第10話

緊張した空気が弛緩した。

射累々天呼は、着物を締めた帯を、震える手で緩ませる。

呼吸が苦しくなっていた、帯を緩ませて大きく呼吸をしていた。


「はぁ…はッ…契約成立、だ」


影明は座っているのもやっとだった。

体を支える筋肉が緩んでいて、彼の身体は畳の上に倒れた。

ぐったりとしながら、影明はうつろな瞳で射累々に言う。


「だから、早く、薬、を」


毒を盛った状態で茶を飲んだ。

そしてもしも影明が頷いたのならば、解毒薬を差し出すだろう。


「解毒薬、持ってるんだろ?何処に、早く、薬、をッ」


と言う事は、少なくとも、誰かが解毒薬を持っている筈だ。

それは、射累々天呼では無い。

同じ様に毒を呑んだ、そして手足が動かなければ、薬を口に運ぶ事が出来ない。

であれば、この空間に佇む、もう一人の女性に目を向けた。


「はぁ…はぁッ…散、薬、を」


邪継舘散。

彼女がこの計画を知らなければ、今頃、慌てていた筈だ。

だが、彼女は冷静さを保っている。

それを見る限り、彼女もこの計画に一枚嚙んでいる事は明白だった。

射累々天呼が、薬を飲ませる様に言うのだが。


「すぅー…ふぅぅ…ッ」


激しく呼吸を乱しながら、胸と股を手で隠す仕草をしている邪継舘散。

彼女の顔は赤く紅潮していて、まるで風呂に入っているかの様にのぼせていた。


「散…?」


彼女の顔を見て、何か恐ろしい予感を感じた射累々天呼。

その予感とは、即ち、女の感、と言うものだった。


「も、申し訳、ありません、お嬢様、ただいま、薬、を」


彼女は、身体を痺れさせながら、ゆっくりと射累々天呼の方へと歩く。

そして、胸元に隠していた薬を取り出すと、それを射累々天呼の口へと付ける。


「さあ、さあ、どうぞ、お嬢様…」


矮小な瓶を口に添えられて、射累々天呼は、喉を鳴らしながらそれを呑んだ。


「ん、くっ…ふぅ…ふぅ…これで、暫くしたら」


すぐに薬が効くわけではない。

だが、呑んだ事で少なからず、薬が効いてきた気がしていた。

射累々天呼が薬を飲んでいる様を見て、影明も解毒剤を欲した。


「俺、にも…薬、を…」


口から漏れる吐息。

気配の操作など、出来る状態では無かった。

それは、毒を呑んだ時から、操作などしていない。


「くっ…なんだ、貴様、その言い方は」


影明は邪継舘散の顔を見て、彼女の目が据わっている事に気が付いた。

顔面の紅潮、まるで自慰を我慢しているかの様な顔に、影明は失態を抱く。


「貴様は、一体、誰にものを言っているつもりだ、生意気だぞ」


そう言って、もう一つの瓶を取り出す。

それを、口に含ませると、影明に近付く。


「そんな、生意気な、奴には…ちゅむっ」


彼の頭を持って、邪継舘散は、影明に近付くと。


「え…ぐぷっ」


邪継舘散の舌先が、影明の口の中に入ると、解毒剤の冷たさが喉奥に流し込まれた。

喉を鳴らして飲む影明、彼女の舌先の事よりも、毒の解毒を優先した。

舌先で、口の中を弄られる影明、彼女の息が持たない為か、すぐに口が離れる。


「ん、ふっ、ぷふ…はあ…どうだ、貴様っ」


舌を出して口の周りを舐める邪継舘散。

彼女の蠱惑的な表情から察するに、影明の生命力に酔ってしまったらしい。


影明の口から滴る解毒剤を、彼女は舌を伸ばして舐め取る。

彼の顔を見ながら、彼女は解毒剤の入った瓶を揺らした。

ちゃぷり、と、音が聞こえて来る。

影明に与えた解毒剤は、まだ半分も残っていた。


「まだ、まだ…薬は半分も飲ませていないぞ?」


挑発的な目線で、邪継舘散は言った。

そんな彼女の行動を、射累々天呼は青筋を立てながら怒りを覚えている。


「は、散…テメェ、なにを…っ」


主を差し置いて、一体何をしているのか。

憤りを見せつける射累々天呼に、邪継舘散は、鼻高々に語った。


「ふふ、お嬢様、もう少々お待ち下さい、今、この男を屈服させますので…」


彼女の目的は、影明の身も心も服従させる事だ。

射累々天呼を病的なままに崇拝している邪継舘散に服従すれば、それは即ち、射累々天呼に服従した事も同じ、と言う理論だった。

そんな筈は無いだろうが、今の彼女の知能は低下していた。


「さあ…影明、死にたくないだろう?ならば、懇願しろ、私に、薬を欲しいと言え」


瓶を揺らして、影明の前に座る。

薬を飲まなければ、影明は死んでしまう。

半分以下の解毒剤を飲まされたが、死んでしまう可能性が高かった。

彼女の外道的な行動に、思わず射累々天呼は罵る。


「な…さい、あくだ…お前…ッ」


薬が効いているのか、彼女の意識はゆっくりと低下しつつあった。

そんな主の言葉など耳に入っていないのか、すっかり興奮しきった状態で邪継舘散は乗って来た。


「はぁぁ…あぁ、ほら、言え、言うのだ、でなければ…貴様の口を吸う口実が無くなるじゃないか」


影明は、恥を忍んで彼女にお願いをする。


「く、クソ…薬、薬を、くれッ」


その言葉を聞いた邪継舘散は、征服する悦びを感じた。


「よく言った…良いだろう…くれてやる…思う存分、口の中を犯すが良い」


そう言って再び瓶に口を付ける邪継舘散は、薬を口に含めた状態で影明に近付いた。


「ちゅ…ちぅッ、ん、ぷっは」


口元を合わせて、彼女の唾液と混ざった解毒剤を影明に流し込む。

熱が流れていく様な気がして、邪継舘散は興奮していた。

水が撥ねる音を響かせながら、接吻を行う二人。


「はぁ…はっ…」


透明な唾液の糸が、二人の唇から引いていた。

呼吸をしている影明、一瞬の休憩を得たが、即座に邪継舘散が、影明の頬を掴む。


「唾液だ、もっと寄越せ、飲ませろ…お前の、全て、存分に…ッ」


影明の生命力が混ざる体液を、邪継舘散は欲していた。

その光景を、身体が動かない筈の射累々天呼は見ていて、最早限界だった。


「いい、加減、に」


怒りを浮かべる射累々天呼。


「はぁ…はぁ…唾液で、これ程の興奮ならば、それ以上なら、一体どうなるんだ…はぁ…ッ」


彼女の指先が、影明の下腹部をなぞった瞬間。

二人の背後から、怒りが爆発した。


「好い加減にしろって、言ってんだろォが…邪継舘ィ!!」


射累々天呼が叫ぶと共に体が動き出す。

そして、その怒声に我に返る邪継舘散は恐れを抱きながら後ろを振り向いた。


「え、あッ、お、お嬢様ッ!?お早い復活で、きゃんッ!!」


暴力と言う躾が、拳となって邪継舘散の頭頂部に降り注いだ。





射累々家の屋敷には、現当主の下、臣下である武将級達が揃う。

方針会議では、射累々家の娘である射累々天呼の呼び掛けに応じ、天呼派閥の臣下が揃った。

その内には、射累々天呼の実母にして、射累々家現当主として座に就く射累々いるる冥冥めめが会議に参加していた。


「御母様、態々、会議に参加して下さるだなんて…」


彼女は母親に向けて作り笑みを浮かべた。

射累々冥冥は、射累々天呼の姉君かと勘違いされる程に年若く見える。

決して、若作りをしている事は無く、純粋に彼女の肉体が全盛期の頃を維持している。

これは、魑魅魍魎の妖力を得た事で、魑魅魍魎特有の捕食による強化が、健康状態や老化現象を回復している扱いになっている為だった。


「だって、気になるもの、貴方が引き入れた、子の事が」


子とは、即ち、影明の事だ。

武人級であり魑魅魍魎を得ていない影明を射累々家の門を潜らせた事を、射累々冥冥は不思議で仕方が無い様子だった。


「彼は、貴重な人材ですので」


母親の前では、彼女は敬語を使い、外向け用の微笑みを張り付けている。


「ふぅん…貴方が選んだのなら、好きにすれば良いわ」



彼女を一瞥すると、目を細めて頬を朱に染める。



「かくいう母も、実力があれば身分の差も無く、孕んでは産んで孕んでは産んで…」


「御母様、そういう話は聞きたくないですわ、本当に、キツい」



母親の性事情など聞きたくなかった。


「先ず、影明と言う存在はとても貴重です、魑魅魍魎の力を持つ者に対して、能力を向上させる程の生命力を持ちます、体液を媒介に、生命力を呑む事で、実際に私の異能が上昇しました」


「お嬢様、奴の体液は確かに凄まじい生命力ですが…人によって向き不向きがあります、少なくとも私は、奴の唾液を呑んだ事で酔ってしまい、力が上手く扱えませんでした」


二人の会話に入るかの様に、手を挙げて射累々冥冥が割って入る。


「ちょっと待って…二人とも、体液を摂取したの?…体液って事はつまりせいえ」


「黙ってろババア」


思わず母親を貶す様な言葉を口にする。

まあ、と口を開けて手で口を覆うが、傷心している様子では無い。

むしろ彼女の初心な態度に可愛らしいと微笑んでいた。


「話を折ってごめんなさい、ふふ、母は黙ってまーす」


微笑みを浮かべながら口元を指でバツ印の様にしながら口を閉ざす。


「ッたく…で、アイツを引き入れる上で、重要な事がある」


邪継舘散は彼女が言いたい事を察して先に言った。


「奴の素性ですか」


「そうだ、いきなり、アイツが射累々家の専属部隊に引き入れたら、何故、あの男が名家である射累々家に入ったのかと疑問が浮かぶだろ?」


当然の疑問である。


「そうなると、アイツの能力に対して他の奴等が調べる筈だ、猛能之武の性能を引き上げる特異体質があると言うのなら、他の家系からは喉から手が出る様なモンだろ?」


猛能之武の能力を上昇させる強化が期待される以上、他の武家にとっては消耗品として見れば貴重な存在だ。

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