ep.29 今、涙の残滓が咲き乱れる時。
トン単位の鉄くずや鉱石が寄せ集まってできた、巨大タコ。
そんな巨大タコの足が、轟音とともに、敵陣へと大きく振り上げられた。
「まずい! お前ら、早く逃げろ!」
バーン!!
タコの足が振り落とされる。
地面がユラユラと揺れる。
とてつもない力で、敵が一掃されていく。僕達を、助けてくれているのか。
ドーン! ジャラジャラジャラ! バリーン!
敵が、呆気なくタコの餌食となっていく。吹き飛ばされる。
相手がロケットを持った機械でさえ、微塵に破壊されるほど。遂には構わないと諦め、逃げ出す者まで現れた。
僕達の形勢が、一気に逆転した瞬間であった。
ドーン!! ドンドーン!!
だが、様子が変だ。
タコからは、依然として鉄くずが放出されている。
それをタコが自分の足で止めようとし、止められないのだ。足からも放出されているから。
「まずいぞ! コントロールが効かなくなってるんだ!!」
僕は事の重大さに気づいた。タコが、自身を振り払うように暴れ回っている。
もはや、タコの形状さえ忘れかけていて、動きに予想がつかない。離れないと危険だ!
「あの子が落ち着くまで待ちますか!?」
と、バリーが問う。しかし、
「ダメ… アニリンを、助けないと」
そう答えたのは、マリアだ。腹部を押さえながら、ゆっくり立ち上がった。
オーガノイドの特性で、傷の治りは早いが、すぐには負傷前のように動けない。一歩一歩鉄くずの山へ近づくマリアを、僕達は止めに入ろうとした。
「あの時も、体力の消耗が激しかった… あのままだと、体がもたない…! アニリンが、死んじゃう!」
そう嘆く、マリアのいる方向へと、容赦なく大きな鉄くずが飛んできた。
目視で5m四方の、巨大なブロック―― そんなものに撥ねられたら、ひとたまりもないだろう。
しかし、
「あぶなーい!!」
ドン!
ブロックが差し迫ってきた目前、横から、イシュタがマリアを突き飛ばしたのだ。
マリアは範囲外へ倒れ、ギリギリ回避される。だがイシュタは…
「イシュター!!」
僕達は手を伸ばすが、もう遅い。
彼が振り向いた頃には、もう、ブロックがすぐ目前で――
…。
『なぁ。もしもこの「嘘」がバレたら、どうする?』
『そうね。最後の日に、神々の衝突で転送作業に支障が出たら… 全員、不具合に巻き込まれ、死んでしまうかもしれない。それを防ぐためにも――』
なんだ? この、走馬灯のような情景は。
イシュタの視界に突如として現れた、真っ白な世界。聞こえるのは、よく知らない男女の会話。
一体、なぜ…?
『あの小説を、呼び覚ましましょう』
『あの小説? …あー。確かあいつが18で、1人の女性を好きになって執筆を止めたとかいう』
『そうそれ。幸いなことに、あの物語はまだ完結を迎えていないわ。バッドエンドの前で、本当によかった。だから、もしもの緊急時にその世界が展開されるようにして、彼らを飛ばすのよ。後は、その世界の未来は彼ら次第ね』
『しかし、それだって莫大なエネルギーが必要だぞ。できるのか?』
『ファーストの力を、借りましょう』
『ファースト―― アイツの力を、一旦皆に預けるという事か。でも、そんな事をしたらあいつは』
『長い眠りにつかせるの。それなら彼が死ぬことはないわ。
かの世界は、遠い場所へ生成しましょう。私の見立てでは、その世界を神々が見つけた頃に、彼は目覚めるでしょう。
もちろん、力を預かるのは全員じゃない。最低でも2人は、目覚めたファーストにとって安心できる「ガイド」とし、そのままの姿で転移させるつもりよ』
『なるほど、随分と手の込んだシナリオだな… その2人って、誰と誰?』
『決まっているでしょう? 彼の、遺伝子的には親にあたる“あの2人”よ』
…。
ドカーン! ゴロゴロゴロ!
再び、イシュタの耳に鉄くずの落下音が聞こえてきた。
先程の、謎の白い情景は消え、元の殺伐とした視界が広がる。
彼は、“そこ”に立っている。
「え…!? イシュタが、弾かれてない…!?」
僕は目を疑った。だってイシュタは間違いなく、あのブロックの餌食になったはず。
いや、違う!
イシュタの全身から、何か、ノイズのような
「なに、これ」
イシュタは、そんな自分の今の状態に気づき、両手の平を見下ろした。
手には、地面や刀に触れた時の感触が、ちゃんと残っている。モノもつかめる。
なのに、再びこちらへ飛んできた巨大鉱石を、“すり抜けた”のだ。
残滓を散らし、再びその体の一部分を、生成するまで。
イシュタは息を呑んだ。
切欠は、よく分からないけど、これが自分の「本当の力」?
「…いける、かも」
緊張している。でも、これで決心がついた。
今の自分の力で、アニリンを… マゼンタの暴走を、食い止められるなら。
ビュン!
イシュタは走った。僕達がその姿を目で追う。
その表情は、さっきまでの弱々しい姿からは想像もつかないほど。鉄くずのみならず、空気抵抗さえ体で受ける事がなければ、走るスピードも早い!
――いける。体が、自然とすり抜けられる! このまま中に入れば…!!
イシュタはひたすら走った。
タコの中心部へ、無数にうごめく鉄くずや鉱石など関係なく、前へ前へ。
すると、突如として地獄世界へワープしたかのように、暗くなった。
ブオーン!
「うっ…!」
イシュタは走行を緩め、風に抗う体勢をとった。
辿り着いた先は、アニリン… ではなく、赤黒いマグマと熱風が放出されたノイズ塗れの部屋。まるで、あの「夢」に出てきたような――
「はっ…! マ、マゼンタさん…!?」
イシュタは目を疑った。
その熱くドロドロしたノイズの中心にいたのは… 言葉にならないような金切り声とともに、自らが噴火口の如く全身を激しく焼かれ、のけ反っている女性の影。
彼は、それがすぐにマゼンタだと分かった。彼は更にマゼンタへ近づこうとするが…
ブオーン!
「うあっ…! あ、熱い…!」
体が覚醒し、幽体化しているのにも関わらず、じりじりと焼ける痛みが彼を襲う。
一旦、引き返すか? それとも――
『もし、敵による私への悪用で、自分達が本当に危なくなったら… この私を一突きし、動きを封じるんだ』
「!!」
イシュタは、あの時の事を思い出した。
今、目の前には暴走し、苦しんでいるマゼンタがいる。そして、今の自分は短刀を所持している――。今、ここで覚悟をきめなくては。
「くぅ!」
イシュタは刀を抜き、脇腹に締めて前に構えた。
熱くて痛い熱風に晒されながら、力を振り絞り、マゼンタへと突き進んだ。そして、
「はああああああああ!!!」
――。
刃が、人体を通る感覚を覚えた。
すると、みるみるうちに熱風が収まり、ノイズ交じりの音も小さくなっていった。
空間が―― 赤黒い檻へ、陽の光が差す様に。
焼け焦げた身が修復され、元の景観を取り戻しつつあるマゼンタが―― イシュタへ、身を寄せるようにして倒れかかっていた。
「う… うぅ… マゼンタさん… ごめんなさい…」
イシュタの体も、熱風から解放され、火傷跡が修復される。
刃を振るい、傷つけた。涙が止まらなかった。
「――」
マゼンタが、表情一つ変えず、ぼんやりとした視線で、同じく涙を流した。
そして… マゼンタの体が、イシュタからするりと落ち、そのまま地面に倒れた。
…。
「うぅ… うぅ」
僕達の視界に、見えていたのは―― 雪原の一角。
漸く暴走が収まり、鉄くずの山で膝を落とし、涙を流すイシュタの姿。
彼の目の前には―― マゼンタと同じ様に、穏やかな表情で眠る、アニリンの姿があった。
(つづく)
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