001

緑の匂いを感じながら、木々の間からこぼれる暖かな白い日の光に目を細めて、ほとんど平らな獣道の斜面を踏みしめて下る。


そのまま息をほのかに上がらせながら進めば、薄暗い木々の下から世界が変わるように光に満ちた開けた日向ひなたが見える。その先、木の柵に遮られた隙間を隔てた奥にその場で横に揺れる帽子が作業をしているのが見えた。

その背後に近づいていくにつれて大きくなる足音に気がついてくれたのか、手に持ったかごを脇に置いてこちらを見ることもなく扉に駆け寄り僅かに開く。

その隙間から覗く瞳がこちらの顔を見つけると、立て付けの悪い扉は音を立てて大きく開かれた。


「おかえり、ユア。」

帽子からこぼれる栗色の揺れる髪、目が合うブラウンの瞳、どれの匂いなのかも分からない混ざりあった結果ただ青く苦いのする薬草畑。風のない日陰だらけの山から抜けた事で事更に感じる山間を通り抜けていくぬるい風。青い空、そして柔らかな笑顔。

まぶたの裏に焼き付く、思い出せば見えるそれがいつもの光景だった。


ただいま、と返事を返すと重さに身体を引っ張られながら背負い鞄を下ろして、そばのベンチに腰掛けると鞄の横から水筒を取り出す。一緒になって隣に座ると背負い鞄を見て話しかけてくる。


「大荷物だね、どこまで行ってたの?」

「標高の高いところにある茸が何種類か足りないって義母かあさんが言ってたの聞いたから、今登ってきたんだ。」

手に持った水筒を扉の先に向けると、釣られて視線を移す彼女を見る。


「へーなんだろ?肉屋のお父さんかな?お腹の調子悪くてうちに来てるってお母さん言ってたけど。」

「あれはただの食べ過ぎだよ、毎日四食山盛りにして食べてるんだってさ。しかも肉ばっかり、そりゃ胃も荒れるさ。」

「えー、じゃあ布織りの所のお祖母さんかな?」

「いやそっちはついに腰やっちゃったからって軟膏なんこうを渡してたから多分、関係ないかな。」

「…そっか。」

「?」

声色に僅かに違和感を感じて外していた目線を隣りに座った顔に移すと、なんてことのないいつもどおりの笑顔で遠くを見ている横顔があった。


「ねぇ、ユア。」

「ん?」

目が合ったと思うと、間も作らずに話しかけてくる。

「高いところって霊峰まで行ったの?」

「まさか、なら向こうから帰ってくるよ。」

平野部を挟んで反対側、向かって正面。それなりの距離が実際には有るはずなのにそれでも存在感を見せる、高い山々に囲まれている筈なのに頭一つ抜けてそびえ立つその輪郭を視界に捉えながら、ぼんやりとハーブティーに口をつける。


「そっか、ならいいけど。」

何か含んでいるような言葉に少し引っかかりながらも、あえて話をずらす。

「もしあそこまで歩いてたら、片道でも日帰りじゃ利かないよきっと。」

「そうなの?見てるだけならすぐ行けそうなのに。」

「…お祭りじゃあ神様みたいに崇めてるっていうのに、これだけ物理的に遠くてご利益って届いてるもんなのかね」

ぼやくようにそう言うと、何がおかしいのか隣でくすくすと笑う。


「届いてるよきっと。」

どこか確信めいたように言い切るその声に返す。

「どうかな。」


「この前一緒に行った時村長さんが話してくれたけど、今もどこかで内戦が起こってるんでしょ?でもここはずっと戦争どころか大型の獣が襲ってきたこともほとんどないらしいし。知ってる?街の方だとすぐ近くまで獣が出るんだって。」

「…霊峰だけのおかげにしても、いいもんかね。」

「そっか、あとは魔女様のおかげだ。」



「ごめん、まあ誰のご利益でもいいか。それよりももういいの?何か摘んでたみたいだけど」

「うん、もう大体終わったよ。」

「そっか。」

水筒を閉め立ち上がり、鞄を背負うと地面に置かれた籠を手に取る。

「帰ろう。そろそろ、日も暮れる。」

「…うん。」


『ありがとう、ユア。』

「え?」

さっき感じた違和感とも違う、何か強い、焦点がぶれるようなそんな焦燥を感じて顔を、姿を見る。

「どうしたの、帰らないの?」

遠い端に見える花弁はなびらを揺らす桜を背景に見る彼女は何も変わらない、いつもどおりだ。

「…あぁいや、わかった。」

一度ゆっくりと目をつぶると、母屋おもやへとつながる石の階段に足をかけた。



§



大樹の切れ目から遠くに見える空をじっと見つめていたら、かすかかに小麦が焼けるような匂いの混じった風が頬を撫でる。

軽い運動で体温の上がった身体には冷たすぎる風に身震いをして起き上がった。

寝転がっていたベンチの背もたれにかけていた上着を着込み下に向いた視線を上げると、渡り廊下からこちらへと歩く彼女の姿が目に入った。


「眠ってらっしゃるかと思いました。」

手に持ったバスケットをベンチに置くと、こちらを一瞥いちべつ

「今、食べられますか?」

「ああ、じゃあ是非。」

その一言に、バスケットからティーポットとサンドイッチを音もなく取り出して皿の上に並べる。

「作っていただけるにしても、毎回届けていただかなくても自分が向いますよ。」

「――――。」

その問いかけのつもりの言葉に答えるかのようにうっすらと笑みを浮かべて、薄く透けた紙に巻いたサンドイッチを差し出してくる。

「…ありがとうございます。」

無言で見つめるその青い瞳に、手に持ったそれに口をつける。


「今日もすごく美味しいです。」

「それは何よりです。」

にこりと笑みを浮かべたその表情に再三の問は出せずに、もう一口、口をつける。


「そちらは魔法陣ですか?」

差し出されたコップに入ったジュースをあおって一息ついた瞬間、そう口を開いた隣に座った彼女を見れば視線はベンチの端に散乱した紙束を見ていた。

「ええ、一応。描いたんですけど使えるかどうかを見たくて。」


一番上の紙を手に取り、色素の薄いインクで描いた円を書く図形の端に指を触れる。

すると指先からにじみ出るような青い光が図形の線をなぞるように輝き、逆の端へと辿り着く。

その瞬間、無から肘先にも満たない長さの細い棒状の水が宙に浮かぶ。

浮かぶや否や、もう一枚紙を今度は反対の手で持ち、今度は二周りも小さいその円を光らせる。

すぐに全体へと光が回ると、棒状だった水はその線を拗じらせ回転し、渦というよりは伸びたバネのような一定の間隔を挟んだ特徴的なナニカへと形を変える。


「一つの魔法陣だけを発動して形状変化を何かしらのアクションで気軽に切り替える手段がないかと調べたんですけど、見つからなくてとりあえず外付けで他の魔法陣を組み合わせることで擬似的にスイッチできるようにしたんです。これはこれで何かしら他の場合でも拡張できることも有るかと思って悪くはないと思うんですけど、」

話しながら魔法陣から目を離しちらりと彼女の顔を見る。


ぼんやりと見つめるその瞳は結果ではなく、手元の魔法陣を見ていた。

「…一つにまとめるならどうすればいいとかってわかったりしますか?」


両手共に線から指を離すと同時に光は薄っすらと消えていき、水は形を崩し音を立てて地面へと落ちた。

それでも魔法陣を見ていた青い瞳は光が完全に消えても動かなかったが、まばたきを一つ挟んで視線が向かい合う。


「それでしたら確か、先日見た中にあった気がします。条件に合いそうな記述が。」

「どの本だったか覚えてますか?」

「ええ、場所も記憶に違いがなければ」

「だったら、」

視線を外して突然動いた彼女を見ているとバスケットに手をかけた。


「ですけどその前に、デザートはいかがですか?」

皿に乗った薄切りの果実を取り出してこちらを見る青に、何とは言えずに頷いた。

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