冒険者と新しい未来(幻覚)
ガントレット内に発声させた透明な手は、肉体をすりぬけ握ることができる。
それは、鬼妖精自身はもちろん、それ以外の対象であっても可能だ。
だからこそ、鬼妖精のそれは目を見開く冒険者の分厚い胸板をすり抜け、心臓にまで接触できた。
文字通り、命を握っている。これを握り潰せば決着がつく。
ここまで無警戒に近づいてくれるかどうかは本当に賭けだったが、どうにかそれには勝った。
妖精としてのオーガを、この冒険者は徹底的に無視した。
多少は似ているか程度だというのに、簡単に取り違えた。
――焦んな……ッ!
鬼妖精は自身に言い聞かせた。
この手は、投擲動作で霧散するほどに脆い。
無理に力を入れれば台無しだ。
信じられないという様子の冒険者、その体躯はもはや巨人じみたものだった。
背の高さですら、すでに二メートルを越えている。
己の手足の細さがマッチ棒かと疑いたくなるほどの格差がある。
鬼妖精の勝機は――この敵に打ち勝てる機会は、今このときしかない。
ゆっくりと、だが、可能な限り早く手を握り絞る。
触れる心臓の脈動を感じる。
恐ろしいほどのテンポで高鳴っていた。
冒険者が見る目が、なぜか怪しい光を帯びた。
泣いているかと錯覚するほど濡れている。
「私のハートに触れているのですね……」
気色悪いことを言われた。
そうだよ、ぶっ殺すためにな――
言おうとするより先に、弾かれた。
心臓を包むように握る透明な手、それが、壊され霧散した。
「は……!?」
妨害があったわけではなかった。
単純に、それだけ冒険者の心臓が高鳴ったのだ。
ときめく気持ちが物理的破壊のレベルにまで至り、鬼妖精の必殺を壊した。
「ああ、なるほど」
「なにを納得して――」
「あなたは、子供だ」
がっしりと腰をつかまれた。
身動きが取れなくなる。
極度に高鳴った心臓の動きが、その手の感触越しにも伝わった。
「あなたは、あのオーガさんの子供なんですね?」
「は?」
「きっとそうだ、私が知らなかった、あのオーガさんの子供だ」
濡れたような熱狂的な目、だが、それは半ば現実を見てはいなかった。
「それなら、きっと私の子供でもある――」
「は、はぁ!?????」
やべえ、と理解した。
なにが危険かは理解できないが、とにかく超一級の危険人物につかまった状況だとはわかった。
「そうか、あなたは、きっと私達の愛の結晶だ」
「徹頭徹尾わけわかんねえ寝言を言ってんじゃねええッ!」
服の下に隠すように這わせていた根を伸ばし、攻撃を行った。
鋭く伸ばした枝の先は、眼球だ。
どれだけ鍛えても防御力など皆無の地点へと送り込む。
「ああ、まったく、駄目じゃないか」
振り払われた。
蚊を振り払うような動作だけで、五本ばかりの枝がまとめて粉砕させられた。
「反抗期かい? パパにこんな攻撃をしちゃ駄目だろう?」
そのまま頭を撫でられる。
極上の嫌悪感があった。
ナメクジが這ったほうがまだマシだった。
「喰らえッ!」
再発生させた手で、ふたたび心臓を狙う――ように見せかけ、捕まえている手の指の一本を狙って枝を伸ばした。
どちらか片方が成功すればいいと考えての攻撃だったが、両方とも弾かれた。
どちらも優しく握り込むように抑えられる。
それでも枝は砕け、透明な手は消失する。
「ふふ、すごく元気だ、やんちゃだね?」
会話をするだけで正気が減ると思えた。
口喧嘩とは、最低限の常識を共有してようやくできるものであると理解する。
「けど、そんな風に小細工ばかり使っていると、お父さんのようになれないよ?」
それでも、脱出には成功した。
変態の両手は防御のために使われた。
拘束はほどかれていた。
数歩離れて距離を取る。
できればもっと物理的に距離を置きたいがそうもいかない。
「……お父さんとか、それオーガだった時の俺のことを言ってねえよな?」
「ああ、ちゃんとお父さんに憧れているのかい? 良いとも、パパが協力してあげよう。立派に育てて上げるからね」
話しかけてしまったことを後悔した。
『マジで助けてくれねえか』
『鬼、割と地獄ですね』
『がんばー』
『んー、ワンチャンあるかなぁ?』
こちらにも念話で話しかけたことを後悔した。
『……おい、ワンチャンってなんのことだよ』
『鬼さんは、そこの変態さんにとって価値が出たな?』
『頼むから俺を生贄にしてこの場を乗り切ろうとしてないでくれ』
『あかん?』
『頼む、まじで何でもするから、それだけは勘弁して欲しい』
愛おしそうに見つめる冒険者の、その視線ですら総毛立った。
「オーガ、と言うと違いますね、私の愛しい子鬼さん? 今夜は一緒に寝ましょうね、お父さんとの思い出話を聞かせてあげますからね」
『いっそ俺を殺してくれ』
『あかんで?』
『さすがにわかってる、でも愚痴りてえんだよッ!』
現在、ロスダンは隠れ潜んでいる。
鬼妖精はいい囮役だった。
冒険者の目に、他のものは映っていない。
『馬と一緒に迷宮外へと逃げ出せば、この冒険者はついて来るか?』
『んー、どやろ?』
『だめ』
『主ちゃんが言うなら、あかんのやろうなぁ』
『そのヒト、ボクを殺すことを優先する』
『うっわぁ……』
それによって配下である鬼妖精も死ぬことになるが、そんなマトモな判断ができるほどの正気はきっと無い。
『《音律結界》でしたっけ、あれはどうなんです?』
『ん、失敗する』
『それはあかんな』
『なんでだ、って聞くのも野暮か』
実力として隔絶したものには通じない手段だった。
妨害されれば簡単にミスは発生する。
《音律結界》の失敗は、徹底的な破壊の発生だ。
饕餮ダンジョンの一角ですら粉砕した威力が、迷宮内で吹き荒れることになる。
致命的な事態となりかねない。
賭けとして、あまりに勝率が低すぎた。
『あー、マジで八方塞がりだな』
『ん』
『できることがねえ……』
『着てる装備ですら違いすぎですよ』
『提供元が違げえからな』
装備面でいえば、ロスダンたちが持っているのは『怪物集団が持っていた予備』だった。
一方で冒険者が持っているのは『怪物集団が最後まで手元に残した武具』だ。
装備としてどちらが優れているかなどはっきりしている、しかも、その予備ですらも大半は報奨として迷宮内にばら撒かれていた。
『なにより、木村をはじめとした連中が、真っ先に殺されたのが痛えな』
戦闘という面ではさほど役に立たないだろうが、彼らは樹人だった。
ある意味、土地改造のプロだ。
地形を変え、大規模な罠をしかけるといった作戦が封じられた。
『やっぱり、って言うと失礼だけどよ、花別でも勝てねえか?』
『隙をついて攻撃はできるで、でも、倒し切るのは無理や』
なによりも、実力差が隔絶していることが、一番の問題だった。
迷宮最大戦力ですら、「ダメージを与えることができる」程度のものでしかない。
『俺に執着してるくらいのことしか、こっちの有利な点がねえのかよ……!』
『言ったらあれですが、ケイユたち割と詰んでません、これ?』
『言うな』
『鬼? 仕方ないですよね?』
『おい馬、なにが言いてえんだよ……!』
『割と本気で鬼のことを生贄にしなきゃ駄目な状況じゃないですか、これ?』
『クソ、さっきの心臓攻撃、なんで俺は失敗したんだ……ッ!』
返す返すも無念だった。
『あとなー、あんまり主ちゃんの側を離れるのもあかんしなぁ、フルで攻撃はできんのよ』
そうした問題もあった。
鬼妖精やケイユや花別がどれほど殺されようが構わないが、ロスダンが殺されればそれで終わる。
最大戦力であるが故に、もっとも守るべき対象の側にいる必要があった。
その後も意識を加速させ、瞬時の念話のやり取りをするが、それでもアイディアは空転するばかりで良いものが出なかった。
そうして――
「ああ、そうだ」
パパ気取りの冒険者は、とてもいいことを思いついた笑顔で言った。
「いつまでも、我が子をこんな悪所にいさせてはいけないね、さっさとここは滅ぼそう。まったく、私は察しが悪い、こんなことだから私はお父さんに逃げられたんだ。だけど、愛しい我が子? 悪い仲間とはちゃんと縁を切らなきゃ駄目じゃないか――」
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