005

水の糸が視界を踊る。


左手が掴んだ紙からこぼれた光に反射しているのか、そもそもそれ自体が光を微弱に発しているのか。青く光り輝くその液体は付かず離れず、腕ごと動かすその指先に遅れてその適当な軌跡を辿たどる。

指先だけを目で追えばでたらめな動きのはずなのに、どこか優雅ゆうがにも見えるその動きを眼球を回して他人事みたいな気持ちで見ていた。


ある程度動かし、想定どおりの動きは出来ていることを確認して親指を紙から離すと、徐々に動きは緩慢になり光が消えるとついに形を保てなくなってべちゃりと音を立てて落ちる。


「綺麗ですね。」

そばで聞こえた声に振り向くと、まだ薄暗い中近いところで座っていた彼女が青い瞳を細めて笑っていた。

最近はよく顔を合わせることが多くなって、見ることが増えたその笑顔に前よりは自然に小さく笑みを返す。

何か作業をしているといつの間にか傍に、特に城と図書棟をつなぐ渡り廊下の横、あつらえたようにあった広場で試作した魔法陣を動かしている時には気がつけばいつも同じところに座って見ていた。


このところ見ている限り彼女の顔には笑顔が増えて、態度も柔らかくなって。

「これだけじゃ綺麗なだけですけどね。」

「綺麗なだけの魔法も素敵で価値があると思いますよ、私は好きです。」

…少し、気安くなった気がする。

ただ微笑ほほえむだけで花が咲くようなその、人にしては華やか過ぎるを笑顔を見る限り多少は仲良くなれたのだろうか。

黒から青へ、太陽が昇り明るくなってきた朝焼けの空を見ながらそう思った。



§


お湯が紅茶の葉を入れたティーポットに注がれていく音が耳に心地よく響く。

小さな赤煉瓦あかれんがの中で何も無いのにただ火だけが燃え続ける暖炉だんろ位のもので、後はキッチンと中央に置かれたテーブルクロスの掛けられた大きな机ぐらいしか特徴のない。初めてこの城へと来た時に通された部屋で本を片手に座っていた。


この城へと来た当事は決まってバスケットに入れた作り立てだろうものを届けてくれていたが、このところは代わりに一緒の食事に誘ってもらえることが多くなってきたので、ここ最近ではよく見る光景だった。


紅茶が入れ終わったのか音も無く歩いてわざわざ後ろからカップを置いて注いで、向かいの席に座ってこちらを見た。

「いつもありがとうございます。」

「いえ。」

中途半端な所だったので置かれたティーカップをそのままにページをめくろうとして、何となく視界の端で動かない彼女が気になって見ると、じっと動かずこちらを見る青い瞳が目に入り無言でカップを傾ける。

「温まります。」

「それは良かったです。」

にこりと笑って、自分のカップに手を伸ばして一口口をつける彼女に間違いではなかったことを知る。


「何の本を読まれているんですか。」

少しの穏やかな時間の後、問いかけてきた彼女に見ていた図解が載ったページを見えやすいように持ち上げる。

「医学書ですよ、魔法のみなもとがどう血を巡ってるのか詳しく知りたくて。」

「なるほど、…。」

何かを思い出すように一瞬の沈黙の後に、口を開く。


「でしたら、書籍だけではなくて実際に診察に使われていた経過記録や写真が残っていたはずです、見られますか?」

「見させていただけるなら見たいです、けど。写真ですか?」

「ええ、一緒に挟まれていたと記憶しています。」

診察で使われる写真、何だろうか。

「傷口でも写して経過をわかりやすくしたのか、まさか解剖写真とかじゃないだろうし。」

「さて。」

独り言に答えを返したのか。それもはいとも、いいえとも取れるような微妙なニュアンスの言葉に、顔に出さない程度に内心で動揺しないように気を入れる。


「今から行かれますか?」の問いに肯定で返すと、まだカップにほとんど残る熱い紅茶をあおって席を立った。



§


階段を昇ることはなく廊下を通って少し歩くと、立ち止まり扉を開いたままこちらへと振り返ったのでお礼を伝えて中へと入る。

中に入ってああ、と一度来た記憶を思い出した。


硝子棚がらすだなに並べられた粒状に成形された薬や大量の脱脂綿に綺麗な布切れ、何に使うのか分からないが精密に作られていることだけは分かる金属光沢を持つ細かな道具類、壁には白い板が貼られ、その上には紙が貼られたままになっている。

向かい合う二つの椅子、数台並べられたシミ一つ無い清潔な白いシーツが張られた数台のベッド、まで見てこの部屋が医療関係の部屋なのだろうと思い、ざっと見えない所を一応全て開いて何が入っているかだけざっと確認するだけして立ち去った部屋だった。


後ろで扉の閉められた音が聞こえると、横を通り越しつかつかと奥へと入っていき引き出しを開いたのを見て側に近づく。

丁寧な手付きでぱらぱらと書類の束に触れると、条件にあった物が見つかったのか何枚か取り出してこちらへと差し出してきた。

「この辺りでしたら、希望に沿えるかと思うのですが。」

それらを受け取るとすぐにその中身に目を走らせる。


内容は記入された名前年齢共にばらばらの何人か別の子供の診断書だった。

基本的には問題らしい身体の問題が書いてあるわけではなく、どうやら健康であることを確認する為のものだったらしく見る限りは異常な事は書かれてはいない。

かといって見るところのないただの診断書というわけではなく、特に紙一枚一枚に貼られた写真には意識が取られる。


「これ、もしかして全身の主要な血管を写してるんですか。」

色づいた線が子供のような形をしている、写真なんだろうかすら判別のつかない絵を見ながら言葉だけで問いかけると、他を見ていたのを中断してこちらへと来て顔を近づけると白い髪をかきあげ手元を見る。

「そうですね。見ていただいて分かっていらっしゃると思いますが血中の濃度を測定し、色で視覚的に数値化した物になります。」

説明を受けて他のものと比較してみると多少の個人差はあれど大体似たような分布をしている。基本的に体内では一定の数値で安定しているが、どのものも心臓の一部分が決まって身体の平均と比べて一段と濃度が高くなっている。


「他のものも見ても?」

「どうぞ、わたくしが取り出した辺りは全て同一の種類のものですので、どれでも。」

許可を得ると棚に手をつけて彼女がやったようにぱらぱらと見て、何枚か取り出してみる。

先程と変わって子供だけでなく成人後男女問わず見てみたが体格の分形が違うだけで大きな違いはなく、いて言えば若干平均が高いぐらいのものでしかなくて、そして心臓は色濃く満ちていた。

体内を巡回したみなもとが血液と共に心臓へと返っていくから集中しているのか、身体から吸収されたものが心臓から排出するために溜まっているのか、何だとしても心臓が鍵なのか。

写真に写ったその塊とそこから広がる管が作る色のグラデーションにどこか神秘的にすら感じていた。


「女性の身体をまじまじと見るのはマナー違反ですよ。」

「身体…?」

気づけば認識していた距離より傍に聞こえた声に視線を向ければ、下を向いて同じように視線を落とした青い瞳がすぐそこにいた。

もう一度書類に目を戻して性別覧を見ればたしかに、見ていたものには女性と書かれていた。

「…自分の血管は見られて恥ずかしいとかの感情って、湧くような対象なんでしょうか。」

色のついた根のような姿は正直思いつくような人の像とは結びつきもしないのだけれど。

「少なくとも、この写真はとても可愛いです。」

一枚貼られた写真だけでなく横に記入された踊る文字も合わせて見ているだろう上で、何でもないような顔の形にいつくしむような表情が混ざるような、そんな姿を横目にまた視線を落とす。

「可愛いって思う人がいるのならじっとは見ない方が良いんでしょうね。」

「ええ、見ないで下さい。どれも、誰のも。」

「…あんまり見ない方が良いですかね、これ。」

言葉尻にやんわりとした拒否を感じて、見たいものは見れただろうと折れないように丁寧に紙を元の場所に仕舞う。

「いえ…、そうですね。他のものも見られますか?」

「はい、できれば。」



彼女が他の棚へと行き戸を開き始めたのを見て、別の段にあった紙を抜き出して見る。

大抵は何かしら身体しんたいの経過や結果、病気や怪我のカルテがあるばかりで似たような文面が並んでいる。

少し意外だったのは城内の人員だけの記録が残っているのか同名の被りが多く、それ程の人数のデータは無かった。

ぱらぱらと見ていると分けられた箱に入った少量の書類を見つけ、何の気もなく一番上から拾い上げて目を通す。

表側を見る限り五十代の男性のもので出身地や家族構成と何の変哲もない情報が並んでいるのを見て、少し不思議に思い裏返した。


『死因:腹部裂傷による出血多量』

その文字に素早く目を滑らせ、上部に書かれた『死亡診断書』という文字を見つける。

箱の脇に手に持っていた方を置いて、次の紙を手に取り裏返す。そこにはまた『死亡診断書』の文字と同じく記入された死因。

死亡時刻から日時、場所等が詳しく書かれている。三枚目をめくった限り約70年前の記録のようだった。

病死、寿命、怪我。色々な死亡事例が並ぶ。


この紙が示すことはつまり、魔女ですら助けられなかった命がこれだけあるという事なのだろう。

聞いたことのある不確かな噂話には魔女はどんな傷も一瞬で治してしまう魔法を使って村人の死に至る傷を治したなんてものもあった。

怪我で死んだ人の死亡した場所の記入を見る限りそれ程ここから近いところではない事はわかる。

どんなに凄い魔法が使えたとしても彼女は一人しか居ないのだから傷を負った時にそばに入れなければ意味がないと、情報はそう語りかけているようで。

知っているはずもない人の診断書の紙に書かれた老衰の文字をなぞる。

避けられぬ死を、この人は全うしたのだろうか。


書類を掴んでいた腕の袖を掴まれる。

いつの間にか消えていた音が耳に戻ってきて、彼女に視線を移す。

「…お持ちしました。」

「すみません、ありがとうございます。」

こちらを見つめる揺れた青い瞳の理由が分からず、何も言えずに受け取った数枚の束に僕は視線を逃がす事しか出来なかった。


並んだ文字を深く確認をする気も起きず、声をかけ部屋を出た。



§


家の裏口から家に入ると、部屋から栗色の髪が顔を出した。

「あれ?どこ行ってたの。」

何か自分なりの答えを持っているだろう上での質問に対して、顔に出さないように声だけ笑って応える。

「どこって、いつも通り離れに居ただけだよ。」

「ふーん…。」

納得したのか、してくれたのか。

一度消えると代わりにというわけではないのだろうけど、部屋から出て近づいて話しかけてくる。


「口開けて。」

「口?」

いいからほら、と煽る言葉に口を開くと後ろ手にしていた右手を突っ込んでくる。

「あーん。」

「もごっ」

口に入れられた固形物に、若干の異物感から嗚咽おえつを吐きそうになりながらも噛みしめると、さくっと口の中でクッキーが割れた。


「…なんで、クッキー?」

「すーちゃんのお母さんが家まで来てくれてね、ありがとうって。」

話しながらダイニングに戻ったかと思うと包まれていただろう布ごとクッキーを持ってくる。

「バレちゃったんだ。」

「何があったのかまでは知らなかったみたいだけど、他のお母さんからお世話になったって聞いたからーって言ってたよ。」

「どこから伝わったんだか。」


話しながら正面で立っているとまた摘んでこちらへ差し出してくる。

「はいあーん。」

「小鳥じゃないんだけどな。」

「いいの。」

目の前で振られた手に自分から頭を近づけてくわえて口に入れる。

「美味しい?」

にこりと楽しそうに笑った顔に釣られて笑う。

「美味しいよ。」

すももちゃんのお母さんが作ったクッキーがと付け加えると、一言多いのと返す何気ない会話の中で、片目でまだかばい気味の左手についている手袋を見ていた。

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