鬼妖精と最後の平和
迷宮内には様々な文化とポリシーを持つ集団がいる。
それらの大半は、復讐者の樹人に狩られたが、それでも生き残るものもいた。
その中のひとつに、「良い対決や戦いがあるといつの間にか現れて太鼓で盛り上げる」モンスターもいた。
花別はもちろん、木村もその存在をよく知っていた。
「祭りでの武闘会のとき、よく太鼓を叩いていましした、とても懐かしい」
過去、その武闘祭で幼馴染と真正面から戦った。
周囲では太鼓ゴブリンが戦闘を彩ったものだった。
「いつかきっと起きる『本当の対決』に向けて、ずっと太鼓の腕を磨かなあかんって、そういう伝承があるらしいわ」
「そうかよ……」
おそらくだが、鬼妖精とあのゴブリンの戦のことだった。
それが口伝として残った。
一体どう誇張されて伝わっているのかと思うと、当人としては微妙な顔にならざるを得ない。
「なんかなぁ、いい対決を嗅ぎ分けるスキルとか、直感みたいなのがあるらしくてな、本当に気づいたらこのゴブリンの人ら太鼓を鳴らしてるんよ」
「お前が「いつの間にか」って言うなら、相当じゃねえか」
「殺意あれば気づけるんやけどなぁ」
「ある意味、すげえ厄介だな」
戦いをする気が一切なく、ただ太鼓を鳴らすだけ。
周囲の感知を耳に頼る鬼妖精としては、普通に邪魔だった。
「え、なんで泣いてるんですか、このゴブリンたち!?」
「珍しく演奏に間に合わなかったからでしょうね」
「ここ、新しいとこやからなぁ」
そう「いつの間にか出現」する太鼓ゴブリンたちは、新エリアの出現など想定していなかった。
彼らの誇りである「すべての良い戦いを音で彩る」という目的を果たせなかったのだ。
太鼓ゴブリンの集団は、地面を叩き、泣き崩れた。
「……へんなの」
「いや、お前が言うなよロスダン」
「……まさかとは思いますが、外には太鼓ゴブリンがいないのですか?」
「いるわけねえだろ!?」
「そんな、そんな馬鹿なことが……」
「そういえば、そうやったなぁ」
「お前ですらそうなのかよ! 常識か!? このゴブリン共、この迷宮の常識なのか!?」
RPGで戦闘が開始されればBGMが鳴る、そのレベルとして扱われていた。
「……ケイユ、ちょっと外に出たくなったんですが」
「馬、迷宮の現実から逃げんじゃねえ!」
「私達が復讐で頭が一杯だったときですら、この太鼓ゴブリンは倒すことでがきませんでした」
「やめろ木村ッ! この太鼓ゴブリン共を俺らより上に置くようなことを言うのはやめろッ!」
「鬼さん、ツッコミが元気やなぁ」
「誰がそうさせてんだよ……」
ただでさえ疲労で死にそうだというのに、さらなる疲労がのしかかった。
「……なあ、これ以上、変なのはいないよな?」
「変の基準がわかりませんが、忍者教は外にもいますよね?」
「……今言った質問、なかったことにしてえ……」
「えへへぇ」
「花別、なんでお前が照れてんだよ」
「あたしが主ちゃんを守るために立ち上げた宗教や!」
「本尊ロスダンかよッ!」
「当然やッッ!」
「狂信者集団ってことか」
「ええ」
木村は常識というように頷いた。
ケイユは遠い目で空を見上げていた。
鬼もそうしたかった。
そんなわけないよな、というつもりで言った言葉のことごとくが肯定されてしまう環境。
それがいまの迷宮だった。
よくよく周囲を「聞いて」みれば、木立の影に隠れている存在も感知できた。
それは、鬼妖精が全力で探ってようやく気づけるかどうかというレベルの隠形だった。
見えるだけでも五人。
全員がまばたきもせずにロスダンに熱い視線を送っていた。
特にロスダンが眠そうに欠伸をした瞬間、彼らの鼻息は一斉に荒くなった。
「なあ、忍者教って言ったか? そいつら、ロスダンの厄介ファン集団になってねえか?」
「ずぅっと動かない主ちゃんだけを観てたからなぁ、動いてるのが珍しいんや。下手したら一生に一回の光景やからな、無理もないわ」
「お前みたいなのが集団単位でいるとか悪夢なんだか」
「なんでや!?」
きっと花別は努力して彼らを鍛えた。
その力は、ロスダンを守るという目的には合致している。
だが、それでも、どこかしら方向性を間違っているとしか思えなかった。
「おい木村」
「なんです」
「外行ったら、常識の違いに苦労するぞ、お前」
元ノービスという出自ながら、思わず鬼が心から木村にそう忠告してしまった。
+ + +
その後、植物学者やら戦術指南役スプリガンやら奇術師サラマンダーやらの話も聞いたが、できればすべて忘れたかった。
「なあ、俺、本当にこの魔境を周回しなきゃいけねえのか?」
「当然」
「鬼さん、気張りやー」
「ふふふ、やはり鬼は苦労するのが宿命ってものですよ」
「あ、ケイユも一緒にね」
「馬さん、気張りやー」
「え゛」
「そういや、そんな話もあったな」
鬼だけでは移動速度が遅い。
それを補うためにケイユも周回に参加する必要があった。
現在、ロスダンはシェルター形態を取っている。
外の村の再建のためにも、しばらくはその姿のままでいなければならない。
つまり、馬は今必要なかった。
移動する機会がない。
他に参加しても問題ないほどに。
ケイユは、なるほど、と真面目な顔で頷き、服を脱ぎだした。
真面目な顔で変身し、すたすたと距離を取る。
「おい、馬になって逃げようとすんな!」
「なんの話ですか!? ケイユはちょっとこの森を駆け回りたくなっただけなんですが!?」
「それが逃げるってことだよボケ! というか森とか走るの嫌がってたじゃねえか!」
「君子は豹! ケイユも駆けるのは当然!」
「それを言うなら君子豹変すだろうが、半端に憶えやがって!」
「似たようなもんじゃないですか!」
「豹そのものと豹みたいが同じわけねえだろボケ!」
「あー、もー! 細かい鬼ですねぇ!」
逃げ出そうとする馬と、その前で通せんぼをする鬼を、忍者は平和そうに眺めた。
「仲良しやなぁ」
「ね」
「けどなぁ、今、モンスターの数があんまおらんからなあ、もうちょっと待ったほうがええよ?」
「……え、そうなの?」
「うん、せやで」
鬼と馬にもその声は聞こえた。
「マジか」
「朗報ですか、ひょっとして」
「また時間を加速させたほうがいいかもなぁ」
「……あれ、けっこうポイント使う」
「そっか、無理かなぁ。いろいろおもしろいモンスターもおったけど、割と減ったしなぁ」
「すいません」
「謝るこっちゃないよー、負ける方が悪いんやし、あー、けど迷宮がスカスカなのはちょっと悲しいな」
「そう?」
「まったく悲しくないな! 主ちゃんがおればこの世はパラダイスや!」
「おまえの主張、ペラペラすぎね?」
「本気の主張やで?」
ロスダンを背後から抱きしめるようにしながらの言葉だった。
「そうかよ」
鬼はぺたりと座り、そのまま横へと転がった。
大きく呼吸する。
全身はいまだにじんじんと痛み続ける。
「また寝っ転がりですか、この馬は」
「マジで疲れてるんだっての……乗るなよ? 今の体型でやったら完全に俺が潰れる」
「フリですか」
「物理だ」
「物理アタック!」
「マジでやめろ!」
「そこまでの疲労なら、本気でリセットしたほうがいい気もしますけどね」
「俺がいい気がしないんだよ――」
平和な時間だった。
花別はロスダンに構い続け、鬼と馬はいつもどおりのやり取りを続けた。
木村は他の樹人につつかれ、笑っている。
そんな平和は――
ぎ……
異音にて破られた。
ロスダンが目を見開いた。
花別が瞬時の間もなくロスダンを抱え、その場から跳び退った。
木村は理由もわからず周囲を見渡す。
空間に、黒い亀裂が走ったのを認めた。
馬は駆け出し、鬼を咥えてそのまま逃げようとした。
鬼もまた事態の異常を理解し、立ち上がろうとするが。
「あ」
それよりも前に、斬られた。
全身を怖気が走った。
奇襲による死が理由ではない。
背後から、声がしたからだった。
「やっと、やっと探り当てた……」
粘着質な声。
どこか陰鬱とした、だが、妙にテンションの高い様子。
「ここが、私の恋を台無しにした、迷宮というやつですか……」
身体を霧散させながら理解する。
いつの間にか忍者装束となっていた花別が、事態を端的に言い表す。
「冒険者が、迷宮内に侵入」
あの変態がいた。
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