ノービス街の終焉


音律結界の作動には迷宮ポイント100を使う。

おいそれと試すわけにはいかず、初の試みだった。


何が起きるかと身構える鬼は、音を聞いた。

ノービス街――今となっては樹木街とでもいうべき場所を覆うように、結界が張られた。


広大な環境をすっぽりと覆った割には、見た目上の変化はあまり起こらなかった。


違いは、光の玉だけだ。

見えるだけで10以上のそれらが、各所にランダムに配置された。


姿としては愚者炎を思わせるものだが、明らかに違う。脈動を繰り返し、それと合わせるように円状のリングが縮んでいた。

リングは、光球を囲むようにそれぞれについている。


なぜか発生していた光球とリング。

普通は意味がわからない。

実際、他の面々はただ戸惑うばかりだ。


だが、鬼は直感的にわかった。


――あの縮むリングが光球と接触した瞬間が、叩くべきタイミングってことか……!?


結界内すべてがリアル音ゲーの盤面と化していた。

むちゃくちゃだった。


見れば光球は固定化されず、敵にひっついている。

初期状態ではクリア可能であっても、敵の移動位置によっては詰みとなる。


音ゲーの失敗はライフが減るかゲームオーバーだ。

この《 音律結界 》の場合にどうなるかなど、わかったものではない。


ダメージが鬼へと跳ね返る程度であれば、まだマシな方だ。

一定回数以上をミスれば結界そのものが消え失せて、ただの無駄打ちになる可能性すらある。


「なんです、これは」

「これがここでの戦い方だ!」


俺も初見だけどな、という言葉は飲み込んだ。

これが「当たり前」だと誰よりも自身に言い聞かせる。


獣の丸太を挟むように蹴り、手近な光球へと向かわせた。


駆け抜けて行く先は、樹木だった。

中央付近の光球を必死に取ろうとしていたそれは、駆ける獣と鬼を認めて、吠え上げた。


伸びる何本もの枝。

まるで矢衾のような密度だ。

後先を考えない決死の攻撃は、異常事態だからこそだ。


この先に生長できずともいいという覚悟で送り込まれたそれらは、しかし届くことはなかった。

鬼が叩き落とし、木村は切り刻み、無効化した。


そうして、鬼は「リングと光球が接触する瞬間」を適切に捉え――


弾けた。

音が鳴る。


「これは――」

「ハッ、いいな、これ!」


鬼妖精の半ば浮きながらの蹴撃は、一抱えもある樹木を「通り過ぎた」。

巨大な太鼓の音と共に、唖然とした顔を貼り付けた樹木は倒壊する。


鬼妖精は、己の足が光球を通り過ぎた瞬間、ぞくりと羽が震えたのを自覚した。

オーガのときでもなし得なかった破壊が、この手で行えた。


「次だ!」


叫び、再び味わうべく駆ける。


伸ばした枝が、光球と敵を同時に破壊する。

それは止まること無く連続する。


考えている暇などない、ほとんど反射の領域で動く。

手足が思うように動く感覚に酔い痴れた。


「――」


なぜか黙ったままの木村のことは気にしていられない。


『ロスダン、馬! 俺らじゃ届かない位置の光球は頼んだ!』

『ケイユ、こういうの苦手なんですけどぉ!?』

『ボクにまかせて』

『馬、頼む! お前しかいない!』

『くぅ、わかりました、ベストは期待しないでくださいね!』

『なんで?』


ロスダンが自信満々のときほど信用できないものはないからだよ、と言い返す暇はなかった。


鳴らされ続ける太鼓の音色は、ひとつなぎの音律を刻む。

離れたものもケイユが破壊する。

最適ではなかったためか、白ではなく黄色で弾けた。


「ああ……」

「どうした獣!」

「ここにも、あるんですね、この音は」


四足で駆ける樹木の獣の瞳には郷愁があった。

戻らない過去を切なく見ていた。


「知ってるのかよ?」

「ええ、村の祭りで、ゴブリンが演目として演奏した太鼓です」

「――クハハッ」

「なにがおかしいんですか」

「お前を笑ったわけじゃねえよ、賞賛だ!」


それは木村がまだノービスであった頃、たしかに村の祭りで聞いたものだった。

幼馴染と、赤い顔で向かい合った記憶があった。


「なつかしい、やっと、やっと顔を思い出せました」

「あのゴブリン共、生きて伝えたんだな、やるじゃねえか!」


悲しみに似た喜びと、激怒にも似た歓喜、二種の異なる喜びのまま太鼓は鳴る。

破壊力は一打ごとに大きくなる。


樹木は倒れるどころか吹き飛ばされ、樹人は粉々に砕けて散った。

まるで見えない巨人が暴れて回ったかのようだ。


離れた光球は、ケイユが拙いながらも間に合わせた。


それは、広大なダンジョンの一角を、ひとつの迷宮が噛み砕かんとする姿だった。

圧倒的数の差が、圧倒的な暴力によって破砕された。


「な、にが……」


樹人から樹木へと意識を写した町長が、その絶望的状況を認めたのは、幸運なのか不幸なのかはわからない。


町長が見たものは、異形の獣に乗った妖精だ。

両目を閉じて、顔色は青白く、戦意のままに笑って暴れる。


巡り、駆け抜け、倒木の範囲は刻一刻と広くなる。


「お――」


頭に血が上る、などのレベルではなかった。


「お前ら、なにをしている! 我々は饕餮ダンジョンだ! 偉大な最大迷宮そのものだ! 逆らっていいと思っているのか! 物知らずのクズめ! 馬鹿が、この馬鹿どもがっッ!」

「うるせえぞくたばり損ない! テメエ等は練習曲に砕かれて終わるんだよ!」

「なにを――」

「死になさい、ただただ死になさい、私達の300年に渡る怨念を受け入れなさい、あなたにはそれだけの罪がある――」


愚かな、意味のわからないことを言っている――

そういった言葉を町長は言えなかった。


あまりに思考が違いすぎた。

東方地域一帯に力を及ぼす存在に、堂々と逆らうものがいるはずがなかった。


自分たちですら、そうだったのだ。


どうにか寄り集まって暮らしていた、ひもじさは腹の底を打つほどだった。

食人行為をしても満たされない、しばらくすれば腹の中から消え失せるからだ。

生きるということの苦しさを、これでもかと味わった。


そこに伸ばされた助けの手。

饕餮ダンジョンの代理の提案を蹴ることなど、できはしなかった。


「我々が望んだと思っているのか! この姿を! この生き方を! お前らはいつでもそうだ、力があれば何をしていいと思っている! 我々の復讐は正当だ! 弱く正しい被害者だ! お前らは黙ってその場で自滅しろ、己の姿を恥じて死ね!」

「強いやつにはへりくだって弱いやつしか殴れねえクズが偉そうにしてんじゃねえぞボケ!」

『鬼、自分のこと言ってます?』

『ロスダンは迷子で横暴でクソボケだ』

『なるほど、へりくだってはいませんね』

『それ、悪口?』

『事実だ』


迷宮内の会話など知らぬ木村は、赤剣を強く振り抜いた。

力任せの乱雑に見えて、的確に光球とリングの接触タイミングを斬った。


「復讐は、復讐相手に行うものです」


声は、むしろ静かだった。


「関係のないものに対する攻撃は虐殺でしかない。ええ、気が合いますねご先祖様、我々はとても似ている。だからこそ――」


顔中を歪め、憤怒を露わにした。


「どれほど私がお前を殺したいのかも、理解してくれますよね?」


光球とリングの組み合わは、次々に出現する。

木村の怒りに導かれるように、樹木の町長についた。


最後の光球だった。

残りは五つ、すべて町長と鬼妖精の間にあった。


「ひっ……!」


町長は枝を使い光球を引き剥がそうとするが、当然できない。


駆ける、一つ、二つと壊れる。

テンポを合わせるように木製獣は走り、更に三つ目を破壊する。


「それなら――ッ!」


町長は、地面を攻撃した。

洞窟であり、その地盤は脆い。

薄い土の上でも巨木となれたのは、彼らがモンスターであり真っ当な生物ではないからだ。


ひっついた根を千切るようにしながら町長は移動する。

別の言い方をすると、逃げた。

攻撃が、最適なタイミングで届かないようにした。


「呪われなさい! 苦しみなさい! 私達以外がどうなろうと、どう思おうが知ったことか! 我々だけが常に正しい!」


タイミングを外せば、このリングの瞬間を外せばどうなるかわからない――

そうした事情をわかったわけではないだろうが、町長の行動は最適だった。


最後の、もっとも重要な音だ。

反動としては最大となる。


だというのに、鬼の杖も、獣の剣も届かない。馬の速度でも間に合うことがない。

だから――


『ロスダン、やれ!』

『え、まじで?』

『俺の上に立つんだ、このくらいのことやってみせろ! 射抜け!』


迷宮人の弓だけが、届く可能性があった。


「あー、もー……」


面倒そうに矢をつがえた。


ロスダンの持つのは合成弓だった。

コンパウンドボウとも呼ばれるそれは、弓に滑車を組み合わせることで少ない力でも強力な射撃を可能とするものだ。


手慣れた動作で弦を引く、遠くから見た鬼からしても、間に合うと思えるタイミングだった。


鬼と獣は、同時に攻撃し四つ目を破壊する。

瞬間のベストタイミングを示すように白く弾ける。


合わせるように矢が放たれようとする。


「させませんよォ!」

「やらせるかよ!」


守るように組み上がる枝々を、射線上のすべてを、鬼と獣が破壊した。

低い放物線のラインが、ロスダンと町長との間に築かれた。


『今ッッ!』

『あ、そっか』


ロスダンは――撃たなかった。

矢をつがえた姿勢を取り続けた。

放つことがなかった。

この世でもっとも貴重な一秒が、無情に過ぎ去った。


『オイ!!?』

『なんでです!?』

『えいやー』


わずか一秒、しかし、確実に外したタイミングの後で、矢は突き刺さった。

白でも黄でもなく、赤色を光球は示した。


町長は破壊されない己の様子を見て安堵し、だが、すぐに疑念を浮かべた。

光球が消えていなかった。

赤い色のまま、脈動を続けた。


ジッ……


と音がした。

光球からではなかった、結界すべてからだ。


紫電が奔る。


結界から、緩やかにリングが生成される。

それは収縮することなく解け、文字を宙へと描いた。

見慣れぬそれは留まり続ける。唸るような音を出す。


『何してるんだよ!?』

『マスターは、まじでケイユたちへの説明が足りないと思います!』

『勘』

『カン……? 直感んん……!??』

『またですか、またそれで振り回すんですか!』

『うん』

『頷いてんじゃねえ! だが、こうした方が良いって瞬間的に思ったてことか? いや、でも、これどうなる……?』

『マスターじゃありませんか、ケイユ、すげー嫌な予感がしてるんですが……!』

『あ、やば』

『これ以上不安になるようなことをまた言うなよぉ!?』

『はやく逃げま――え、前進指示!? なんで!?』


光球の赤は脈動を繰り返す。

結界から生成される文字は増え、それもまた赤くなる。


馬と迷宮人は駆けた。

いや、接近したと言ったほうがいい。


「これは、何がどうなっているのですか……?」

「お、お前ら、これはなんだ! どういうつもりだ! ち、町長に、饕餮に、このようなことをしてただで済むと思っているのかッ!」


木村と町長、二人の騒ぎなど知らぬようにケイユは駆ける。

その疾走が馬にとって不本意なのは表情を見ればわかった。

今すぐにでも回れ右して逃げ出したいのを、絶え間ないロスダンからの指示でキャンセルされた。


向かう先では、刻一刻と光球が赤く膨れ上がる。

あからさまな危険が見て取れた。

町長は溺れるようにそこから逃れようとしているが叶わない。


結界付近では樹人が離脱しようとして塞がれる。

どれほど枝を叩きつけてもビクともしない。

生成された文字に触れたとたん、焼失した。

結界から出て行くことができなかった。


『オイ、まさか、これ……』

『どう考えてもヤバヤバじゃないですかァ!』

『そういうことかよォ!』


鬼は理解する。

結界内に、現在逃げ場所はない。


それを行った主犯が、こちらに勢いよく来ている。

なら――


「行けッ!」

「なぜです、いえ、言っている暇はありませんか」


こちらからも獣を走らせた。


馬と獣、二つの騎乗は衝突しかねない勢いで接近する。

ロスダンは親指の皮を噛みちぎって手を伸ばす――


「収納!」


迷宮へと避難させた。

鬼妖精と木製獣だけではなくケイユも同時に。


衝突からすれ違った後、一人浮き上がった状態のロスダンが慣性のまま空中を移動した。

数秒の空中浮遊のあと、前回り受け身でゴロゴロと地面を転がる。


木片だらけのまま起き上がれば、回りに誰もいなかった。

危険な結界内に、ロスダン一人だけが取り残される。


破滅的な状況で、町長とロスダンの目が合った。

町長はもう、目の部分だけしか見えていない、それ以外は赤く脈動する光球の範囲に含まれてしまっている。

赤いリングが、幾重にも出現し、結界内を軋ませる。


「お前は――」

「がんばってね」


言ってロスダンは形態を変化させた。

人間としての姿から、「モンスターの襲撃にも耐える」シェルターとしての姿に。

それは、人一人が入れる程度のちいさなドーム状の形をしていた。


「――」


町長が何かを言うよりも先に、《 音律結界 》内に音が――いや、衝撃が荒れ狂った。


限界を超えるほどの音とは、つまるところ爆発と変わらない。


蓄えられ続けた音が増幅され、破裂した。


それはまるで、このスキルを創造したモンスターの怒りを表しているかのようだった。

終わりの終わり、最後の一打を失敗する以上の悔しさはない。

己も周囲もゲームそのものですらも壊してしまいたくなる――そのような激怒が結界内を荒れ狂った。


それは一時間以上も続いた。


生き残れる生物など、いなかった。

ダンジョンの一角は完全に破壊された。


その威力は、『饕餮ダンジョン』にも伝わった。

東方一帯の覇者が、己が害された事実を知った。



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