平伏する謎のメイド少女

 裏門をめざすシャーロット王女は、大理石の回廊をひとり足早で歩きながら、かの出来事を不意に思い出す。

 あのときに決めていた。

 決心がついた。

 どうせ数年先に待っている未来は、決められた許嫁いいなずけと婚姻するか、生まれたときからむしばまれている奇病が悪化して夭折するかの運命のみ。それならば、一度くらいは自由に、自分も勇者と同じような悪を討伐する旅へでてみたい──と。

 裏門の外には、人数分の馬が用意されていた。三人の侍女を引き連れて、シャーロット王女の長い冒険がこれから始まるのだ。


「ん? あれは……」


 そんな王女の行く手を、ひとりの人物がはばむ。

 その人物は、ひれ伏しているため顔は見えないが、この城のメイド服を着た若い娘のようだ。しかし、挨拶にしては道を塞ぐように回廊の真ん中で平伏している。それは、王族に対してありえない行為だった。

 シャーロット王女は、敢えてその無礼なメイドの間近まで進み、そこで立ち止まる。なんの言葉を発することなく、ただ、じっと彼女をしばらくのあいだ見下ろした。


「そなた、名は?」


 怯えからか、丸められた薄い背中が小さくピクンと跳ねた。

 初めて聞く王女の声。

 極度の緊張で、大理石の床につけている指先の震えが止まらない。それでも、思いきって声をしぼり出してみる。


「あ……アリッサム・サピアと申します」

「ごきげんよう、アリッサム。なにか訴えがあるのなら、わたくしにではなく大臣に言いなさい」

「……いえ、あの……そのっ……」


 なんとか言葉を続けようとするが、頭の中では緊張感と恐怖心が爆発寸前まで膨れ上がっていて、なにも思い浮かばない。

 回廊の石柱からタイミングを見計らっていたとき、王女の腰に剣が携わっていたのを確認していた。このままではただの無礼なメイドとして、自分は斬り捨てられてしまうだろう。アリッサムは、さらに緊張して涙もにじむ。

 その一方で、なにをしたいのか理解が出来ないシャーロット王女は、平伏する細い指先にまで近づいて歩みを止める。


「そんなに緊張しないでよくてよ、アリッサム。話があるのなら訊きましょう。さあ、顔を上げなさい」

「は、はい! ありがとうございます、姫さ……」


 穏やかな口調と寛大な言葉でそう告げられ、土埃のにおいのする床から王女を仰げば、繰り返し重ねられたスカートのひだに守られている下着の股布クロッチ部分がアリッサムの涙でにじんだ碧眼に鮮明に映された。

 清楚な白でありながら、デザインは華やかな総レース。光沢から察するに、生地は最高級のシルクかもしれない。

 そこでまた、アリッサムは言葉を失ってしまう。彼女は〝においフェチ〟だけではなく、同性の下着にも強い興味があったからだ。

 同世代の王女が艶っぽい下着を身につけていた事実と、それをおがめた幸運──ラッキースケベがアリッサムをこのような状況下でも興奮状態にし、見惚れさせていた。


「……どうしたのです? わたくしの顔になにか付いているのですか?」


 せっかく顔を合わせたというのにも関わらず、足もとの下級使用人は、まるで凍ったように動かない。シャーロット王女は少しだけ不愉快そうにして眉根を寄せてから、代わりに会話を続ける。


「要件はあるのですか? ないのですか?」


 王女の変調した声色こわいろにアリッサムはやっと正気に戻り、「あります!」と大声を急に上げた。


「あっ、あっ、あの……姫さまは冒険の旅へ出掛けられると聞きました! もし、そうであるのなら、その……メイドが必要ではないかと思います!」

「メイド……」


 今度は、シャーロット王女が言葉を失う。

 三人の侍女はいつものような自分の世話係ではなく、騎士として頭数に入れていた。冒険中、身のまわりのことは自分でするつもりではいたのだが、言われて考えてみれば、炊事や洗濯は下級の使用人たちがこなしていたし、上級使用人である侍女の仕事ではない。もちろん、自分もしたことなどない。

 ここにきて現実的な問題に直面したシャーロット王女は、己の未熟さを痛感するのとともに、アリッサムの顔立ちをあらためてしっかりと見つめた。


 まだ幼さが残る怯えた表情から愛おしさを感じるのは、彼女の清らかに澄んだ碧眼が中庭から射し込む穏やかな陽を受け、真夏の海のようにキラキラと輝いていたからだった。

 それは、アリッサムの容姿の中で一番の魅力かもしれないと、シャーロット王女は素直に思った。


「アリッサム、あなたの所属はどこなのかしら? 先に謝らせてもらうけど、見かけた記憶がまるでなくって」

「あっ……えーっと、その……わたしは、洗濯係を……ずっとしていました・・・・・・

「洗濯係……」


 よく見てみれば、床につけられた細い指はひびやあかぎれでひどく荒れていた。それはつまり、彼女が働き者だというあかしでもある。


「ねえ、アリッサムは、お料理も出来るかしら?」

「えっ」


 洗濯や掃除は得意でも、アリッサムは自炊が苦手だった。その理由は、野菜や生肉、魚を切り刻んだり煮込んで調理することが残酷に感じてしまうからである。

 だが、ここで正直に「出来ません」と答えてしまえば、冒険の旅に同行させてはもらえないだろう。


「あの…………調理師の資格を持っています。国立栄養専門学校の通信科出身で、免許皆伝の腕前です。えーっと……その、美食四天王も……壮絶な死闘の末、全員ひとりで倒しました」


 それは、嘘だった。

 その場しのぎどころでは済まされないレベルの、大嘘だった。

 国立栄養専門学校なんて聞いたことがないし、美食四天王なんてこの世界には存在しない架空のボスキャラである。アリッサムは、額から滝のような脂汗を流して視線をあからさまに逸らす。

 けれども、世間知らずの姫君は純粋にそれを信じたようで、とくに〝美食四天王を倒した〟というくだりがいたく気に入っていた。


「そんな……すごいじゃない、アリッサム!」


 興奮して頬を紅潮させたシャーロット王女は、片膝を着いてアリッサムの肩に手を乗せると、王族を気取らない少女らしい元気な笑顔をみせて「合格よ」とだけつぶやいた。


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