第2話 会津から左遷

 会津藩士・黒田長船は佐渡賀島へ左遷されてやって来た。

 左遷と言えば聞こえは良いが、それは島流しであった。長船は此れを無念と受け入れたが、今や長船だけが存命の断絶する家督も何も無い素浪人同前のサムライに腹を切らせたところで意味は無く。ならば島流しにしてしまえと言う悪逆非道な者達によって、その石橋を叩いて渡る様な堅実な侍の運命は日本海に浮かぶ小さな島の中の物となる。

『腹を切ったほうがマシであった』

 長船はそう思っていた。

 幕僚には後ろ指を指されておる事は明白であり、佐渡島なんぞに島流しだと言う事は黒田長船という忠義の士は将軍様に必要ないと言われているのと同じ事。忠義なんぞ、この時代には必要ない物かもしれぬ。心の在り方よりも、今は己により利を齎す勢力へと身を振る事ばかりを考えるサムライばかり。

 齢三十路を迎えたばかりの長船であったが、心身ともに疲れ切ったその姿は四十を越したと言えば誰もがそうかと首を縦にしただろう。

『真っ暗な船底からは外の様子を窺い知る事は出来ぬが。佐渡島という所は随分と波が穏やかな物だ。春の日本海は荒れると聞き及んでおったのだが』

 それも考えるまい。

 島流しにされたサムライなど、最早生きる意味など無い事は明白。

 なれば、この地に骨を埋めるのもまた一興。

 島の老中として生きよと言われた。

 一介の侍が宿老、老中職になれたのだ。

 ならばこれも一つの出世街道だと考えた方が良い。

「黒田様。到着にございます」

「うむ。そなたにも迷惑をかけた。このような土地にまで」

「いえ。此処は桃源郷ですし。あ、いえ。ゲフンゲフン。では、お気をつけて」

「…?あ、ああ…?」

 暗い船底から解放され、光に眩む眼が映し出した流された島の最初の光景は。

「あ、あれが黒田さんじゃなぃ?」

「プ。本気で曲げ結ってる。チョーウケる」

「えー。なんかオッサンじゃん。アタシ、ちょっと楽しみにしてたのにー」

 問答無用で斬り殺したくなるような、女が三人。

 長船は腰の刀に手をかけている事にすら気付かない。

 まず、着物の帯の位置が違う。

 そして着物の着こなし方が違う。

 嫁入り前の娘が太ももを出して、太ももどころか下着すら出して。

 髪も結うところか、そもそもの話、なんか色が黒じゃねえし。

 すげえギザギザだし、ワッサーなってるし。

「お主等、元は吉原の遊女か?こんな島で何もそんな恰好をする必要はあるまい?迎えの馬車は何処に来ているか知っておるか?私はこれより藩主様に御挨拶に向かわねばならん」

「馬車?ああ、迎えの車の事?それなら楓君が来るから待ってなよ?」

「クルマ?楓?」

 聞きなれない言葉だ。

 いや、楓と言う名は聞いた事がある。

「山本 楓」。自分のこの地でのたった一人の部下の名前がそう、楓だった。

しかし、港の土は不思議な土をしていると思う。

 まず何よりも硬い。

 これでは馬は走れまい。如何な軍馬でも蹄を痛めてしまう。

 それと海岸線沿いに並べられた菱型の物体は面妖な光景であった。

 それがまるで荒々しい日本海の波を悉く打ち消しているかのようにも見える。

 そして春だというのに船が荒縄で岸部に係留されていると言う事が無い。船の形をした、そう、まるで黒船のような形をした黒船でない物は港に浮かんではいるが。

 この島は何もかもが面妖だ。

 この娘達の身なりもそうだ。

 着物だと思っていたが、こんな素材の着物を長船は知らない。

 綿でも麻でも無い。まさか絹と言う事は無いだろうが。

 履物も雪が積もる冬だというのに下駄でも雪駄でもないのだ。

 あれは、革か?

 革の雪駄を履いていると言うのか?

 面妖な。

 面妖である。

 と、長船は怒り狂う猛獣の雄叫びを耳にした。

「娘、この島には獣が居るのか?」

 流行病の死体のように紅い唇をした娘は言う。

「夜、皆が獣になるけど?」

 どういう事だ?

 更に雄叫びはドンドン近づく。

「娘、その獣とはどのような姿をしておる?」

 皮膚病なのだろう。異常に黒い肌の色をした娘は言う。

「黒田さんと同じだよぉ?」

 自分と同じ?

 ならば夜に現れる獣とは影法師のような物か。

 やがて大きな猛獣のような咆哮を上げながら長船の下へ突っ込んで来たのは。

 ランエボだった。

 トミマキだった。

 限定仕様のヤツ。




「遅れまして申し訳ありません。老中の屋敷は長屋から少し歩いた丘の上に用意させました。元々この島の庄屋の物で不便はしないかと。会津の御屋敷よりは狭くなるでしょうが其処は御勘弁下さい」

「いや、勘弁も何も。心遣い、有難いばかり」

 長船、島では長屋暮らしを覚悟していた。その長屋、この島ではメゾネットというらしい。

 まずメゾネットを知らぬ。全くこの島は南蛮由来の言葉が多過ぎて敵わぬ。

 山本楓。

 少女のような見た目の少年。

 人斬りであり、長船のたった独りの部下。

 その楓が運転するランエボに乗ってまずは四畳藩邸に挨拶を済ませ、単身赴任である長船は自宅へと向かっている。

 島の文化は異常だ。

 幕末なのに。

 楓、キオスクで週刊少年マガジンを買っておった。

「名のあるお武家様だとの事で屋敷は少々手を加えさせていただきました」

「いや、其処までして貰うとは。何から何までかたじけない」

「バリアフリーにしておきました」

「え?なんて?」

 ばりあふりぃ。

 なんなのだ、それは。

 また南蛮由来か。

「簡単に言えば家の中の段差を排除して真っ平にする事です。躓く心配も無くなります」

「そ、そう…」

 長船は確信した。間違いなく普通の日本家屋ではない。この島にある様な家の中が丸見えな程に大きな窓を沢山つけた尖った家であろう。刺さりそうな程に尖った家であろう。そんな家に住むのは絶対に嫌だった。民に「黒田ん家、ぜってー何処かに刺さるぜ?」などと悪口を言われるのが嫌だった。長船は基本的に悪口を言われると凹むのだ。過ぎる程に気が弱いのである。

「これが老中の屋敷の鍵になります。なので無くさないようにお気を付け下さい」

「何か、珍しい形の鍵であるな…」

 小さな鍵に無数の小さな穴が開いておる。

「ディンプルキーです」

「何で幕末にディンプルキーあんだよ」

「ペリー持ち込んだんじゃね?」

「ペリーかぁ」


 というやり取りが一刻ほど前。


 長船は意外な事に新しい屋敷での生活を満喫しておった。

 屋敷は尖っておらぬ。見た目だけは古き良き日本家屋だと言える。

 中はまず暗くないし、勝手に明かりが点くのは妖術かなんかだろう。風呂の浴槽も見た事が無いような材質で出来ておりツルツルしておるし、浴室の床も水を少しずつ吸い込むような謎の材質で出来ておる。長船は件の永劫に水が出る井戸から水を浴槽に張ってみる。すると何か甲高い音がしたと思えば勝手に風呂を焚きだしたではないか。

 妖精さんだ。この屋敷には妖精さんが住んでおる。きっと貧乳で可愛い妖精さんなのだ。目の前に現れたら茶碗に湯を入れ風呂を準備してやらねばならぬ。その時の温度は気を付けねばならぬ。温ければ妖精さんが湯冷めしてしまうし、熱ければ妖精さんが茹で上がってしまう。

 茹で上がった場合はどうするか。

 屋敷の玄関に吊るして仲間の妖精さんへの見せしめとするか。

  ダメだ。屋敷から妖精さんが逃げてしまう。

氷室でもないのに中に入れた物が良く冷えておる白い箱を開けると何やら銀色に光る缶が幾つか入っておった。その缶にはこれはお酒ですと書かれておる。

 迷いもせずに飲もうとする長船。

 しかし開け方が解らぬ。この指を引っ掻ける所に秘密がありそうだと思い、長船は結局ドスで缶の天井を刳り貫いた。

 なるほど、これは麦酒であったか。会津に居た頃もたまに飲んだ事はある。

 良く冷えた麦酒は仕事帰りには堪らぬ。

「老中。って、もう飲んでいるのですか」

「楓か。便利な物だな、この氷室は」

「冷蔵庫と申します」

「なんで幕末に冷蔵庫あるんだよ」

「ペリー持ち込んだんじゃね?」

「重かったろうに。ペリー頑張り屋さんなんだな」

「それと老中、その缶は指を引っ掻けて手前に引けば良かったのですが?」

「まどろっこしいのでな。ドスを突き刺し穴を開けたのだ」

「二本目は普通に開けて飲んでください。ビールの炭酸が逃げてしまいます」

「次からはそうしよう」

「私は町に出て何か食べ物を買ってきます。老中は此処で飲んでいてくだされば」

「風呂を沸かしておるのでな。楓には悪いが先に風呂に入らせて貰おう」

「では私が買い物をしている間、長旅の疲れを癒していてください」

 そう言って楓はあの爆音のランエボで町に出て行った。

 便利な物だ。馬を走らせるには馬に餌を喰わせ少し時間をみねばならぬのだが、あのクルマと言う名の鉄の車は即座に馬よりも速く走り馬よりも多くの物を積める事が出来る。

 ランエボ。

 それもトミマキ。

 長船は会津藩士だがトミマキは知っておる。此処、四畳生まれの妻が言っておったのだ。「馬を買うなら葦毛でも栗毛でもなくトミマキが良いわ!」と言っておったのだ。初めは長船もトミマキが何の事か解らなかったが熱く語る妻に影響されて馬を買うならばトミマキにしようと思う様になっておった。

 トミー・マキネンを知らずしてランエボは語れぬ。

 幕末期から続く文化であった。

 妻はトミマキ以外にもニュルとか呼ぶ馬を欲しがっていたが、なんだか長船は嫌な予感がしたのでニュルの購入は考えない事にしたのだ。何となくだが物凄く値が張りそうだとの危険予知。千両箱を持って行っても足りなそうな危機感を覚えたのだ。

「あー。美味い」

 ちゃんとプルタブを開けて飲んだ麦酒の二本目を空けた所で浴室から甲高い音が聞こえた。恐らく妖精さんが風呂を沸かしてくれたのだろう。全く働き者の妖精さんであるなと長船は感心した。ならば楓が来る前にひとっ風呂浴びようかと脱衣所で着物を脱ぎ、長船は気付く。懐には会津の殿さまが四畳藩の藩主に宛てた書状が入っておる。今現在四畳に藩主はいないが、これはとても大事な物なのであろう。長船は着物に命より大事な書状を包み、その着物を脱衣場に置いた。バリアフリーの浴室に入る。白亜の城のような浴室は湯気で冷たい夜の外気を退治してくれたらしい。床も壁も触っても冷たさを感じぬ。髷を解くのは寝る前だけであるので髷のまま風呂に入る習慣がついていたが、長船はこの長旅で頭皮に結構な汗を掻いていた事を嫌だと思い髷を解いて髪を洗った。

 気を付けねばならぬ。

 加齢臭とか言われれば立ち直れぬ。

 液状の石鹸で頭をゴシゴシ洗えば不思議な事に頭の痒みも何処かへ行った。四畳の便利さはこうした衛生面にも機能しておるのか。頭をシャワーとかいう未来永劫に出て来る何本もの温かい細い滝で洗い流し、今一度書状が入った着物の方に眼をやり、よし泥棒さんは入っていないなと確認したところで長船はお湯が張られた浴槽に浸かった。

 ザップーンと湯が零れる。

 ザップーンと零れた湯は。

 ザップーンとそのまま大事な書状が入った着物が置かれた脱衣所に届いた。

 曇り硝子細工の扉で細部までは見えぬが。

 命より大事な書状が包まれた着物。

 まるで波に浮かぶ小舟のように流されておった。


「おわあああああああああああああああああああああああああああーーーーー⁉」


 バリアフリーなのだ。

 浴槽の水が脱衣所に流れ込んでおる。

 バリアフリー過ぎて浴槽から溢れた水が何の迷いも無く脱衣所の床を濡らしてゆく。

 着物の中には会津の殿さまが書いた書状が入っておる。

 長船は裸のままで脱衣所に頭からヘッドスライディング。

 バリアフリーだからこそ出来る荒業であろう。

 書状は。

 命より大事な書状は濡れて墨が広がり、もう何が書かれておるが判らぬ。

 判らぬが、一応、乾かしてみよう。

 究極的には書状の内容など如何でも良いのだ。体裁として会津から四畳藩を立て直す為に藩士を送った事が形として残れば良い。楓が言っていたドライヤーなどという物を使えば濡れた髪も即座に乾くと言っておった。

 長船、ドライヤーなるものを初めて使う。

 熱風が来る。

 コヤツ、「フォォォォォン」なんて言いながら熱風を吐き出しおる。

 しかし、これでは欠陥住宅ではないか。

 せめて浴室と脱衣場は段差をつけて貰いたかった。

 寄り合えず今日は台所からまな板を持って来て塞げばよい。

 長船は裸のままだったので少し寒さを覚え、もう一度浴槽に入った。

 ドライヤーで書状は乾かしておけば良かろう。

 風呂から上がれば書状も良い感じに古紙っぽくクシャクシャになっておる筈だ。

 肩まで湯に浸かり旅の疲れを癒す。まるでこの島は世俗と切り離されておるかのようだ。

 こうしている間にも会津では戦が起きているというのにこの島ではその戦の火の粉さえ感じぬ。会津の殿さまが自分を島に送り込んだ理由は間違いなく島流しなどではなくこの島から援軍を呼ぶ為であろう。そうでなければ刀と銃を腰に差させて島流しになどせぬ。

 つまりこの島には戦の助けとなる何かがある。無論、既にこの時点で戦に持って行きたい道具は山ほどあったが、そうではなく戦況を覆すどころの話ではない盤から引っ繰り返すような何かがあるとしか思えぬのだ。あの聡明な殿が何の策もなく長船を佐渡になど送るまい。

 妻の形見のあの黒銃も四畳藩の物であると生前聞いておった。

 会津の女は銃を手に会津を護っておる。

 せめて黒銃が人数分あれば、今少し新政府軍を足止め出来た物を。

  既に長船は会津で何人もの新政府の隊士を斬った。斬って斬って斬って、それでも何処からこんなにも現れるのだと嫌になるぐらいに斬って、何人斬っても奴等の勢いは止まる事は無く、終には妻を喪った。

 許せぬ。

 会津を攻めた事も許せぬが、何より妻を奪った事が許せぬ。

 しかし今此処で幾ら吠えてもこの遠吠えは新政府には届くまい。

 耐え、歯牙を研ぐ。

 会津のサムライは我慢強い。

 会津の人間は真面目で堅物で我慢強い。

 江戸に居た頃は石頭だと言われる事が多かったが、会津の人間に石頭は褒め言葉だ。

 石は石でも金剛石ぐらいに硬い。

 石頭を支えるのは金剛石並みの硬さの意志である。

 漬物石ではない。

 間違っても漬物石ではない。

 生前。妻が漬けた漬物は塩辛く、食えたものでは無かった。それでも我慢して食べておると会津の仲間から「黒田、高血圧になるぞ?生活習慣病は日々の食事からだ」と親身になって心配されたものだった。幕末期には既に生活習慣病はあるのだ。生活習慣病患者の第一号が何を隠そうこの長船であろう。

 妻の作る料理は何でも味が濃く何でも大雑把だった。

 妻が大根を漬けたので城に持って行った事がある。会津の仲間は「黒田の奥方が漬けた大根か。あの美人な奥方だ。さぞかし漬物の腕もあるに違いない!」などと言いながら一切れを止めればいいのに全部口に入れた瞬間、「コレしょっぱぁぁぁい!」などと言って、冷たい水を求めて城を走り回ったのであった。

 しかし多くの会津の仲間が言うように妻は過ぎるほどに美しかった。

 長髪ウェーブの垂れ目で巨乳なお姉さんだった。

 歳は七つばかり下であったが、兎に角タフで一途な女であった。

 その妻が今度は南蛮漬けを作ったと城に持って行けば会津の侍は皆が「黒田の奥方が漬けたのだぞ。あの黒田の美しい奥方がだ!これは貴重だぞ!皆、心して味わって食べよう!」などど口に運べば次々に「ダメだコレからぁぁぁぁぁい!」とのたうち回り城内の侍は仕事どころではなくなった事もあった。妻の南蛮漬けは干して乾燥させたばかりの鷹の爪を丸々十五本も入れるのだ。普通の侍では食べる事も出来まい。

 妻は会津の侍連中に人気であった。

 髪を結わない女が佐渡から黒田の下へ嫁いだと最初は不審に思われておったが。

 しかしその勢いのあるキャラクターと容姿から瞬く間に人気者となったのだ。

 あの垂れ目で巨乳なお姉さんは城によくやって来た。その目的は弁当を忘れた長船に弁当を届ける事だったのだけれど、妻が城に来る度に城で働く全ての人間が長船の妻を一目見ようと集まるぐらいには美しかった。過ぎるほどに美しかった。

 そんな様子を見た仲間は懲りもせずに「あのような美しい娘に弁当を届けて貰えるなど、男子冥利に尽きますな。さぞかし料理の腕も宜しいのでござろう?」と長船に言うので「じゃあ、少し食べてみますか?味の保証は致しませんが」と弁当である秋刀魚の圧し寿司を一切れ渡すのだが、それを食べた会津の侍は「ヤバいナニコレ酸っぱぁぁぁぁぁい!」と酸っぱさが激烈に押し寄せてくる圧し寿司を食べながら咽び泣いておった。

 妻は青身の魚を酢で〆る。

 それも妻の拘りなのかは知らぬが、米酢だけで思いっきり親の仇のように〆る。長船は何度も「味醂や砂糖を一緒に入れた合わせ酢にした方が良いのではないか?」と言うのだが、その度に妻は泣いてしまうので何とも言えなくなってしまうのだった。


あーあー、そういう事言うんだ?

ハゲ、そういう事を言っちゃうんだ?

奥さんの料理に口出す系ハゲか貴様は。

山岡さんかお前は。

海原先生かお前は。

まず切り身に塩を振れ?

やかましいわ。

まず切り身に塩を振って少し寝かせろ?

秋刀魚はもう永眠しとるわ。

ハゲ。

大好き。

待ってて。

今日は貴方の好きな青椒肉絲よ?


 その日は秋刀魚かと思っておったらムチャクチャ味の濃い豚肉と筍の細切り炒めを出されたのであった。長船はまずチンジャオロースーが解らぬが。妻の料理は何でもご飯を食べねば口の中が塩気で爆発しそうな味付けであるのだ。

 そんな妻との思い出は長船の宝物である。

 少し島に慣れたのであれば、妻の生家を訪ねてみても良い。両親は既に他界されているとの話であったが、双子の姉が一人暮らしていると話しておった。祝言を挙げた時も挨拶も出来なかったのだ。妻は死んだが挨拶は遅れても行かねばなるまい。

さてもう一本ぐらい麦酒を飲もうかなと頭を綿の布で拭きながら居間に戻ると。

 書状から。

 命より大事な書状から煙が出ておった。


「破AAAAAAAAHHHHHHH!!!!????」


 書状が。

 命より大事な書状が燃えておる。

 炎を上げずに中心の内側から同心円状に炭になったのであろう、端っこしか残っておらぬ。

 それとも端っこだけでも残った事に感謝するべきか。しかし端っこがあれば問題はあるまい。書状というかもうこれはただの紙屑であったが、ぎりぎり炭で何かが書かれておる事が判る。うっすらと細目にして中学生がモザイクを消す様な眼差しで見れば、ギリギリ何か文字が見えなくもない。

 妖精さんか。

 妖精さんの仕業か。

 つーかこれを「会津松平家からの書状でござる」と姫に渡した所で長船は怒られるだけなのではないだろうか。ゴミを渡しておると同義。燃えカスを渡された姫はきっと怒り狂って長船にパイルドライバーぐらいするのだ。

「うむ。まあ、よかろう」

 全然よくねえ。

 全然よくねえが、現実逃避をする長船。

 苦労人の強みだ。不利益が襲い掛かって来る残念イベントに耐性がある。

 妻が死んだ時は流石に白髪も増えたが。基本、人生には残念な事しか起こらぬ。しかしそうした不運な者は優しさを代わりに得ておる。優しさを得ておる者は美しい娘を娶る事が出来る。妻には「娶ったりー!」なんてボケて、無視されたのだが。

「ビール飲んで忘れよう。書状はお守り袋にでも入れて誤魔化すとするか」

 隠蔽工作を画策する侍が独り。

 長船だった。

「楓に罪を擦り付けてしまっても良いな。拙者はこの島の事を知らぬのだし」

 部下にミスの責任を負わせようとする侍が独り。

 長船だった。

 しかし、姫のあの姿はどうしたものか。面妖というより気持ち悪いのだが。髪を後ろで一つに束ねただけで服装も灰色の伸び縮みがし易そうな生地で出来た物であった。地味というか、生気をまるで感じなかった。

 あれが姫?

 あれがオタクサークルの姫なら解るけど。

 あれが四畳藩の姫君?

 本当に?

 ラーの鏡使ったらボストロールとかにならない?

「気持ち悪さばかりが強烈に印象に残る者であったな。ピグモンみてえな顔してたし」

 失礼な事を言い出す長船。しかし本音であった。ピグモンだ、あれは。

 幕末期からピグモンはおるのだ。

 面妖な島だし、ピグモンぐらい居たとしても不思議ではない。

 既に日は傾いておるというのに商店街には光が消える事が無く、それも日本で御馴染みの行燈のような優しい光ではなく街そのものが強烈に発光しておるような島だ。

 ペカーいうておる。

 この屋敷もそうだし、この屋敷以外もそうだ。

 面妖な島だ。

 馬車が走っておらぬ。

 燃ゆる水の恩恵で島は潤っていると言っておった。

 長船は楓を待つ間、持ち込んだ荷を整理しようと風呂敷の包みを開いた。持ち込んだ荷など多くはない。刀と着物と妻の形見の真っ黒な銃だけ。そういえばこの真っ黒な銃も四畳藩から婚礼の祝いであるとして贈られて来た物であったか。妻はこの銃を使って会津を守っておった。最愛の妻はこの突撃銃を用いて生きるべき土地を守ろうとしておった。

 しかし多勢に無勢。

 もっとこの黒銃が多く会津に在ればと思わずにいられない。

 楓が屋敷に戻る。

 麦酒を飲み、からあげくんを食べる。

 からあげくんレッドだ。

 激烈な辛味には麦酒が美味い。

からあげくんレッドとフライドポテトを大皿に盛れば子供のお誕生日会で喜ばれるのだ。

 幕末から続く文化であろう。


 しかし長船は妻の故郷に来ている事を思うとドンドンと闇へと落ちていく。

 亡くした妻を思うといつもそうだ。

 言葉は耳を素通りし、食物は喉を素通りして。

 長船は何処に居ても生きている実感を失うのだ。

 明治になったばかりの世の中、幕末期とまだ呼べる程には国内での争いが続く世の中。

 楓が自宅に戻り、長船は独りになる。

 いつものように、独りに、なる。

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