鬼妖精の過去と現在と未来(終)



迷宮ポイントは、ある程度の時間がたてば回復する、らしい。

ロスダンの言うことなので、どこまで当てになるかはわからないが、その直感ばかりは頼りになる。きっと致命的な事態にはならない、そのはずだ。


冒険者の侵入を許したように、ロスダンの直感の外からの、想定していないアクシデントが起きるかもしれない。

それ以外のトラブルが起きても、今の迷宮ポイント枯渇状態では対処が難しいが……


――いや、普通にやべえ綱渡りじゃねえか……


それでも、どうにか立て直す必要があった。


細々とした迷宮ポイントをやりくりして、なんとか数本の苗木を外へと出した。

かなりの時間はかかるだろうが、迷宮の支配下に置くことはできるはずだ。


放置すればまた饕餮ダンジョンのものとなるため、いち早くこれは行わなければならなかった。


「本当なら、ここを拠点に次々にダンジョン攻略、って感じだったんだけど……」

「まあ、無理だろ」

「だね」

「あと下手に時間使って足踏みやってると、あの変態が対策取って戻って来るよなあ」

「そのときは鬼を差し出してなんとかしましょう」

「馬、マジでそれしか選択肢がねえ状況がありえるんだ、やめてくれ……」


どうにかして、防衛を強化しなければならなかった。

しばらくは忙しくもピンチの日々が続くことになる。


なにせ、もう下手に死ぬことすらできない。

無駄に迷宮ポイントを消費することはできないし、そもそも復活できるほどのポイントがない。


だからこそ、休息が必要だった。

きちんと十分な睡眠があってこそ、十全に働くことができる。

デスマーチから、休憩時間もある一般業務形態となった。


しかし――



 + + +



なんだ、これ?


鬼妖精は首を傾げた。

どこか、見知ったような場所に、いつの間にかいた。


そこは、かつて守護任務のために赴任した学校にも思えたし、昔の鬼妖精自身が通った学校のようにも見えた。


校門の外から、一人でそれを眺めている状況だった。


全体が薄く煙り、遠くを見渡すことはできない。

濃い濃霧に街が沈み、動くものは一つもなかった。


ゾンビか幽霊でも出てきそうな雰囲気だが、薄明るい様子からすると、どうやら朝だった。


――ん? 見えてる……?


視界が、いつの間にか機能していた。

羽による感知に慣れすぎて驚くことすらできずにいたが、左腕ですら元通りだった。


欠損どころか、太く、筋骨隆々としていた。

妖精であったころよりも長く慣れ親しんだ自身の体――オーガとしての肉体となっていた。


――夢、か?


交代で休憩を取り、ケイユを枕に眠ったところまでの記憶はあった。


そこから気づけばこの有り様だ。

都合のいい奇跡が起きたのではなく、単純に夢を見ていると考えた方が妥当だった。


「あー……」


現実ではないと理解しホッとしている自分がいることは、鬼妖精からしても意外だった。


この肉体に戻りたくて努力していたはずだった。

だが、いざポンと手渡されてみると、居心地の悪さのようなものがあった。


――いろいろと、努力して力をつけたからな、今更全部なしとか、それこそナシだろ。


きっとこの身体の方が強いはずだ。

苦労は少なくて済む。


それでも、あの冒険者を撃退できたかといえば難しい。

所詮は中級怪物ていどの強さでしかない。


あの冒険者の評価は、現実よりもかなり盛られたものだった。


――それに、ケイユあたりとか、この姿をガチで嫌がりそうだしな。


前足を振り上げ拒否する様子が見えるようだった。

絶対に乗せないという言葉を、否定ではなく悲鳴として叫ぶだろう。


花別も、表面上は変わらないが距離を置いた扱いをするはずだ。

ロスダンが元の身長に戻ったのを見て、五体投地の感謝を捧げていたほどだ。


変わらないのは、きっとロスダンとチョガポリモリンペくらいだ。

ロスダンは外見を気にしないし、獣はすでに三回くらい姿を変えた。


――俺って案外、迷宮配下を気に入ってるんだな。


それが、夢だと気づいて安堵した根拠だった。


「とはいえ……」


自覚したというのに夢から覚める予兆もなかった。

ブンブンと腕を振り回して体操をしても、霧は霧のままであり、夢は夢のままだ。


仕方無しに街中を歩いてみるが、違和感は拭えなかった。


「こういうのって、昔見た場所が、そのまま出てくるんじゃねえのかよ」


半端に覚えている風景だったが、濃霧で隠れていることもあり、どうにも「知らない土地」という印象が強かった。


あるいは故郷を、「別の人間が見た」のならこのように映るのかもしれない。

注目している部分や見ている箇所がまるで違っているため、まったく異なる場所に思える。


友人と旅行先の写真を見比べた際に、そんな錯覚をしたことがあった。

たしかに同じ土地、同じ観光地に行ったはずなのに、撮った写真が完全に違った。


――なーんか気色悪いのは、そのせいか?


店の看板や、木々や、遠くの風景が霧から現れるように出ては消えていく。


鬼妖精としては正確な経路を知りたくてたまらないというのに、その部分が晴れることがない。


苛立ちのまま進み。


「お」

「や、久しぶり」


出会った。

見知った顔だった。


「また逢えるなんてね?」


どこかロスダンを思わせる姿だが、違う。


幼馴染だった。

長く共に過ごした相手であり、人間ではなくノービスだと発覚した相手であり――


「生き返っちゃった」


鬼が殺した相手だ。



 + + +



ああ、これは間違いなく夢だな、と思う。

これが現実であれば――何かの間違えで生き残っていたのであれば、きちんと成長した姿であるはずだ。


だというのに、最後に会った時のままの背丈であり格好だった。

きっとこれは、記憶をもとに作られている。


「……よお」

「奇遇だね?」

「んなわけねえだろ」

「そう?」


とらえどころがない、飄々とした表情。

記憶のピントが合うように、段々と思い出した。


「アマギ、お前は本物か?」

「さあ、どうだろう」

「ここは、俺の知っているはずの場所だ。だが、どれもこれも記憶からズレていやがる」

「うん」

「俺の夢だとすると、ずいぶん変な話だ。知っているのに覚えてねえ、そんなものばっかが夢に出る」

「なに言いたい?」

「俺は今、お前の夢の中にいる、そういうことでいいのか?」


突飛な考えだが、そうではないかと思えた。自分は今、「他人の記憶の中にいる」からこそ、こんなにも居心地が悪いのではないか。


「くふふ……」


口だけで笑う表情。

気色悪いし勘違いされるから止めろと何度も言ったが、結局は変わらなかった顔。


憶えていたそのままで、アマギは言う。


「変わらないね、昔からけっこう鋭かった。どうして今は馬鹿なふりしてるの?」

「考えても意味がねえことが多すぎるからだろうな」


ぶん殴ったほうが早え、と続ける。


「違うでしょ?」


目の前の、変わらぬ姿の友達は。


「考えたくなかったからだ」


むしろ優しく言った。


「ぼくって人が、途中から変わったノービスなのか、それとも元からずっとノービスだったのか、それについて考えることを嫌がったからだ」


霧が、濃くなる。


「ねえ、答えを知りたい?」


目の前の幼馴染以外のすべてが白く染め上げられる。


「本物のぼくを殺したか、それともぼくを殺して成り代わったやつの仇を、ちゃんと取ったのか、知りたい?」

「――」

「ここでなら、きっと『思い出す』ことができるよ……」


ふわりと、白い霧から浮かび上がるものがある。

記憶だった。


幼馴染のそれが覗き見えた。

無骨で仏頂面をした、己の顔がそこにはあった。


「ねえ、知ってる?」


別の場所では、バスケットをしている様子もあった。

キレイなシュートはリングをくぐり、数回跳ねて転がり、そのまま鬼の足に当たった。


まるで、記憶と夢との間に、差などないとでも言うかのように。


「ぼくは、君のことが好きだった」


浮かぶ、浮かぶ、次々に。

あふれるほどに光景が広がる。


そのすべてが鬼の――オーガのものだった。


「あの冒険者なんて問題にもならない、あんなものはニセモノだ、ただの木端(こっぱ)だ、後生大事にたったひとつの思い出を抱えていればいい」


アマギという名前の人間、幼馴染の表情が歪む。

いや、蕩けた。

煮詰めた砂糖のように柔らかく、甘く、ドロドロに笑う。


いままで、一度も見たことのないものだった。


「ぼくは、違う。ぼくは忘れない。全部だ。何もかもだ。だから――」


まるで愛の告白をするかのようにささやいた。


「君が、ぼくにしたことだって、ぜんぶ許すよ……」

「そうかよ」


浮かび上がるそれらのうちのひとつには、現在に近いものもあった。

どこかからか、覗き見ていたのかもしれない。


そのうちの一つ、饕餮ダンジョンに来た時のものからチタン棒を引っこ抜き――


「フンッッ!」


フルスイングで横に振り抜き、幼馴染の頭部を粉砕した。



 + + +



キレイに頭部の上半分が消し飛んだ。

オーガとしての膂力があればこその破壊力だった。


残った下半分の口が、呆けたように開いた。


「はえあ?」

「だったら俺がやることも変わんねえことくらい、わかれ。俺が好きだ? だからどうした、ノービスはぶっ殺すんだよ。アマギ、てめえだけが例外だとか思ってんじゃねえぞ」

「……」

「いまさら後悔なんざするか、決めたからには最後までやりきる。ノービスは、殺すんだよ。それが嫌なら種族ごと変えやがれ。なにより――」

「……」

「この迷宮に、侵入したな? テメエはこっちが弱った隙につけ込んだ、外敵だ」

「く、は……っ」


鼻より上が欠けたまま、口だけが歪んだ。


「だから、好きなんだ――」


とても嬉しそうに、弾けるように笑い続ける。


霧の世界が、砕けた。



+++



跳ねるように飛び上がる。


なにも見えない。

当然だ。


ただ直感的に迷宮内にいるとはわかった。

肌に触れる空気が、慣れ親しんだものだった。


羽を動かし周囲を感知する。

当たり前の感知行動は、呼吸のように自然に行えた。


「ぅべっ……」


枕にしていたケイユが、鬼が跳ね起きた衝撃に寝ぼけた声を出した。

角を生やした顔が、こちらに僅かに向いたのがわかった。


「おい」


怪我しない程度に蹴りつける。

馬の巨体がわずかに揺れる、とてもいい蹴りごたえだった。


「ぴぃッ!? え???」

「よし、起きたな」

「なにするんですかこの寝ぼけ鬼! ケイユの欧州横断乗馬競争の最終局面でテープラインを切る夢が夢に終わったじゃないですか! なんです? 嫌がらせ? せっかくの夢があとちょっとで現実になりそうだったのに、なにナイスタイミングで邪魔してくれちゃってるんですか!」

「それ、夢だ。というか、そんだけ起き抜けにテンション高いなら大丈夫だな、行くぞ」

「はあ!? まずは謝ってくださいよ?! というかケイユ寝てたのに普通に蹴られたんですが! 本気でただの横暴じゃないですか、迷宮内暴力反対を表明します!」

「敵襲だ」

「へ」


近くにあった、手頃な棒を拾いながら鬼は言う。

やけにひんやりとした、硬い棒だ。


鬼の口元が、笑う。

売られた喧嘩を買うための表情だった。


「夢魔のたぐいだろうな。迷宮のポイントが枯渇して防衛力が減ってるところに、侵入された」

「マジですか!? え、それ鬼が悪夢を見ただけってオチじゃないですよね?」

「これ、何に見えるよ?」

「……鬼、その金属棒、いつ手に入れました?」

「夢の中でだ」


オーガであったときに入手しアマギをぶん殴ったそれは、妖精である今に合うようサイズダウンしていた。


「これが、迷宮で手に入ったもんじゃねえのは、わかるよな?」

「……昼間はケイユと一緒にいましたし、ポイントは割とまだ枯渇してますし、うわ、マジのマジです?」

「ロスダンたちのところに行くぞ、一番やべえのは、間違いなくあっちだ」


先程から念話で呼びかけていたが、応答は無かった。

ロスダンだけならともかく、花別やペットですらも沈黙したままだ。


今、迷宮のすべては眠りに沈んでいた。


「まだ夜なんですが! 暗いのケイユ嫌なんですが! ああ、もう! もうっ!」


それでもすぐさま速歩で進み、鬼妖精が乗ったのを確認すると駈歩となった。

叶う限りの全速力で中央へと行く。


鬼妖精は手にしたばかりの棒を確認するため、馬上で振ってみた。


「あ、やべ」

「これ以上、不安になるようなことなに言ってやがるんですか!?」


夢の影響だろうか、なにも気にせず片手で、しかも、《透明腕》で行ってしまった。

すぐに霧散して取り落とすと思えたが。


「お?」


残り続けた。

しっかりと金属棒を握り続けていた。


消え去ることがなかった。


「――」


騒ぐ馬をよそに、鬼は思い出した。


これは宝箱から手に入れたものだ。

太鼓ゴブリンを倒した際に出たガントレット、そこから得たスキルだ。


その頑丈さが、増していた。

スキルが成長し、鬼妖精ができることが増えた。


戦闘で存分に使えるかはわからない。

だが、きっと今なら、バチで太鼓を叩くことだってできるだろう。


少しずつ、手に入れている――

取り戻すのではなく、新しいものを得ている。


「悪くねえな――」

「だから、なんの話ですかよ!」

「また敵をぶっ殺しやすくなった、ってだけだ」

「だからまずは逃げることから初めましょうよ! なんでバトル前提なんですか!?」

「すでに迷宮が攻撃されてる真っ最中だぞ?! ぶちのめすこと優先だろうがッ!」

「体勢立て直しが最優先ですよ! 安全確保してから色々するんです!」

「うるせえ、んな悠長なことしてられるか!」


あの変態も幼馴染も、あるいはそれ以外の奴らも、現在の鬼妖精ではなく過去のオーガを欲し求めた。


それは、今を生きようとすることへの邪魔だった。


「行くぞ!」

「偉そうにしてんじゃねえですよ!」


それをぶっ殺すために、あるいは、そこから皆を救出するために、馬と鬼は躊躇なく暗い森を駆けた。


それは間違いようもなく、迷宮主を助けようとする、配下の姿だ。





 了




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鬼妖精と浪費迷宮 〜あるいは元怪物が変態をぶっとばす話〜 そろまうれ @soromaure

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