第2話



…影明は、未だに彼女、射累々天呼から認知されていない。


「(…結局、生き残ったのは俺一人か)」


彼女が全てを倒した。

味方毎殺す事は時に処罰の対象になる。

だが、蜘蛛型の魑魅魍魎を野放しにして置けば、何れ内地まで進行していただろう。

その事を考えれば、味方殺しよりも、彼女の功績の方が上回る。

誰も、咎める様な事は言わないだろう。


「はぁぁ…ザコばーっか…」


彼女は腹部に手を添える。

とぷり、と腹部が水面の様に波紋を刻むと、鏡刃の柄が現れる。

彼女は、鏡刃を掴むと、そのまま引き抜いた。

そしてふと我に返り、自らの口に手を添え、あ、と声を漏らす。


「あ…つい言葉が悪くなってしまいましたわ」


無意識に口汚い言葉を使っていたらしい。

しかし、彼女は周囲を見回す。

当然、彼女以外に生き残った者など居ない。

ならば、下品な言葉を口にしても、問題等無いだろう。


「…まあ良いですわ」


刀を持ったまま、鞘に手を伸ばす。


「どうせ、聞いている人間は何処にも居ないし」


…本当に、影明の事を認知していない。

別段、彼女が気配を読むのが鈍いと言う訳では無い。


「…(此処に一人、俺だけは生きているが…)」


原因なのは、むしろ。


「(だが、彼女の眼中には無いらしい)」


影明の方だった。

彼は、自らの手を見つめる。

姿形ははっきりとしている。

恐らく、彼の姿は他の人間の目にも入るのだろう。

だが、その目に映る事は無い。


「(それもそうか…気配を消しているからな)」


気配遮断。

自分と言う存在を消す技術。

彼がこの技術を覚えたのは、幼少期の頃だった。


「(昔から、己の体質に悩まされた)」


魑魅魍魎は人を襲う。

人の生命力を吸う事で、強大な力を得る為だ。

影明は、他の人間とは違い、魑魅魍魎に襲われ易い体質だった。


「(その体質を改善した結果がこれだ)」


気配を消す。

気配とは即ち、人の宿る生命力の漏れだ。

その漏れを閉ざす事で、魑魅魍魎から察知されなくなる。

それでも、一瞬の気の緩みで気配が微量ながら漏れるものだ。

だが、影明は意識的に気配を完全に断つ事が出来る領域に至った。

その結果。


「(誰からも察知されないと言う異能に至った)」


気配とは生物が活動する証だ。

それが完全に断ってしまえば、生物は誰も存在を認知しない。

気配遮断と言う技術を極めたが故に、誰も影明を認識する事が出来なくなった。

孤独を覚えるが、それでも、生きる為には必要な事だ。


「(無論、気配を出す事も出来るが…)」


どの様な惨事が待ち受けるのかは分からない。

だから、彼は人の居る場所では、気配を出す事はしなかった。


「(取り合えず…俺の居た武人衆は全滅してしまった…同時に魑魅魍魎も討伐は完了、…撤退しても問題はない…?)」


今後の事を考えていた矢先だった。

射累々天呼と影明の間。

差が開いた場所に、蠢く姿が見えた。


「おほん、他の武将の前に出ても良い様に、言葉遣いは治しておかなければ…」


咳払いをして口調を正す努力をする射累々天呼。

それに夢中になっているのか、彼女の後ろから迫る、大型の蜘蛛型の魑魅魍魎には気が付いていない。


「(魑魅魍魎もののけッ!?射累々様は、気が付いてないのか!?)」


影明だけが、化物の存在を知っていた。

声を出せば、まだ気が付くかも知れない。

だが、影明は声を出す事を途惑った。


「(不味い…あんな人でも、貴重な戦力…戦場で失うには惜しい)」


それでも。

猛能之武には、彼女が必要である。

何よりも。

影明には憧れがあった。

どれ程、性格が悪くとも。

彼女は武将級、魑魅魍魎を殺す事が出来る主力。

この先の人生、魑魅魍魎を倒す事を目的とした影明には必要な命だ。


「(かくなる上…俺に危険が及ぶが…仕方が無いッ)」


だから。

影明は声を出す事に決めた。

それが、どれ程、自分の首を絞める行為かを分かっていながら。


「射累々様ッ!!後ろですッ!!」


息が漏れる。

血の様に濃く、酒の様に酔う、魑魅魍魎にとっての極上の生命力を乗せて。


「!?」


その言葉に、射累々天呼も反応した。

後ろに、魑魅魍魎が居る事を確認する。

捕食態勢に入っていた魑魅魍魎。

しかし…間近に居る射累々天呼を無視して、後ろに居る影明の方に視線を向ける。


「(声を発してしまった、十年間、言葉を発しなかった俺がッ)」


腰に携える刀を引き抜く。


「(同時に…魑魅魍魎が、俺に見蕩れるッ)」


刀を構えると、予想通り…大型の蜘蛛が、影明へと走って来た。


「来たッ」


と思った瞬間。

その蜘蛛の瞬発力は、他の小さな蜘蛛とは違った。

一瞬で間を詰められると、攻撃する暇すら無かった。


「(速い…ッ動き、一瞬、遅れ…ッ)」


動作が遅れる。

大型の蜘蛛が口を開く。

自らの死を悟った影明。

それと同時…彼の脳内に、走馬燈の様に過去の事が流れ出す。


断壊区。

酷く腐敗した村。

其処で影明は生まれた。


「(幼少期の頃)」


七つの歳になるまで過ごし。

八つの歳になる頃に、彼の村は魑魅魍魎に襲撃された。


「(俺の村は魑魅魍魎に滅ぼされた)」


燃える建物。

人の内臓が零れ腐臭が漂う。

化物たちは、多くの人間を喰らったが。

影明だけは、殺されずに生かされた。


「(知恵を持つ魑魅魍魎により、俺は生かされた)」


影明は、貪り喰らう化物の宴に、飾られたのだ。

愛する者、大切な者、血の繋がりを持つ者。

全てが彼の目の前で捕食されると言う地獄。

彼だけが、食われなかった。


「(俺には、他の人間には無い、稀血と呼ばれる体質)」


長い年月を掛ければ熟成する。

そうすれば、より濃厚で、濃密な味になる。

だから、影明だけは殺されなかった。


「(肉体に流れる生気は、吸えば酒の様に酔い痴れ、媚薬の如く発情させる)」


そして血液や唾液と言った体液にも残留する。

故に、気配を消す以外にも。

血を流す事で、魑魅魍魎に知られる可能性があった。


「(魑魅魍魎にとって、餌としては極上だ)」


知られれば食われる。

食われる事に恐怖等無い。

だが、何も出来ず、食われる事が怖い。

何も成せず、意味も無く、死ぬのが恐ろしい。

其れ唯一を恐れたから。


「(だから俺はそれを隠した)」


己の気配。

生命力を、だ。


「(ただ動き喋るだけで生命の波は霞の様に霧散する)」


流れる生命力を操作する術。

それを、技術で統べる為に努力を重ねた。


「(それを抑える為に、気配を断つ技術を学んだ)」


暗部衆の元で修練を積んだ。

気配を消す事で、人にも察せられなくなったが。

魑魅魍魎は、彼を捉える事は出来なくなった。


「(そうまでして、生き永らえているのは…)」


村での出来事。

一人だけ食われなかった。

皆が食べられてしまった。

己だけが生き残ってしまった。

悔しさが優る。

苦しみが続く。

復讐を抱き、殺意を得た。

全ては。


「(俺の村を滅ぼした魑魅魍魎をこの手で討つ為…)」


知恵を持つ魑魅魍魎。

狡猾に生きるそれは、今も何処かで人を喰らっている。

己の恩讐を遂げる為に、村の者の無念を晴らす為に。

影明は、復讐鬼になる事を決めたのだ。


「(俺の復讐の為…その為に、俺は…)」


意識が外界へ向かう。

己の捕食の寸前。

彼は刀を握り締めて、前へ足を踏み込む。


「まだ、死ねない…ッ」


蜘蛛へと立ち向かう様は勇敢ではあるが無謀でしかない。

自らの肉体よりも巨躯な蜘蛛は、体重を乗せて影明を抑え込み、身動きが取れない状態で捕食するだろう。

しかし…、蜘蛛の一撃よりも、影明の攻撃よりも早く。

天から降り注ぐ、銀色の羽根矢が、蜘蛛の身体に雨の如く降り注ぐ。

一瞬で磔にされた蜘蛛は、射累々天呼の攻撃によって絶命した。


「(一瞬だ…この一瞬で)」


余りの早業。

感服せざるを得ない。

蜘蛛の上に乗る射累々天呼。

夜空の月と合わさり、天女の様に見えた。


「(残虐姫…射累々天呼様が、敵を瞬く間に串刺しに仕上げた…)」


圧倒的な力。

影明は、天と地の差を痛感する。


「(これが、実力か…これが…武将か…ッ)」


自分が辿り着けない領域。

そんな彼女の姿に感動すら覚える。


「ふーっ…ふーッ…」


荒い呼吸をする射累々天呼。

彼女の武器は、刀では無く弓の形状をしていた。


「(武将級は…鏡刃に流れる呪い…妖力を肉体に流し込み、魑魅魍魎の力を自在に使役出来る逸材を指す、そして当然、武士ならば、鏡刃を妖力と混ぜ合わせ、固有の武器に変える事も可能…)」


鏡刃が妖力と混ざり合い、別の形へと変貌する。

武人ならば鏡刃を使い、魑魅魍魎を倒して穢れを集める事から始まり。

鏡刃を固有の武器に変形させる事で武士として認められ。

鏡刃と肉体を融合する事で、漸く武将と成る。


「(だが…あれほどの絶技を放ち、摩耗しないワケではない)」


変身と変形。

かなりの体力を消耗した筈だ。

彼女の口から、絶え間無い呼吸の乱れを聞いて察する。


「(彼女もまた人なのだと分かる)」


彼女の目線は、依然、影明の方に向けられていた。

蜘蛛の亡骸から降りると、そのまま影明の方へと向かう。


「…ずっと、ずっと隠れてたな?」


そう言われて、影明は自らの過ちに気が付いた。


「ッ?!」


自分もまた武人衆。

陰に隠れていたと言う事。


「(しまった…先程、気配を漏らした事で…彼女にも俺が分かる様になったのかッ!!)」


喉を鳴らす。

処罰が来ると察する。


「こそこそ、しやがって…んんッ、それが猛能之武の人間、ですか?」


睥睨。

心臓の音が鳴り続けた。

彼女が口調を直そうとしている事すら彼は気が付かない。


「(残虐姫…不味い、俺も処刑される…)」


弁明をしなければならない。

そう思っていた矢先の事だった。

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