■■と憧れの行先
昇格を果たしきった冒険者には敵わない。
たとえ上手く殺したところで勇者として復活するだけだ。
どうやっても勝てない――
直感的にそう把握したロスダンの取ったのは、「侵入者を老衰死させる」という選択だった。
配下が新しいスキルを選んで得たように、ノービス街を取り込んだ報奨としてロスダンもまたスキルを獲得した。
それは、妖精迷宮に相応しいものだった。
迷宮外部と内部との時間差を、積極的に操るものだった。
もともとは、配下以外のものが致命傷を負った際、肉体時間を停止させて延命させるためのものだったが、これは攻撃にも転用できた。
時間の加速を、押し付けることができた。
どれほどの力も、体力も、スキルも運もファンタジーでさえも、時の流れには逆らえない。
唯一、迷宮側が完全に上回っていたのが、この時間加速スキルだった。
「……それでも、今ここであなたを殺すことはできる」
勇者は斧を構えた。
その手には、刻一刻とシワが増えていく。
時間の加速の蓄積が、限界を越えていた。
彼自身は知るよしもないが、もうすでに五百年近い時間が経過していた。
許しを得て迷宮を出れば、これは解除される、無かったことになる。
生きて無事に出られる。
だが、だからといって目の前の敵を許すことはできない。
そうだ、許せない。
生かしてはおけない、絶対に。
なぜ?
「――ッ」
奥歯を噛みしめる、頭の中で騒がしくなる声を無視して、憧れを必死にかき集める。
己の土台が揺らいでいた。
感情の希薄化が恐ろしかった。
「うん」
ロスダンはひとつ頷き。
「もしかしたら、外に出て加齢で死んだあと、ユウシャは元通りに復活するかもしれない、まあ、ないと思うけど、そうなるかもしんない」
「ええ、その可能性に賭けるのも悪くはない」
「けど、失うけど、いいの?」
「――どれほど経験値が失われようと……」
「さっきも言ったよね、オーガについて、もっともっと忘れちゃうよ?」
頭の中の写真には、憶えている映像記憶のすべてには、オーガについての顔情報が失われていた。
死亡より復活すれば、より多くが消える。
「それもまた、やってみなければわからないはずだ――」
「自分に嘘をつくのは良くない」
たしかにそうだった。
「冒険者は、強くて好きな怪物を倒したら、すごくたくさん昇格できる」
「……ええ」
「復活の欠損は、きっとその「すごく昇格」した部分から削れる」
そこを優先して削がれた、そうした感覚はあった。
どうでもいい記憶ほど憶えている。
「……なぜ、そう言えるのですか」
「ボクならきっとそうするから」
「……意味がよくわかりませんが?」
「意思のない操り人形が欲しかったら、ボクだったらそうする」
「……」
「大切なものをそのヒトに独占させてから、奪う。そうすれば、そのヒトは空っぽになる」
当たり前のように、ロスダンは続ける。
「そのヒトが欲しくてたまらないものは、そのヒト自身よりも大切だ」
「それは……」
「普通のヒトの心の中にも、きっと迷宮があるんだ。その広さより大きいものを入れたら、パンクする。すぐに取り上げれば――「そこに何があったかわからない」くらい完璧に取り上げたら、ヒトは壊れる」
完全に成長し、大人となったロスダンは手を挙げる。
空気が、どこか変わったのがわかった。
時間の加速が停止した。
「今のユウシャは、そういう空っぽの人形にされようとしている真っ最中だ」
完全に記憶が欠如したときが、きっと『勇者』の完成だった。
頭の中の命令に逆らえず、逆らえる根拠を何も持たず、自動的に人間を殺し、無限に成長を遂げる敵となる。
「下手をすれば、あなたがその後押しをしてませんか?」
「そうかもね、だからなに?」
まったく気にせず、迷宮主は言った。
「ボクの一番の優先は、配下だ」
「……」
「ユウシャの一番の優先は、なに?」
「……ッ」
己の手をたしかめる。
圧倒的ともいえる力があった。
復活を果たした後であっても、たとえ老いたとしても、十分すぎるほどの膂力だ。
だが、迷宮主の言葉は、「それで何をするの?」というものだった。
その力で、いったい何を果たすのか。
――オーガさんを、奪い尽くす……
それこそが望みだった。
そのはずだ。
もう、その顔すら思い出すことができないけれど。
あのときの、幸せな時間を取り戻したかった。
二人で学校内を行く、あの時間を。
誰にも邪魔されないひとときを。
だが――
「――」
口元を抑える。
吐き気がした。
己の最良のとき、人生の最高潮と呼べるもの。
それですらも「記憶の欠損」があった。
時系列が跳んでいた。
失われていた。
最高の宝が、欠けていた。
――だめだ、だめだ、だめだ、だめだッ! それだけは、これだけはッッ!
オーガ本人ですら、きっと禄に憶えていない。
ここにいる自分しか、あのときの思い出を持っていないというのに。
「……子鬼さん」
迷宮主の背後、その妖精に向けて言う。
助けを求めるように、あるいは、すがりつくように。
「……」
迷宮主は肩をすくめ、横に退いた。
「なんだよ」
真正面の、ひどく不機嫌そうな妖精は返した。
「あなたが欲しい」
「寝言は寝て言え」
「どうやら、もう戦えない。ここでの勝利は、あまりにリスクが高すぎる。けれど、あなたを諦めることもまたできはしない……」
欠けている、失われている。
それでも、残る熱がまだあった。
どうしようもない憧れが心を焼いた。
「きっと、きっとまた奪いに来ます。あなたを手に入れてみせる」
「どうやってだ?」
手段、そんなのは簡単だ。
「他の迷宮人を、私の手中に収める。意思のない、私の思い通りになるものを」
通常は袋やタブレットや乗り物など、人ではない形の迷宮人も多い。
ここの迷宮が、むしろ特殊だ。
「そうして、子鬼、あなたを私の配下(サバディネイト)にします。支配を移し、完全に閉じ込める。もう決して逃さない。名実ともに、あなたを私のものにする」
「面白いこと言うじゃねえか、だったら、俺は殺してやるよ」
「私を?」
「殺して、お前の中の『俺』を消し去る」
言葉が、反射的には出なかった。
「過去の俺なんざ殺し尽くしてやるよ、俺は、俺だ。テメエの中の俺を殺す」
しばらく、呆然としたが。
「はは……」
思わず笑いが漏れた。
「なに笑ってやがる」
「つまり、今の子鬼と、昔のオーガさんとの対決ですね」
「そういうことになる、か……?」
難しい顔で腕を組む様子は、たしかに過去を思い出させた。
同じ雰囲気の覚えがあった。
「やはり、あなたが欲しい」
「迷惑だ」
「その気持ちごと、さらって上げますよ、あなたは私のものだ」
言いながら、帰還用のアイテムを手にした。
肌は限界に近いほどシワだらけだ。
見ると迷宮主は「いいよ」というように頷いた。
「また逢いましょう」
「失せろ」
自分は今、この妖精からどのように見えているだろうか?
それが気になってしかたなかった。
それでも、きっと価値があった。
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