第4話

射累々いるる天呼てんこは、ゆっくりと目を覚ます。

自分が今、何処にいるか分かっていない様子で、天井を眺めていた。


「ここ、は…」


苦悶の表情を浮かべる彼女。

部屋の中から異質な臭いがする。

此処は、影明の住む小屋だった。

誰も使わない小屋を勝手に借りて住み着いた。

猛能之武には、一応は宿舎が存在する。

だが、他人に自分の存在を認知されない為に、自分に用意された部屋が、勝手に別の武人が住み着いた経験があり、誰も寄り付かない小屋に移住したのだった。


「(なに、この、汚い、部屋…まるで、家畜小屋)」


眉を顰める彼女だった。

段々と、鈍っていた感覚が戻って来る。

そして、口の中に残る味を噛み締めた。


「ぁ…」


未だ生命力が残っている。

口の奥や、歯の隙間に、彼の体液が挟まっていた。

自らの唾液が影明の体液と混ざると、記憶を失う前の事を思い出す。


「(くちの、なか…きもちいの、残ってる…)」


快楽にも似た未知な幸福。

どうにか、あの時に感じた幸福を思い出そうとする。


「ん…ぁ」


頭の中で思い浮かべると、体中が痺れる。

身体が火照って来て、幸福を反復させて噛み締める。

彼が使用している布団から、微かな生命力の匂いを感じた。

布団にくるまり、彼女は深く呼吸を続ける。


「(この、匂い…あぁ、似てる、あの時の感覚)」


残留する微かな臭いから、快楽を得ようとしていた。

体をくねらせて、熱を帯びる体から汗が流れ出す。


「ふぅ…んっ」


それでも足りないのか、あの時よりも下回る快楽に鬱憤を抱く。


「(もどかしい…まだ、なにか足りない…ふわふわした、感覚…)」


快楽を得る為に、更なる快楽を以て相乗効果を狙おうとする。

片手で口元を覆いながら、もう片方の手で快楽を貪ろうとする。

そして、彼女の初めてが奪われた時の事を思い出した。


「っ…ひぅ…っ」


心の内に、怒りを覚える。

当然だ、高貴な自分が、あの男に良いようにされたのだ。

屈辱が過る、だが、その屈辱すらも、悦びを生み出す為の一つでしかない。


「(口元の感触…汚らしいクソオスの癖に、わたくしを穢して…)」


口を開き、舌の感触を再現する為に、自らの指を舐め出す。

口元から淫靡な音を響かせながら、淫らになってしまっている原因に怒りを抱く。


「許さない…許さない、ゆるさない。ぜったい、絶対に…ッ」


この様な真似をさせるあの男を、決して許さない。

体液で指を濡らしながら、彼女の身体は炎の様に熱くなった。


「は、あッ…熱い、からだ…っ」


衣服を乱して続きを行う。

最早無我夢中であった。


「っ!?」


既に、影明が小屋に入って来た事すら分からない。

しかし、彼の動揺により、後退る。

その時に生まれた音によって、彼女は顔を上げた。


「ぇ…?ん、は、ッ!?」


其処に影明の姿が見えた。

同時に、自分がどれ程恥ずかしい姿をしているのか察すると。


「な、なにを見てやがんだ、クソオス!!」


射累々いるる天呼てんこは赤面をしながら口調を荒げた。

影明は何も答えなかった。


「…」


彼の反応に、射累々天呼は恥ずかしさを掻き消す様に叫ぶ。


「なんだよ、何を黙ってやがんだ…私の、はじ、はじめて、をッ」


あの時、影明を求めて接吻をした事を思い出した。

影明もその時の事を思い出して、思わず口を塞ぐ。


「(貴方が勝手にした事でしょうが…しかし)」


彼女は被害者だろうと、影明は思った。

これまで、十年間、彼は気配を断ち続けた。

だから、武将級の人間の前で生命力を漏らす事が無かった。

故に、彼女が乱れた原因を作ってしまったのは、自分である。


「(原因があるとすれば、俺の稀血の体質のせいでもある…)」


その事に関しては、深く反省をしていた。

だが、喋らない彼に対して、彼女は苛立っている。


「だ、から…黙ってんじゃねぇよ、この私が質問してんだろうがッ!」


聞かれた以上は絶対に答えなければならない。

少なくとも、彼女はそう思っている。

けれど…それでも影明は答える事は無い。


「(だからと言って、無闇に、この体質の事を漏らす様な真似は出来ない)」


十年間、守り続けた矜持があるのだろう。

同時に、声を漏らした事で起きた悲劇を理解している。

それでも、彼の体質を報せる事は出来る。


「(取り合えず…俺は喋れない事を伝えるか…紙と竹筆を)」


小屋の近くに置かれた道具を取ろうとした。

だが、その行動が彼女の癪に障った。


「あ…私の断りも無く、勝手に動いてんじゃねェ!!『弓啼天鴉きゅうていあまがらす』!!」


鏡刃の発動であった。

判断の速さに、影明は驚く。


「ッ!(本気かッ、この人!!俺の家で、民間が居る場所で、そんな真似ッ!!)」


彼女が寝床の隣に置いた鏡刃を手に取る瞬間。

影明は腰に携えた刀を引き抜き構えると。


「(玖式流・はちッ!)」


玖式流。

武人級の人間が、鏡刃に魑魅魍魎を宿す迄、使用する技術だ。

玖式流は名の通り、九つの技が存在する。

それらは、魑魅魍魎との戦闘に特化した技術を詰め込んだもの。

剣術以外にも、体術や隠密と言った技能も含まれる。

『捌』は、相手の攻撃を弾く技なのだが。


「え、あッ!?」


鏡刃が弓に変わり、弓が放たれたかと思えば。

彼女の手が、上に向けられた。

あまりの威力に、抑え切れずに照準が狂った様子だった。


「(か、勝手に、外れた…って、俺の家が…半壊した)」


天井を見上げる。

屋根は吹き飛んで穴が開いていた。

瓦礫すら落ちて来ない、破壊力を見せつけられる。


「(な、んだ…この威力、通常の一撃で、天井に大きな穴を開けやがった…んな事、通常の私じゃ出来ねぇ筈なのに…なんでッ!?)」


その威力に、彼女も驚いていた。

これ程の威力は、今まで出した事も無かったのだ。

何故、これ程の力を発揮出来るのか…。

そう思い、彼女は原因となる相手を見た。


「…(こいつの体液を啜った時か?魑魅魍魎の力を持つ奴は、生命力を吸う事で強くなる…だけど、これは桁違いだ)」


喉を鳴らす。

もしも、この男が強化の原因であるのならば。


「(一体…コイツ…っ)」


付加価値が生まれ出した時。

影明の脳裏には別の事を思い浮かべていた。


「(俺の寝床が…何処で寝れば良いんだ…俺はッ)」


半壊した小屋。

人から離れた場所だけが幸いだろう。

だが、壊れた小屋では、住む事は難しい。

別の拠点を探さなければならない面倒臭さを感じていた。

影明の方を見て、射累々天呼は確信した。

自らの能力の上昇、その原因となるのは、全てはこの男なのだと。


「(こいつだ…こいつの身体から何か漂って来てんだ…)」


確信を事実に変えるべく。

彼女は、一瞬で影明の方へと詰め寄る。

そして、彼女は彼の顔面に向けて殴った。


「…ッ」


顔面を殴られた。

拳、では無い。

鼻先を、掌の硬い部分で叩かれた。


「(な、がッ…掌底…ッ血がッ)」


鼻に衝撃が加わった事で涙と共に鼻の奥から血が流れ出す。

地面に一滴、一滴と血が滴っていく。

影明は自らの鼻を抑え込んで、これ以上の出血を無くそうとした。

しかし、一瞬の攻撃により、流れた血には生命力が漏れていた。

血の匂いを嗅いだ事で、彼女の目はとろんと、蕩けている。


「はぁ…はっ…これ、この匂い‥」


猫に木天蓼を与えたかの様な表情。

影明は、彼女の挙動を見ながら自らの失態を恥じる。


「(気が緩んだ、血に、生命力が流れ込んでしまった)」


ゆっくりと、血を見ながら膝を突く彼女。

舌先を伸ばして、皿に乗せられた餌を喰らうイヌの様に、血を舐め出す。


「えぁ…ちゅっ…はぁ…あっ、これ、これすき…っちゅぅ」


音を立てながら下品に血を呑む。

彼女の行動に、影明は背筋が凍る思いをした。


「(ッ…急に、何を…地面に落ちた血を…ッ)」


生命力の流れる血液は、彼女の趣向に沿うものだった。

だが、彼女の表情はそれでも物足りない様子だ。


「はぁ…はッ…けど、足りない、たり…ッ、…てめぇ、そうだ、てめぇッ」


影明の方へと飛びつく。

これ以上に、自身に危害を加える算段かと、影明は思った。


「(なんなんだ一体…ッ)」


そう思ったが。

彼の予想に反して、意外な言葉が出た。


「いくら、出す?」


重苦しい湿気の様な吐息と共に聞いて来る。

一瞬、それがどういう意味なのか、全然分からなかった。


「…?(なんだ?)」


彼女の質問に答えなかった為に、再び射累々天呼は彼に聞き直す。


「いくら出したらもっと吸わせてくれる?」


つまりは、金だ。

金を払い、彼の体液を買うと言っている。


「分かってんだよッ、てめぇが、生命力を操作してんのは…」


既に、影明の能力を看破している。

彼の肉体、その体質が特別であると言う事も。


「だからぁ…」


これは彼女なりの最大の譲歩だった。

普通ならば、気に入らなければ殺していただろう。

残虐姫と言う異名は決して伊達ではない。

そんな彼女が、彼に対して下手に出ているのだ。

我慢が出来ず、悶えながら。


「もっと濃いの寄越せ、ありったけ、こっちは我慢出来ねぇんだよォ!」


顔を赤くしながらそう叫び、彼女の癇癪が響いた。

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