アッちゃんの癖

@redhelmet

第1話

 酔っ払うと、笑い出したり泣き出したりする癖ってあるらしいけど、アッちゃんのはちょっと違う。ていうか、かなり変だ。 

本人は気づいていなかった。私も初めの頃はわかんなかった。

 初めてのデートで二人して歩いているときのこと。

「アッちゃん、と呼んでもらうと……」

 アッちゃんは小声で続けた。「うれしいな」

少し顔が赤かった。照れているのだ。

 知り合って間もない頃のちょっとした緊張感、二人は大通りを行ったり来たりしただけで、いつの間にか夜になり、そろそろ帰らなきゃなあって思ったとき、アッちゃんがぼそぼそっとはにかみながらこう言った。

「こんど、また会ってもらって、いいかなあ」

 アッちゃんはイケメンでもないし脚も長くないし年収も高いわけでもない。二人は休日や仕事帰りに、月に二、三度会っておしゃべりしたり歩いたりする。

 どうってことのない会話なんだけど、和むことができた。ただ緊張したりちょっと気持ちが高揚したりすると、アッちゃんにはあの癖が出るのだった。

 初めてプロ野球を見に行ったときのことだ。二人が贔屓にしているチームがずっと勝ってたのに、九回表に逆転された。

アッちゃんは、あーって溜息を付いた後、

「なんでだよ今日に限って。クローザー」

 怒ったように早口で言った。

 私も頷いて、普段はぴしゃりと抑えるのにどうしたのかしらと答えた。

アッちゃんはちょっと興奮気味に言った。「キャッチャーも、あんなリードじゃ、務まらん」

 そうよね、あそこでスライダー要求したのはダメよねと私は同意した。

「直球で、押し通すべき、だったのに」

 あれっ? なんか変な喋り方だな。そう思ったけど、違和感の理由はわからない。

 アッちゃんは自分の気持ちを落ち着かせるかのように、早口で言った。

「切り替えて裏の逆転期待する」

 しかしチームの攻撃は三者凡退であえなく敗退した。

 初めてお酒を飲みに行き、乾杯したあと、何を頼もうかとメニューを眺めていると、

「そうだなあ『炙(あぶ)った烏賊(いか)』はどうだろう」

 アッちゃんはジョークのつもりで言ったのか少し照れていた。八代亜紀の舟唄ね。

 酔うにつれてアッちゃんの言葉は調子づいてきた。

「この店は安くていいね。美味しいし」

 あはは、アッちゃんったら、おかしいね。笑って次の言葉を待った。

「ぼくはねえ、日本酒が好きなんだなあ」

 私もよ、と大徳利を頼もうかと聞くと、

「熱燗とぬる燗どっち好き? 君は」

 アッちゃんの好きな方でいいわよと言うと、手を挙げて「お兄さん! 大徳利をぬる燗で」と珍しく大きな声を出して注文した。

アッちゃんとつき合って半年になるんだけど、私たち、まだ手も握ったこともない。昔、そんな歌が流行(はや)ったことがある。あはは、あれは、でも若い子たちの青春の歌よ、春色の汽車に乗ってなんて……、もう私たちはアラフォー、それなのに少年少女のよう。

 それでもアッちゃんと私はふつうに会話して、ふつうにお散歩して、でも、やっぱり不安になる。この人は私のこと、どう思ってるのだろう。悪い人ではない。野暮天? いや、それとも違う。

 ねえ、とじれったくなって言ったことがある。あたしのこと、どう思ってるの?

すると、それまでふつうだったアッちゃんのいつもの、あの癖が出た。

「そんなことどう思うって。一言じゃ」

 あたしはなお詰め寄った。好きなの、そうじゃないの。

 アッちゃんは困った表情で、

「好きだとか、そうじゃないとか、大事かな」と呟いた。

「いい加減やめて。俳句で喋る癖」とあたしは強く迫った。

 するとぽかんとした顔で返した。

「俳句って、いったいどういうことかなあ」

あたしはため息を吐いた。

「あなたはね、五七五(ごーしちごー)で喋るのよ」

「そんな癖あったのなんて知らなんだ」

あたしは、あははと苦笑して、

「まあいいわ、こんな人でも。好きだから」

 そう呟いた。

 アッちゃんはくるっと腕を回してあたしを抱き寄せた。ゆっくり二人の顔が近づいてゆく。二人は初めての口づけをかわした。

「初めてのキッス。アッちゃん大好きよ」

アッちゃんの顔が赤かった。  

「僕の癖きみに伝染(うつ)ったみたいです」

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