第4話

 如何にしても妻の生家を見たい。

 長船はその日、妻の生家を生まれて初めて訪ねた。

 妻と祝言を挙げたのは妻が会津の染物屋に奉公をしに来ていた時だった。

 思えば咆哮をしながら奉公をする凄まじい娘だった。

 妻の生家。

 山間の茅葺屋根の大きな家。

 この訳の解らない材質で出来ている四畳藩の家屋が多い中、古き良き日本の家だった。

 引き戸はまだ新しい。

 最近、建て替えをしたのだろうか?

「ごめん」

 引き戸を開けた長船。

「去れやこのクソが!」

 開けた引き戸から0・5秒で蹴飛ばされた長船。

 ゴロゴロと山村を転がる侍が一人。

 その者、名を黒田長船と言う。

 うん。

 間違いない。

 この反応、間違いなくカミさんの血縁者だ。

 この罵倒と同時にやってくる暴力。

 懐かしい。

 妻に言っていたように、もっと打ってくれと頼みたくさえもある。

 袴、泥でグッチャグチャ。

 仕方あるまい。

 妻でさえ、城に乗り込み侍仲間を薙ぎ倒して忘れた弁当を届けてくれたのだ。

 その血縁者であれば蹴られるぐらいはサムライならば想定済みだ。


「ごめんくださぁーい?」


 その侍を一旦辞めた長船。

 会話にならぬのでは妻の血縁者から話を聞く所では無い。

 閉じられた戸の前で自己紹介をせねば。

 まずは挨拶。

 人間の基本は会津も佐渡も変わらぬ。

「あのぉー?ワタクシ、こちらの娘さんと祝言を挙げました『黒田』と申しますぅー?」

 腰は低く。

 妻と接するようにだ。

 妻より濃密な罵倒が来ると構えておいた方が良い。なんせ、あの妻の双子の姉だ。

 ゆっくり、ゆっくり引き戸を開ける。

「ご挨拶が遅れまして申し訳ありませーん。あのぉー?ごめんくださぁーい?」

「おお!貴方があの子の旦那さんかい!いやいや良く来なさったねえ!」

 出迎えてくれたのは妻とよく似た女性だった。

 というか、似過ぎである。

 丁度、妻があと少し生きればこうなるのではと思う程に。

 垂れ目でタヌキ顔な、美人さんだった。

「これは、義姉上様でござろうか?」

「誰がババアだハゲ!」

 玄関先からまた蹴り飛ばされた長船。

 ゴロゴロと山村を転がる侍が一人。

 その者、名を黒田長船と言う。

 先程は屋内に入る事もままならなかった。

 大きな前進であろう。

 長船は_。

 長船はこのやり取りがまるで妻が蘇ったようで。

 懐かしくて。

 でも妻が死んだ事を思い出して。

 涙を流して声を上げて泣いた。

 そして蹴り飛ばされたその場で妻との思い出を語った。


身分違いの恋だった事。

矢鱈と尾行して来る美しい娘が妻との出会いだった事。

三日目にその尾行が強襲に変わった事。

人斬りかと驚いて撃退したら泣き出した事。

結婚をしてくださいと泣きながら頼まれた事。

了承したらすぐに泣き止んで飛び上がって喜んでいた事。

長船を武士だと知らなかった事。

長船をサッカー選手だと思っていた事。

詐欺だとまた泣かれた事。

鈿を与えたらすぐに泣き止み飛び上がって喜んでいた事。

武家に入るという意味を理解してくれた事。

でも全く理解していなかった事。

幕末期なのに水戸から御老公がやって来るとワクワクしていた事。

でも黄門様死んでいて真っ白に燃え尽きて落ち込んでいた事。

西郷さんの連れている犬を貰って来ようと薩摩に二人で行った事。

西郷さんにムチャクチャ怒られた事。

西郷さんに貰ったサツマイモを庭の畑に植えた事。

妻が慶喜公に会いに行こうと無茶を言い出した事。

上様、「うむ。私も息抜きが必要であった」って困りながらも会ってくれた事。

上様、更にサインまでしてくれる凄い良い人だった事。

上様、超絶ハンサムだったねと失礼な事を妻がずっと言ってた事。

妻が行く先々でナンパされた事。

美しい妻を持てて幸せだった事。

不作の年は庭の畑で採れたサツマイモを二人で民に振舞った事。

豊作の年は民を屋敷に招いて酒を振舞った事。

喧嘩は一度も無かった事。

戦争が始まり旅も出来なくなった事。

楽しく、幸せな日々だった事。

長くは無いが幸せな夫婦生活だった事。

義姉の罵り方が妻そっくりだった事。

顔も声も妻にそっくりで驚いた事。


 長船はワンワン泣いた。妻を思いだし、妻との生活が貧しくても慎ましく満たされていたのだと再確認をさせられて。その妻が会津で戦に巻き込まれ死んだのだとも改めて再確認させられて。子供の様に長船は泣いた。

 侍は一旦辞めた。

 ならば童のように泣く事も許されよう。

「メソメソすんなや!このクソが!」

 開いた引き戸から凄い勢いでまな板が飛んで来た。

 泣くの、許されなかった。

 この辺はカミさんより厳しい。

「アンタ、黒田長船さんだろ?戦が始まる前に妹から文が届いているよ。妹の事は、まあ、残念だったねとしか言えないけどさ」

「グスッ。美人で巨乳で真っ直ぐでタフなカミさんでした」

「ウチはタフであれが家訓でね。妹もタフだったろう?」

「会津の武士が諦めそうな時も絶対に諦めませんでした。武士より武士っぽかったです」

「妹は。妹の最期は苦しんだのかい?」

「武士の情け。幾ら義姉上でもそれだけは言う訳にいきませぬ」

 そのセリフだけは。

 背すじを伸ばして言えた。

 言えぬ。

 妻が如何様に殺されたのかだけは。

 何故長船が妻の形見を鈿ではなく妻が使っていた銃を選んだのか。

 言えぬ。

 妻の死は自らの死と同じだ。

 あの会津の女達の死は、あの会津で視た地獄だけは。

 生涯、長船が抱え長船が無念を晴らす。

「黒田さん、そんな怖い目つきをしなさんな。お茶でもどうだい?」

「あ、かたじけない」

 正直、山村まで歩いて来たので喉が渇いていた。

 楓のランエボで送って貰えば良かったと思っても既に遅い。今あの部下はランエボで燃ゆる水精製所の見回りをしておるらしい。老中という立場を与えられた長船もついて行くべきだったが、今は公務より妻の事を優先したのだ。妻の生家は夫婦生活の中で結局一度も立ち寄る事を許されなかった。それはこの島の様子を見れば良く解る。長船のような堅物がこんな面妖な文化を知れば侍に戻れなくなる。あの聡明な妻はそれを案じたのだ。

 アドリブや不測の事態に弱い長船のガチガチな脳味噌を、健気に案じたのだ。

「ほら、キャラメルラテだよ」

「えっ…、と…?」


 どうしよう。

 如何にしよう。


 いや、拙者は普通に日本人らしく緑茶が良かったなーなんて。

日本古来よりの茅葺屋根の家だから普通に此処はそういう四畳藩文化は届いていないのかなと期待をしていたのだが。玄関に長船のもとに置かれた陶器も何やら持ち手のような物が付いているし、この甘ったるい香りも初めてだったし。簡潔に言えば「何じゃコリャア!」という気分であったのだけれど。だが義姉が出してくれた茶の湯だ。

 飲まねば筋が通らぬ。

 恐る恐る口を付ける長船。

「甘ッ!」

「そりゃ甘いさ。黒田さん、キャラメルラテ初めて飲んだのかい?」

 ムチャクチャ甘い。

 ザラメを丸呑みしているかのよう。

 温めた牛乳にザラメを溶かしたヤツをグビグビ飲んでいるかのよう。

 温めた牛乳にザラメを溶かして珈琲を加えたヤツをグビグビ飲んでいるかのよう。

 面妖な。

 でも疲れた身体に有難い。

 これは会津の子供達に喜ばれるだろう。あの子供達は毎日元気に走り回っている。元服こそしておらぬが立派な武士だと言える。会津の士に年齢性別は関係無い。

 疲れた時はキャラメルラテ。

 疲れた時はキャラメルラテ。

 幕末期より続く文化である。

 長船はこの甘い飲み物を深く心に刻み込んだ。

「黒田さん、妹の写真を見ていくかい?嫁に出てってから荷物の整理もままならないんだ。それに遺品は身内が引き取るべきだろ?」

「しゃしん、とは?」

 また聞いた事の無い単語が出て来た。

 この島に来てからというもの、長船は異世界に来たような気持ちにさせられてばかり。

 銃はシャスパー銃でもマスケット銃でもないし。

 船は漕ぎ手が居なくても勝手に進むし。

 夜でも明るいし。

 もう、何なの?

「モノグラムって聞いた事無いかい?京じゃ結構流行してるって話だけどね。こう、なんて言うのかね。その人をその人のままで姿を残す技術だね」

「ものぐらむ…」

 南蛮由来の言葉だろうか?

 また南蛮由来の言葉だろうか?

「ドラゴラムって聞いた事あるかい?この島だけで結構流行ってるんだよ?」

「どらごらむ…」

 南蛮由来の言葉だろうか?

 この島だけに伝わる伝説だろうか?

「MPを消費するのさ」

「えむぴぃ…」

 今のは南蛮由来だと理解した長船。なるほど。えむぴぃを使ってしゃしんは行われる。恐らく何かの専門技術職、もしくは人物像を描く似顔絵師のような物であろう。

「黒田さんは其処で待ってな。ちょっと妹の写真探して来るから」

「え、ええ」

「妹に会えるよ。まあ、生前の姿をまるっと残してるって言った方が早いかい?」

「え、ええっ!」

 義姉がそう言って奥から手にしてきたのは不思議な手触りの数枚の紙切れだった。

驚愕というか仰天というか、まるで妻の姿をその周辺から切り出したかのような風景が描かれているではないか。義姉に聞けば熱を利用した転写で映像を記憶するのだとか何とか。

 これは写真と呼ばれる技術に感謝だ。

 妻が、あれほど会いたかった妻が居る。

 生前と変わらぬ姿の元気なままで、妻が其処に在るのだ。

 長船はもっと取り乱すかと思った。

 長船はもっと振り乱すかと思った。

 けれど今、彼は自分でも驚くほどに穏やかだった。

 乱れる事など何も無い。

 今はただ、優しい記憶ばかりが此処にある。

 今はただ、温かいばかりの記憶が此処にある。

 世の中には妻に暴力を振るうような夫が居ると聞くが、何故そのような真似が出来るのか。

 それは己の守るべき存在に手を上げると同義。

 こんなにも大切な物を。

 こんなにも愛おしい物を。

 何故に傷付ける事が出来るというのだ。

「お前、久しぶりだな。俺は少し痩せたよ。お前の生家にもっと早くに着ていれば、もっと早くに会えたのにな。すまぬ、許せ」

 美しい娘だった。

 自分には勿体無い程の。

「黒田さん、そっちの写真はアタシだよ。妹じゃない」

「おおっと!」

 双子ちゃんは難しい。

 そもそも義姉と妻が似過ぎなのだ。

 それこそ熱転写をしたように。

 双子の姉妹を娶った者でなければ長船の心中は測れまい。

 隣りに妻が生きているのにその者は別人で。

 隣りに妻が確かに居るのにその者は別人で。

 双子ちゃんは難しい。

 同じ声で同じ顔で。

 似て非なるキャラ。

「では妻はコッチの幼子の時の写真しか無いのですか?」

「妹は写真を撮られると魂が抜けるとかダメージを受けるとか言っていつも撮影されるのを嫌っていたからね。そっちの子供の時の写真しか無いよ」

「我が妻ながら、何の事なんですかね、それ」

 その理由は大凡百五十年後に分かる。

 妻の写真は子供の頃の物しか無かった。

 子供、子供、まあ、これはこれで。

 ロリ時期でもカミさんはカミさんだし。

 もしも夫婦に娘が居たらこんな感じだったのだろうか。

 長船に子供はいない。

 それを寂しいと思った事は無い。家督を継ぐ跡継ぎ不在である事を家の者は口煩く言ったが、長船も妻もそんな事を気にしたことは無かった。子供が欲しくないと言えば嘘になるが、子供と触れ合う機会は会津に居た頃から充分にあった。

 この写真の妻はムチムチでもプリンプリンでもないが。

 そんなものは器でしかない。

 妻の魅力はそんな所には無い。


 お気楽な姉と違い妻は何にでも備えねば気が済まない女であった。

 空が不吉に燃えれば「あのシャアザクがコッチ見てる」と言いだし。

 峠を越えれば「此処ってカチカチ山?此処ってカチカチ山?」と背後を気にして。

 海を見に行けば「あの若い女と私を比べる為に連れて来たのかハゲ!学生の水着姿が其処等に居る中で泳げるかハゲ!十代の娘と二十代じゃ全然違うわハゲ!学生が泳いでる中でババアが泳げるか!誰がババアじゃハゲ!」と理不尽に殴られた。

 妻は変なチャンネルを受信しているのかなと本気で心配した事もあった。

 寺子屋で学ぶ娘と自分を比べる妻も妻だが。

 それを言うと「アホか貴様は。自分以外の子を産める体の女子が夫の傍に居るのを見ると女は敵愾心を剥き出しにするんじゃボケ。夫の傍に女が居るだけで殺意を持つんじゃハゲ。鈍感か貴様。鈍感ハゲか貴様。私は嫉妬深いぞ。妬んで嫉んで捻くり回してやるぞ?あーあ、ハゲのせいで泣いちゃうぞ?あーあ、ハゲのせいで泣いちゃったぁー。ハゲのボケー」などと言ってピーピー泣き出すのだった。

カミさんというか娘みたいだと何度思った事か。

 娘が出来たら本気で長船を取り合って殴り合いの喧嘩をするとまで愛してくれた妻。

 イノシシのような性格と美しい容姿を持った最愛の妻。

 長船に色目を使った飯炊きを即座にボコボコにしてしまった妻。

 その飯炊きを殴りつける姿は台風のようであった。キックスタンプから左のフック。右のショートアッパーから左でリバーブロー。更に右でコメカミを殴りつけて右のハイキック。キックボクシングというらしい。右から右の基本的なコンビネーションだとか。

「ちなみに義姉上は何を生業としておいでか?」

「アタシかい?コンビニ店員でキャバ嬢だよ。今日は夜勤だからね、休んでるのさ」

 こんびに。

 あの昼夜を問わずなんでも揃っている万屋の事か。

 きゃばじょう。

 島の料亭で働く者だと楓から聞き及んでおる。

 しかし休んでおいでだったとは。

 なんたる失態。

 休憩中に訪ねてしまうとは。

 そして女性の夜間勤務とは。

 危険ではないのか?

 いや、この島の治安は過ぎるほどに良いが。

 女性の深夜就業は治安とはまた別の問題だ。

「義姉上。宜しければ藩邸にも仕事は沢山ありまして」

「良いんだよ別に。楽だからやってんのさ」

 暇さえあれば働いていた妻と全然違う。

 義姉は自堕落な感じがする。

 自堕落と言うか怠惰というか。

 義姉は義姉。妻は妻。

 似ていても違う。

 思いっきり泣いたので長船はスッキリとしていた。

 空の雲は流れを遅くし、青も色合いを薄くしている。

 気付けば結構長い事お邪魔してしまっていたようである。

「義姉上、長居を致した。遺品の譲り受けはまた今度に致す」

「ああ。もう来んなハゲ」


 妻と同じ顔で、妻と同じ声で、そんな事言われたら。

 毎日毎日来てやろうかなとか長船は考えた。

 毎日毎日働いているコンビニに顔を出そうかなとか。

 毎日毎日遠巻きに見守ろうかなとか。

 毎日毎日百通ぐらい文を送ろうかなとか。

 妻に似過ぎの義姉が悪いのだ。

 長船は悪くない。

 長船は気持ち悪くない。

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