002


右手を軽く握って扉に添えるとコンコンコン、と扉に小さくノックをする。

「はーい。」

一拍いっぱくおいてそれ以上の言葉が返ってこないのを確認して、ドアノブに手をかける。


開いた扉の先から香る部屋に染み付いた草のすりつぶした匂い、入ってすぐの応接用の机にまで積まれた記録をまとめたバインダーや紙類、壁際の棚に並べられた透明なガラス瓶に詰められた乾燥した植物とプランター。

勝手を知った部屋の中へ入る。

「持ってきたよ、義母かあさん。」


部屋の中央で場所を取る机の脇に置かれた適当な椅子の上にかごを置いて声をかけると、窓際でザルの上に干されて萎びた何かを一つ一つひっくり返していた後ろ姿はこちらへと振り向いて、こちらへ近寄る。


「どれどれ…うん、いいね。完璧だ。」

「そっか、なら良かった。」

眼鏡にかかった栗色の髪を流して、手にとって確かめた限り処置や種類に関して問題はないらしいようだった。

「ごめんね、この前も山の上の方にまで取りに行ってもらったのに一人で行かせちゃってお父さんが一緒に行ければ良かったんだけれど。」

「この前まで食あたりで倒れてた義父とうさんが来たらそっちの方が心配だよ。」

「全く、薬師くすしの夫が毒にやられてちゃ世話ないよ。」

そんな風にくすりと笑う。


今でこそ笑って言っているが、体調を崩していた時は隣について薬を飲ませて甲斐甲斐かいがいしく看病していたのだから、まあ安心したからこその軽口なのだろうけれど。

「毒は毒でも食中毒でだし仕方ないんじゃない。」

「食べ慣れてるものならね。よく知らない獣の内蔵なんて食べるもんじゃないよ、全く。マルメロにはきつく言っておかないとね、うちの夫に自分でもよくわからないもの食わすなって。」

独り身で体調を崩して大変だったろうに、自業自得とはいえこれからまだ絞られる未来があるのかと想像すると少し同情をする。

椅子に置いたかごを持ち出して暗室の作業上に持っていって作業を始めたのを見て、一言聞いてから机の上に無造作に置かれた物を端から手をかけた。


カーテンが揺れる静かな風を感じながら、無言のまま少し片付けているとぽつりと呟くように話し始めた。

「どう最近は、順調?」

「それなりに、かな。」

脇に挟んだ冊子を棚の上段に詰める。

「そう。」

スリッパの柔らかな足音が近くを通りさる。


「何にせよ、必ず行くよ来年には予定通り。」

「教えてあげられれば良いんだけれど、専門知識以外はさっぱりだからなぁ」

「そもそも学ぶ分野は決まっているのに、入るために他の一般教養が必要なこともよくわからないよ。」

「そう?単語がわかれば文献だってすぐに分かるし、どこにどんな国があってどんな風土なのが分かれば必要なものがどこにあるのかだって分かるでしょ。」

「そこは分かってる、つもりだけど。」

テーブルの近くの椅子を引く音と軋む音が聞こえた。

「薬学だけじゃなくてせっかく色んなことを学べるんだから、今から一つだけに決めなくてもいいんじゃない。」

「――――。」


「魔法を学んでみたっていいし、剣作法を学んでみてもいい。初めて街へ行くんだもの色んなところで買い物して遊んでみたり、同じぐらいの子達が沢山居るんだし話してみて気があったら友達を、それも沢山だって作れる。もしかしたら生涯添い遂げたくなるぐらい好きな人だって見つかるかもよ。」

「…別に、今だって友達がいないわけじゃないよ、一応言うけど。」

――友達以外も、

「そうね、でもユアなら今からなら何でもできるしなれるんだよ、って。」

「それこそ、分かってるよ。」

分かっていたとしても。何かが出来る可能性があったとしても、何がしたいか決まっていたら見えている道は一つしかない。


「そろそろ、村長さんとこ行かないと。」

「今日もお手伝い?」

「うん、多分いつもどおりぐらいに帰ってくる。」

扉に手をかけながらそう言いながらちらりと作業中の姿を見ると後ろでにひらひらと手を振っていた。



一度部屋に戻りかばんを引っ掛けて家を出ようとすると、実益を兼ねて横に広い花壇にじょうろで水をあげていた後姿が栗色の髪を揺らしてこちらを見た。

「ユア、どこか行くの?」

「ああうん。村長さんのところちょっと行って、」

屈んでじょうろを置いて柔らかな笑顔を浮かべて近づく姿を見ていると、突然顔を近づけてきたと思ったら、髪を触れられて言葉が途中で遮られる。

「横の所跳ねてるよ。」

ちょっと待ってと、一言。ポケットからくしを取り出すと髪を押さえてきだす。


若干細められたブラウンの瞳が、まつげの長さまでつぶさに見えてしまう程で、耳には呼吸の深さまで聞こえる。

くし持ち歩いてるんだな。」

「ユア用だよ、いつも髪適当だから。」

「え?」

髪から目を離し、若干の背丈の分上目遣いの瞳と視線が合う。

「嘘だよ。」

にこっと、服もよれてると続く言葉が若干腑に落ちない。


「うん、よし。これでばっちり。」

されるがままに少しの間いじられていると納得がいったのか小さく頷く。

その満面の笑みに思いついていたいくつもの言葉が消えて、ただ「ありがとう」とだけ答えた。

「じゃあ、行ってらっしゃい。」

「行ってきます。」

そう伝えて歩き出して数歩、また花壇へと向かっている後姿をちらりとだけ見ると黒い頭をかき、門を開いた。



§


数刻。

窓から差し込む夕日の赤い光を頼りに、先程席を立って行ってしまった窓際の大きなからの机に清書を終えて乾いた事を確認した紙を念の為に並べて置く。

置き石が角に乗ったのを確認すると自分が使っていた席に戻り、隣の椅子に置いていた鞄を手に扉を出る。

廊下に出ると村長宅で働く義母ははよりも年上のお手伝いさんが居たので一言声をかけて、そのまま玄関口から外へと出た。


眩しい陽の光に目を細めながら夕日に照らされた村を一望しながら門へと近づいてくと、丁度外から帰ってきただろう門扉もんぴを押して入る、見覚えのある顔と目が合う。

開いたままに端へと寄った姿を見て、歩を進める。


「ありがとう。」

「…別に。」

そこで途切れた会話にそれ以上の言葉が交わされることもなく、閉じた扉の音を背にそのまま帰ろうとすると「ねぇ、」という言葉に振り返る。


「お父様の手伝いしてたの?」

門越しに風になびく長く黒い髪を抑えながらこちらを見る彼女は硬い顔をしてそう問いかける。

「手伝いというか。どちらかというと勉強させてもらってるよ、いつも。」

「…そういう風に思わされて体よく手伝わされてるだけよ。」

「そんなことは、ないけどな。」

逸れる薄く閉じた焦げ茶色の瞳に、首をかく。


「そもそもこちらからお願いしてることだし。ただでさえ他で色々と便宜を図って貰ってそれなのにこんな風に一から細かく教えていただいて、正直頭が上がらないっていうか、なんというか。」

迷惑かけっぱなしだ。いつか何かしらで返さなければならないだろう。

夕日も落ちかけて空も青暗くなりはじめた中、続けるようにぽつりと言葉を落とした。


「お祖父じいさまがこの前ご飯時にお話してくれたの。行くんでしょう、国を出て遠い街の貴族学校に。」

「うん、村長さんのおかげでね。」

そらしていた瞳がこちらを向く。

「わざわざ行く必要あるの、遠くの学校まで行って。」

「…学びたいことがあるんだ。」

この村にいるだけでは多分どうしたとしても学びきれないことを。


暮れていく空の下で間にある門扉もんぴがないかのように暗くなる中で見つめ合う。

「それは、薬師くすしになるため?」

「うん、ゆくゆくは義母かあさんの後を継ぎたいしね。」

そう返した後止まった会話の中で交わされた視線は再度、彼女によって逸らされる。

「…そう。」


そこで会話は終わったのか、門扉の格子こうしを掴んでいた白い指先はほどかれて。別れの挨拶もなく自分が出てきた正面玄関とは違う、つながった住居部に続く玄関口へと歩いていくその後姿に何も言えずに見送った。

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