06 思わぬ活路

 かち、とジェレミア様が転移魔法を仕込んだ魔道具であるブレスレットを掲げ、起動する。

 否、正確には起動しようとした、が正しかった。


「何……どういうことだ、クロエ!」

「リーリエ様!」


 ジェレミア様の手から逃れたクロエが、わたしに向かって何かを投げた。きらきらと輝きながら放物線を描いたそれを慌ててキャッチする。

 手の中に在ったのは、魔石が組み込まれたブレスレットだった。


「まさかこれって……」

「リーリエ!」


 サイラス様の声に応えて、かつてリアム殿下がやっていたことを真似して起動する。わたしとサイラス様の周りを青く神々しい光が包んだ。その円形の光の中にはわたしたちだけがいる。


「貴様ら―――――っ!」


 憤怒の表情でジェレミア様が此方を見ている。


『まったく……手先が器用なくせに鈍臭い女だな』

『申し訳、ございません』


 おそらくあのとき、クロエが魔道具の腕輪を偽物とすり替えたのだろう。そして本物はいまわたしたちの手の中に在る。


「クロエも早くこっちへ!」


 わたしが叫ぶと、静かに彼女は首を横に振った。「わたしのことはいいから早く行ってください」そう、強く叫んだ。

 転移魔法が発動する前に奪還しろ、とジェレミア様が私兵に命じる声を聞きながらサイラス様は呪文を唱えていた。


「リーリエ、俺に掴まって」

「でも、クロエが……」

「一旦、此処で退きます。ですがすぐに殿下の魔道具で救援部隊を送りましょう。ジェレミア・ロレルも含めてこんなところで死なせるわけにはいきませんから」


 次の瞬間、ぐにゃりと地面が揺れるような感覚に襲われる――転移が始まったのだ。

 最後に目が合ったクロエは、泣き笑いの表情を浮かべていた。





「……あれ、ここ、は」

「リーリエ! よかった……目が覚めたのですね」


 きいんと耳鳴りがする中、わたしは寝かされていたベッドからゆっくりと身体を起こした。すると傍らにいてくれたのだろうサイラス様がほっと安堵の息を吐く。

 ゆっくりとあたりを見回すとエルドラン邸のわたしの部屋だった。


「……えっ、あ、わたしどうして――っ」


 ずきん、と頭が痛む。覚えているのは波の音と、ジェレミア様の罵声、それから――クロエの儚げな表情で。


「転移魔法でロレル家のホールに戻った直後、リーリエは倒れたんです……緊張で張り詰めていたうえ、立て続けに転移魔法で移動したことにより疲れが出たのでしょう」


 もう一日ずっと眠っていたのですよ、とサイラス様は息を吐いた。


「っ、じゃあ……クロエは、ジェレミア様は――」


 本来なら貴女の口からジェレミアの名が出ることすら腹立たしいのですが、とサイラス様は端正な顔を顰めた。


「……リアム殿下の転移魔道具でロレル侯爵領のあの洞窟に向かったところ、クロエとジェレミアの姿はなかったようです。代わりにロレル家の私兵がいたのでまとめて連行して再転移してきたと仰っていました」


 クロエとジェレミア様は、いったいどこへ消えたのだろう。


 その現場を見ていた私兵によれば――掴みかかってきたジェレミア様を短剣のようなものでクロエが刺した途端、二人の姿が消えたらしい。まさか、と「回帰の剣」のことが頭をよぎったが……口にするのは控えた。サイラス様ももしかするとおなじ考えなのかもしれない。


「反王太子派は、研究室で見つけた帳簿やリストのおかげで続々と検挙出来ているようです。図書館長の件も含めて明るみに出ていない悪行がかなりあったようで……高位貴族であっても処罰は免れ得ないでしょうね」


 その中にはわたしを執拗につけ狙っていたロレル家の手の者もいることだろう。もう狙われる心配はないのだ、と思うとすうっと肩から力が抜ける気がした。


「みゅ!」


 みゅーちゃんがぽす、とベッドの上に飛び乗って来た。心配してくれたのか「みゅみゅ?」と小首をかしげてわたしの顔を覗き込んでくる。


「ふふ、みゅーちゃん。心配しなくてもわたしはもう平気、元気で……うっ」

「リーリエ、無理をしてはいけませんよ」


 くらりと眩暈を起こしたわたしを支えると、サイラス様がわたしの前髪を手で掻き上げて、こつん、と自身の額を軽くぶつけてきた。


「な……!」

「どれどれ、熱は……少しあたたかいような気がしますね。やはりもうしばらくはゆっくり寝ていなくては」

「だ、大丈夫、ですっ」


 いけません、とサイラス様はほんの少し意地悪なをして言った。


「リーリエには早く元気になってもらわないと俺が困るので――いままで我慢していた分、貴女と出かけたい場所も……したいこともたくさんあるんですよ」

「したいこと、ですか……?」


 ええ、とサイラス様が微笑んだかと思うと、その綺麗な顔が間近に迫った。思わず息を呑んだわたしにサイラス様が「目を瞑っていただけますか」と甘く囁いてきた。


「ど、どうしてですか……?」

「わかっているくせに。リーリエは嘘つきですね」

「っ、んぅ……」


 目を閉じるよりも早く重ねられた体温ねつが、じんと唇を痺れさせた。思わずこぼれた鼻から抜けるような甘い声音に、頭がくらくらした。何よりも誰よりも近い距離でサイラス様を感じてしまったことに、わたしの心臓は爆発寸前になる。


「早く元気になってくださいね」


 そう言い置いて、サイラス様が出ていった後もわたしの頭は沸騰したままで……サイラス様のことしか考えられない状態だった。


 それが狙いでしたので、と微笑むサイラス様の声まで幻聴のように聞こえた気がした。

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