第5話




彼女の狂気を目の当たりにした影明は狼狽えた。


「(依存症でも発症したのか、射累々様は…ッ)」


求める様に彼の身体を掴んでいて離れようにも離れない。

影明は自らの汚れた血の事を考える。


「(俺の血は、それ程までに、魑魅魍魎に魅かれる味だと言うのか?)」


任務中は細心の注意を払い気配を断ってきた。

生命力を流さず、怪我をした際、血に生命力が混ざらぬ様に徹底した。

だから、これ程までに乱れるなど、想定すらしていなかった。


「(求められるのは悪くないが、それでも複雑だ…ッ)」


影明もまた男である。

絶世の美女に言い寄られている様で、悪い気分では無かった。

だが…何時までもだんまりを決め込んでいても仕方が無い。

何れ、彼女も痺れを切らして、目を大きく開きながら叫んだ。


「おい…なに、急に生命力を抑えてんだ…私が、欲しいと言ってんだろ…ッ」


鼻から流れる血。

手で止血しているが、生命力が流れない様に調整していた。

だが、彼女は匂いで生命力が血に流れていない事を察したらしい。

喚き立てる射累々天呼の言葉に、頑固として生命力を流さない様にする。


「(虜にしてしまうのならば、抑えなければ…ッ)」


彼女の異変。

それは確実に、俺の生命力が起因としている。

彼女に冷静さを取り戻して欲しいのならば、その原因となる生命力を閉ざせば良いと考えた。


「ざけんじゃねェ、テメェぶっ殺して腸啜ってやっても良いんだぞォ!!」


だがそれは、余計に彼女の反感を買う行いだった。

怒りが混ざる彼女に、影明はそれでも頑なに生命力を吐露する事を嫌った。


「(これ以上は、ダメだ…武力を以て制するしか…だが、俺にそれが出来るのか?)」


最悪、彼女との戦闘すら考える。

武人級と武将級。

その争いは正しく天と地の差だ。

彼女に分がある事は明らかだろう。

真剣な目をする影明。

その彼の眼差しを見た彼女は、ふぅ、と息を漏らした。


「はァ…はッ…分かった、分かったよ…じゃあ」


ゆっくりと手を離す。

ようやく分かってくれたか、と影明は思った。

だが、その予想は裏切られる。

彼女の手に持つ鏡刃、それを、影明の方へと向けた。


「体ァ、動けなくして、…そんで、無理矢理、搾り取ってやる…ッ」


その言葉と共に、影明に向けて白銀羽根を放つ。

光線の如き線を描くと、彼の顔の横を通り過ぎる。


「(鏡刃、でッ…クソッ!!)」


唯一残っていた小屋の壁が、先程の一撃で壊された。

これで、彼が戻るべき家は無くなってしまった。

彼女は、楽しそうに笑っていた。


「あひゃ、ひゃははッ!最ッ高に良い気分だ、こりゃあッ」


影明の生命力を得た状態。

この状態での戦闘がどうしようも無く、気分が良いらしい。

内に秘められた鬱憤が、開放されるような気分だった。


「もっと寄越せ、寄越せ、私に、お前の全てをしゃぶらせろッ!!」


舌を出して、彼女は指先に付着した血を舐めた。

気分が高揚している射累々天呼を見て、彼は腰に差した刀を構える。


「(出来るか…そんな事ッ!!)」


全てを差し出す事など出来ない。

距離を取って身構える影明。


「はぁ…はぁぁ…あ?」


息を切らす様に呼吸をする彼女。

その二人の間に、未明の空を裂く雷が散った。


「…ッ!?(なんだ、雷鳴ッ!?)」


音に驚く影明。

そして、その音の鳴る方へと視線を向けると。

別の人間が、立ち尽くしていた。


軽装の甲冑を身に纏う黒髪の女性だ。

体中から、紫の雷の糸が散っている。

彼女は、影明を見もせず、白銀の美女を、射累々天呼を見て言った。


「…お嬢様、一体、これはどういう事ですか?」


お嬢様。

と言う言葉に彼は首を傾げる。

その服装、腰に携える鏡刃。

明らかに自分とは違う存在に興味を示した。


「(別の女性…いや、刀から雷が…だったら、少なくとも武士級の猛能之武か?)」


鏡刃から異能を発する事が出来れば、少なくとも階級は武人級よりも上だろう。

そう想定する彼と、苛立ちを隠せず、汚らしい男勝りの口調をする射累々天呼。


「なんだよ…何しに来やがった…はららぁッ」


散。

それが、彼女の名前なのだろう。

それが苗字であるのか、名前であるのかは、まだ彼には分からなかった。


「(なんだ、知り合いか?)」


その口ぶりからして、少なからず二人の間に深い関係がある事が分かった。

散と呼ばれた彼女は、鉄を被った様な素の表情で、彼女に言う。


「辺境遠征の帰還日時が遅れた為に、こうして確認しに来たのです」


辺境遠征。

中ツ籠の国の外の世界の事。

領土拡張の為に、外側に存在する魑魅魍魎を討伐する事を目的にした仕事だ。

最悪、武将級で無ければ任命される事の無い重要な仕事。

どうやら射累々天呼は、辺境遠征の帰りに、第九八地区・首仏に寄ったらしい。


「お嬢様が利用する区域地点を確認し、此処まで来たのですが…一体、これはどういう事ですか?」


惨状を見て彼女は聞いた。

乱心している射累々天呼。

鏡刃を変化させて、異能を使役している。


「(射累々様は、確か実家が商いをしていて、富豪層だったと聞く…お嬢様と言うのは、即ち、彼女は射累々様の女中か付き人なのだろうか…)」


影明は、何度も何度も、散と言う女性がお嬢様と呼ぶので、射累々天呼の境遇を思い出した。

商いをしている射累々家は自衛の為に鏡刃を持つ。

その中でも、半ば勘当しつつある射累々天呼は、現在は実力で武将級に至り、猛能之武に貢献している。


「うるっせェよ…今は、イい所なんだ…体中、飢えて仕方がねぇんだよォ!」


自らの手で体を抱きながら、彼女はそう叫んだ。

その言葉に、お労しやと、鉄仮面だった彼女の表情が崩れる。


「お嬢様ッ!一体、何が…ッくっ」


知人であろうと容赦無く、白銀羽根が飛ぶ。

それを散と言う女性が紫電を解放して白銀羽根を弾いた。

その瞬間を狙い、射累々天呼は影明に距離を詰めた。


「(こっちにッ!)」


両手を使い、影明の手首を掴む射累々天呼。

ようやく捕まえたと言わんばかりに頬を歪ませて笑う。


「はぁ…はっ、捕まえたぞテメェ、煩わしい真似しやがって、どうせテメェなんざ、私の金で買える程度の命だろうが、逃げようとしてんじゃねェぞ…ッ」


顔が近づいて来る。

彼女が何をしようとしているのか察した影明。


「(ま、不味い…誰か、助け…)」


口を開き、彼女の唇が影明の口を覆うと、熱した舌先が彼の口をこじ開けた。


「ちゅっ…んぷっ…んんっ」


女中の目の前での接吻。

自分のものだと言わんばかりの行為。

それを呆然と見ている、散と言う女性。


「…」


一瞬の間。

一秒にも満たない時間。

それが過ぎて、漸く彼女は我に返ると。


「お、お嬢様、一体、何を?」


一体、何をしているのかと、散は射累々天呼に伺った。



邪継舘やつぎたちはららは、幼少期の頃から射累々家に拾われた。

其処でお嬢様である射累々天呼の専属の付き人として彼女に命を捧げた。

自分の命よりも大切な存在、蝶の様に花の様に、神にも思える彼女が、淫らになっている。

邪継舘散は、悪夢を見ているかの様だった。


「そ、その様な、素性も知れぬ者と、く、口吸いなど…はしたない、いえ…品格を疑われる行為ですッ、どうか、お止め下さい、お嬢様、お、おじょうッ」


彼女の顔を見て、悦びの顔をしている事を悟る。

完全に男に屈したメスの表情に、邪継舘散は怒りが込み上げて来た。


「…貴様」


それは、射累々天呼に対してでは無い。

その近く、彼女の傍に居る男、影明に対してだ。

殺意を感じた影明は、邪継舘散の方に視線を向けた。


「(な、んだ…急に、俺に視線が)」


淡々とした口調。

しかし、一言一句に殺意が込められている。


「貴様、お嬢様に一体、何をした?」


質問に対して彼は答える事が出来ない。

それは体質故、では無く、身の危険を感じた為だ。


「(体中から妖力…紫電が散っている…ッま、まさか)」


彼女の肉体から放たれる紫電。

魑魅魍魎など居ない筈なのに、どうして其処まで妖力を消耗するのか。


「返答次第…否」


無論、魑魅魍魎は居らずとも。

敵は、彼女の目の前に居たからだ。

返答を待たずして、彼女は鏡刃を引き抜く。


「お嬢様を堕落させた原因は貴様だ…事情など知るか…此処で死ねッ!」


お嬢様諸共殺す気だと、影明は察した。

切っ先から放たれる紫電の束は、弧の形状をして刃と変わる。

雷速による紫電の刃が迫り出す。


「(射累々様諸共殺すつもりかッ!くそッ!)」


だから、影明は彼女の拘束を振りほどく。

このままでは二人とも巻き添えを喰らうと思った。

彼女の前に立ち、刀を引き抜くと共に技能を発揮。


「(玖式流…ッ『はち』!!)」


玖式流・捌。

対象の攻撃を弾く事に特化した技術。

鏡刃は自分を映す鏡であり、それ以外を弾く反射の鏡の役割を持つ。

自分以外の事象を、一瞬の間を以て刀を振るう事で弾く事が可能。

雷速を、彼は刀を振るって弾いた。


「ッちィ!!弾いたか、貴様ッ」


戦闘技術の向上。

間近で見た死の想定。

それを超え、疑似的な死線を潜り抜けた状態。

二度、致死に繋がる攻撃を弾く事が出来たのもそれが理由。

一流の動きを見る事で、それに倣い急激に成長するが如く。

影明の実力は、少なからず上昇しつつあった。

尤も、彼が覚えたのは、死を賭した行動。

所謂、火事場の馬鹿力の出し方だ。

死に物狂いだからこそ、出来る芸当だろう。


「(どうする、喋るか?!いや、口を開けば生命力が漏れる、それに、彼女は俺の言葉なんて聞こうとはしない…だったら、喋っても意味がない…ッ)」


ならばどうするか。

一度刃を向けたのならば、向け続ける他ない。

この場では、一番強い者が法則を握る事が出来るからだ。


「刀を私に向けるか…良いだろう、無抵抗に殺すよりかはマシだ、だが…それで許す事は無い、改めて言う」


呼吸を整えて、彼女は鏡刃を構える。


「死ねェ!!」


叫び、再び紫電を解放しようとした時。


「おい…散、邪継舘散」


射累々天呼が、気分が悪そうに彼女の名前を口にした。

その言葉に、邪継舘散は攻撃を止めて、小動物の様に震え出した。


「何を、勝手に、私に許可も取らずに、所有物を傷つけようとしてんだァ!!」


主の言葉に、彼女は身を縮めた。


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