集う仲間たち

 血と薬品のにおい、それに母親に抱かれた赤ん坊の鳴き叫ぶ声。

 扉が開け放たれたままの病院はまさに修羅場で、大勢の負傷者が玄関外の広場にまであふれ出し、到底足りないであろう少人数の医療関係者が忙しなく応対していた。

 そんな喧騒に出迎えられたリオンは、腕の中でぐったりと動かないアリッサムの寝顔を心配そうに見つめる。怪我の度合いからして、優先順位はかなり下になるかもしれない。けれども、なんとかすぐ医者にてもらいたかった。


「あっ、すみません!」


 目の前を通り過ぎようとした女性看護師を呼び止めたリオンだったが、彼女はその声に振り返ることなく、正面玄関の石柱に身体をあずけてすわる片腕が食いちぎられた男性の包帯を新しい物へと替えはじめた。

 リオンは仕方なくあきらめ、アリッサムを横抱きのまま奥へと進む。


 病院内はさらに凄惨な光景だった。

 平和な時代に生れた小姓の自分には、戦争経験はもちろんない。だが、きっと野戦病院も同じようにむごたらしいのだろうと、血まみれの市民たちをけながらリオンは思った。


「えっ……あれって……アリッサムちゃん!?」


 診察室前の廊下で立っていたドロシーは、少年に抱きかかえられてこちらへとやって来るメイド少女に気づき、苦しむ負傷者たちに謝りながら、小走りでふたりに駆け寄る。


「すみません、ちょっと通してください! アリッサムちゃん! ねえキミ、アリッサムちゃんになにかあったの!?」


 いきなり現れた少女騎士に詰め寄られてしまい、リオンは一瞬だけ当惑するも、改めてアリッサムを見つめながら元気を無くした声で答える。


「魔物に襲われて……気絶しているだけかも知れないけれど、ちゃんと医者に診てもらいたくて連れて来ました」

「魔物に……!」


 あたりを見まわすドロシーではあったが、医者や看護師の姿はどこにも見えない。患部が真っ赤に染まった包帯姿の怪我人や、それすらもかなわずに治療を待つ多くの重傷者が、ドロシーにその理由を無言で教えた。


「どれ。多少のことなら、ぼくにもわかるよ」


 いつの間にかそばに来ていたロセアはそう言うと、アリッサムを長椅子へ下ろすようリオンに指示を出し、横たわって静かに眠る彼女の顔や身体を触診し始める。


「ふむふむ。なるへそ……」

「どうなの? やっぱり怪我してそう?」


 不安な様子のドロシーは、少女軍人のどこかいやらしい手つきが若干気にはなったが、それを指摘せずに見守り続ける。


「ぼくと胸は同じくらいだな……好感がもてる……いや、失敬。とりあえず、心配しなくて大丈夫なはずだ」


 不必要な情報まで伝えたロセアが、ゆっくりと立ちながら丸眼鏡の位置を右手中指で直す。


「よかったぁ! ありがとうございますッ!」


 リオンの暗かった表情に、明るさが取り戻される。それからリオンは、もう一度感謝を延べたあと、膝立ちになってアリッサムの指を優しく握りしめた。そんな様子を目の当たりにしたドロシーは、思わずにやけて笑う。


「ねえキミ、まだ名前を訊いてなかったわよね? わたしはドロシー。こっちは──」

「ロセア・ルチッカ。秘密戦隊だ」


 最早なにがどう秘密なのかわからないが、真顔のロセアは、利き手ではない腕章が付けてある左手を差し出してリオンに握手を求めた。


「秘密戦隊……あっ、おれはリオン。リオン・ブレイドです!」


 慌てて立ち上がり、不慣れな左手の握手を終えたリオンにドロシーは肩をすり寄せながら、興味津々な顔つきで訊ねる。


「ねえねえ、リオンくんてさぁー、アリッサムちゃんの恋人なの?」

「えっ!? いや、おれはただ、友達を心配して……」

「頼もーう! どなたか重病人の騎士殿を診てはくれぬかー!」


 突然、割れ鐘のような声が廊下に響きわたり、ドロシーたちは会話をやめて一斉に振り返る。


「あ。レベッカさんだ」


 見れば、鈍い輝きを放つ重装備の騎士が、涙目で暴れるレベッカを横抱きにして、こちらへと近づいて来ていた。


「降ろせよ、このクソ野郎がッ!」


 鉄兜に覆われた顔を何度平手ではたかれても、ベンは気にせずに医者を探した。

 騎士ナイト気取りの──実際にそうであるのだが──鋼の腕にいだかれたレベッカは、捕まった猫のように必死になって暴れ続ける。折りたたまれた両足をばたつかせるたび、剥き出しの下着ショーツに男たちの熱視線がより集まっていく。


「レベッカさん、無事でなによりッス」


 片方の手のひらを胸もとまで上げたドロシーは、一本調子で淡々と話しかけた。


「おい、ドロッチ! 見てないで早く助けろよ!」


 顔が真っ赤なうえ、涙までにじませる元先輩侍女のめずらしい姿に、ドロシーはもう少しこのままにしておこうと意地悪に考え、「ちょっとトイレへ行ってきますね」とだけ言い残して本当に去っていった。


「おい、オーフレイム……パンツ見えてるって。ぼくまで恥ずかしくなるじゃないか」


 いつの間にかすぐそばまでやって来ていたロセアが、まわりを気にしながら耳打ちをする。彼女の頬も、ほんのりと桃色に染まっていた。


「だったら、股間を隠してくれるか降りるのを手伝えよな!」


 そんな騒ぎの中で、見て見ぬ振りをしていたリオンの顔も林檎のように赤く火照り、いまだ眠り続けるアリッサムの細い手を握りしめながら、なにかをこらえるように大きなため息をついた。



     *



 ドロシーが戻ってくると、ちょうど診察室からハルもひとりで出てくるところだった。ようやく解放されたレベッカも含めた三人は、話し合いを始める。


「ハルさん、姫さまの容態は?」

「しばらく安静にすれば問題ないそうよ」


 憂いの表情だったハルが、優しく笑いかけながら静かに答えた。


「これからどうする? あたしはこのまま、王都でうろつく残りの魔物どもを八つ裂きにしてくるけど」


 とても勇ましい発言ではあるのだが、レベッカの顔色はけっして良くはなかった。目の下にはくまが際立ち、どこか落ち着きもなく、いつものクールな様子と明らかに違って見えたのだ。


「お願いだから、レベッカも少しは休んでちょうだい。魔物退治なら〈鋼鉄の鷲〉に任せましょう、ね?」


 真っ直ぐハルに見つめられて手まで握られたレベッカは、舌打ちをして目を伏せてから「わかったよ」とつぶやいた。


「じゃあ、わたしたちは、なにを?」

「姫さまを連れてお城へ帰ります。冒険の旅は、また日を改めてみんなで行きましょう」

「そう……ですか……」


 ドロシーにとって、当初は苦痛でしかなかった冒険旅行も、ほんの少しだけ楽しく思えはじめていた。

 侍女としてある程度の歳月が過ぎれば、ドロシーの行儀見習いは終わりを迎える。その先にあるのは、親同士が勝手に決めた〝誰か〟と政略結婚をして子供を産み、嫁ぎ先の家系図に名前を刻まれる明るい未来・・・・・だ。それはレベッカも同じだし、シャーロット王女とて例外ではない。


「ドロシー?」

「おい……どうしたんだよ、ドロッチ?」


 ドロシーは泣いていた。

 本能で涙を流していた。

 様々な想いが胸に込み上げてきた結果の、純粋な感情表現だった。


「あの……その……わたしうまく言えませんけど、ここでやめちゃダメだって気がするんですよ。お城に戻ったら、例え出直したとしても……それをしてしまったら、〝冒険の旅〟とは言えないんじゃないかなって。あの……説明がヘタで、本当にごめんなさい」


 なんとか笑顔をつくろうとするドロシーではあったが、不思議と余計に悲しくなってしまい、すべてが嫌になってきて、やがて号泣した。


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