■■と交渉

かつて冒険者と呼ばれたものは困惑していた。

立ちすくみ、ただ呆然とした。


周囲は草花、心地よい風が吹き、爽やかに渡り、頬をくすぐる。

とても気分のいい場所だ。


目の前には子供、どこかで見た憶えがある。

それ以外にも、馬や別の子供や忍者や小動物がいる。


手には斧。

明らかな業物だが、妙にくすんでいた。

まるで、かつての権能を半分ほど失ったかのように。


「やあ」


気楽に呼びかけられた。

周囲の者たちは、明らかな警戒と戦意で見つめる。


「なんて呼べばいい?」

「私は――」

「ああ、その記憶も失ったんだ」

「え」

「じゃあ、ユウシャ、って呼ぶね」


脳に詰まっていた異物が、ようやく取れて流れ始めた。

そのような感覚があった。


おぼろな記憶が教える。

ここは、敵地だ。


――なにを、私はッ!


信じがたい愚かさだった。

忌むべき迷宮で、隙だらけの格好をさらし続けた。


とんでもない間抜けだ。

どうぞ殺してくださいと言っているようなものだった。


斧を構え直す。


同時に眼前の配下(サバディネイト)たちも――子鬼と水妖馬と樹獣と忍者も戦闘の態勢を取った。

迷宮主だけが変わらず気楽に佇んでいた。


――いや、そもそも……


自分は、殺されたのではなかったのか。

ペットのように佇む木製の獣、そこから伸びる枝が確保している折れた赤剣、あれで喉を裂かれたはずだ。


折ったとはいえ業物の魔剣が、生身を通るクリティカルヒットを行った。

子鬼によるダメ押しもあり、完全に死亡した。


万が一に備えた、死からの守りを保証するアイテム――首にかけていたネックレスも消えていた。


忍者が、いつの間にやら盗んでいた。

冷たい視線を変えないまま、忍者は迷宮主にそれをつけた。


「ユウシャは、事態をわかってる?」

「何も変わっていないことを理解していますよ、ええ、殺し合いを再開しましょう」

「いいの?」

「……なにを言ってるんですか――」


「今のユウシャの選択は、二つだけだ。このまま立ち去って生き残るか、ボクらと一緒に死ぬかだ」


意味を、一瞬、受け取れなかった。

あまりに今の状況からズレた提案だった。


「……馬鹿な、また時間稼ぎですか?」


そんな言葉しか出てこない。


生き返った以上、戦力のバランスは戻った。

迷宮側に、もう勝ち目はない。


ただ、意外だったのは他の者にとってもだったのか、配下全員が困惑を浮かべていた。


「うん、そうだよ、時間稼ぎ」

「素直ですね、そんなものには――」

「憶えてる?」

「は? だから……」

「ボクが配下を復活させるためには、迷宮ポイントを使う。ユウシャも今、復活した。それには何を使った?」


薄く笑う表情が、瞬時に引っ込んだ。

背中にぞっとしたものが走ったのは、ほとんど直感的な理解のためだった。


「うん、ユウシャを復活させた人は、親切じゃなかった。支払い全部をユウシャにさせた」


頭の中の情報をさらう。

なにを憶えているかをたしかめる。


「復活の支払いに、ユウシャの半分を要求したんだ。装備も、お金も、アイテムも、経験値も――記憶でさえも」


虫食いだらけだった。

半端にあちらこちらを食われていた。


「今のユウシャは、昔の冒険者の半分だ」

「あ――」


その中には、かつてのオーガの顔もあった。

ペンで黒く塗りつぶされた写真は、今や全員がそうなっていた。



 + + +



『もう戦いは終わったよ、ここからは、ボクががんばる時間』


ロスダンからは事前にそう言われた。

そして、実際に追い詰めていた、ただ話すだけで。


「わ、私は――」


敵であるはずの冒険者、今となっては勇者と呼べるそれは、救いを求めるように、あるいは探し出そうと周囲を見渡した。

どこにもありはしなかった。


『ああ、そっか……』

『どうしたんです?』

『いや、なんでもねえ』

『はあ!? なんですその意味深わかってますムーブ!? ケイユはそういうのが心底――!』


ケイユが騒ぐが、適当に返して誤魔化した。


ただ、鬼妖精は思ったのだ。

人間は、ファンタジーによって変えられた。

ならそれは、その時点で『侵略を受けてしまった』のではないか。


変異した人間とは、半ば敵側へと足を突っ込んでいる状況にある。

さらなる変異を起こしたなら、それはダンジョンやモンスターやノービス以上の『敵』となる。


昇格(レベルアップ)とは、その者がファンタジーと化す道程だ。

ファンタジーの影響をより強く受ける。


あるいは――


人間とノービス。

迷宮とダンジョン。

怪物とモンスター。


現実側とファンタジー側には、対の関係のものがある。

ほか3種と同様に、冒険者にもそれがあるのでは?

以前からそう言われてはいた、いままでそれらしいものは出現しなかったが……


――ひょっとして、『これ』か?


冒険者とユウシャ。


誰からも厄介者と扱われる冒険者、そこからさらにファンタジー側へと踏み込んだもの――

「敵としての冒険者」、完全にファンタジー側へと寝返ってしまった存在が、目の前にいた。



 + + +



頭の中に空白があった。

どうやっても取り戻せない欠損だ。


そこは、ただの空虚ではなく、ある種の意思があった。

伝達経路となっていた。


殺せと、命じられた。

かすかな声は、今や明確な命令となった。

己の上位者がそれを欲しているとわかった。


命じた方は気楽なものだろう。

何の気なしのものだったのかもしれない。


だが、その下へと組み込まれた側は、逆らえない。

目に付くすべての人間を、怪物を、迷宮を、冒険者を殺さなければならない強迫観念があった。


折れた赤剣を持つ小動物が、なぜか同病相哀れむような視線を向けた。


「だ、だとしても――」


斧を握る。

その力強さは変わらない。


声を思い出す。

オーガのそれを。


顔など、無くたって良い。

憧れはある、失われていない。


「私が、お前を殺さない理由にはならない、私の状態は逃走の理由になどならない。私がこれ以上、死ななければいいだけだ」

「本当?」


迷宮主はユウシャの背後を指さした。

警戒しながらもちらりと後ろを向けば、そこには樹人たちの立ち並ぶ様子と、破壊の痕跡があった。


スキルによって砕いた跡だった。

装備の効力が半減した今となっては、あそこまでの威力は出ないだろう。

それでも、この迷宮内を破壊するのに苦労しないという証拠だ。


「なにを言って――」

「その向こう」


破壊された木々の向こうにあるのは、いくらかの距離をあけて再び木々があった。

緑に萌える手前と違い、立ち枯れている。


ごく普通の、葉のない森だ。


「だからどうしました、この迷宮が困窮している証ということですか?」

「ううん」


時間稼ぎに付き合いすぎたと反省する合間に、それらに葉がつきはじめた。


「は――?」


見る間に繁茂したかと思えば、またたく間に乾いた黄色となる。

枯葉となってハラハラと落ち、再び枝だけを空へと突き刺す。そして、また、葉が芽吹く――


「ここは、妖精の棲む迷宮なんだ」


そのサイクルが繰り返されるのを見ながら、迷宮主は言う。


「よく言うよね、妖精のいる場所から戻ったら、時間がすごく経っていたとか、過ごした分だけ一気に年を取ったとか。うん、そう――」

「それは……」

「この迷宮内の時間は今、加速している」


なんでもないことのように子供は続けた。


「このまま帰れば、ユウシャは無事だ。正式な帰還だから、時間の流れは無かったことになる。だけどね、ボクを殺して脱出なんて無茶をすれば、反動がユウシャに襲いかかる――」


笑う表情には、妖精らしい無邪気な悪意があった。


「ボクの許しなく帰れば、ユウシャは外で年取ってすぐ死ぬよ?」


そんなものは、下手な脅しだ――

とは言えなかった。


いくつかの記憶が思い浮かんだからだった。

それら思い当たる節の情報は、欠けていなかった。


たとえば、子鬼は『乾いた枝』で自らを刺していた。

生木を破壊したばかりだったはずなのに、長く放置したような有り様となっていた。


立ちふさがっていた木々は異様な速度で生長した。

配下だけではなく、それ以外の樹人も爆発するかのように伸びた。


死亡からの配下復活も、いくらなんでも速すぎた。

斬った瞬間に生き返り、死亡を無効化したほどだ。


なにより、この迷宮主の位置が問題だった。

多人数の配下の連携により、冒険者を倒すだけならば、見える位置に来る必要などない。


SF的な円筒型に入る意味が、なにもない。

それは、「時間経過の影響を受けない装置」に入るための行動だった。


進入時はすぐさま忍者が抱えて逃げたというのに、すぐ近くで戦いがあっても留まり続けた。

円筒形内だけが、この迷宮内における安全な場所だったからだ。


そう、迷宮主がこの円筒に入ってから後、ずっとずっと迷宮の時間は加速を続けた。


それに気づかなかった。

気づかなくされていた。


半ばモンスターである配下は年を取らず、草原向こうの廃墟に変化はまるで現れず、昼夜の経過すらわからないよう調整された。

唯一見て季節がわかる木々は、その間に樹人たちが立ちふさがっていた。


「――」


声が、出ない。

時間加速が本当だと証明するかのように、目の前の妖精主の背丈が徐々に伸びた。


「勇者って、物語の中ではいくらでもいる」


成長の中で、しかし、表情はそのままに。


「でも、殺されても復活する不死の勇者はいても、不老の勇者ってほとんどいない。必ず最後は天寿をまっとうする」

「――」

「老衰で死んだ勇者は、復活しない。この迷宮は今、それをちょっとだけ早めてる」

「――」

「ユウシャは、どうやって、この時間の流れに対抗する?」


迷宮の主の攻撃だった。

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