迷宮と配下
配下となることを了承し、伸ばされたロスダンの手に触れ、吸い込まれる。
そこまでは意識があった。
気づけば別の場所にいた。
明らかに洞窟ではないものの上に座っている。
くり抜かれた両目はそのまま、片腕も斬られたままだった。
しかし、それら欠損以外の傷がなかった。
体内を苛んでいた毒ですら、きれいに取り除かれている。
中途半端に残る左腕、その肩を回してみても実に軽快だ。
見えぬまま、鼻を動かした。
横に潰れてよく取り込むはずのそれは、ごくわずかな空気しか流入しない。
それでも、精密に匂いを感じ取れた。
草花の青い香りや枯れ草のくすんだものに混じり、アスファルトの冷たさや鉄筋の錆も認識できた。
「廃墟、か?」
『そうだよ』
返事は、どこからともなく聞こえていた。
ロスダンだった。
『ようこそ、ボクの迷宮に。歓迎するよ、新しい配下(サバディネイト)』
「気分は最悪だけどな」
なにせ敗北した。
変態冒険者に好きなようにされた。
その傷跡は、いまだに物理的にも刻まれている。
また、ロスダンによる『配下化』の苦しみも、つい先程まで続けられていた。
それは、簡単に行ってしまえばロスダンによる『収納』だった。
本来は外から中へと移動するだけでしかなかったものだが、「己の配下として収納」するとなれば話が違った。
相応しい形へと、肉体ごと変異させられた。
あの冒険者がオーガの全身をくまなく傷つけ、あるいは欠損させたとしたら、ロスダンのそれは全細胞を切開して作り変え作業だった。
痛いなどのレベルではない。
存在そのものを徹底的に刻まれた。
その上で、再構築がなされた。
『まあ、気にすんな。ボクは気にしない』
「気にするに決まってんだろうが、というか、あー、勘違いかもしれねえけどよ……」
『なに?』
「俺、縮んでねえか……?」
手を伸ばす。
以前であればそれだけ他を圧倒する力が感じられた。
それだけの筋力を自覚できた。
だが今は、伸ばした距離がやけに短い。
わずかに吹く風にすら押し負けそうなほど弱い。
『……パワフルではあるよ?』
「本当かよ。というか、ロスダンはどこから話かけてんだ?」
耳の調子はとても良かった。
遠くの廃墟の石ころが動いた様子すら聞こえる。
だというのに、ロスダンの声がどこから発せられているのか、わからなかった。
『あなたの脳に直接?』
「そんなわけ……いや、ありえるのか?」
細胞全てに手が入れられた。
現在の彼は、存在そのものがロスダンによって形作られた。
「俺が今いるのはロスダンの内部で、お前の本体とも言える迷宮だ。俺はその一部になった、そういう認識でいいのか?」
『まあ、そうかな?』
「なんでお前がわかってねえんだ」
『あんま気にしてるとハゲるよ?』
「もともとハゲてる、いまさらだ――ん……?」
言いながら違和感があった。
オーガであったとき、彼は間違いなく禿頭だった。
だが今は、何かが上に乗っているような感覚があった。
恐る恐る残った右手で触れてみれば、やけに柔らかい感触があった。
「……なんで髪なんて生えてるんだ?」
『配下だからでしょ』
「なんだそりゃ……」
嫌な予感がした。
上役だった鬼に命じられて他集団へカチコミに行った際、運悪くちょうど上位怪物の会合の最中であり、それとかち合ったときのような怖気だ。
注意不足により、いくつものヒントを見落とした。
やらなければならない情報収集を怠り、手ひどい報復を受けている。
そのような、恐怖があった。
ゆっくりと、立ち上がってみる。
「うわ?!」
予感を肯定するかのように、身体のバランスが取れなかった。
各所の比率がまるで違った。
「なんだ!?!」
『慣れない?』
「なにがだよ! こちとら目で確認すらできねえんだぞ!」
再構成といっても、元から無いものは作られていない。
未だに両眼球も左の肘から先もなかった。
『あ、じゃあ、情報送るね』
「はあ?!」
言葉が直接送り届けられたように、映像もまた脳内に直接展開された。
それは、外から彼の様子を写した写真のようだった。
背後には草花の生えた廃墟――おそらく住宅地だったものが滅び、青空の下にさらされている光景があった。
その中心には、ひどく険しい顔をした少年がいた。
眉間にシワを刻み、この世の何もかもが不満だという顔をしていた。
その両目は閉じたままであり、その片腕は欠損している。
上下を簡素な衣服で包み、その背中からは薄青い羽が生えていた。
「おい……」
『なに?』
「これ、まさか、俺か?」
『いえす』
「キリストかよ、いや、違う……」
『ん?』
「どうして、俺が、妖精になってんだ!?」
背丈としては小学生高学年から中学生くらいに見える。
ロスダンよりは長身だが、元から比べればありえないほど背は低いし、身体は細かった。
そして、背中からは透明な羽が生えている。
『そりゃボクの配下になったんだから、当然でしょ』
「いやいやいや!? 意味わかんねえんだが!!」
「だってボク、別名は妖精ダンジョンって呼ばれてる」
送られた写真映像、それをよくよく確かめる。
その背後には、何匹かの羽を生やした生き物がいるのが見えた。
怪物から配下への変化。
それはつまり、相応しい形への種族変化を意味していた。
「……そういう大切なことは、だから、頼むから、もっと早く言え……」
拳を握ってみる。
その力は、当たり前だが弱々しかった。
昇格した冒険者に敵うとは、とても思えない。
+ + +
しばらくの間、絶望に打ちひしがれていたが、いつまでもそうしているわけにもいかない。
身体の各所の動きを確かめてみた。
人型の二足歩行であり、指も五本ある。
身体そのものの貧弱さには慣れないが、動作に不都合はなかった。
「……」
違いといえば、背中の羽だ。
肩甲骨に力を入れれば、わずかに震えたのを自覚できた。
手足が寒さに震えるように、彼自身の意思とは別個に行われる。
高周波音を撒き散らし、せわしなく動いてはいるが、飛べるほどではなさそうだ。
「はあ……」
ため息しか出て行かない。
妖精と呼ばれるものは歴史が古い。
その形態は様々であり、決まった形を持たない。
よく知られている、羽を持つ小人の姿は近年の伝承でしかない。
半ば精霊としても扱われることのあるそれは、しかし、共通して「善でも悪でもないもの」として描かれる。
「逆に言えば、大悪党にも英雄にもなれねえ小物、ってことだ……」
『ショック?』
「衝撃がクソでけえ……」
彼はある意味、生粋の種族差別主義者だった。
怪物の種族により格差は決定されると確信している。
その彼の価値観で言えば、フェアリーとはノービスと同程度の「役に立たない」ものだった。
『けど、急いでね』
「何をだよ」
『今のままだと鬼妖精は役に立たない』
「それ、俺の名前か? いや、役に立たねえのは自覚してるけどよ」
オーガの本領は力とタフさだ。
今の鬼妖精は、そのどちらもありはしない。
有用な部分が欠けていた。
『うん、今のままならね』
「どういうことだ?」
怪物の強さは、生まれによって決定される。
その格差は絶対であり、覆しようがない。
『ボクの配下(サバディネイト)なんだから、鍛え続ける限り、鬼妖精は強くなる』
「――」
覆しようがない、はずだった。
『冒険者と違って昇格(レベルアップ)はできない、だけど、技量(スキル)を上げることはできる』
「技量……?」
『フェアリーはフェアリーのままだけど、より強くなれる、よりすごい技が使えるようになる』
それは、彼からすれば「猫がベンガルトラに勝つ方法があるよ」と言われたようなものだった。
天地がひっくり返ってもありえないことが、起きると言われた。
「俺は、強く、なれるのか……?」
『当然。ボクけっこう迷宮ポイントを消費して配下にしたんだから、頑張って? というか鬼妖精に助けてもらわないとボクが死ぬ』
まだ、信じ切ることはできない。
何一つとして実感はない。
「――」
だが、痛快なことが起きそうな予感があった。
ロスダンの声は必死であり、たしかに「彼に賭けた」のだとわかった。
貧弱、脆弱、有利点なし。
だが、この有り様は、それでもロスダンの生存に必要な起点だった。
『あ、モンスターが来てるよ』
映像が届けられる。
何匹かのモンスターが、廃墟の隙間から現れていた。
犬の頭部を持つ妖精――コボルトだった。
大きさとしては、彼とさして変わらない。
しかし、三匹ばかりの彼らは盾と防具と剣を装備していた。
どれもこれもサビだらけの半ば朽ちたものだが、素手で戦って良い相手ではない。
まして、今の彼は目すら見えず、片手もない状況だが――
ジジ……と鬼妖精の背中の羽が震えた。
それで彼が飛べることはない、浮遊がせいぜいだろう。
しかし、音を発した。
長く尖った耳は、オーガのときよりも性能が良いようだ。
その音の当たる範囲のことを「感じ取る」ことができた。
「なるほど、つまり――」
「ゴガァ!」
コボルトの一匹が号令を発し、残る三匹が牙を剥き出しにしながら迫った。
「結局、前と変わんねえってわけだ」
三体による一斉攻撃。
発した音の跳ね返りが教える。
連携がまるで取れていない。
足並みを揃えず、ただ武器防具も持たずに立った獲物に――鬼妖精に殺到する。
その位置関係を理解し、彼は右後方と移動した。
初めての歩行、だが、羽による補佐があるのか無理なく行えた。
移動速度も、コボルトより速いようだ。
――もう、負けはなくなった。
それを理解する。
速度差はそれだけ偉大だ。
オーガであったとき、何度も煮え湯を飲まされたものだ。
脆弱で攻撃も防御も弱い相手であっても、逃げ足が速ければ倒しきれない。
三対一という人数差ですら、速度は凌駕する。
戦況をコントロールできる。
なにも考えず直線的に彼へと向かっていたため、コボルトの移動経路が重なった。
横一列から縦一列へと誘導される。
先頭を行くコボルトが足を緩め、少しばかり横へと移動すれば解決した問題だが、目の色を変えて獲物を襲うことしか頭にないモンスターには不可能だ。
「前と変わらず、クズ共をただ叩きのめすだけだ!」
そこを彼の蹴りが襲った。
高速で振動する羽が彼をわずかに浮かせ、存分に回転威力をつけた回し蹴りが犬頭を打ち抜いた。
首の骨を蹴り折った感触があった。
地面へと崩れ落ちる音も聞く。
思わぬ反撃に、残る二匹が目を丸くした。
だが、すぐに狂乱し、耳が痛くなるほど吠え立てる。
「雑魚が抵抗すんじゃねえ、どうして弱いやつが無駄な反抗をするんだ、雑魚は雑魚のままでいろ、そう言いたいのか?」
力任せの攻撃を避け、ジャブで相手の視界を潰す。
右に左にと避けながら、細かい攻撃を続けた。
「同感だ。弱いやつが逆らったとことで、良いことなんざ一つもないよな?」
急速に、フェアリーであることに馴染みつつあった。
動きの精度が高まった。
敵の攻撃を避け続け、細かい攻撃を続ける。
相手の体力を削り続ける。
コボルトは苛立ちを解消するため大ぶりの反撃を行う。
「けどなあ……」
内側へと潜り込む。
すぐ近くで間抜けな驚愕を聞く。
「そんなんだから、俺もお前も負けたんだよ!」
拳を握り、打ち込む直前。
《 身体操作1 》を獲得した。
そんな声が内側で発生したのを、確かに聞いた。
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