第35話 オーバーフロー

 

 次の日になった。


 わたしとイヴさんは、いつもより早い朝食をとる。お母さんは「どこに行くの?」と聞いてきた。


 ラルク君が泊まったし、何か気づいたのかもしれない。だけれど、心配はかけられないし、わたしは曖昧な返事をした。


 家を出る時に、「気をつけてね」と言われた。


 お母さん、心配かけてごめんね。

 でも、これはわたしがやらないといけないことなんだ。


 わたしは、昨日準備したカバンを背負い、お気に入りのローブを羽織る。

 そして、まだ薄暗いうちに家を出た。


 これからのことを考えると心細い。

 わたしはおばあちゃんにもらった杖に手を添える。お墓参りから色々しらべて、効用の一部について分かったことがある。


 この杖は、魔法の術式を維持する手助けをしてくれるらしい。うまくつかえば、いくつもの魔法を並行して使うことができる。


 イヴさんは、お姉さんの一件で、ラナさんを連れ去った貴族の家を知っているらしい。


 お爺さんのお屋敷は隣村にあり、うちからは40分ほどで行くことができる。村までの道は整備されており、早朝だからか人もまばらだ。


 イヴさんはお爺さんが話すのを何度か聞いたことがあるらしい。道すがら、その口調や言葉遣いについて教えてもらった。


 目的地について、塀から中を覗く。


 すると、庭園には、赤紫のバラが咲き乱れ、青や白のハーブが彩を添えている。


 他人を不幸にしておいて、いい気なもんだ。


 その中を散歩している老人が1人。

 その後ろには、メイド服を着た若い女性を従えている。


 老人は前を向いたまま、メイドにあれこれ命令をしている。遠くて内容までは聞こえないが、イヴさんから聞いたイメージ通り、かなり横柄な態度にみえた。


 メイドがしている首輪……、あれは奴隷の首輪か。ここラインライトでは、奴隷は禁止されているハズなのだけれど……。


 イヴさんが唸るように言う。


 「あのジジイ、やりたい放題だな」


 老人は振り返ると、メイド服の女性に何かを語りかけるような仕草をする。しかし、何かを語るでもなく、老人は女性の耳を噛んだ。


 すると、女性は、ビクッと身体を強ばらせ、目を閉じる。その様子を見た老人は、ここからでもわかるほどの下品な笑みを浮かべた。

 


 その様子を見ていたイヴさんは、その女性をお姉さんと重ねているのであろう。歯軋りをして、怒りで肩を震わせていた。


 わたしもすごく気持ち悪いと思った。

 ラナさんは、あんな人と一緒に一晩過ごしたのか。


 早く来れなくて、ごめん。



 イヴさんと一緒に、裏口に回る。

 そこは、案の定、護衛に警備されていた。


 しばらく、そこで様子を見てみる。

 すると、結構、頻繁に人が出入りしていた。


 これならば、あのお爺さんが外から帰ってきたらというシナリオでも押し通せるかな。


 わたしは、ご先祖様から引き継いだ魔法書をひらく。


 そして、詠唱を開始した。

 いまのわたしの技術では困難な魔法だ。


 印堂(みけん)に魔力を集中し、練った魔力を猫耳に移動する。全身に魔力が循環し、お尻の辺りがもぞもぞする。


 気にはなるが、今はそれよりも、やるべきことがある。わたしは両掌を身体の前に突き出し、杖を横にして構える。


 「「真祖たる姿を呼び戻し、……五芒星の擬態(ペンタグラム•シェイプシフター)」」


 すると、わたしの姿と声は、貴族のお爺さんに変わっていく。


 正確にはこれは擬態ではない。

 光を精密にコントロールすることで、対象から『そう見える』ようにするのである。


 その証拠に、イヴさんからは元通りのわたしの姿のハズだ。


 痛っ……。


 鋭い頭痛を感じる。

 わたしは痛みで、よろめきかけた。


 「大丈夫?」


 イヴさんが心配そうにわたしを見ている。


 話すのも辛くて……。

 手を振って、大丈夫なことを伝えた。


 それと……。

 『一瞬先の未来を見る魔法』も必要か。


 昨日、理解したところによれば、これは未来を見るというより、人間のもつ経験則、勘と言ったものを極限まで高める魔法のようだった。その精度は高く、未来視に近いものだが、予測である以上、外れることもある。


 わたしは持参した血を使い地面に魔法陣を描く。

 そして、再び杖を持ち、詠唱した。


 「時を統べし魔の者よ。真理を知り、深淵に至り……、五芒星の叡智(ペンタグラム・ウィズダム)」


 すると、杖の先に小さな五芒星が浮かび上がった。

 わたしは、それを自分の顔に向け、五芒星を自らの瞳に移す。


 頭がガンガンする。

 頭痛がひどい。そして、左手の感覚が麻痺しかけている。


 ゴホッ。


 わたしは急に胸の奥から、鉄臭い何かが上がってくるのを感じ、口を押さえた。手の平を見ると、薄らと血が滲んでいた。


 おそらく、魔力の過剰使用による副反応だ。


 イヴさんが驚いた顔をしている。


 「ソフィアちゃん大丈夫? 尻尾、それに瞳に星が……」


 自分でも、きっとそうなると覚悟はしていた。

 わたしのお尻のあたりからは、黒い尻尾が生えていた。


 星は消えるだろうが、尻尾は消えないだろう。


 セドル君、これをみたらどう思うのかな。

 わたし、嫌われちゃうのかな。



 ……さて、準備はできた。


 激しい頭痛と吐き気がするが、ここで立ち止まることはできない。



 イヴさんには、ここで待っていてくれるように頼んだ。

 中では1人の方が動きやすいということもあるが、背中を任せたいということもあった。


 擬態は長い時間は持ちそうにない。

 救出を急がねば。


 わたしはドアをノックする。


 「誰だ?」


 中から男性の低い声が聞こえてきた。


 「私だ。早く開けなさい」


 わたしは、お爺さんを真似て、できるだけ偉そうに返事をした。


 建物の中で、何か話す声がする。開けるかについて相談でもしているのだろうか。私は固唾を飲んで、扉が開くのを待つ。


 すると、フッと、扉が開く残像のようなものが見える。

 その直後に扉が開いた。


 これが予見眼の力か。


 わたしは建物の中に入った。

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