第9話
体中が痺れている。
体内では熱の様なものが燃え広がっている。
辛うじて意識がある事が恐ろしい。
影明は、目の前に居る彼女の事を見つめていた。
「(何を、馬鹿な真似を、しているんだ)」
彼が言っているのは、毒を仕込んだ事じゃない。
彼は、目の前に居る射累々天呼の動向を見ていた。
無意識とは言え、決して彼女の動きに対して不信に思う事は無かった。
それは即ち、最初から茶の中に毒が仕込まれていたと言う事。
その毒入りの茶を、彼女が最初に口にしたのだ。
「(射累々様…貴方も、先程、茶を飲んだ筈ッ)」
その事に対して、影明は馬鹿な真似と言った。
彼女も毒の仕込まれた茶を飲んだと言う事実。
そして、影明の思う通り、彼女も次第に顔色が悪くなっている。
布巾で自らの口元に沿えると、彼女は咳き込んだ。
そして、指先が震えていて、すぐに布巾が手から零れ落ちてしまう。
「ひゃひゃ…あぁ、苦しい…」
口の端から血が流れていた。
影明の目論見通り、彼女も毒が体内に巡っているらしい。
「(血…なんで、自ら毒を…ッ!?)」
決して理解出来ない事だった。
毒など、自分一人に仕込ませればそれで十分だろう。
なのに、何故…射累々天呼は自ら同じ様に茶を飲んだのか。
影明の顔を見ながら、彼女は渇いた笑いを浮かべている。
「悲しいよなぁ、折角、好待遇にしてやったのに」
段々と、その瞳には光を失っている。
「それすら拒むって事は、どうせあれだろう?」
口調が可笑しくなっていて、彼女の精神は不安定になっている様に見える。
「私の傍に居たくないって事なんだろう?」
瞳から一滴の涙が零れ落ちた。
毒によって顔が青褪めている様が相まって、まるで死人の様な表情をしている。
「ざけんな、クソ野郎、私を穢して許されると思ってんじゃねぇぞ?」
彼女が何故毒を呑んだのか。
それは、もしも影明が断った事を想定しての事だ。
「辱めを受けて平気なワケがねぇ」
清純だった己を、辱めて接吻を奪った相手。
更には発情してしまった自分の姿を見られた。
こうなれば、もう、他人の家に嫁ぐ事も出来ない。
「テメェが、私を否定するってのなら…」
ならば、彼を引き入れる事で自分の気持ちの整理をしようとした。
此処まで自らを穢したのだから、その責任を取れと言っている。
だが、影明がそれを拒否したのならば、残るのは穢れた彼女と言う事実だ。
その様な状態で、生き恥を晒し続ける事など出来ない。
「私と共に死ね」
故に、影明を殺して自分も自死する。
それは最早、自暴自棄の様に近い。
「私のモノにならないテメェに意味はねぇんだよッ」
涙を流して彼女は叫んだ。
精神が不安定になっている彼女を見て、影明は脳内で叫ぶ。
「(…無茶苦茶だ、この女ッ)」
影明の背後に居る邪継舘散も涙を流していた。
「お嬢様、それ程までに…くッ」
彼女の覚悟に心を打たれたらしい。
泣いている暇など無いと、影明は彼女を見た。
「(あんたも、彼女を止める様に言ってくれッ)」
自分の主の命が大事だろうと、影明は思った。
影明の考えている事を分かっているかの様に、邪継舘散は彼に告げる。
「貴様、お嬢様は貴様を認めているのだ」
その言葉は、影明にとっては意外な事だった。
常に怒りを見せる彼女の風貌、死すら連想される挙動。
それらを踏まえれば、決して認められた等とは思えないからだ。
「だからこそ、貴様に呑ませる為の毒を自ら飲んだ」
影明を本気で欲している。
だから、その覚悟を示す為に自らも毒を呑み込んだ。
「お嬢様は欲しいものはどんなものでも手に入れるお方だからな」
幼少期の頃から、彼女の事を知る邪継舘散だからこそ、そう言えるのだろう。
「手に入らなければ、それに意味は無い、普段ならば自らの手で壊すか、興味を失うかだ」
しかし、彼女が選んだ選択は、邪継舘散も想定外だったらしい。
「それなのに、お嬢様は貴様と心中する気なのだ」
今まで見せた事の無い行動。
それ程までに、彼女が本気で影明を欲しているのが分かった。
だからこそ、口惜しいと思っている邪継舘散。
自分では彼女の本気を出す事が出来なかった不甲斐なさに、そして、命を懸けてでも影明を欲していると言う事実に対する嫉妬。
「それ程までに貴様が欲しいのだッ分かるか?!」
声を荒げながら、影明に責め立てる。
射累々天呼の願いを叶えられるのは、影明だけなのだ。
「貴様も男ならば、お嬢様の願いに答えないかッ」
気概を見せろと言う。
その言葉に、反応したのは射累々天呼だ。
彼女の言い方が、まるで愛した男を未練がましく思っている女に大人しく責任を取れと言っている様に聞こえたからだ。
「ちッ、そういう意味じゃねえッ!私の言葉を代弁した様に語ってんじゃねえッ!!」
叫び、邪継舘散の言葉を否定する。
まさか、否定されるとは思わなかった邪継舘散は驚きの表情を浮かべた。
「ち、違うのですか!?」
彼女の想いを汲み取ったつもりだったが、それでも浅かったと邪継舘散は自らの不甲斐なさを恥じていた。
そんな二人の芸を見せられて、影明は必死に体を動かそうとしていた。
「(…く、そッ手、手が…ッ)」
手脚が痺れている。
逃げようにも逃げれない。
「(…腕が動かない、こんな所で、死んでたまるか)」
次第に、心臓も停止してしまうのだろう。
そうなってしまえば、彼の目的は遂げる事は難しい。
そうなる前に…影明は、口を開いた。
「く、はッ…」
最早、声を漏らす事すら惜しまない。
どうせ死ぬ身、ならば形振りなど構っていられない。
「な、あ…射累々、様」
彼女の名前を口にする。
その言葉、彼の声色を聞いて、射累々天呼は驚き目を大きく開いた。
「…喋った」
その反応を見ながら影明は続けて言う。
「俺、俺は…こんな所では、死ねないッ」
彼女は、影明を欲した理由を告げた。
ならば今度は、影明が理由を口にする番だった。
影明の願い。
それは実に単純な事だった。
心の内に、延々と沈み込ませていた生きる糧を、彼女に告げる。
「俺は、魑魅魍魎を倒す為に生きている」
自らの村を滅ぼした魑魅魍魎。
その化物を倒すまで、影明は死ぬ事は出来ない。
復讐心に燃えている彼は、それ以外に脇目をする気も無いのだ。
「その為に、俺は命を懸けてるんだよ」
ただでは死ねない。
魑魅魍魎を倒すまで、影明は無意味には死ねないのだ。
「だってのに、温い環境で、一生飼い慣らされるなんて、ゴメンだッ」
彼女の行った提案は素晴らしいものだ。
普通の人間ならば有難く手を伸ばして権利を手にするだろう。
だが、彼の手は、魑魅魍魎を殺す為にある。
怨敵の血で濡らす為に、彼の手は空いているのだ。
「俺は…自分の手で、俺の村を滅ぼした奴をぶっ殺すんだよッ」
その願いの為に、影明は彼女たちを見た。
射累々天呼が影明を利用する理由は知った。
「俺を利用するなら利用しろッその代わり」
ならば、影明も、彼女たちを利用する事に決めた。
「俺も貴方を利用する…ッ」
射累々天呼は、猛能之武の中でも上位に位置する武将級。
彼女の下で活動すれば、多大な恩恵を得る事が出来る。
「武将級の地位、専属部隊の一員として」
恩恵を得られるならば。
この血、この肉、この生命力。
全てを彼女たちに捧げる事を此処に誓う。
その代わり。
「俺を鍛えてくれ、俺を、俺の村を襲った魑魅魍魎の元まで導いてくれッ」
任務の果てに行き付くであろう、彼の村を滅ぼした魑魅魍魎を殺す事を、彼女たちに約束させる。
「これは、俺と、貴方の契約だッ」
彼の目から血が流れていた。
毒による影響だろう。
眼から血が流れる程になれば、恐らく、危険な状態だ。
「俺の全てを使わせるから…俺を、そこまで連れて行ってくれッ!!」
動かない筈の手を、影明は伸ばす。
指先が紫色に変色していて、動かすだけでも激痛だろう。
だが、同じ思いをしている射累々天呼は、彼の本気を見た。
この男の命は、復讐の為に燃えている。
此処で、毒で殺すには惜しい逸材だと、感じさせてしまった。
「‥はっ、何を、言い出すと思えば…」
彼女は笑った。
その姿に惚れ直した。
だから、彼の願いを叶えたいと思った。
支えたいと思ってしまった。
「テメェの利用価値なんざ…生命力しかねぇってのに…」
後生大事に屋敷に閉じ込める筈だった。
しかし、その思いは消え、彼が前線で戦う様を思い描いてしまった。
それが似合う男なのだと、彼女は思ったのだ。
「とんだ、馬鹿雄じゃねぇかよ…じゃあ」
彼女は息を吐く。
毒によって熱が籠った吐息だ。
諦めにも似た息だった。
「それで、良いぜ、テメエがそれを望むのなら」
彼の言葉に、彼女は頷く。
その頷きが、契約完了の意を示した。
「それで、お前が、私の下に下るのなら、それで…」
屋敷で飼う。
共に前線へ赴く。
どちらにしても。
彼女のものになるのは先ず間違いない。
だから、射累々天呼は、頷いたのだった。
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