真夜中・レベッカ

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……アッ……んぐっ、ん……はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……ん……クッ……」


 クラウザー城内にある自室に戻ってからずっと、レベッカはベッドの上でひどい頭痛と眩暈めまいに苦しんでいた。

 吐き気はない。

 胃の内容物をとっくに出しきったからだ。


「……クソッたれ……クソッ……クソが! 殺してやる……あの野郎……絶対に……絶対に殺して……うわッ!?」


 知らぬ間にベッドの際まで寝返りをうっていたのか、下着姿のレベッカは、吸い寄せられるようにして床へと見事に転げ落ちる。しばらく大の字の格好のままで動かなかったのは気絶したからではなく、床が冷たくて気持ちがよかったからであった。

 身体中が、全身がとてつもなく熱い。油をかけられて燃えているようだ。そのために床の冷たさも、あっという間に体温が伝わって熱を帯びてしまい、不快感に変わった。

 大量に噴き出した汗を吸った下着も、肌に張り付いて不愉快極まりなかった。いっそのこと全裸になってもよかったのだが、脱ぐ気力すらも失い、もうどうでもよくなっていた。

 そんな最悪な状態でも、レベッカは尿意にうながされて渋々立ち上がり、なにも羽織らずにトイレをめざして部屋を出る。真夜中なのが幸いして、その道程みちのりを誰とも出会わずに無事たどり着けた。

 あかりのない暗い中で用を足し終えたレベッカは、憔悴しきった様子で洗面化粧台へと近づく。

 そのときにふと違和感を覚えて、顔を上げる。

 レベッカはしばらくのあいだ、時間が止まってしまったように動かなかった。いや、動けなかった。


「…………え?」


 ようやく初めて異変に気がつき、鏡に映る自分の驚きの表情に思わず手を差し伸べてそっと触れる。


 瞳が輝いていた。


 聞こえは良いけれど、実際に輝いていたので、それはとても奇妙な現象だった。

 暗闇でも視力に影響がないことは、先の下水道の戦いで自覚していた。だが、鏡面世界の中でハッキリと両目が金色に光って浮かぶ自らの顔は、魔物そのものとしかとても思えない異様な姿だった。


ウソだろ…………なんだよ、これ! なんなんだよ!? そん……な……とうとう……とうとう、あたしはッ……あたしは化物バケモノにッ!」


 震える指先が、今度はやつれた頬の肉に近づく。

 さらにゆっくりじっくりと、顔を鏡に近づけてよく見てみる。瞳孔が剣先のような縦長から、見慣れたまん丸い形へと一瞬で変わった。


「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」


 続けて口内に違和感を感じたレベッカは、舌先で歯並びを確かめるようになぞる。歯が次々にグラグラと揺れ動いたかと思えば、信じられないくらいに呆気なく抜け落ちた。


「──?! ペッ、ペッ! ブハッ!!」


 カラカラカラカラ……。

 唾液と鮮血にくるまれた永久歯が次々とされ、洗面台の楕円形の白陶器を真っ赤に汚していく。気がつけば、歯はすべて一本残らず抜け落ちてしまい、すっかりと無くなってしまっていた。


「うっ……うう……ああ……あっ…………あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッッッ‼」


 トイレ内に獣の咆哮のような絶叫が響きわたる。

 恐怖のあまり、全身の震えも止まらない。涙ぐむレベッカは、口もとを右手で押さえて後ずさり、背中を壁に激しくぶつけた。

 なんで──どうして──どうして自分がこんな目に──!

 気がつけば、あれほど苦しめられた高熱も瞬時に悪寒へと変わっていた。

 信じられない。

 すべてが。

 認めたくない。

 目の前の現実を。


「ああっ、うぐッ…………ううう……誰か……誰か、助けて……助けて……あたしを……助けて……あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッッッ!!」


 やがてすぐに、なにかから逃げるようにしてトイレを出たレベッカではあったが、自室まで走って戻りたくても足腰がうまく動かなかった。仕方なく壁伝いに片手を這わせ、足を引きずって戻る。

 一刻も早くこの場を離れたい。

 こんな姿を──。

 今の自分の姿を──。

 今の、こんなひどい有り様を──。

 誰にも見られたくはない。

 それでも、誰かに助けてほしい。

 矛盾するふたつの感情が、レベッカをさらに混乱させる。


「ううッ……! 嫌だ……嫌だ……嫌だッ! あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッッッ!!」


 感情を抑えられず、絶叫を繰り返すレベッカ。

 それでも誰も廊下に現れなかったのは、魔物たちの再襲撃を警戒して、城内の衛兵全員が王都へ見回りに出ていたからだ。

 今度は、自分が狩られる側になるのか……。

 レベッカの金色に輝く瞳から、涙がついにこぼれ落ちた。


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