会津で経験済みだ」

 あの地獄はなんと形容すれば良いのか。

 少なくとも女達にとっては地獄であったろう。

 妻はその地獄を嫌ったのだが。

 嫌った結果、侍のような真似をさせてしまったのだが。

 武家に入っただけでお前は侍では無かろうと泣いたのはもう遠い過去のように思える。

 維新志士は許さぬ。

 特に会津を攻めた者どもは許さぬ。

 妻の亡骸からこの銃を取り出し、泣きながら戦ったのが長船にとっての初めての戦。

 斬って斬って、撃って撃って、潰して叩いて削いで殴って折って殺して。

 味方の死体に敵の死体が覆いかぶさる程の乱戦を数度経験して。

 武士も町人も関係無しに死だけが無機質に積み重ねるような乱戦を数度経験して。

 会津への攻勢が緩んだ隙を見て殿は長船を佐渡へ流した。

 まだ会津は落ちておらぬ。

 ならば、まだ間に合う。

「現時点で量産出来る物を量産せよ。そして元服を終えた民一人一人に貸与するのだ。白船は惜しいが今は棄て置くしかあるまい」

「白船もそうですがエンジニアをもっと集めねば本来の四畳藩の力を持ちません。私は女だから前線に出ず生き長らえましたが、この戦で殆どのエンジニアは離散しました」

「本来の四畳藩の力を取り戻せば、この小さな島から本州を救う事も可能になるか」

「はい。燃ゆる水があるというのはそれぐらい大きなメリットです。現在この島の製造過程は全てがオートメーション化されているのですが、それが誰の手による物なのかは解りません。ですがその技術をこの島に残した誰かを今一度呼ぶ事が出来れば_。」

「白船に空の黒船も動かせる事に通じる、だな?」

「先代はまだ胸も膨らまぬ内から私を技術者として育ててくれました。その恩義に報いるには燃ゆる水に付随する佐渡技術を極める事が一番かと思うんです」

 先代は誰かを島に呼んでいた。

 それは間違いない。

 問題なのはそれが誰なのか。

 そもそも燃ゆる水を海底から引き揚げる施設である、海に立つ鉄の塔。

 あれを誰が建てたかの記録が無い。

 そして江戸の幕府がこの島の事を知らない筈が無い。つまり大殿は充分に維新志士を押し返せる力を持つ四畳藩の存在を知りながら無血開城を行った事となる。それが目指すところは何処かを考えねばならぬ。大殿に命を懸けた侍ならば、意味する事は何かではなく目指すのは何処かを見据えねばならぬ。まず、何かなんぞは無血開城の時点で理解出来るのだ。

 無血開城をした。

 余計な血を流さない為の無条件降伏という表の見せる為の理由。

 これは外せない。

 大殿は聡明な方だ。

 妻と二人で無理やり会いに行った時もその事はよく伝わった。

 自分が。

 自分がもしも大殿の立場で。

 自分がもしも大殿の聡明さを持っていたと仮定して。

 多くの幕臣が絶望するような無血開城に踏み切るのは何故だ?

 地方の徳川ゆかりの侍が戦う中でその侍を安直に絶望させるような策に踏み切ったのは?

 相手の戦力分析も戦術分析もしないですぐさま門を開けたのは何故だ?

 自分ならば。

 長船ならば。

 五年前の四畳藩の力を知るのであれば、喜んで無血開城をする。

「もしや、大殿は守りを下げて相手の出方を伺ったのか?」

「老中様?」

「坂本の船中八策も新政府は機能しておらぬ。勝者の特権にぶら下がり勝者である事に酔いしれるだけの幼い精神の維新志士を大殿は読んでいたのか?しかし、確かにそれならば徳川に集中する権利を分散させて日ノ本を真の意味で民主化出来たかも知れぬ。軍事クーデターの先にある民事クーデターまでを大殿が読んでいたのであれば無血開城には別の意味が生まれるか。率先して維新志士との戦いを辞めたのではなく率先して維新志士の否定をしていたとは。大殿、どんだけ賢いんだよって話だが」

「ハゲー。おーい、ハゲー」

「坂本もクーデターなんぞに与せず俺んとこくりゃ良かったんだ。同門頼る前に勝先生なんて頼りやがって。だから見廻組なんぞに斬られちまうんだ、馬鹿が」

 この島こそ坂本が活躍出来た舞台であったろう。

 千葉道場の門下生だった頃、何度か共に飲んだ事を思い出した。

 土佐弁がきつくて何を言っているのか解らなかったが。

 良い奴だった。

 その頑なな人柄ゆえか人を選ぶ長船には勿体無い程の友人だった。

 しかし、勝が白船を知らない筈はない。

 ならば五年前に間違いなく志士の情報部が佐渡に入っている筈だ。

 親友は長船が祝言を挙げた事を知らずして世を去ったが。

 既に民主化を視野に入れていたとしか思えない大殿の聡明さに驚く。

 船中八策はこんな実現の仕方があったのか。

 そして百年後の日本の在り方を大殿は危惧しておられる。

「種子島、やはり五年前の四畳藩の力を取り戻さねばならぬ。ゆっくりで良いが、佐渡を本来の姿に戻さねばならぬ。心当たりがあればで良い、お前も技術者を探してはくれぬか?」

「はい!勿論!」

 お椀型のオッパイをした娘は素直で良い娘だ。

 ヘチマのような形のオッパイが好きだったが。

「老中、胸を見過ぎです」

「んな格好して見んなってのは男子には無理な注文だぞ?」

「アピールじゃなくて熱いから変態みたいな恰好をしているのですからね?」

 自覚はあったらしい。

 変態だと認識されるような恰好をしていると。

 若いから出来るのであろうが。

 まだ二十歳だ。

 妻や姉より四つも下だ。

 長船とは丁度干支が一回りする。

 楓と同い年。

 自分もいつの間にか老けたものだ。

 赴任先では年長者としての役割を持たなくてはならなくなったのだから。

「そういえば種子島、お主、名はなんと申す?」

「竜胆です」

「良い名だな」

「老中、それってナンパですか?」

 ナンパ?

 難破?

 長船は名前の通り難破などしておらぬと自負しておる。

 妻を喪い座礁しかけたが。

「難破はしておらぬ。順風満帆ではないが」

「じゃあ私も老中の名前を伺っても良いですか?」

「会津藩士・黒田長船だ」

「由美さんにちょっかいをかけてるって話題のあの黒田さんですか?」

 由美さん。

 義姉である。

 由美と美香の双子の姉妹。

 美香は妻なのだが。

 しかし、ちょっかいとは失礼な。

「ちょっかいではなく、由美殿は義理の姉であってな?」

「由美さん。オッパイ大きくて其処らで見かけない程の美人さんですもんね。老中もあのメロンみたいなオッパイにやられたんですか?」

「老中、も?」

「由美さん男の人にモテますから。毎日みたいに男性に声を掛けられています」

 殺そうか。

 そいつ等を。

 容赦なく斬ろうか。

 今すぐに。

「あ!老中何処行くんですか!」

「義姉もカミさんもどっちがどっちだか解らねえんだよ、似過ぎてて。カミさんは口元に黒子で義姉は泣き黒子なんだけどな。そんなもん遠目に見たら見えねえし。だったら二人とも俺の家内だって事にして俺が護るんだって義憤に駆られている。お前にも解り易く言えばどっちも俺のモンなんだって考えている」

「双子の伴侶ってのは両方の面倒を見るって意味じゃないですけど」

「カミさんが死んでるからなんだろうな。義姉にだけは幸せになって貰わなくちゃ気持ち的に侍辞めなくちゃならなくなりそうなんだ。悪戯好きでグータラなところは似ていないんだが、いつも眠そうな表情に垂れ目でムチムチなところはそっくりだ」

 だから長船の気持ちは愛ではないし義理でもない。

 不思議な感覚なのだった。

 愛ほどに積極的ではないが義理ほどに嫌々でもない。

 会津で間違った問題を佐渡でもう一度与えてくれたといえば不謹慎になるが。

 そうとしか譬える事が出来ぬのだ。

 妻は戦線に出るべきでは無かったし、長船は妻を残して前線に行くべきでは無かった。

 二つの任務は危険度に違いは無いが妻と離れるべきでは無かった。

 それが長船の過ち。

 まず精鋭が前線に出れば町の守りが薄くなるのは考えるまでも無かったろうに。

「老中は由美さんの事が好きですか?」

「そりゃ好きか嫌いかで言ったら好きだよ。でも愛しているのかっていうと難しい。守りたいなとは思うけど一緒に失っても良いとは思えん。一緒に人生を過ごすという契約だからな、結婚というのは」

「難しいです」

「まだ種子島は二十歳だろ?これから知るさ。自分の好きの気持ちに責任を負うのか責任を負わないのか。ただ好きというだけで男女は一緒に居るわけではない。一緒に幸せになりたいのは誰だって同じだ。だが一緒に不幸になっても良いと思えるのは長い人生の中で本当に少ない。男が如何というよりは苦労する事を受け止めてくれる女性の問題なのだろうな」

「私もそんな苦労したってこの人なら良いやと思える男性に出会えるでしょうか?」

「その為にはその裸みたいな恰好を辞めなくちゃだ。工房が熱いのならば換気を今より多く行えばよい。騒音が気になるとしても此処は山間だ。人の住む集落からも離れておる」

「歳を重ねるって羨ましいです。由美さんが好きかって聞かれてすぐに好きだよって返せる辺りが。私はダメです。すぐに突っ張っちゃうし、気持ちと真逆の事を口に出しちゃうし。素直になれば色々楽なのに、変ですね」

「これは妻帯者だからだろうけどな。二十歳なんて俺からしてみたら羨ましいぞ?」

「ピチピチだからですか?」

「それもあるんだが。そうだな、楓が解り易い。アイツ、ランエボ乗ってるだろ?しかもトミマキだ。種子島はオナゴだから解らないかもだが、トミー・マキネンっていえば、そりゃ欲しがる奴は大勢居るんだ。自分の為だけに壮大な買い物が出来るってのは若い奴の特権だよ。楓のトミマキは其処等がカスタムされてるし」

「私、免許無いです」

「んじゃ取れば良い。免許取って安い奴で良いから車買って、自分の運転で行った事も無いような遠い所に行ってみる。それこそ藩を跨いでだ。四畳藩から船で村上藩に行って、其処から庄内藩に向かって津軽藩辺りまで行ってみる。自分の運転でな。楽しかったら次は尾張藩や紀州藩辺りを目指せば良いし、楽しく無かったら別の免許を取れば良い。自分の世界を広げる事が出来るっていうのは若者の特権なんだ。勿論、俺みたいに広げなくても良いんだが」

 若い時は可能性を広げるだけの金が無かった。

 若い時は兎に角、剣術道場を梯子したのだ。

 長船は自分を鍛える事にお金を使った。

 結果、世界は広がらなかったが。

 結果、出来る事は増えた。

「わあ。なんだか希望が溢れて来ました。私、色々やりたいです!」

「だろ?」

「老中ってその気にさせるのが上手いですね!」

「他人の気力を削ぐ話術が上手い奴は性質だけど、他人に気力を与える話術ってのを習得するってのも若い時の自己投資なんだ。どっちかって言えばこの技術は医療なんだが」

「老中が若い時ってどんな事をされていたのですか?」

 身を乗り出して来る種子島。

 洋装に隠れた乳房が見える。

 本当に目のやり場に困る。

 知的好奇心が強いのも若者ならではだが。

 まず、お前は着替えて来いと言いたかった。

 年頃の娘が半裸で乳の見える角度に来るんじゃない。

「二十六までは国の内外を問わず其処等中を回っていた。其処で剣の腕を磨いたり蘭学を学んだり。上方落語を関西で聴いて酒を飲んだり、江戸の道場で知り合った友人の所を訪ねたりしていた。剣術道場の千葉先生が諸国への紹介状を持たせてくれたのでな。国の外では専ら医学を学んでいたのだが」

「じゃあ会津藩で働くまでは浪士に近かったのですか?」

「だな。浪人と何も変わらなかった。商人の用心棒の真似事をして路銀を稼いだこともあったし、侍の身分を隠して商人のところで奉公をしていた事もあった。兎角、親不孝な息子でな。母上は幼少時に亡くなっておったが、父上には迷惑をかけた」

「美香さんと結婚したのは会津に戻ってからですよね?」

「そうだ」

「良いなあ。私も結婚出来ますかね」

「性根が根無し草の俺でも出来たのだ。種子島にも出来る」

 素直な娘だ。

 ちと、線が細いが。

 種子島が子を産む時代、自分は生きているだろうか?

 恐らく、それは無いのだろう。

 長船はそれを思うと何とも言えない気持ちになって来る。

 この戦の炎が熱いうちに死なねばと考えているのだ。

 でなければ妻と同じ場に行けぬと。

 待っているのだ。

 しかし無駄死には出来ぬ。

 待っていてくれ。

 六文銭は二人で渡そう。

「だから老中、胸を見過ぎです」

「着替えて来いって。そんな恰好をして見られることに抗議する方が変だぞ」

「脂ぎったオッサンに見られるのが嫌なのです老中」

「え、俺、脂ぎってる?」

「そして私は十月が来るまで十代の娘なのです。その娘の胸を凝視するとは老中、これは由美さんに知られたら大問題かと思うのですか如何か?」

「いや、十代でも二十歳でも身体はもう出来上がるしな…」

 既婚者に色仕掛けは効かない。

 同じく既婚者に色めいた揺さぶりも効かない。

 何故ならば長船は今、種子島や楓の年代の者の保護者に立場が近いのだ。

「というか、電気の技術者です老中」

「ああ、それなら間違いなくこの島に居るよ。だから左程深刻には考えていない」

「その根拠は?」

「夜になると必ず街灯が町を照らす。オートメーション化ってのが自動化されてるって事だと俺は理解したけど、それでも人間の手を離れる技術ってのは無い。コンビニなんか煌々と夜を照らすんだしな。だから間違いなく電力を使える人間は島にいるんだ。絶対に見つからないといつか見つかるじゃ探す方のストレス度合が違う。俺とお前の二人で探せば結構早くに見つかるだろ。見つかったら其処から更に情報を辿って行けばいい」

「そしたらFAL以上の銃器を製造する事も出来るかもしれません」

「四畳藩の技術を五年前の水準に戻す、まずはこれが目標だな」

 工房からの熱気も今や届かず。

 今は肌寒いほど。

 身に着けていた襦袢で種子島を包み、長船は話す。

「装備を整えたら日常の業務に戻るが、それでも人探しは続けねばならぬか」

「おお。こういうのが俗にいう彼氏の優しさってやつなのですね。リア充爆発しろとか私がモテないのは男子の見る目が無いのだとかバカにしていましたが、これは胸がキュンキュンきます。そしてこの老中の匂いが全身を巡るこの感じが女子の心を掴むのですね。成程、私、生まれて初めて男性の優しさを肌に感じ今どうしたら良いのか解らなくなっておりますが、この場合オナゴはどうするのが正解なのでしょうか」

「いや、寒そうだったから襦袢をやっただけなのだが…」

「成程、襦袢を燃やせと」

「止めろ!燃やすんじゃない!」

 お気に入りなのだ。

 この異世界のような佐渡で唯一襦袢や半纏を売っている店を見つけたのだ。

 一番高い物を長船は即座に買った。

 アチラコチラに洋服が多過ぎて気が狂いそうだったからだ。

「こういうのが毎日あるのが結婚生活なのですか?」

「うーん。なんでもかんでも支え支えられだしなあ。まあ、毎日あるか」

「そんなん、結婚するだけで妊娠しませんか?」

「しねえよ、安心しろ」

「でも一緒にお風呂に入ったりするんですよね?」

「カミさんは絶対に拒否してたけどな」

 一緒に入るぐらいならば死を選ぶ。そう言われたものだった。

 なんでそんなに頑ななの?と聞くと、愛深きゆえにと返して来たものだった。

 なんで裸を見られるのが嫌なの?と聞くと、ツボも秘孔も表裏逆だからと返して来た。

 元ネタが解らないと言うと、それは単に貴方の勉強不足でしょと怒られた。


なんで。

なんで貴方はそうなの?

世紀末救世主になろうとしないの?

会津が滅ぶなんて世紀末でしょ?

維新志士なんて種籾を奪って行くのよ?

維新志士なんて肩パットにトゲトゲを生やして種籾を奪って行くのよ?

まず俺は北斗神拳の伝承者じゃない?

んじゃなんの伝承者だ貴様は。

北斗神拳を伝承もせずに救世主になれるかハゲ。

幻想で飯が食えるかハゲ。

ファンタジーで飯が食えるか。

ペガサスファンタジーで飯が食えるか。

おうし座?

ああ、そうだったわね。

貴方はおうし座だったわね。

但馬牛だったわね。

但馬牛ファンタジーだったわね。

但馬牛オラ。

戦始まるぞ。

ちゃきちゃきコスモ燃やして来いハゲ。


「あー。カミさんに会いてえ」

「奥方様は既に他界されてるんでしたっけね。美香さんとはあまり話した事なかったなあ」

「口が悪くてな。会津の殿さまの事もボスハゲって呼んでたし」

「由美さんそっくりですね」

「オナゴの方が世の中で気が強いものだが、カミさんの場合救いだったのは、アイツは気が強いのであって我が強いのでは無かった事か。俺が気の弱い小心者だから丁度良かったのかもな」

 店内の商品なのだろう不思議な形の銃を手にする。M4より随分重く、給弾方式も弾倉を差し込むタイプではなく弾薬を送って装填する物のよう。片手で振り回すが、これならば銃として扱うよりも鈍器として使った方が良さそうだ。

「ミニミを片手で振り回すって。老中どんだけ力持ちなのですか?」

「どうやらこの銃は拠点防衛に使えそうだな。港に設置しておくか」

「その機関銃なら弾薬の製造が出来ます。でも結構お高いですよ?」

「案ずるな。藩の予算は江戸の幕府並みにある」

 恐らく、四畳藩の予算を使うだけで鳥羽伏見の戦をあと十度繰り返す事が可能だろう。燃ゆる水の利益はそれほどまでに大きい。種子島の工房を丸ごと買い取り藩のお抱えにする事も充分に可能だ。しかし種子島はまだ若く、若いうちは様々な人間と関わる事を是とする長船は工房を国の所有物にしようとは考えなかったが。

「佐渡には逆に刀鍛冶が居ないのだな」

「炭を焼く職人が居ませんからね。昔は金が掘れましたから人も多くいましたけど」

「佐渡の金山か。金の埋蔵量が豊富なのだろう?枯渇したとは思えぬがな」

「金を小判ではなく基盤に使えると知った先代が掘り進めたのです。金は鉄よりエレキテルを通しやすいですからね。今は多分、砂金も残ってませんよ?」

 小判から基盤?

 まず基盤が長船には解らぬ。

「私、刀も鍛える事が出来ますけど」

「その細身でか?」


「あー言ってやろー。由美さんに言ってやろー。老中が私のスレンダーボディをガン見してたって。老中が私のスレンダーボディを舐めまわすように視てたって!」

「よし、何が食べたい?何でも好きな物を言って御覧?優しいオジサンが何でもご馳走してあげよう。優しいオジサンがどんな物でも食べさせてあげよう」


 チクられたら大変だ。

 義姉にチクられたら大変だ。

 若い娘は食いもので黙らせろ。

 口が軽そうな若いクソ娘は食いもので黙らせろ。

 最悪、毒を盛ろう。

 不安要素は排除してしまえ。

 不安な要素は取り除いてしまえ。

「老中、なんでも良いのですか?」

 キラキラした目で長船を見上げる種子島。そんな体勢をされると胸に眼が行くのだと何度言えば良いのか。義姉や妻が猫だとすれば種子島は愛玩犬に近い。

 人懐こい。

 人懐こいクソ娘。

「うむ。侍は嘘吐かん」

「ならスッポンが良いです」

「また無意味に精が付く物を…」

「スッポンポンが良いです」

「それはお主だろう。そんな恰好をしておいて何がスッポンポンか」

「由美さんに言ってやろー。黒田さんが竜胆ちゃんのスッポンポンを見てたって。黒田さんが竜胆ちゃんを縛って地下に監禁してスッポンポンにしたって!」

 そんな事をする者は盗賊ぐらいしかおらぬ。

 そんな事をする者は盗賊でもちょっとおらぬかもしれぬ。

 そんな事をする者は思春期の中学生の心を忘れぬ特殊な盗賊ぐらいしかおらぬ。

 五月蠅い娘だ。

 五月蠅いクソ娘だ。

 まだ二十歳、五月蠅くて当然なのではあったが。

 会津で子供達の面倒を見ていた事を思い出す。会津でもこんなのばかりだった。子供達は長船の言う事を聞かずに遊んでばかりだった。

 男子は竹刀を振り回して長船の鉢植えを破壊し。

 女子は妻と一緒に長船の着物を雑巾に変えた。

 優しい記憶。

 まだそれほど遠くない、けれど戻らない優しい記憶。

 何度男子の頭にゲンコツを落とし。

 何度女子の尻に張り手をしたか。

 張り手をして、撫でまわしたか。

 妻にバレて怒られたか。

 ヤケクソになり妻の尻を撫でまわしたか。

 何度本気で妻に怒られたのか。


ハゲ。

ケツを触るなハゲ。

臀部を触るなハゲ。

ボスハゲに言うからな。

城のボスハゲに言うからな。

子供の尻を撫で繰り回していたと。

私の尻を子供の前で撫で繰り回していたと。


 後日、殿さまにビンタされたのだった。

 懐かしい。

 会津の殿さまはよく長船に対してビンタをした。

 長船も十回までは耐えたが。

 十一度目のビンタで反撃に転じた。

 腹を斬る事にならなかったのは殿さまが大らかな方だからだろうか。

 錐揉みで吹っ飛んで、それでも「痛いよ黒田くぅ~ん?」などと言っておった。

「何故スッポンポンの話でにやけますか老中。変態ですか貴方は。皆にチクりますよ。老中が竜胆ちゃんのスッポンポンを想像してにやけていたって。老中が竜胆ちゃんのスッポンポンを想像してほくそ笑んでいたって」

「会津の事を思い出しておった。真面目な堅物が多いのだが、ノリが良くてな」

「スキンヘッドでにやけると怖いですよ老中」

「そう?」

「宇宙世紀0079の悪役のオッサンみたいで怖いですよ老中」

「ギレンはスキンヘッドじゃねえ」

 幕末からガンダムは人気なのだ。

 今期は確か「ガンダム・イシン」だったか。

 なんでもかんでも維新と付けたがる世の風潮が気にくわぬ。

 維新饅頭に維新ラーメンに維新ダンスに維新音頭、世には維新が溢れておる。倒幕の空気をこうして国内に流布し、佐幕の者を迫害に追い込むというやり方が気にくわぬ。

「ともかく、この島の兵器を本州に持ち込めば新政府軍を押し戻す事が出来る。維新志士が軍などとは認めたくないが、今や世の中は新たな政府に傾いておる」

「鹵獲されたら大変ですから、一方的に攻撃が出来る戦闘でのみ運用となりますけど」

「それは持ち込んでからの問題だな」

「味方に損害を出さず勝利が確実な時にのみ攻めるのが戦なのでしょう?」

「それは先代が言っておったのか?」

そのような戦は知らぬ。

そもそも戦とは双方に損害が出るものだ。

だからこそ数が物を言う。

「どっかに先代が遺した兵法書あったっけな。老中ちょっと店番してて下さい、母屋行って探して来ますんで!どうせ客なんか来ないんで!」

「あ、ちょっと!」

 水着のまま、工房に繋がる母屋へと行ってしまった種子島。

 面積の小さな布がケツに食い込むので眼に悪い。

 あんな恰好で京や江戸に行けば種子島はあっと言う間に妊娠するだろう。

 いずれその辺りの事も説教してやらねばならぬ。

 クドクドと説教してやらねばならぬ。

「しかし店番か。幼名の頃を思い出すな」

 元服前の鉄之助だった頃、奉公先には同い年の娘がおった。生意気の盛りで怖いもの知らずな甘やかされて育ったことが見て分かるオナゴであった。「侍の子だ侍の子だ、熱湯をかけて遊びましょうか。それとも虻を喰わせて遊びましょうか。それとも蛇を近づけてみましょうか」とあまりにバカにするので「侍なめんなや売女が!」と鉄之助は奉公先の娘を裸に剥いてボコボコに殴って行先も解らぬ旅籠に放り込んでやった。風の噂では奉公先の娘は如何なる紆余曲折を経たのか長州の浪人と夫婦になったと聞く。

 長船、子供の頃は大層危険な男子だった。

 奉公先のアニメ声が気持ち悪いババアに「娘を知らぬか」と泣き叫び尋ねられても「いや、自分知らないッス。家出ッスっかね?」と答えるばかりのクソガキだった。

あの娘、生きていれば自分と同じ三十と二になるか。

 次に会うような事があれば叩っ斬ってやろう。

「京で坂本も銃を使っていたと斉藤殿が言っておったか。元新選組三番隊組長、出来るのであれば一度剣を交えて仕合うてみたかったが」

 多分、ギッタギタにされるのだろうなと長船はあの堅物で融通の利かない仲間の事を思った。同じ北辰一刀流だという事で仲良く出来るのかなと考えたのだが、物静か過ぎて交流どころではなかったのだ。「斉藤殿は京では何を?」と聞くと「新撰組でござった」としか言わないし、「斉藤殿はこの戦はどうなるとお考えか?」と聞くと「我々の負けでござる」としか言わないし、「斉藤殿、酒を交わさぬか?」と聞くと「戦なので結構」と断られたし、「斉藤殿、もしかして俺の事嫌い?」と聞くと「私は好きか嫌いかで人付き合いは致さぬ」と窘められた。

 会津の侍のイメージをそのままを形にしたような武士の鏡のようなお人であった。

 カンチョーでもすれば仲良くなれたかもしれぬ。

 元新撰組三番隊組長・斉藤一にカンチョーすれば仲良くなれたかもしれぬ。

 思い切り指を突き立てれば「ウアッ!」とか言って斉藤殿と打ち解けられたかもしれぬ。

 長船は悪戯好きなのだった。

 子供染みた悪戯が好きなのだった。

 坂本が使っていた銃は手のひらに収まるサイズだったと聞き及ぶが、どうやら種子島の店には該当する銃は無い。同門の長船がお揃いにしてあの世の坂本が寂しくないようにとも考えた。しかしあの超人的な人懐こさを持つ坂本だ。あの世でもきっと友を作るだろう。

 京から江戸に拠点を移した新政府は北の征伐に向かい続けるのだろう。

 今は会津が激戦地帯。恐らくは蝦夷まで征服しようと考えるはずだ。

 津軽の友人は無事だろうか。

 何を喋ってるか翻訳が必要なあの津軽の友人は無事だろうか。

 米沢の友人は無事だろうか。

 上杉公上杉公と五月蠅いあの米沢の友人は無事だろうか。

 仙台の友人は無事だろうか。

 森の都森の都と森も無いくせに言うあの仙台の友人は無事だろうか。

 天童の友人は無事だろうか。

 居合と将棋に長けたあのサクランボ野郎は無事だろうか。

 長船だけが戦っておらぬ。

 こんな訳も解らぬ島で独り、半裸の女子が仕切る工房で店番をしておる。

先代が遺した兵法書。興味はあるが、それを読んだところで試す機会が長船には無い。

「この店の銃を会津の城に持っていければなあ」

 シャスパーで戦う女だけは守れるだろう。妻だけは長船が右腰に佩くM4で応戦していたが、妻はあの銃の名手である八重より戦果を挙げたと聞く。

 八重は気立ての良い娘だった。気立てが良く聡明な頭脳も持った娘だった。でもカミさんの方が美人で巨乳だったなと長船は器の小さいことを思い小さく勝ち誇る。

 会津の女の射撃訓練に一度長船は顔を出した事がある。訓練担当の侍は長船と知り合いだったし何より女を戦わせる事に最後まで反対していたのは長船自身だ。殿さまに声を荒げて女を安全な隣国に移すべしと主張さえした。会津で新政府を止めるのだと聞き分けのない殿さまにビンタした事もある。「理解してよ黒田くぅ~ん」と言いながら殿さまは吹っ飛んだが、主君を殴ってでも女を戦場に立たせる事は反対だった。


あら貴方。

ええ、射撃の訓練よ。

八重さんがお上手なの。

私?

私はダメよ。

当たらない様にって祈りながら引き金を絞っているんですもの。

敵に当たらない様にって祈りながらACOGサイトを覗き込むんですもの。

脇締めてフォアグリップをガッチリ握るんですもの。

殺されるのは怖いけど。

殺すのはもっと怖いわ。

ハゲ。

今日は一緒に帰りましょうねハゲ。


 一緒だ。

 何処までも。だが今暫く待て。

 妻の使っていたその銃は長船が持つ。妻が愛用していた『えいこっぐ』とかいう銃本体上部に取り付けられていた照準器機は戦闘中に破損してしまったが。妻の刀は夫である長船が引き継いだ。楓が言うにはこの銃には本来銃声を消す作用を持つ部品と炸裂弾を投擲する部品と光線で照準を補助する部品が取り付けられていたらしい。

五年前の四畳藩の戦の際に使われていたのはそのM4なのか。

フル装備の仕様であれば確かに新政府軍に後れは取らぬ。

「あった、ありましたよ老中。先代の遺した兵法書です」

 ボロボロに草臥れ埃だらけのその本は視た事も無いような表装であった。テカテカ光り、色がついておる。本といえば懐に入れる事が出来るサイズである事が一般的なのだが、この兵法書は飯台ぐらいの大きさがある。長船はM4に似た銃について記載されている頁を見つけ熟読しようと思った。

「種子島、なんだこの銃の隣に書き込まれた数字の羅列は」

「銃身の長さと銃本体の長さ、銃の重量。装弾時の重量、有効射程距離と使用弾丸ですね。短い銃身のM4は船の上で扱うには丁度良かったんです。森の中とか引っ掛る物が多いところで扱い易い銃になりますね」

「刀でいえば脇差のようなものか」

「脇差は拳銃ですかね。多分、打刀がカービンに相当するんじゃないですか?」

 よく解らぬが。

 先代はこの本に自筆で色々書き込んでおったようで赤字で色々と補足がされておった。

 その他にも何か薬品の調合法や何かの設計図が記されておる。

「む。兵法書には医術についての記述もあるのか。これは興味深い」

「老中はこれが医術であると理解出来るのですか?私、何が何だか分かりませんでした」

「ああ。俺は戦う医者であれとの教えを師から受けていたからな」

「老中お医者様なんですか!お侍様なのに凄いですね!」

 しかし、どういう事だ?

 長船、知る為に世界さえも旅して来たが。

 このような事は医学の発展した独逸でも学べなかった。

 先代は何故このような事を知る事が出来たのか。手術における麻酔といえばエーテルによる気化吸引麻酔が一般的であるが、この兵法書には麻酔薬を患部に投与する局部麻酔なる方法も記されておる。確かにエーテルによる麻酔は患者に負担が大きくあまり使いたくはない手法ではあるのだが。この兵法書に記載されているような医学は師の教え以上に複雑で何より適切だ。

「…種子島。この兵法書、俺に譲ってくれぬか?言い値で買い取るようにするから」

「別にお金は要りませんよ?ウチにあってもゴミ同然ですから」

「ゴミ同然?このような高度な学術書がか?」

「はい。家では鍋敷きに使っていました!」

 クソが。

 クソ娘が。

 そんな事をしたら熱で紙が痛んじゃうでしょ?

 自分に必要な事を学べる学術書って金銀財宝より価値があるんだから。

 長船、このクソ娘の事が少しだけ嫌いになった。

 裸同然の恰好をする若い娘を好む好まぬも無いのだが。

「さて。じゃあ老中、此処で着替えて行きましょうか。お召しになっていた物は後で屋敷に届けますので」

「かたじけない。兵法書の礼にスッポン以外にも何かご馳走せねばな」

「あ。じゃあ河豚が良いです河豚!」

「また高い物を…」

「スッポンの生き血を飲んでみたいですし河豚のヒレ酒も試してみたいのです!」

「ああいうのは四十を超えてから飲むもんなの。お前にそういうのはまだ要らないの」

 若い時に下手に精の付く物を食すと健康被害にも繋がる。

 若い時は沢山食べて沢山寝るのが一番なのだ。

「んじゃ老中も河豚のヒレ酒飲まないんですか?」

「俺は美味い焼鳥と安い日本酒があれば不満も何もねえからなあ」

「お侍様って遊女を買って病気になるまで遊ぶ生き物だと生前父上が」

「えっと。オヤジさんの事を悪く言うようだけど、それ侍差別だからね?」

「老中は遊女で遊ぶ事はしてこなかったと?」

「して来なかったなあ。遊郭で遊ぶぐらいならカミさんと居酒屋行ってたし」

 遊郭に行けば妻に殺されていたという事情もあるのだが。

 結婚する前でも遊女遊びは経験が無い。

 ただ遊ぶ為の金が無かっただけだ。

 学ぶ為に金を使う必要があったからだ。

「お侍様も居酒屋行くんですね」

「そりゃ行くよ。この島で譬えるならば行政職員と変わらん。寧ろ世の中じゃ役場の職員こそ居酒屋で飲んでるだろ。会津は酒が美味くてな。城の連中と一緒に夫婦でベロンベロンになるまで飲んでおった」

 用意された洋装に着替える為に更衣室に入る。

 黒い袴だけはいつ戦闘が起きても良いように脱ぐわけにはいかぬ。なので上半身の上着だけを洋装に仕立てて貰った。黒い袴に黒に白の三本線が映えるジャージ。

 楓の言うデニムは止めておいた。動きが制限される事を長船は嫌うからだ。

 見た感じ和洋が全く折衷しておらぬが。

 それも長船らしくて良いだろう。

「では白船を動かす為のエンジニアを探す事、宜しく頼む。スッポンは今日、馳走しよう。夜に俺の屋敷に来るが良い」

「おっしゃあ。毎度ありー♪」

 こうして長船は大きな兵法書を抱えて山間のアトリエを出た。此処から屋敷までは歩きであるが、草履ではないこのブーツの按配を確かめるには丁度良かろう。

 暗くなった島にはポツポツと明かりが燈り始める。

 必ずいる。

 エレキテルを管理する者も。

 白船を動かすに必要な者も。

 会津を助ける確かな希望を胸に秘め、長船は装いも新たに歩き出した。

 それは会津藩士改め、四畳藩老中・黒田長船の一歩であった。

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