004
「ユア、ちょっといい。」
離れで作業をしていると、ノックもなく扉を開いて覗いてきた半分だけ見えるブラウンの瞳に苦笑いをこぼす。
「どうかした?」
「あのね、今から時間もらってもいいかな?」
「…時間?」
窓から見える外は快晴で、空の陽はまだまだ高い。
「もちろん良いけど、」
「いい?」
食い気味に言葉を被せながら扉から飛び出してきた彼女を見て、頭だけ向けていた身体を椅子ごと正面を向いて問いかけた。
「何が合ったの?」
「えー、とね。」
頬をかきかき彼女は続けた。
§
「で、その子が落とした指輪ってどんなのなの?」
「すーちゃんね。スモモちゃんですーちゃん。」
そう訂正する彼女と太陽の下、あぜ道を歩く。
季節外れで閑散とした畑には名前も知らない白い野草がぽつぽつと咲いていた。
「指輪自体はシンプルで、緑色の宝石が付いてたって。」
「よりによって緑か…。」
立ち止まって雑草が濃い所で屈んで、作業用手袋をつけた手でかき分けるもどうやら何もなかったらしく立ち上がる。
「多分この道だと思うんだけどなぁ。」
「?この道で失くしたんじゃないの。」
隣りで用心深く地面を眺めながらきょろきょろと見回して、傍から見ると挙動不審げに歩く姿を見ながら話しかける。
「最初は家からこの道を通ったって言ってたから、ここで落としたんじゃないかなと思ってたんだけど…。」
「最初?ここを歩いてる内に気づいたんじゃないの?」
一瞬間が空いて。あはは、と空笑いを一つ落とした事に何か嫌な予感を感じながら語りだすのをそのまま聞いてみる。
「えーとまず家からこの道を通って神社まで行って、そこから学校の方に行って遊んで、一旦おやつ食べに帰ったんだって、それでまた家から今度は河原の方に行って…」
次々と語られる目的地を脳内の地図で発言した通りになぞると、交差してぐちゃぐちゃになったルートが埋めていく。
言い出しづらそうにしていた理由が何となく分かった。
「…一つずつ周ってみるしか無いか。」
「うん、ごめんね。」
少し申し訳無さそうに手を合わせて伺う姿にまた何も言えなくなる。
§
「んー美味しい!」
「飽きないわね、いつも食べてるのに。」
美味しそうに目を細める姿を背景に、あんこに浸かった白玉をつつく。
「えーだって美味しいじゃん、白玉ぜんざい。」
「美味しいけど毎日同じじゃあね。」
すくった白玉を口に入れる。甘い。
「そりゃたまにはケーキとか食べたいけどさ売ってないじゃん、ここ。」
村唯一の外とを繋ぐまともな商店の玄関脇のデッキ、3つしか置いていない机を二人で小一時間占領してるのに、今日もそれどころかいつでも誰かが来た試しがなかった。
「ミコちゃんの家だと食後のデザートとか出てきたりするの?やっぱり村長家だと違う?」
「変わらないわよ、貴族様じゃないんだから。」
「えー夢無いなあ。」
「甘いもの一つでそんなこと言ってる方が夢無いと思うけど。」
えーひどーいと前のめりになりながらそっと差し出してくるスプーンから避けるように皿を手前に引く。
「そもそも昔は毎日のように一緒に食べてたし、最近だって仕事終わりに何回か家でご飯食べてたんだから知ってるでしょ。」
「それはそうだけどさぁ、私が帰った後に食べてたりとかするのかなーって。」
「しないわよ、寝る前にたまにお母様が果物剥いてくれるだけ。」
「出てるんじゃん!」
「果物ぐらい貴方の
「そりゃ近くに果物農園があるから林檎とかはよく貰うから食べるけど、果物って言ってもいっぱい種類あるじゃん。ミコちゃんの家だったら蜜たっぷりの高級林檎とかじゃないの?」
「林檎を食べるなら同じ林檎に決まってるでしょ。同じ村なんだから。」
昨日食べたメロンの味を思い出しながら水をすする。
「あーあ、街だったらもっと美味しいもの沢山食べられるんだろうなぁ」
「街まで出てそれでいいの?」
私の言葉は聞こえないかのように残った
「こんな田舎じゃ、お給金もらっても甘いものぐらいしか使い道ないよぉ」
「街まで行かなくてもたまに行商が来るでしょ。溜めておけばいいじゃない。」
「…行商の人、商隊と一緒に来るから品揃えほとんど変わらないじゃん。」
だらんと机に突っ伏してスプーンを咥えたまま離さずにぺちぺちと鼻に叩きつける姿を片目に肘をついて、ぐるぐると皿の中の
「それでも街で流行りの服とか、生地とか持ってきてくれるでしょ。」
「お菓子ない。」
「……。もう貯金でもしておけば?」
「いいんだもーん、ちゃんと自分で働いたお給金で全部買ってるんだからぁ。」
そう言ってじたばたしている姿を見ていると分からないけれど、家にきちんとお金を入れた上で残りのお金を使ってやっている事は知っているのでそのままにしておく。
そういうところはしっかりとしているから自由奔放な所を放置されているのだろうか。
「そうだ、街と言ったら。ユア君。」
「…いきなりどうしたの。」
止まったと思ったら顔を上げて唐突に話を変えてきた。
「
とにかく街の学校に行くんでしょ。ユア君。」
「口が軽い。」
ミカンの事を娘のように可愛がっていることは知っていたけど、そこまでとは。
「いいなぁ、街のしかも首都の学校かー。楽しいんだろうなぁ、」
「…そんなことも無いんじゃない、貴族学校よ。」
「まーそっか。白馬の王子様なんて現実にいるわけじゃないもんね。」
分かってるんだか、分かってないんだか。
うんうんと語るずれた答えを聞き流す。
「それより、良いの?」
「…何が?」
「行っちゃうんだよ、4年間も。」
「……。」
スプーンに載せたままにしていた白玉を口に入れる。
「その4年間の為に今準備してるんだから良いも何もないでしょ。」
「もー、街には白馬の王子様はいなくても普通のお姫様は沢山いるんだよ?」
「…普通じゃないお姫様って何よ。」
期待していた答えじゃなかったのか、分かりやすくぶーぶーと怒りだす。
話半分に聞いて視線は外へと向けると、そこには今は見たくない顔があった。
「おー話してたらユア君だ。」
川を挟んだ道を楽しげに並んで歩いてどこかへと向かっていく。
一本違う道にいるこちらに気づくこともなく。
「本当に美人兄妹って感じだよねー。あんまり似てないけど。」
その問いかけに返すこともなく、視線を机に戻して残ったぜんざいを
一言二言、行動を逐一に解説している声を聞きながら食べ続けていた。
「あ、ころんだ。」
ざばんと聞こえた後に呟いたその言葉に横目で見てみると、何がどうなったのか川の中に下半身まで浸かった状態で木の棒を持ったユアが川の底を
「…何してんだか。」
そんな言葉が口から吐き捨てるように出ていくのに、楽しそうに二人で騒いでいる姿を目で追っていた。
§
「本当に大丈夫?ユア」
川の
川から上がって近くの広場に置かれたベンチに座って乾かしていた。
「だから少し寒い位で大丈夫だって、濡れただけなんだから。」
隣りに座って僅か下から伺う視線に笑って返す。
「でも、どうしよっか?このままって訳にもいかないし。」
「隣で若干濡れてる事を気にしないでいてくれるなら別にこのままでいいけどね。どうせこれから汚れるんだから。」
「そうだけど。」
うーん、と
「だって下半身だけ濡れてると、ちょっと。」
「ちょっと、ってなんだよ。」
「いいや、一回家帰ってタオルとズボン持ってくるね。」
「え?」
急に立ち上がったと思ったら、
「ちょっと待ってて。」
とだけ言って止める間もなく駆け出して行ってしまった。
ぽつんと一人残されて、やることもなくベンチに座る。
仕方もなしにぼーっとまだ太陽が高い空を見上げる。
「よ、何してんだよこんな所で。」
「ん?」
声をかけられた方を見ればなにで出来ているかわからない厚手の革鎧を着た赤髪長身の男がこちらへとつかつか歩いてきていた。
「何だよすごい格好だな、
「もっと綺麗な水だよ、そこの川。」
「川?川遊びをするにはまだ早いだろ。」
「夏だろうと服着たまま川入るつもりはないよ。」
「こっちのことはいいだろ。そっちこそ、そんな格好で何してるの?」
「俺?仕事って程でもないけど訓練帰りに薪運んでるとこ。」
くいっ、と顎で指し示された場所を見ると、薪が見える位リヤカーに積まれて道に放置されていた。
ふぅん、と返してそういえば丁度良かったと話しかける。
「それ運んだ後は暇?」
「暇かと聞かれるとまあどうにでもなるけど、水遊びでもするのか。」
「じゃなくて。えーと誰だっけ。すー…そうだ、スモモって子知ってる?」
「スモモちゃん?果物農園のチェリモヤさんの所の子だろ6歳位の、それがどうしたよ。」
大して考えることもなくぱっと思い出して語る姿に、顔の広さを見た気がした。
「よく覚えてるな。知り合い?」
「いや、お姉さんがお綺麗だから。ついでにな。」
「あっそ。」
褒め甲斐がない。
「とにかく、そのスモモちゃんがお母さんの指輪持ち出して失くしちゃったらしくてさ、今探してるから手貸してくれないか?」
「なるほどそういう事か。分かった、とっとと置いてきて俺も探す。場所の検討はついてんのか?」
「あぁ、一応…」
先程聞いた道筋を覚えてる限り口に出す。
「そりゃ大変だな、まぁいいやとりあえず俺は逆から探す。」
「ごめん。頼むね。」
「別に、お前が失くしたわけじゃないだろ。」
「アインツ!、何してる!!」
まあそうだけど、と続けようとした所で遠くから怒号が聞こえる。
「やばい、親父だ。とりあえずまた後でな。」
「あぁ、」
答えを待つこともなく鎧を付けているとは思えない速さで駆けて戻って平謝りする姿を遠くに見る。
見ていると何故かこちらを見て止まったアインツの父親に会釈をすると、それに反応することもなく、無言のまま視線を
§
一日中歩きまわって、気がつけば空は赤くなっていた。
すっかり土で汚れてどこで付けたのかも謎な雑草のついた生地の薄い手袋を裏返して、ベンチに放り出す。
「無いなぁ…」
「無いねー」
同じようにくたくたになってベンチに座り込んだ隣に座る姿を見れば、似たように
「別に山に入り込んだりした訳じゃなかったよね?」
「そのはずだけど…。」
散々探し回った後だからか自分の記憶にも自信が無くなってしまったのか、言葉に芯がない。
「開けた場所しかなかったのに往復して見つからなかったと考えると、ただ落としたままの状態のままいるとも思えないし、これ以上となると大分範囲広げないとかな。」
もう誰かが拾ったか知らずに蹴っ飛ばしたか、鳥でも拾って飛んでいったか。
「…私、もう一回周ってくる。」
突然立ち上がった彼女を一先ず止めるために、考えていたことを話す。
「先に紛失物が届いてないか治安隊にでも聞きに行こう。それこそ丁度アインツがいるし、聞いてもらえば早いだろうし。」
誰かが届けてさえくれていば話は早いと思うけれど、どうだろう。
言葉を受けて立ち上がった勢いは空元気だったのか、裏腹にゆっくりと座り込む。
集合場所でそろそろ来るはずのもう一人を二人で黙って、遠くに聞こえる子供の声を聞きながら待っていると、「あのね、」と隣で話し始めた。
「失くした指輪、婚約指輪なんだって。すーちゃんのお父さんとお母さんの。」
「お母さんに見せてもらった指輪が綺麗で持ち出しちゃったんだって。」
「泣いてたすーちゃんが可愛そうだったのもあるけど、すーちゃんのお母さんが気づいた時にとても悲しいだろうなって思っちゃって。」
「いつもは大事にしまって同じぐらい大事な娘さんにだけ見せたのって、今でも大切な想い出だからだと思うの。」
「もしどんな嫌なことが合っても、苦しいことが合っても、今みたいな大切な時間があれば、私は頑張っていけると思う。でもその想い出が無くなるわけじゃないんだけど、指輪が無くなるのって気持ちとしてはそれを失ってしまうのに近い位の事なんじゃないのかなって。」
「そう思ったら居ても立ってもいられない気持ちになるんだけど、」
「気持ちだけじゃだめだね。全然見つからない。」
「どこにあるんだろう、指輪。」
そこまで言うと黙り込んでしまった。
ここで気の利いた台詞の一つや二つ言えれば良いのだろうけれど、そんな言葉は持ち合わせていない。
出来ることといったら一つだけだ。
ベンチから立ち上がり伸びをすると、また空を見上げていた彼女に身体を向ける。
「よし、もう一回行くか。」
「アインツくん待たなくていいの?」
「どこ通ってるのかは分かるんだし逆から歩いていけば会えるよ。」
「座ってたって
「…うん、そうだね。」
そう言って小さく笑うと、許可も取らずに勝手に腕を掴んできて立ち上がった。
「お姉ちゃん!」
遠くの方から聞こえてきた子供の呼ぶ声に視線を向けると、たしかにこちらに向かって小さい女の子が駆けてきていた。
「すーちゃん、どうしたの?」
こんな時間に来たことからおおよそ見当はついていたが、どうやら話に出ていた女の子のようだった。
「ごめんなさい。」
突然来て謝り出した子供にしゃがんで顔の高さを合わせた隣に習って、しゃがんで言い出すのを待つ。
「…ないと思ってたんだけど、ポケットの中に入ってたの。」
そう言うとたしかにポケットから生身の状態の緑の宝石がついた指輪が出てきた。
個人としてはなんとも気の抜けてしまう結末だったが、隣でしゃがんでいる彼女はその言葉に怒るでもなく喜んで。
「良かったー!もう、今度は失くしちゃだめだよ。」
「ごめんね、探してくれたのに。」
端から見ていると、また泣き出しそうになった女の子の頭に手を乗せて撫でた。
「そんなの気にしなくていいの、それよりお母さんにばれる前に早く戻しておいで。」
「うん。」
こちらへ向かってきていた時よりも素早くどこか軽やかにまた駆け出していった女の子を見送ると、気疲れかまたベンチに座った。
「まあ、良いんだけどさあったんなら。あー疲れた。」
「ごめんね、付き合わせちゃって。」
嬉しそうにしつつも一応思うところはあったのか申し訳無さそうにする彼女に笑った。
「アインツには見つかったって事にしておこう、悪いし。」
「…そうだね。」
ようやく終わった諸々に隣でずっとつけていた手袋を外したのを見て、裏返しで放っていた自分の付けていたものを拾おうと視線を離した時、
「いたっ」
小さく
「大丈夫、」
瞬間、後ろに倒れる位の勢いで腕を引いて距離を取って離れた。
「…ごめんね。」
聞こえるか聞こえないか位の声でそう謝ると、顔を背けていつも持ち歩いているポシェットから霧吹きを取り出し消毒して傷薬を塗り、慣れたようにガーゼを貼り付ける。
そこまで処理して外した手袋を片方だけ上からまたつけると、立ち上がりこちらを見ることなく揺れた声色で彼女が話し出す。
「アインツくんに見つかったって言わなきゃ、行こう。」
「…ああ。」
歩きだしてすぐに何もなかったと言いたいように、不自然な位に数分前のような態度に戻した彼女に合わせる事しか出来なかった。
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