4 南国のさざ波


 朝から中村さんは、また、グッチー脳神経外の待合室に立っていた。受付で病状を言うと受付の方がグッチーと話してきたみたいで、すぐに M R Iの撮影をすすめられた。

 今日の M R Iはゴンゴンゴンと響き渡り結構長い時間に感じた。グッチー先生の画像診断では。

「中村さん、この画像を見ると、この部分に血液が溜まっていて、脳を圧迫しています。そのために歩行障害がでたり、その他の行動もうまくできないことが出てきますよ」

「この画像をみてください・・この色が変わっている部分が脳を圧迫している血液です」

「すぐに県立病院に連絡しますので、はやくここの脳を圧迫している血を抜いてください。・・抜かないと障害が残るかもしれませんね・・まず連絡しておくのですぐに行って下さい」

 中村さんはいつもより確かなはっきりとした口調でいうグッチーに焦りを感じた。まずは妻に連絡し急いで県立病院に向かった。


 15分後、中村は県立病院の救急のベットの上にいた。グッチー先生から電話が入っていて病院到着と同時に、スタンバイされていたベットに横になって、前回のように若手のスタッフが事前の検査をはじめた。グッチーから預かってきたC D画像をパープルに髪を染めあげたアニメに出てくるような切れ味鋭いパープルドクターY(女医)がじっと眺めている。

 中村さんは、歩行に難を感じるようになってから脳が疲れているように感じることが多くなっていた。今日はそれほど疲れているとは思わないが、C Tを撮影に移動する頃には少し眠気が出るようになった。C T終了後、もう一度混み合った診察に室に戻ったら、眠気が差した中村さんの頭を優しくなでながら、もみくちゃにして話かけてくる。

 ムソルグスキーのようで、知的でありながらどこかマニアックな面を持ち合わせる憎めない顔をした下町の音楽家が医師マエストロ梅沢である。彼が目の奥を光らせながら話し出した。

「中村さん、わたし梅沢です。さっき奥さんにも説明しましたが。もうすでにグッチー先生にも聞いていると思うけど、右の脳に血液が溜まっていて、脳を圧迫しています。これから頭に百円玉ほどの穴を開けてチューブを入れて悪い血を抜こうと思います。手術は三十分ぐらいで、少し痛いと思うけどちょっとの辛抱ですから我慢してください。血を抜くのは量によるけど多いと明日の昼まで、普通は明日の朝までかかります」

 その説明を聞きながら中村さんは手術室に入っていった。腕を動かないようにマジックテープで止められるときに、パープルドクターYが中村さんの耳元ささやいた。

「この手術が終わった人から話を聞くと、終わった後で非常に脳がクリアーになったって言っていたわよ・・中村さんもクリアーになるわよ・・」

 中村さんは耳元で囁かれたパープルドクターYの耳にかかる吐息のような言葉に催眠術にかかってそのまま眠りにはいっていった・・、腕を押さえていたマジックテープを外すときに目を覚ました中村さんにマエストロ梅沢が話しかける・・・・

「中村さんはどんな仕事しているの・・どこの大学を終わったの・・など、わざと記憶をよみがえらせるような質問をしてきた」

 その質問にすらすらと答えながらも、中村さんは、パープルドクターYが耳元で囁いたことを思い出していた、本当にクリアーになるのかしら?」

 マエストロ梅沢にお別れをして、手術終了のオペ室を出た。そのときに廊下で心配そうな妻の顔を見たように思う。

 そして次に意識を取り戻したのは、あまりに唇が乾いて口の中がかさかさになって不快感が増したときであった。

(そうだ、術後七階の病室に行くと告げられていたように、もうろうとした記憶の中でうっすらと覚えている)

時々、中村さんを左四十五度から看護師さんがのぞき込んで、

「目を覚ましたね・・具合が悪くはないですか・・痛いところはありませんか」

 とかわいい看護婦さんの声が聞こえてきた。薄目をあけてわずかに反応した中村さんだったが、あまりの体力の消耗に、また眠りはじめた。

 病棟に夜が来て、看護婦さんも交代した。暗い病室でナースステーションに響く電子音で中村さんは目を覚ました。同じ姿勢を続けることのつらさが背中や腰のあたりに感じ始め落ち着き無く体の位置を数ミリづつでもずらし始めた。うとうとしながら眠れない夜にどっぷりとつかり何度目かに目を覚ましたとき、若い男性看護師さんが頭の上から声をかけてきた。

「どうですか、痛みは?」

「はあーあまり変わりません・・・・今何時ですか?」

「今、十一時です」

 中村さんは、眠っても眠っても、時間が過ぎるがおそく感じていた。そして、眠りと目覚めを何度か繰り返した後に、中村さんは尿意を感じた。暗いからか表情のよく分からない看護師さんに突然「おしっこがしたい」と言うことに抵抗を感じた。我慢すると我慢するほど出したくなる。そろそろ我慢の限界が近づいてきた頃、タイミングよく看護師さんから、おしっこを進められた。溲瓶(しびん)を用意して中村さんのいちもつをつまんで、その口に当てたが、数分待っても尿が出る気配はない。看護師さんは中村さんのいちもつに細い管を差し入れると少しちくっとしたかと思うと、中村さんの尿が待ってましたとばかりに堰を切って出てきた、中村さんはそれと同時に手術前から我慢していた放尿の開放感に浸ると至福の時を向かえた。終わると看護師さんは0,9リットも溜まった溲瓶を持ち上げて。

「かなり我慢していましたね、こんなに出ましたよ・・中村さん、我慢せずこまめにやった方がいいいですよ、・・くれぐれも我慢しないで・・」

 中村さんも、その量にはびっくりした。思わず下半身の腹部をおさえると、ゆるくなった腹がふよふよと浮いていた。放尿は中村さんに大きな安心をあたえたようで、そのまま深い眠りについた。

 比較的深い眠りから目覚めたが、まだ暗い中だ、ベットの下の方に人がいる、さっきの看護師さんだと思って時間を聞いた。

「二時半ですよ」

 あれっ・・女性の看護師さんの声が返ってきた。十二時頃を境に担当が変わったのだろうか?。まあどちらでも良いけど寝返りなしのこの姿勢はどうも苦しい、1センチ位ずつ背中をずらすようにしたら、看護師さんが「苦しいでしょう」といいながら手伝ってくれた。

点滴がうまくはいるように、左腕を伸ばすようにしてくれたけど、同じ姿勢では苦しいのは代わりがない。女性看護師さんの優しさにほっとしながら、強烈な喉や唇の乾きを感じた看護師に訴え出たけど、中村さんの要望はかなえられない。寝たままの水分補給は危険だということだ。ガーゼを水でしめらせて割り箸で口の周りを濡らしてくれるだけでもいいと言ってもその意味が看護師さんにうまく伝わらない。あきらめてまたもぞもぞ体を動かそうとしているとその動きはとても良く助けてくれる。手が体に触れるたびに看護師さんの美しい顔が近づき、どきっとする。中村さんは入院して初めて、うきうき・どきどきし出した。頭に穴を開ける手術を受けながらも、その怖さと痛さの中に喜びを見つけたように感じ、絶望の中に一点の光を感じるとはこのことなのかと、全身で納得した。

そして、うつうつとした夜のとばりの中で、心電図のような電子音が闇の中を移動する音を出してリズミカルに響く。中村さんは看護師さんに思いをめぐらしながらにたにたして時間が過ぎるのをじっと待った。そのうち看護師さんが。

「おしっこ大丈夫ですか?」

「まだ大丈夫です」

「本当に大丈夫ですか?」

「大丈夫だと思いますよ・・」

(言われてみると何か出したいような気もする・・・・・そんな気がしてくる)

看護師さんが何か機械をおなかの上に置いた。その機械の示す数値を示しながら。

「ほら・・三百ミリも溜まっているじゃないですか。出した方がいいですね」

と言ったかと思うと、中村さんのちょろんとしたちんちんは美しい看護師さんの手の中に包まれてちょろりんと管がいれられておしっこが溲瓶に貯まってきた。一瞬だが中村さんはもっとおしっこがしたいと思った。中村さんはそんな夢のような中、明るくなった病室ですべての疲れを癒すかのように、ぐっすりと眠りはじめた。・・昼頃目を覚ますとあの美しい看護師さんは姿を消して、どこを探してもいなかった。

二日くらいすると病室も代わり、静かに体を起こして歩いたりできるようになった。中村さんは時々頭を動かすと南の島の浜辺にいるような錯覚に陥る。溜まった血液を抜いた右の脳内から波が優しく打ち寄せる浜辺の音がザーッ・スー、ザーッ・スー、と絶え間なくする。そして椰子の木陰で踊る日焼けした子供達がザワワ・・ザワワと打ち寄せる波のリズムで楽しくダンスして中村の周りを闊歩する。ザーッ・スー、ザーッ・スーまた聞こえてくる。

 中村さんはこんな楽園のような音を聞きながら退院の日を迎えた。朝からC T撮影を行い、その結果を見ながら、マエストロ梅沢からお話を伺う。きらりと光る目を中村さんさんと奥さんに向けて。

「再販の可能性は十%です。右側が脳が善くなっても、今度は左の脳ということがあるので注意下さい。その予兆は頭痛ですね・・まあ次に診察に来るのは2週間後の1月8日なります。そこで抜糸します・・今の医療は、消毒をするよりもシャンプーをして清潔に保ち、傷口をより空気に触れさせて、乾燥させて完治を促進する方法がとられています。よろしくお願いします」

 中村さんは、マエストロ梅沢先生の力強い話にエールを受けたように思えて、新年を元気に迎えようと誓った。二回も続けて入院して、ご迷惑をおかけした看護師さん方々に深く感謝のお辞儀をしてナースステーションを後にした。

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