第7話


廊下を歩く二人。


「…」


何も言葉を交わさず、影明は空気の悪さを感じていた。


「(気まずい、…と言うか、これ程までに、廊下が長いとは思わなかった)」


新品同様に磨かれた廊下や贅沢に使われる発光石の灯。


「(商いの出とは聞いていたけれど…まさか、これ程までに屋敷が大きいとはな)」


関心すると同時に、不安も脳裏に過りつつあった。

そんな彼の心中などどうでも良さそうに、邪継舘散が話しかけて来る。


「おい」


その声に、一度影明は無視をした。


「(…)」


まさか、自分が声を掛けられるとは思ってもみなかったからだ。

再度、邪継舘散が振り向くと、影明に向けて話しかけて来た。


「…おい、貴様、声を掛けたのだから、直ぐに返事をしろ」


そう言われて、ようやく自分に話し掛けたのだと影明は察する。

しかし、彼女の言葉に対して、影明はどういうか困った。


「(…あ、そうか、そう言えば、彼女は俺が喋れない事を知らない、のか)」


彼女が此方を見ているので都合が良いと思った影明は、自らの口元に指を重ねて置いた。

バツの印の様にすると、彼女が訝し気な表情を浮かべる。


「なんだ?口に指を重ねて、なんのつもりだ?」


伝わって無かった事に、影明は残念そうに思った。


「(紙と筆があれば、な…)」


それか、もう一つ、伝える方法がある。

しかし、それはもう片方の教養が無ければ出来ない事だった。

彼の動きを察してか、邪継舘散は何となく、自分の考えを彼に伝える。


「もしかして、喋れないのか?なら、指鳴りを使えば良いじゃないか」


指鳴り。

その言葉を聞いて彼は顔を上げた。

一応、彼の首元には、指鳴りと呼ばれる音を鳴らす為の道具を提げていた。


「(指鳴り…言葉が喋れない者が、意志疎通の為に音を利用した言語)」


指鳴りを親指と人差し指で挟み、押し込むと音が鳴る。

その音の鳴らし方を変えて、音を組み合わせる事で、言語を作るのだ。

だが、指鳴りはその言葉の意味を知る人間で無ければ伝わる事が無い。

故に、教養が必要なものだったのだが。


「こう見えても、ある程度の武芸は身に着けている、出来ぬとは言わせないぞ」


逆に、指鳴りが使えない事を彼女は影明に聞いた。

無論、言葉を使わなくなってから、指鳴りは彼も勉強をしたのだ。


「(…声が出せない方が都合が良いから、指鳴りを練習したが、まさか理解出来る人間が居るとは思わなかった…教養がある、と言う事なのかな)」


指鳴りを使い、音を鳴らし単語を作る。

それを彼女は聞いて、ふむ、と頷いた。

そして、単語が完成すると、彼女は指を鳴らして答える。


「ふむ…『試験』、か…フッ、貴様、私を試しているのか?」


余裕の笑みを浮かべる邪継舘散。

どうやら、通訳が可能である事を、影明は悟った。


「(どうやら、本当に理解出来ているらしい)」


これで意思疎通が取れると、影明は思った。



指鳴りを使って彼女に自分の境遇と体質を教える影明。

それを聞いた彼女は何度も頷いていた。


「『自分』『特異体質』『魑魅魍魎』『引き寄せる』…か」


単語から意味を汲み取り、ある程度の影明の事を理解する。

彼女の言葉を聞いて、影明は本当に理解している事を悟った。


「(大方の理由を教えた所で、ようやく彼女は納得した様子だった)」


邪継舘散は、影明の方を見た。


「そうか、ならば、貴様は稀血と言うものか」


その言葉を聞いて、影明は頷きながら指鳴りを鳴らした。


「(『肯定』)」


と、考えた通りの言葉を鳴らす。


「そうか、大体は理解した、何故、お嬢様が貴様を欲しがっているのか、それすらもな」


どうやら、ようやく納得したらしい。

そしてその納得は、影明の事と、射累々天呼の考えている事。

両方を察する事が出来た様子だった。

そんな彼女の言葉に、影明は首を傾げている。

彼はまだ、何故、射累々天呼の屋敷に来た理由を分かっていなかった。


「(それはどういう…)」


彼が疑問を指鳴りで知らそうとした。

だが、それよりも早く、終点へと行き付いた。

目の前に襖があった。

その前に、邪継舘散が立ち尽くしている。

影明の方へと振り向いて、彼女は襖に手を掛けた。


「ついたぞ、此処がお嬢様の部屋だ」


そう言って、彼女は襖を開く。

部屋の中へと通される影明。

その奥に、彼女の姿が見えた。


「くれぐれも、粗相な真似はするなよ」


少し熱気が籠る部屋だった。

元々、静かな廊下だったが、部屋の中はより一層静寂に包まれている。

部屋の奥には、射累々天呼が居た。

意識を失う前に見た姿とはまた違った、品のある姿をしている。


「(射累々様の姿が見える…此処は、茶室か?)」


周囲を見回す。

茶室の事は知っているが、実際に入った事は無かった。

だから、影明は想定して、茶室を思ったのだ。


「どうぞ、ご客人」


口調が柔らかな射累々天呼。

その言葉に、耳を疑った影明。

彼女がまさか、自分の事を客人と言った事に対して驚きを隠せない様子だった。


「(客人…?俺の事か、何故わざわざ、こんな真似を)」


何故、自分よりも地位の低い人間をこのような場に連れて来たのか。

それが影明にとっては分からない事だった。

背後から邪継舘散が耳元で囁いた。


「ほら、早く入れ、影明」


急かされて、彼女の元へと向かう。

其処で影明は、射累々天呼の前に座る事となった。


「(一体、これから、何の話をするんだ?)」


影明の脳裏にはその様な疑問が思い浮かんでいた。

この後、何が起こるのか、彼には頭目知らない事だった。


「先ずは、茶でも一杯、如何かしら?」


茶碗に淹れられた茶を覗き見る。

影明にとっては初めての飲み物だった。

これは本当に飲み物であるのか、と疑問に思っている。


「(茶…初めて見る、この薬草を潰した様な色合いの、湯を飲めと言うのか?)」


草の味は良く理解している。

口の中を切り裂く程に硬く、味は汁気が無く、苦味しか無かった。

飛蝗を齧っている様な感覚がしていて、あまり得意では無かった。

そんな彼の顔を見て、射累々天呼は微笑んでいた。


「茶道には、色々な礼儀がありますが…どうやら貴方は初めての様子」


着物の袖で口元を隠して笑う素振りをしている。


「心配せずとも、礼儀がなっていなくても、それを咎める様な真似はしませんわ」


茶道とはより自由なものだ。

人によって詫び寂びの感じ方は違う。

作法などは、あくまでも人を不快にさせないようなもの。

元来、作法に縛られる事が茶道ではない。


「(射累々様が、笑った…こんな、邪気の無い表情は、初めてかも知れない)」


影明は彼女の顔を見てそう思った。

元々、影明は彼女の邪悪な側面しか見た事が無かった。

だから、彼女が無邪気に笑う様は、実際の所、これが初めてだった。


「(取り合えず…呑んでも大丈夫、なものなのか?)」


茶碗に手を伸ばす。

手に取ろうとするが、何か罠が仕掛けてありそうで、取る勇気が出て来ない。

そんな影明の心理を読んでか、鷹の様に鋭い目つきをしながら、邪継舘散が声を出す。


「飲めないのか?お嬢様が点てた茶だぞ?」


そう言われて、強制されている様に思えた。


「(…飲まない、と言う選択肢はないのか)」


出した手を引っ込めようとした時。

射累々天呼が、茶碗に手を伸ばして、それを手に取った。


「まあまあ…警戒するのも無理も無いでしょう、だったら…」


行儀良く両手で掴むと、彼女は茶を呑み出した。

一度、二度、三度、口に含めて、喉を鳴らす。


「ん…くっ…ふぅ…美味しい…」


半分ほど呑み切った所で、それを影明の方へと渡す。


「呑んでも、大丈夫だと言う事が分かったかしら?」


そう言われて、影明は射累々天呼の方を見た。

何かされているのならば、こうして堂々と飲む事は無いだろう。


「(…ここまでされて、呑まないと言う選択は無いな)」


警戒を解いた影明は、彼女に倣い、茶を飲む。


「…」


喉を鳴らして、熱い茶を流し込んだ。

味など、苦いと言う言葉しか出て来ない。

甘いものがあればまた別なのだろうが、此処にはそれが無かった。

一気に飲み干した所を射累々天呼は見て、彼に伺う。


「どうかしら、美味しい?」


そう聞かれたと同時、背後に立つ邪継舘散から答える様に急かされる。


「美味しいと言え、貴様」


言葉は喋れないと何度も言っている。

影明の脳裏にはその様な言葉が浮かんでいた。

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