第11話 3人目のお客様(後編)

 

 ジェイドさんは、部屋にいるハンナが亡くなってしまう光景を見たらしい。


 『心配しすぎです』と言いたいところだが……。ソフィア自身、さっき見てしまった光景のこともある。


 念の為、早く帰ろうということになった。


 聖水の瓶を受け取り、早速、保存の魔法を施す。


 わたしは小さな魔法陣を描き、その真ん中に聖水を置く。両足を肩ほどに開き、両手を肩ほどの高さで構えた。


 「「五芒星の氷室(ペンタグラム•フリッジ)」」


 すると、五芒星が光り、瓶の周りに冷気が漂う。触ってみると、瓶はキンキンに冷えていた。

 

 瓶を渡すと、ジェイドさんは、神殿の露店で、間に合わせのシュトーレンを買おうとしたので、制止した。


 ジェイドさんは、なんで? という顔をする。

 「なんでとめるんですか? 早く買って帰らないと。ハンナが……」


 「ハンナが好きだったシュトーレンは、この露店のなんですか?」


 「違いますが、急がないと」


 「フィールズの集落も近いですよね。せっかくだし、そちらで買いましょう。わたしに考えがあるんです」

 

 

 急いでフィールズの集落までいく。

 フィールズに着くと、シュトーレン屋さんに直行した。店主に焼きたてと食べ頃のものを2つ注文する。


 焼きたてのものを切り分けてもらうと、まだほかほかで、切り口から湯気がたっていた。

 あたりにフルーツとバターの甘い匂いが立ち込めている。


 わたしは、隣の部屋の匂いを嗅ぐ魔法について以前に気づいたことを試そうと思った。


 そう。嗅覚の遠隔共有だ。


 目を閉じるとハンナをイメージして意識を集中させる。


 そして唱えた。


 「「五芒星の芳香(ペンタグラム•センティオ)」」


 すると、鼻先がむず痒くなり、フワッと洗いたての掛け布団のような匂いがした。


 ——成功した実感がない。

 失敗したかも。わたしは心配になった。

 

 そして、何故か頭もむず痒い。

 ジェイドさんが、こちらを指差して驚いた顔をしている。


 「ソフィアさん、耳、耳が生えてますよ!!」


 あっ、と思い、フードを被り直す。

 「耳? フードのネコ耳のことですか?」

 

 ……さすがに苦しいかな?


 すると、ジェイドさんは。相槌を打った。

 「あ、わたし見間違えちゃいました。もう老眼が来たのかな……」


 さすが大人の男性だ。

 面倒くさくなりそうなことには首を突っ込まないという嗅覚を備えていらっしゃる。


 本当はね、フィールズを散策したかったのだけれど。今回は急ぎなので、そのまま集落を後にした。


 帰り道は、とにかく馬に頑張ってもらって2日ほどでロコの村に戻った。


 神殿にいる時から、ハンナの事が気がかりであったが、ロコ村が見えたあたりから、一気にリアリティが増してくる。


 ハンナとの距離に反比例して、どんどん心配な気持ちが大きくなっていくようだった。

 

 ハンナの家につき、ノックの返事を待たずに階段を駆け上がる。


 なんだか嫌な冷や汗が出る。


 ハンナの部屋に入ると、ハンナはベッドに横たわっていた。

 ベッドの横には、ハンナのお母さんが座って泣いていた。


 先日、涙を拭っていたハンカチは。

 いまは、ハンナの顔を覆っている。


 その様子を見て、わたし達は察せざるを得なかった。


 間に合わなかった。


 2人が戻る前に、ハンナは亡くなってしまった。


 ジェイドさんはベッドの脇に両膝をついて話かける。

 「ハンナ? 返事をしてくれないかな? ね。お兄さんをからかっているだけなんだよね……?」


 返事がないことなんて分かっているのに、そう言わずにはいられないのだ。


 ジェイドさんは涙を流している。

 優しい人だな、と思った。


 わたしの方は、悲しいんだが実感がないというか。なんだか、絵画の中の光景を見ているような感覚だった。

 

 考えてみれば、物心をついてから、人が亡くなるのを見るのは初めてだった。


 『ごめんね、ハンナ』


 少しの間を置いて、ハンナのお母さんが話しだす。

 「せっかく神殿まで行ってもらったのに、ごめんなさい。ハンナは昨日の昼に息を引き取りました。ずっとジェイドさんに会いたいって言ってたんです。

 でも、亡くなる前の日に、突然、『お兄ちゃんがパンを買ってきてくれる』と言いだしたんです。

 なんでも、あまーいパンの匂いがするって。フルーツとかバターとかいっぱいで早く食べたいって。実際には食べられなかったけれど、ハンナはとても嬉しそうでした。ありがとうございます……」


 ペンタグラム・センティオの魔法。

 届いてたんだ。


 何にもしてあげられなかったけれど、喜んでいてくれたのなら、それだけは救いのように感じた。


 ハンナのお母さんは続けた。


 「そういえば、昨日の夜中、不思議な夢を見たんです。私はハンナのそばにいたんですが、蝋燭をもったローブの女性と、神官服をきた金髪の女性がやってきたんです。

 神官様は何も話さずに。ただハンナの手を握って。何かを唱えると、娘の身体がホワッと光って。すると苦しそうな表情だったハンナの表情が少しだけ穏やかになったんですよ。

 神官様は『何もできなくてごめんなさい』と言い残すと、申し訳なさそうな顔をしていて」


 ジェイドさんはハッという顔をした。

 「その神官は何と唱えていましたか?」


 「ちゃんとは聞き取れなかったのですが、なんとかの審判と言っていたような……」


 すると、ジェイドさんは口を押さえる。

 「ウルズ様はちゃんとハンナちゃんを見守っていてくれたんだ」


 ジェイドさんは手を組み合わせ、ハンナとウルズに祈りをささげるのだった。


 今回、わたしは何もできなかった。

 なので、ジェイドさんに魔法書を返すというと、ジェイドさんは拒否した。


 「ソフィアさんが居てくれたので、最後にハンナちゃんを喜ばせる事ができたんです。そんな魔法書じゃお礼には足りないくらいですよ」

 

 ジェイドさんはそう言いながらも、肩を振るわせ、歯を食いしばっている。


 いつも軽々持っている聖典が、今日はすごく重そうに見える。


 きっとすごく無力感を感じてしまっているんだと思う。

 

 わたしは神殿で見た光景を伝えた。


 「神殿で、ジェイドさんがお祈りしている時に、女神様がジェイドさんに雫を落としているのが見えたんです」

 

 すると、ジェイドさんは少しだけ、微笑みかけてくれた。


 「ウルズ様に願いは届いていたんだと思います。それで聖典のように、現世では不在の大神官を連れてハンナちゃんのもとを訪れてくれた。

 さっきのお母さんが言っていた言葉は、きっと、運命の審判だと思います。ハンナちゃんは審判を受けるチャンスを与えてもらった。

 けれども、運命の審判はハンナちゃんの死の運命を是とした。悲しいことですが、そう思うんです」


 そうか。きっと、そうなのだろう。

 ジェイドさんは、神官としてやるべきことをして主神もそれに応えた。


 だけれど、わたしは、できることを全部できたんだろうか。


 もっと魔法を知っていれば。

 もっと研鑽を積んでいれば。


 ハンナは助かったのではないのか。


 そう思うと、今更ながらに涙が出てきた。

 まぶたを擦っても、止まらない。


 自分自身の無力さに。


 そして、ハンナは二度と目を覚ますことがないという実感が押し寄せてきたのだ。



 わたしは今、どんな顔をしているのだろう。

 ネコ耳のフードを深く被って、家路に着いたのだった。

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