第1章
000
「魔法とは、」
魔法とは、前提として存在している
その法則にはある筈のない現象を
一般的に使われている名称として、科学であったり物理学、そういった探求によって出された、世界の原則を数式として仮定し、表れた答え。
その方式を塗り替える。
それは勿論、世界全体を変えるわけではない。
とある一箇所、一時的に、方程式。つまるところ本来の世界の過程を、世界側からすれば無視し、自分が望んだ方程式を使い、結果を起こすこと。
しかしそれには、条件が存在する。
自分が望んだ方程式とは、つまるところ火を起こす為に。火打ち石を使うか、マッチを使うか、木を擦り起こすか、そのような過程の選択式に、『魔法』という式を追加することだ。
他の法則と同じ様に魔法ではなく、魔学とでも言い変えたほうが判り易いのかもしれない。
いや、正しくは違うか。
魔法とは法則の塗り替え、選択式への追加。
本当の無から金銀財宝を
あくまでもこれもまた学者、魔法使いが研究し、発見した。魔学、その原理の式という部品を組み立てて、新たな魔法という選択式を生み出し。選択を生み出し、発現する。
ただの石ころから
そして書き換えるのではなく、塗り替える。
全てを壊して一から新たな物を、方式を作るのではなく。世界のその表面に膜を生み出し、新たに生み出したその膜に式を走らせることにより、依然としてそこにある世界の原理を無視し、超常をなし得る。
世界が塗り替えられ、現象が為された後は。表面の式は膜ごと剥がされ、隠されていた元の方式がまた現れ、結果だけが残る。だから、超常にしてまるで、奇跡のようなものに見える。
他所から見れば、あるいは客観的に言葉にでもして見れば。確かに、簡単なもののように聞こえる。
しかし、けれども。そう簡単ではないからこそ、過去何十何百、あるいは何千年も前から、研究者が魔導を探求しているにも関わらず、時間にしては小さくと。けれど未だに停滞すること無く日進月歩、一つ一つ何かしらと進んでいる。
進み、止まらず。
今ある技術で妥協せず、自らの欲求。知識を追い求める、望んだ目的の遂行を求める探求者が技術の革新を進めたとしても、
西暦1425年
ただの石から
生み出せない。
§
扉の軋む音で、目が覚める。
ゆっくりと開いた目には、窓から遠く。果てが陽で照らされて白い、薄く青い早朝の空が映る。
もう、朝か。
……眠ってる間に、掛けてくれていたのか。
屈んで床に落ちた毛布を適当に畳んで、近くの棚の上に置く。
腕を上に伸ばして背筋をほぐしながら、適当な方に向いた視線を、机の上の乱雑に積まれた本の中心。字を書き込んでいたノートに移す。
この城に初めて来てから、2週間が経った。
その間、無い知恵を絞り、まとめた結果。
理解できたのは、理論の基礎の少し、それにある程度の歴史だった。
何百か、あるいは何千もの本を開き、最初の
ここにただ無いだけか。あるいは、需要がないとも思えないものだから、その入口に立つ人間をふるいに掛ける為に秘匿され、作られていないのか。
少なくとも見つけることは出来なかった。
基本的に、魔法が書かれた本というものは、術式の書かれた物の事だ。
多くの本には、著者が考案した基本的な公式、そしてその解説文が書かれている。
指先から火種程の火を放つには。
火とはこの式を扱い、発現される場所の選択はこれで、発生させる為には…、と続く。
確かにこの本を読めば、身体の一部から火を起こし、そしてそれを多少は応用なりを行い、身体以外から発現することも可能になるだろう。
だが、それだけでは意味がない。そんなことを求めてはいない。
今こうして知識を得ようと本を開いているのは、火種の作り方を求めている訳ではないのだから。
まずは着実に、一歩ずつ基礎から。
理解はしているつもり、だが。
視界に入っていた。脇のテーブル上のバスケットの中を開き、まだ新しいサンドイッチに手を伸ばす。
どうやら、目覚めた時に聞いた扉を開ける音は、これを置いていってくれたものだったらしい。
………礼を、言いに行かないとな。
柑橘系の果実の酸味が効いたジュースをあおって、流し込んで。バスケットを手に、入り口の扉にへ向かう。
扉を開いた先、渡り廊下の途中。
―――彼女はまだ、そこに居た。
白い
その髪を軽く押さえながら、最初にあった時と変わらぬ服装のまま、彼女はただ一心に、じっと。物静かな城を見つめていた。
……どこか、話しかけてはいけない気がして。
そのまま、戻れば良いものを。彼女と彼女越しにある城を。少しの間、立ちすくんだままに見ていた。
魔女の、元居城。
全てを見て回れてはいないが、今の所その中に。他の人間や、完全な状態の人形は見ていない。
人の消えた、国。
城にも街にも、夜には光は灯らずに。湖から漏れる、淡く青い光が建物を照らす。
一度だけ見たことの有る近くの街よりも大きなこの場所に、誰一人いないのか。
何故、どうして。それはここに来て2週間ばかりの僕にはわからない。
そう、僕には。
「おはようございます、ご主人様。」
「あ……、」
いつの間にか、城を見ていたその青い瞳は僕の方を向いていた。
「起こして、しまいましたでしょうか?」
「……いえ。そろそろ、起きようと思っていたところだったので。」
そう、だな。
忘れない内に、もう少し進めないと。
魔法も。人が消えた、城のことも。
少し、思考がぶれていたのかもしれない。まだ、そう難しい話ではないのだから。
今は少しでも時間をかけていけば、それだけ話は前に進んでいく。
本当なら、今この一時ですらもが惜しい、
限られた時間なんだ。
「無理を、なさらないで下さいね。」
ぼやけた視線を彼女に合わせると。変わらずにじっと、こちらに青い目を向けていた。
「……ありがとうございます。」
心を読まれたかのような言葉だと一瞬驚いたが、よく考えれば夜が更けて眠った僕に、毛布を掛けてくれたのは彼女だった。
目の下の隈は、眠っている内に消えているだろうか。
指で目の下を触れそうになるのを抑えて、代わりとばかりに気になっていた事を彼女に尋ねる。
「その、この前話していた連絡ができる道具って、生きてましたか?」
「駄目、でした。」
往復、小さく首を振る。
「動きはするのですが、対の物。受信する向こう側が破損したのか、繋がりませんでした。」
「…そうでしたか。」
「他に何かあちらからアプローチのある前兆などは…。」
「今のところは。」
魔女へのコンタクトを期待は出来ない、か。
ひらりと、風に揺れていた髪を
城の方へと向いていた身体がこちらに向いた。
「では、まだ朝食の片付けを終えていないので失礼いたします。」
「すみません、引き止めてしまって。」
「いえ、そのようなことはございません。」
「ただ、私がここに止まっていただけですから。」
自分が
止まっていた、か。
六十年の月日は人が一生を終えるには短くとも、決して長くないとは言えない。
自分にとってのつい昨日が60年前だったとして、彼女はどんな気持ちなんだろうか。やはり僕には本質を理解することは出来ない。
僕にとっての昨日は、変わらず昨日なのだから。
「…バスケットを、こちらに戴けますでしょうか。」
「あぁ、すみません。」
おずおずと彼女の手に木のバスケットを渡す。
……というか、何故ここに来たのか。彼女を追いかけたのか、本題を忘れていた。
「では。」
「あの、」
一礼して振り返り、歩き出す前の彼女に声をかけた。
「はい…?」
「サンドイッチ、美味しかったです。ごちそうさま…。」
「それは…、何よりでございます。」
ゆっくりと微笑む彼女はやはり綺麗で、けれどいつもより少し瞳は揺れていた。
歩き出し、彼女の背中が消えた城を見つめる。
「………やる、か。」
城から目を離し、振り返り。
そして、後ろ手に扉を閉める。
§
力なくゆっくりと大きな木製の扉を閉めた。
「…この部屋にもないか。」
小さな倉庫の様な部屋だったので、もしかすればとは思ったのだが中に人形はなかった。
人形ではなくとも魔法の道具らしきものはいくつか見つけたが、説明書のついていないそれが何なのか分かるはずもなく、その場に戻してきた。……もどかしい。
あのヒトに聞けばもしかすれば、何かしら判るかもしれないが。それは、しない方が良いだろう。
話した結果。どうやら一部でなく、多くとも言える程の記憶が
六十年間放っておかれたら、あの精密にできた人形だろうと不具合も起きはするだろう。
彼女がどう考えているかは分かりはしないけれど、今はまだそこに、少なくとも僕が触れるべきではない。
となれば、知識も薄くこの地に縁のない僕がすべきことは、やはり足で稼ぐことだ。
部屋をひっくり返す様に何かがないかと手当たり次第に探す。廊下の造花が飾られた花瓶の中まで覗くが成果は上がらずに。また一つの突き当り、上下へと続く階段まで来てしまった。
現在の位置を確認するために、上へではなく下へと足を向ける。
細部まで彫られた木の手すりに触れながら階段を
階段からすぐ近く、角から首を覗かせた先には、青い紋章が光る金属質な扉。
彼女を見つけた、あの工房の様な部屋だった。
「……。」
まぶたを軽く閉じ、思考する。
彼女は目覚めて以来気がつけば、ここへと足を運んでいるようだった。
それを知っていたから、2周間前のあの日以来、ここに足を踏み入れていない。
自分がこの部屋を探すまでもなく、少なくとも。彼女が求めることは、自身で探して見ていただろうと考えたからだった。
とはいえ僕も他の人形や人間…、だけを。愚直に探していた訳ではない。
特に書類や絵。そういった、文字さえ読めれば最低限には理解できるものには目を通していた。
玄関ホールにも飾られていた精密過ぎる絵や、落書きのような文字の書かれた物、作った人間の残り香が複数感じられるそれらを見てきた。
そういう意味で、記憶の一部が失われてしまっている彼女には何気ないもので、けれど僕には目につくような物もあるかもしれない。
瞼を開き、思考に導かれるままに扉を押して、中へと入る。
大まかに見ていた工房の部屋はほぼ素通りして、壁伝いに奥へと入り込み。物の雑多な小部屋の更に先へと間を
奥の奥、一番端の部屋へと続く城の他の物と比べれば等身大な扉。そのドアノブに手をかけると鍵もかかっておらず、すんなりと小さく音を立てて開いた。
初めて入ったときと記憶から変わってはいない、誰かの居住スペースのような部屋。
精々違うのは、天窓から光が射す部屋の中心にある白い布が掛けられた台の上、そこに彼女がいないこと位だろう。
よくよく考えてみればただ彼女の部屋である事が可能性として一番高くとも思ったが、彼女が眠っている部屋は別にあるようだったし。入ってすぐ脇、入口近くに置かれたスタンドに掛けられた男物のジャケットを見て。どうやら、違う事を知る。
部屋に足を踏み入れると、花の匂い、だろうか。その匂いを感じると落ち着くような、ほのかに甘い。他の部屋にあった紙の匂いや物の匂い、無機質な物と違う。人の影を感じる香りがした。
どこかに花でも生けているのだろうか、前回来た時はそれ以外に気を取られて気が付かなかったから余計に気になるだけだろうけれど。
なんとなく、落ち着く。
中心にある台の脇を通り過ぎ。始めて来た時には見ていなかった、背の丈程の仕切りに隠されたその奥を見ると。
そこには、壁際には冊子が所狭しと並び。仕切りと棚に挟まれるように置かれた、書庫棟にもあった物と似た。黒革の柔らかな椅子と。まるで一つの巨木から切り出された様にも見える机があった。
そっと手近な冊子を手に取り、中を開くと、開いたページには図解された人形が描かれていた。
それからいくつかの本を手に取ると、同じように人形や魔法陣といったものが書かれている物はあっても、研究と関係のない、ここに座っていた人間を思い
棚にある本に一通り目を通した後、机に目を向ける。
色々と筆や冊子など物が散乱と置かれた中で、何となく無造作に置かれている紙の束を手に取った。
探していたものでは無いけれど、……これは。
「……
魂に、輪廻転生か。
概念は知っている。
人は産まれて、死んで。そして別のなにかとなってまた産まれる。
そこに書かれていたのは、宗教観において。その生まれ変わりのときに生物へと宿っていた魂は浄化され、魂からは淀み、つまり生きていた時に刻まれた記憶や経験が洗い流され、無垢なモノへと創り変えられ、また新たな生命に宿るとされている、それは。
結論として、近くはあり、けれど事実ではないのだという。
どういった経緯を
何故それがこの文章を書いたモノに分かったのかと言えば、研究の末、魂と呼ばれるモノにはどうやらこれまでの生を記憶する領域が存在しており、そこには不完全ではあるがいわゆる前世、そしてそれ以前の記憶が刻まれているのだということを証明したらしい。
魂というものはコア、中心部分に存在する魂そのものといえるそれと、それを包<くる>むかのように何重<いくえ>にも重なった膜によって構成されており、そしてその膜の一部に記されているものを調べた結果、規則性のあるそれはその魂の持ち主が得た経験つまりは記憶であり、それこそ『魂の記憶領域』であり、そしてその存在はまさしく宗教観への否定に通じる。
研究の結果をまとめられた、見る人間にわかりやすく書かれたその束を読み進んだ、最後のページはこれまでの物とは毛色が違っていた。
ざらざらとした紙質や一回り小さな大きさ、少し陽に焼けていた前までのものとは違い新しく、字の癖も違う。素直に考えれば、これまでのものに後から違う人間が書き足したページのようだったが、内容はこれまでの結果をつらつらと書き記した物から、話は進んで、その『記憶領域』。記憶に干渉する方法について記されていた。
記されていたと言っても、一ページだ。本当に簡単な触りと、裏面一面に描かれたそのまま使える実物の陣、そして殴り書きされたように付箋に書かれた「廃人にはなりえない。」の一文字。
なりえない、か。なりえないね。
描かれた陣を端から指でなぞるとほのかに青く光り輝く、まだ生きている。
触りを見る限り、どうやら自在に本を見るかのように記憶を覗けるという訳ではないらしい。経験を追体験するという程ではないけれどそれに似たことが出来る、らしい。対象は無作為に。
記憶、か。
はたして人形には魂は、宿るものなのだろうか。
ニンギョウとヒトの違いか。
ぼんやりと今朝に見た、彼女の斜め後ろから小さく見えた横顔を思い浮かべる。
一息つきたくて、棚を背に机前に敷かれた柔らかなカーペットに座り込む。
別にまだどん詰まってはいない。この城にいることが出来る限りは、やれることは無数にある。
ただ、いつまで居れるかだ。
巡ってきた多くの生の中に、一つぐらい魔法に触れていた。そんな生があってもおかしくはない、だろうか。
気になってる。やれるかやれないかで考えている。
その時点で多分、
「廃人になりえない、か。」
小さく息を吸って、立ち上がり。クリップから紙を取り出して、陣の始点に指を添える。
一呼吸の間が空いて、触れた紙上の陣は線を辿って全体を青く輝かせる。
ここからどうなるのかと思った矢先に光は指先を通り、手首、腕と。その内側を這うように、城の扉に触れたときよりはゆっくりと。付け根から枝先を辿るように幾重にも広がりながら伝っていく。
淡い痺れを感じながら、今度は慌てずに。息を吸ってゆっくりと光の線を見つめる。
見つめる、見つ、める。
―――瞼が揺れる、視界がぶれる。
息をゆっくりと吸っている筈なのに、何故か少し、息苦しい。
深く息を吸い始めるが、徐々に徐々に、苦しい。
緊張や心の揺れ程度ではありえない。あからさまな異常だと気がついた時にはもう、痺れは肩を伝い。必死に強く呼吸を繰り返しているはずなのに、全速力で走った後にも似た、吐息の熱さと甘い
立ちくらみにも似た淡いホワイトアウトに、立っていることが耐えきれずに半ば崩れる様に床に手をつき、倒れるように膝をつく。
それでもなお離れることなく、ここにきて更に強く光る指先に張り付いた紙と真正面から相対する。
インクのせいか、少しだけ赤みがかった青の光は変わらずに指先から腕へと広がっていて、近くで見ればどこか脈打つように明滅しているようで。
どうにかまだ気力で、寝転がればそのまま意識が飛んでしまいそうで、腕をついて座っているのに、瞼が、重く。目を、開いているのも辛くて。
耐えきれずに、そのまま。
目を瞑った。
§
ふと気がつくと、椅子に座っていた。
鳴り響く歓声。
夕暮れ、窓際の席、眩しい斜光。窓の外、蝉の鳴き声、ボールを打つ金属質なバットの音、それに対比するように誰もいない教室、無音、聞こえるのはペンシルの先が紙を走る音と、教科書のページを
「聞いてる?」
正面に座る制服姿の、
「聞いてる。」
「聞いてる、じゃなくて教えてほしいんだけど。」
―――目の前に座る彼女を見る。見ている筈なのに。
彼女の姿だけが目が霞んだようにぼやけて、風景に
彼女の言葉に言われるがまま、ペンが指し示すワークの問いを読む。
「…何だっけ?」
「それが、聞いてないっていうんだよ。」
常識のように知っていた、様な気がするのに分からなくてそう答えると、彼女はどうやら話を聞いていなかったと勘違いをして俺の方を半目で見つめる。
…半目、なのか。
拭いきれない違和感にぼんやりと教室を見渡す。
―――なんでここにいるんだっけ。
「だからさ、このバネの問題って――――。」
つらつらと問いかけてくる正面に座った彼女を再度、見る。
確かに、たしかにそこに、彼女が見えるのに。目の前には彼女がいるはずなのに。細部を覗き込むように焦点を合わせると、途端にピントが外れるように、ぶれて、
机に肘をついて、少し前のめりにノートを覗き込んで、シャープペンシルを唇に押し付けて、そのペンを指でトントン叩きながら、考えてるんだか考えてないんだか、うんうんと唸りながら机の前に座る姿は。
記憶に残る昔から
その彼女が確かに、確かにそこにいるのに。
「この公式のまま使ったら――――だし、でも単純に――――――だったら。―――で、」
目の前に、話しかければ答えてくれる。手を伸ばせば、すぐそばに。
ぼやけた虚像に触れるように手を伸ばそうとした瞬間、彼女はこちらを見る。
「もうそろそろ答え教えてくれてもよくない?このページ分終わったら宿題終わりなんだし。」
「自分でやるから教えなくていいって言ったのそっちだろ?」
笑みがこぼれながら、何故かスラスラと続きの言葉が口を出る。
「だってこんなに多いと思わなかったんだもん、一日でやる量じゃないって。」
「そりゃそうだろ、先週出た宿題なんだし。」
「うぐ。」
うぐ、て。
「あーもうせめて昨日の内に思い出せてればなぁ、そしたら――達と一緒にアイス食べに行けたのに。」
「アイス?」
その言葉にどこかじりりと胸が軋む。
「割引券貰ったからどうせだし行こうって、昨日から楽しみだったのに。」
「ふーん…。」
なんだろう、なんかいやだ。
「行きたかったなぁ、アイス食べてそのままどっかいこうって話してたのに。」
なんでもない話なのに何故か、その先を聞きたくないと思ってしまう。
「それもこれも…、せめて今日じゃなくても」
ぶつぶつと呟く彼女を遮るように閉じられていた扉がそれなりに勢いよくがららと開いたと思うと、一瞬の間を経て。
「あ、まだいた。」
「あれ!?なんでまだいるの。。」
「――――、――――――。」
「……。」
友達を目にした彼女は持っていたシャープペンシルを転がして席を立ち廊下へとすたすたと歩いていき、どう考えても話し込む体勢に入った所を見て、軽く息を吐く。
いつ、終わるんだか。
いつ…いつだっけ。
「――でね、話してたら丁度今日遊ぶ予定だったんだって、あっちも。だからこの時間まで待ってたんだけど…」
何となく聞いたその会話にデジャブを感じて、彼女の方を見る。
「で、涼真君達もどうせなら――もまだいるんなら誘ったらどうかなーって。」
「もう一回体育館――――――。」
涼真、同じクラスでバスケ部
たしか、多分。
「…終わったら遊びに行けるんだけどなー」
気がつけば彼女は目の前に戻っていた。
「……。」
彼女を見る。
彼女は上目遣いに、何かを含むようなそんな目でこちらを
そう思ってしまうと、途端にうつむいて強く喉をかきむしってしまいたくなる。
やめてくれ、俺は結局彼女にとって、古馴染みでしかなくて。
こうして想起するほどなにかしたわけでもない、ただの。
忘れてしまう遠い時に見たこの情景の中で、彼女はそんな目をしていたんだろうか。
彼女の姿すらおぼろげで、不確かで。…思い出せないというのに。
それすらも俺の願望なのか、この想いは、この熱は、確かにそこにあったはずなのに。
彼女はあの時、どんな目を。
「……駄目?
バチン、と聞こえた気がした。
―――違う、そうだ。
途端にふんわりとしたどこか幸福感にも似た淡い感情は胸に残りながらも、ぼやけた思考は、意識は切り替わる。……自分を、思い出す。
そうだ僕の名前はユア、だ。祐介じゃない。
自分の行動を思い出して。自分に置かれた、自分が起こした今を冷静にみつめる。
眠っている時に見る夢と違うのは、見えている情景は…彼女以外はブレることなくはっきりと見えていて、けれど夢以上に動きは縛られてこうして気づいたとしても、自由には動けない。
だから。
「これ、単純に今回の章から探しても見つからなくて、前の章のこの公式を使うんだよ…。」
僕の、…俺の考えには関わらず、口はすらすらと言葉を発する。
「…簡単じゃん。」
「まじめに、ここだけで20分以上かかってたけどな。」
「解けたからいいの!」
再度彼女を見るとぼやけていた像は、しっかりと線を描いていて、僕を見ていて。
「ありがとう祐介」
そんな、そんな笑顔で僕を見ないでくれ。
この後の展開は覚えている。
そこから、彼女はあいつと話すようになって、遊ぶようになって。
付き合うことになって。
わざわざ一緒に同じ高校を選んだのに。卒業して、別の大学に行って。
そこから何年か経って、結婚したって話を親から通じて知った。
もしも、なんて。思う資格すらないけれど。
「まだ大丈夫だよね。」
「一回バスケ部のほう行くって言ってたし大丈夫だろ。」
「だよね、早く提出してないと。」
「じゃね!」
「…あぁ。」
ただ少し、心残りだった。
場面は移り変わって、けれど次からは意識がしっかりとしたまま、見つづける。
「ありがとう。」「―――最優秀賞は、」「最低。」「また会おうね。」
楽しかったり、何かを成し遂げる喜びだったり、嫌な事や苦しいこともあるけれど、けれど殆どは甘く酸っぱくそして後味はどれも少し、苦い。
玉石混交、その全ての共通点を強いてあげるのだとすれば。その記憶のどれもが男で、そして多分同じ言語を使っていた事だろうか。
それがどういうことなのかは知らないけれど。
また一つ情景は変わり見たそこは、戦場だった。
見渡す限りの地獄、眼下に映る岩肌の平地では、殺戮。
剣によって腕が落ち、弓矢によって穴があき、人は倒れ、その死体を踏み進めながら、靴裏についた血で渇いた地面が赤く濡れる。
耳には怒号、叫喚。距離がそれなりにある筈なのに。血と焼け焦げた脂の煙が混ざった、鉄の強い匂いが鼻をつく。
けれど、それよりも。
気づいてしまったらその他なんて気にもならないように、一つに吸い込まれるように離せない。
手に持っていた何かを捨てて、膝を付き。服に拭った薄汚れた指先をその白金の髪に触れて、隠れていた顔を表にする。
薄く開いた赤い瞳、傷一つ無い。けれど血の引いた青白い肌をした綺麗な、少女。
僕としては知らない顔だ。けれど、ずらした視線の腹部にあるあまりにも大きすぎる赤いシミを見た瞬間。
足元がおぼつかなくなる、血の気が引く。
どう見ても呼吸はしていない。
「…嘘だ。」
意図せずに喉から声が漏れる。
口に出してしまうと、吐息とともにそのまま感情が止まらず、溢れる熱と混じり顔を出す。
何をしても、やはり離れなければよかった。そうでなかったとしても、何をしてでもあの時止めていれば、そうすればっ…。
何の為に、俺は。
何人殺そうと、何を捨ててでも、成し遂げようとしたのはっ…。
俺は、君がいればよかった。ただ、君さえいれば、それだけでよかった。
他の何もいらない、君に笑って居てほしかっただけなのに。君の笑顔が見ていたかっただけなのにっ!
俺は、―――僕はっ!!
「ここに居たか。」
振り向くと同時にその男は足元にあった剣を蹴り、それは崖下へと滑り落ちていく。
「コンラート…。」
白の鎧を着飾り、後ろに数名の今にも魔法を放たんとこちらへ構える魔導兵を率いた、コンラートは。
その金の斧槍の先をこちらに突きつけ、口を開く。
「やはり甘いなお前は。その肩に今や様々なしがらみを、群衆を背負っている事を理解していない。…元から人の上に立つ器ではなかった。」
「…だが、だからこそ。群衆は、――は。お前についたのだろうな。」
「お前が、殺したのか?」
「違う。だが、その報を聞き。私はここに来た。」
その言葉を聞くが否や
「動くなっ!!……その亡骸をこれ以上、傷つけたくはないだろう。」
魔導兵の掲げる
照準はこちらに向けたまま。
「…彼女は、私の権限を持って必ず、丁重に葬ろう。」
「そして、それは。お前もだ。」
目の前の彼はそう言ってこちらへと歩き出す。
「もう少し、話をしていたいところだが。時間がない。」
立ち止まり、そして首筋に刃先が当たる。
「本当だったら………いや、もう遅いか。」
強く当てられた首から血が滴り落ちていく感触が、鋭い痛みと共に感じる。
「…言い残すことはあるか?」
「………。」
立ち上がり数歩、胸に抱いていた彼女を、脱いだ外套の上にそっと寝かせる。
「……無いか?」
「お前は、これからどうなると思う。」
―――これから、これから。
「…終わるさ、すぐに。旗印がなければな。」
ゆっくりと薄目に開いていた瞼を閉じさせる。青白い肌だ。
「そんなに、俺一人でなにか変わるかな。」
「……変わるさ。これまでだってお前が変えてきたんだ。お前という顔を持った群が、成してきたんだ。」
「……。」
振り返り、目の前に立つ苦渋の表情に彩られたその顔に向き合う。
「なら、俺の首一つでどうにか、他が死なないようにはできないか?」
「…我が名において必ず、これ以上の戦は起こさせない。必ずだ。」
「元より、広く公布されている
「…そうか。」
「ああ。」
その斧槍の刃が届く、数歩の間の空いた距離に立ち止まる。
「…話は終わりだ。」
彼は片手に持っていた斧槍両手に持つと小さくそう呟き、振りかぶる。
「……。」
あれ程うるさかった騒音も、鼻をつく臭いも何もかもが遠く。ただ視線の中心にある手に持つそれが空を切る音だけが、耳に響く。
去り際に触れた彼女の小さな手の冷たい感触が、やけに残る。温かい手の感触も知っているはずなのに。今は、もう。
「この戦は我らの勝ちだ。…いつか、地獄でまた会おう。」
ただ、目をそらさずに。その、金の刃は。瞳の中に、吸い込まれるように
§
「ゴホッ」
寝起きのぼやけた頭が、喉の詰まったような鈍い咳を
一つの不調に気づくとまるで今一度に始まったかのように、身体の不調を節々が訴える。
頭が、いたい、痛、い。
眠っているうちにでもぶつけたのか痛む腕を押して、よろけながら立ち上がると、来るまでの途中にある。水が出る魔道具の前に立ち、――――――――
それを何度かした後に、一口二口と飲みあげて、水を止める。
水滴を拭って、
涙袋は浅黒く、瞼は腫れ視線は鋭く、表情は硬い。
最低限髭だけは剃ってはいたけれど、酷い顔だ。
かくも二週間程度で、こうも変わるのか。
「………。」
そこにあるのは紛れもなく自分の顔だ。だけれども見続けていると、どこか焦点が合わないような。
別人の像が網膜に映るような、そんな気がして。
落ち着く為に目を瞑ると、水滴が滴り、瞼から落ちた。
…水。蛇口、水道、下水管、浄水施設。
魔法ではない。けれど、今を考えればそれはまるで魔法のようなと形容してしまいたくなるそれらは、たしかにあって。この世界もいずれはああいった物が生まれるのかもしれない、が。今は違う。
この世界にあるもの、魔法だ。
魔法、掴めているような、そうで無いような…。
魔法と言えば、一番最後に見た。あの陣が浮かび上がった小銃を思い出す。
あの人物の記憶なら…何か、掴めそうな気がする。
目を開いた、顔色も荒れた目元も。何も変わっては居ない、けれど。
自分の目を見つめる。輪郭は、ぶれない。
頭痛も息遣いも、もう戻ったはずなのに。耳には心臓の脈打つ音が響いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます