07 恋という名の病

「……サイラス様の顔がまともに見られない、ですか」


 困惑したようにレベッカが復唱する。


「ええっとね、こう……サイラス様を見ると胸の動悸がおさまらないというか、たぶんそういう症状の病気なんだと思うの!」


 拳を握り締め、訴えかけると「はあ」とレベッカは気のない返事をした。


「みゅ〜」

「ね、みゅーちゃんもそう思うよね!」


 わたしは賛同者を求め、レベッカの膝の上で蕩けていたみゅーちゃんを見たが「みゅみゅ」と可愛らしく首を傾げただけだった。


「はぁ……どうして私が上司の恋愛ごとに立ち入らねばならないのでしょう」


 至極不服そうにレベッカはみゅーちゃんのふかふか毛並みを撫で撫でしている。

 仕事の範囲外のはずでは、とぶつぶつ文句を言い続けているのだがみゅーちゃんのおかげで苛立ちは緩和されているようだった。


「リーリエ様」


 しばらく考え込むような間を置いてから、改まった口調でレベッカは言った。


「間違いありません、その症状はとある病に罹患したもの特有の戯言たわごと……いえ妄言です」

「そうよね、やっぱりそうとしか考えられないわよね……」


 レベッカの一言でわたしは勇気づけられた。医師の診断を適切に受ければこの症状も緩和するかもしれない。


「さっそくお医者様を……」

「お待ちください――この病を治せる者は限られているのです」


 逸る気持ちを抑えられなかったわたしに待ったをかけたのは、やはりレベッカだった。


「も、もしかしてとんでもない名医にかからないといけないとか……」

「名医というわけではありませんが、リーリエ様の症状を治せるのはこのオディール王国で……いえ、世界にたったひとりでしょう」


 ええ、このレベッカが手配しておきますのでご安心ください。

 もはや棒読みに近い言い方だったのが気になったが、わたしは安堵の息を吐いたのだった。




 お連れしました、というレベッカの声にわたしの心臓は飛び跳ねていた。


 ついに、世界でただひとりしかいないというお医者様がこのドアの前に立っているのだ。そう思うと緊張で汗をかいてしまう。規則正しいノックの音に「どうぞ」と返すと、軋みながらがわたしの部屋の中に入ってきた。


「……え」

「リーリエの具合が悪い、とレベッカから聞いて来たのですが」

「はわ……わ、わっ、わたし――」


 ドアの向こうにいたのは、サイラス様本人で……途端に頭の中が真っ白になってしまう。呆然と立ち尽くすわたしをサイラス様の背後から見ていたレベッカが嘆息した。


「というわけで、後はおふたりでよく話し合ってくださいね」

「レベッカっ!」


 助けを求めるわたしの叫びを無視して、レベッカは部屋の隅で丸まっていたみゅーちゃんを抱き上げるとさっさと退室してしまった。部屋の中にはサイラス様とわたしだけが残される。


「あ、あの……」

「話し合う、とは――いったい何のことです」


 サイラス様が澄んだ碧の眸を瞬かせ、不思議そうに首をかしげる。わたしは羞恥のあまりいまにも泣き出しそうだった。レベッカが「この症状を緩和できる唯一の人間」として呼んで来たのがサイラス様であったことで、鈍感なわたしでもさすがに気が付いてしまった。

 サイラス様の顔を見るとドキドキして死にそうになってしまうこと――たったひとつしかないその理由は。


「リーリエ、それほど体調が悪いのですか? ほら、涙目になっていますよ」

「だ、大丈夫で……」

「そういうときは『大丈夫』とは言わないのです――素直に頼ってください、ね?」


 ひょいとサイラス様は軽々とわたしを抱き上げてしまった。いつもより高くなった視線に驚いて涙が引っ込んでしまう。


「頬が朱いですね」

「……う、それは」


 風邪でしょうか、と真剣に悩み始めてしまったサイラス様にわたしは思い切って「違うんです」と叫んでいた。


「わ、わたし……は」

「はい」


 きょとんとした表情でわたしの顔を覗き込んでくる。かえって言いづらくなってしまって、いまにも口から飛び出そうだった言葉が急停止して喉元で渋滞を起こした。それでも優しい声で「リーリエ、なんでも話してください」と促されると、するりと言葉が零れ落ちた。


「サイラス様のことが……大好きすぎるみたいで、困っているんです」

「―――――」


 呆けたように此方を見つめるサイラス様の顔がみるみるうちに朱く染まっていくのがよく見えた。


「あの」

「……よく聞こえなかったので、もう一度言っていただけますか」

「えっ! あ、あの、サイラス様のことが、す……好きすぎて」

「もう一度」

「〰〰サイラス様! 聞こえてますよねっ⁉」


 サイラス様以上に真っ赤になっている自信があるわたしは、途中から恥ずかしすぎて怒りだしてしまった。むう、と頬を膨らませたわたしを眺めながらサイラス様は、くすくすと笑いながら息を吐く。


「幻聴かと思ったので」

「そんなわけないに決まってます!」

「リーリエ、怒らないで――怒った顔も愛らしいですが」


 ちゅ、と音を立てて頬にキスが落ちてくる。ますます赤くなったわたしの頬はまるで林檎のようになっているに違いない。


「真剣に悩んでいるんですよ! こんなふうに……甘やかされたら、わたしだけ心臓がおかしくなっちゃいます」

「俺の心臓はとっくに壊れていますよ。貴女を前にすると針が振り切れてしまうんです――おかしいでしょう?」


 わけのわからないことを言いながら降らされるキスの雨にすっかり翻弄されてしまったわたしは、醒めることのない甘い余韻に溺れ続けた。


「だ……大好きです、サイラス様」

「ええ――俺もリーリエを愛していますよ」


 そして、サイラス様に強請られるまま譫言のように「好き」を繰り返すことしかできなかった。

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