真夜中・ドロシー

 どこまでも果てしなく続く深緑の森が、燦々さんさんと太陽光を浴びて地上に木漏れ日を落とす。まるで歌っているかのように、風に葉をざわめかせて揺れる木々。

 ここは、ドロシーの生まれ故郷であるアルボスの大森林。そこに住む人々の誰もが、精霊魔法を自由自在に使いこなして生活にも多用していた。

 だが、ドロシーは初歩の精霊魔法すら操ることが出来ない。精霊たちに嫌われているのか、あるいは才能がまったく無いのか──原因はいまだに不明のままだ。



 気がつけば、場面は林道へと変わっていた。

 きっとこれは夢なのだろう。

 そう思いながらドロシーの意識は、通いなれた景色を前へ前へと映し続けていた。このまま進めば、自分たちの住む街がある。けれども視界は林道から大きく逸れて、大森林の奥地へと突き進んでいく。

 どこへ向かっているのか、ドロシー自身にもよくわからない。ただ確信を持って言えるのは、不安や恐怖などの負の感情はまったく感じず、むしろ、心がときめいてワクワクしているということだ。

 どれほど歩いたのか、数々の獣道をさらにけて迷うことなく進んだ先には、大木の頭上高くに築かれたいくつかの木造家屋──エルフの集落がそこにあった。


「やあ、ドロシー。今夜は激しい雨になるはずだから、早目に帰るんじゃよ」


 切り株に腰掛ける老エルフの男が、趣味の横笛を練習しながら──彼の演奏はいつも奇妙な音色ばかりで、それは同族の仲間たちも同意見だった──優しく笑いかけて教えてくれた。


「えー? こんなに良いお天気なのに、雨が降るの? 信じられないなぁ」


 自分の話し声がとても幼く聞こえる。この夢は、幼少の頃の記憶なのだろうか。


「やっほー! ドロシー!」


 背後から大声で名前を呼ばれたので振り返ってみると、十歳くらいに見えるエルフの少女が、美しい亜麻色の長い髪を左右に揺らして自分に駆け寄ってくるところだった。


「えへへへ。きょうは、風に乗って樹冠まで昇れるとっておきの精霊魔法を教えてあげるわね。さ、こっちにおいでよ!」


 愛らしいえくぼをつくって見せたエルフの少女が、ドロシーの小さな手を引っ張って走りだす。

 不思議なことに、ドロシーはこのエルフの少女についての記憶はまるで無い。こんなにも親しげなのに、なぜ思い出せないのだろうか。ふとそう考えたが、夢のなかの出来事だからか、そんなに気にはならなかった。



 そして場面は、ふたたび変わる。

 広大なブナの森が、緑色に輝く絨毯となって眼下に広がって見えている。どうやらふたりの少女は、無事に木の上までたどり着けたらしい。


「ね? とっても綺麗でしょ。わたしたちの子供や孫たちにも同じ景色が見れるように、いつまでもこの森を大切に守らなくちゃ。それには精霊魔法だけじゃなくって、苦手な勉強もいろいろと頑張らなくっちゃいけないんだけどさ…………えっ? あれって……」 


 はつらつとした笑顔だったエルフの少女が、急に眉根を寄せて表情を曇らせる。視線は地上へと向けられていた。

 ドロシーも顔を地上へと向ける。人間の視力では服装まではわからなかったが、エルフ族とは違う人影が複数名歩いているのがたしかに見えた。

 しばらくすると、エルフたちとなにやら揉めているのか、怒鳴り声がかすかに下から聞こえた。


「どうして集落ここに軍人がいるのよ!? それに、あんな軍服見たことない……どこの国なのかしら……嫌な予感がする」


 不安を打ち消そうとしているのか、並んですわる少女がドロシーの手を強く握り締めた。



 場面はまたもや変わるも、今度はあたり一面が火の海だった。

 燃えている。

 なにもかも。

 ブナの森が、エルフの集落が、まるで焚き火にくべられたように激しく燃えさかり、紅蓮の炎に呑まれて染まってゆく。

 ドロシーは走っていた。

 そこにエルフの少女の姿はない。

 不意に誰かが立ち塞がって退路を断つ。

 小さな身体は地面を転がり、別の誰かの足に当たって止まった。


「こいつは……人間の子供じゃないか! おい、人間までいるだなんて、おれは聞いてないぞ!」


 興奮する男の声が間近で響く。

 ドロシーの小さな身体は、ピクリとも動かない。軽い脳震盪でも起こしているのだろう。


「人間の…………たしかに想定外ではありますが、許容範囲内でなんの問題もありません。ですから、そんなに怒らないで冷静になってください。そもそも、わたくしだって知らなかったのですから」


 次いで聞こえたのは、やけに落ち着いた少女の声。

 まわりが火の海なのにどうしてそれほど冷静でいられるのか、ドロシーには不思議だった。


「クソッ! おまえはいつだって冷静過ぎるんだよ! 大丈夫かい、お嬢ちゃん? 悪いが、全部見なかった……こと……に……しても……ら……う…………」


 自分を抱き起こそうとする男の声が、徐々に意識から遠退き消えていく──。

 夢は、ここで終わろうとしていた。

 最後に見た男の左腕には、麻帆布の腕章が付けられていた。

 その文字に見覚えがある。

 最近見かけたからだ。


 けれども、夢は夢。


 ドロシーが目覚めたときには、夢の内容をほとんど忘れてしまっていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る