第三章 ~ぶらり馬車の旅 死の大地・マータルス篇~

真夜中・シャーロット王女

 クラウザー城の寝室に運び込まれてからも眠り続けていたシャーロット王女がようやく目を覚ましたのは、深夜になってからだった。

 熱を帯びたひたいに片手の甲をのせる。気休めの冷却行為ではあったが、そうせずにはいられなかった。

 喉が激しく渇いていた。弱りきった姫君は、華麗で繊細な様式のベッドからゆっくりと半身をなんとか起こして横ずわりとなり、寝汗に濡れたネグリジェ姿の背中を冷たい室内の外気にさらす。


「ハル……いないの? レベッカ? ドロシー? 誰かいないの?」


 脇机に置いてある呼び鈴を何度も振って呼びかけてみても、侍女たちは誰も姿を現さない。仕方がないので、自分で水を取りにベッドから下り立つ。

 乙女色の天蓋カーテンをすり抜けると、漆黒のローブとフードを被ったひとりの男が、真夜中の窓辺に不気味なほど溶け込んで立っていた。


「──無礼者め! ここが誰の部屋か、わかっているのですか!?」


 鋭い目つきと気高く凛とした澄んだ声で、シャーロット王女が侵入者を勇ましく問い質す。やがてすぐに、男から大きく鼻で息を吸う音が聞こえてくる。そして、それからやや大きめな声で言葉が発せられた。


「これはこれは噂に名高いシャーロット・アシュリン・クラウザー殿下、お会いできて光栄至極にございます」


 仰々しく頭を下げて挨拶を済ませた黒衣の男は、下品な笑い声を上げながら、フードをうしろへずらす。


「ヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッ!……ワシは大神官ソンドレ。おまえたちが非礼にも〈異形の民〉と罵る〝マータルスの民〟の末裔だ!」


 ソンドレと名乗った黒衣の男は自らの名を明かし、細められていた大きな目玉を力強く見開く。かなしみと怒りの炎で燃えさかるふたつの瞳孔が、立ち尽くす王女だけを映し出していた。


「大神官ソンドレ……あなたがマータルスの……そう……」


 思わず無いはずの鞘を探して腰にそっと手をあててしまったシャーロット王女は、そのままネグリジェの裾を掴んで邪教の神官と対峙する。

 視線は逸らさない。

 時間がゆっくりと遅く進んでいるような錯覚を感じる。

 ソンドレはなにも言葉の続きをしゃべらずに、薄ら笑いを浮かべているだけだ。


 神々がまだ地上にその姿を現していたいにしえの時代──。

 この地方一帯は、暗黒神バルカインとその信奉者たちの聖地となっていた。

 光りの神々にバルカイン討伐の神託を受けた若きホビット族の勇敢な少年は、女神デア=リディアが授けたもうた聖なるつるぎを振るい、正義の名のもとに多くの血を流して呪われた大地を洗いきよめ、人々の王となった。その少年王こそが、のちの初代マグヌス・クラウザーである。

 だがしかし、なにが正義でなにが悪と言うのかは、それぞれの宗教や種族の価値観で著しく異なってしまう。

 結局は戦争にまで発展し、その勝者が正義となって悠久に語り継がれていく。それが歴史になっていくのだ。

 つまるところ、もしも自分の先祖たちが負けていたならば、お互いの立場が逆となっていたのかも知れないし、場合によっては、共生もありえたかも知れない。幼き頃からシャーロット王女は、そのことについて深く悩み、心を痛めていた。


「……目的はなんです? わたくしや陛下の命? それとも、この国が欲しいのですか?」

「フフン、どれも正解だが、間違ってもいる」


 ソンドレがシャーロット王女を見据えたまま、右手人差し指を天井へと向ける。


「えっ」


 理解に苦しむシャーロット王女が一瞬だけそちらを見るも、またすぐに視線をソンドレに戻す。


「バルカイン様にふたたび降臨していただき、荒れ地となった聖地マータルスを復興させる。それが我々・・の真の目的だ」


 薄暗い寝室に不気味で不快な笑い声が木霊こだまする。そしてソンドレの姿は、忽然と幻のように消え失せた。

 暗黒神バルカインの復活。

 初代マグヌス王が封印した邪悪な神が、現代によみがえろうとしている。

 シャーロット王女は、目を閉じて考えた。いったいなにをどうすれば良いのか。なにが最善策なのか。老齢の父王が邪神と戦うのは難しいだろう。ならば、自分はどうなのか。

 今度は目を開けて考える。

 非力で病弱な自分でもクラウザーソードが扱えるのは、下水道での経験でわかっていた。だがしかし、相手はただの魔物ではない。神なのだ。

 顔色のすぐれないシャーロット王女は素足のまま窓に近づき、城下町を見下ろす。

 つい数時間前まで魔物たちに蹂躙されていたとは思えないほど静かで、平和そうにしか見えない。けれどもそれは、真夜中での話。朝になれば──明るく太陽に照らされれば、凄惨な被害状況が嫌でもわかるはずだ。


「いったいどうすればよろしいのでしょうか……女神デア=リディアよ、どうかわたくしたち父娘おやこを正しき道へとお導きください」


 シャーロット王女はその場で両膝を着き、両手も組んで祈りを捧げる。しかし、それに答える返事はなく、白い肌の頬に涙が伝い落ちてしずくとなり、色あざやかな刺繍の絨毯に吸い込まれて消えた。


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