05 今度こそ

 かつん、と靴音が響きわたる。

 軋んで開かれた地下室の扉の向こうには、ジェレミアの姿があった。


「クロエ、また此処にいたのか――相変わらず、暗くて辛気臭い場所がお似合いだな君は」

「ジェレミア様……」


 ジェレミア様はわたしが見たことがないような酷薄な笑みを浮かべていた。


「魔道具の実演が始まる時間だ。早く会場に戻らないとね――特別な招待客ゲストもいることだし、今回は大規模な仕掛けがある。お前がいないと困るんだよ」

「っう……」


 クロエの爪がジェレミアの腕に引っかかり、ブレスレットが床に落ちた。すみません、と謝りながら拾い上げたそれを再びジェレミアの腕に巻きなおす。


「まったく……手先が器用なくせに鈍臭い女だな」

「申し訳、ございません」

「っ、行くぞ!」


 ジェレミアが舌打ちしてクロエの腕を強引に掴み、地下室を出て行ってしまうと、作業机の陰に隠れていたわたしとサイラス様、リアム殿下がほっと息を吐いた。


「って、ほっとしている場合じゃないですねっ⁉ クロエが連れて行かれちゃいました……」

「リーリエ、落ち着いてください。クロエが害される危険性はないでしょう。彼女は――ジェレミアにとって貴重な、魔道具作製の要ですから」


 いちはやく立ち上がって作業机の引き出しを探っていたサイラス様が「これですね」と引っ張り出したのは何かの帳簿のようだった。


「いままでの取引先の一覧を見ただけで、オディール王国への背信で捕まえることが出来そうです。それに……」


 くるくると巻かれていた書類を解き、サイラス様は笑顔で言った。


「我々が求めていたものが見つかりましたよ」


 広げられた紙をリアム殿下が覗き込み、思い切り顔を顰めた。


「うえ……反王太子派ってこんなに多いのか。僕って嫌われているんだな。あ、こいつなんていつも親しげに声を掛けてくる奴じゃないか。誰も信用ならないな、まったく――サイラスを除いて、だけど」

「ええ、エルドランは殿下に忠誠を誓いますよ。俺が生涯かけて貴方をお守りすると――あくまで仕事ですので」


 軽口を言い合いながら地下室へと続く階段を上って、人目を気にしながらわたし達は会場に戻った。

 ちょうど壇上でジェレミア様が手にした魔道具を発動しようとしているところだった。


「団長、それに殿下も……いままで何処に行っていたんですか!」


 駆け寄って来たレベッカの方に、サイラス様はリアム殿下の背中を押した。


「ちょうど良かった。リアム殿下、レベッカのそばにいてください」

「お前はどうするんだ」


 ちら、とサイラス様はわたしの方を見る。碧い眸には決意が滲んでいた。


「――決着をつけます、ジェレミア・ロレルと」

「証拠なら十分だ、僕の権限ですぐに捕縛することだって出来るんだぞ⁉」

「ジェレミアには魔道具があります。速やかに他国に転移されて終わりでしょう――どうか許可を、殿下」


 わたしはサイラス様の腕をぎゅっと掴んだ。サイラス様がどこか遠くに行こうとしているような気がして怖かったのだ。


「リーリエ」

「わたしも、その……お役に立ちます、立ってみせます! サイラス様ひとりで行かないでください」


 サイラス様は「大丈夫ですよ」と言いながらわたしの手をそっと解こうとした。


「……い、嫌です! 絶対に離れませんっ」

「聞き分けてください――俺は貴方を二度と失いたくないんです」


 そのときホール全体がまばゆい光に包まれた。一瞬、目が眩んで何も見えなくなる。転移魔法だ、と叫ぶリアム殿下の声が響いた。


「リーリエ! 俺に掴まって」

「は……はいっ!」


 サイラス様と離れまいと必死にしがみつくと、ぐらりと地面が揺れるような心地がした。これが転移するとき特有の揺れだとわたしはもう知っていた。

 こわごわ目を開くと、そこは薄暗い洞窟のような場所だった。遠くで波の音が聞こえている。


 はっと気が付いたときには周囲を武装した男たちに囲まれていた。おそらくはロレル家の私兵だろう――この中に、わたしをラスグレーンの森に連れ去った者がいるのかもしれなかった。やっぱり罠だった、と気持ちをきゅっと引き締める。


「……おや、貴方たちだけですか――失敗ですね、クロエ! この役立たずがっ」


 正面に立っていたジェレミア様が冷え切った声音で言って、隣にいたクロエを突き飛ばした。よろけて蹲る彼女に駆け寄ろうとしたわたしをサイラス様が制止する。


「今度こそ、終わりです。ジェレミア・ロレル」

「……いったい何のことでしょう? 魔道具の暴走で、貴方たちが件についてはご心配なく。たった一度の失敗程度で、ロレル家の魔道具の信頼は揺らぎません」


 自信たっぷりにジェレミア様は言い切った。


「本当は王太子殿下もまとめて始末するつもりだったのですが、まあ良いでしょう。邪魔者には此処で消えていただきます……聞こえますか、この波の音が」


 ふと気づくと、足元まで波が押し寄せてきていた。ちゃぷん、とくるぶしのあたりまで水に浸かり始めている。


「此処はロレル侯爵領にある洞窟です――潮が満ちると洞窟全体が沈むのですよ。転移魔法の失敗でこんな場所に飛ばされて本当にですね。不幸な事故としか言いようがありません」


 眉を下げ、憐れむようなまなざしをジェレミア様はわたし達に向けた。


「あと一時間もしないうちにこの洞窟は海中に沈むでしょう。では――」


 くつくつと嗤いながらジェレミア様は唇をゆがめた。


「さようなら、サイラス・エルドラン卿……それからリーリエ嬢?」

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