04 回帰の剣
ローブ姿のクロエがごしごしと長い袖で目を拭った。吸い込んだ息を吐きだし、呼吸を落ち着けてから口を開く。
「サイラス様――その節は申し訳ありませんでした」
「……その節?」
クロエの言葉にきょとんとしていると、サイラス様がわたしに耳打ちした。吐息が耳朶に触れて思わずぞくっとしてしまう、ってそうじゃなくて。耳に集中してしまった神経を散らして、わたしは真剣に聞く姿勢を取った。
「――時間が巻き戻る前、俺を殺したのは彼女なのです」
「えっ!」
予想外すぎて一瞬、思考が止まる。
クロエはどちらかといえば小柄なほうだし、むしろわたしなどよりも非力そうに見える。レベッカのように鍛えているわけではないのに――わたしは衝撃のあまり言葉を失っていた。クロエは唇を噛みしめ俯いている。
「俺も記憶力は悪い方じゃないもので……ジェレミア・ロレルの影となり動いていたクロエ・バティストの名を、今世では慎重に調べていました。なんでも貴女はとても優秀な魔法士だそうですね」
「……そんな、たいしたものではありません。私は平民ですし、ジェレミア様に才能を見出されて拾っていただかなくては、魔法士教育もろくに受けられませんでした」
ロレル家は魔法士の才能がある子供を見つけて教育を施しているらしい。
中でも、クロエ・バティストは魔法士養成学校でも優秀な成績で卒業した才女だと評判のようだった。誰でも魔法が使えるようになる魔道具を作製できる者は、自分で魔法を発動させる以上に集中力とセンスを要求されるために、オディール王国内でも稀有な才能の持ち主であると言われている。
そこに、ジェレミアが目をつけたのだろう。
「恩人であるジェレミア様のためなら、私は何だってできる――そう、思ってきました」
ぼそりと呟いたクロエの表情には昏い影が滲んでいた。
「私は、ロレル侯爵家において魔道具の開発担当として次々にジェレミア様が希望するがままに、役に立つ魔道具を作り続けてきました……それらを他の家門に売りつけて巨額の利益を得ているのです」
「……商売相手は、普通の貴族だけではないのではありませんか?」
サイラス様の言葉にクロエは苦しそうな表情で頷いた。
「ええ。いわゆる戦争屋と呼ばれるような他国の裕福な商人や、それに犯罪組織にも――お金さえ積まれればどんな相手とでも取引をする、というのがジェレミア様の決めたルールでした。そして稼いだお金が反王太子派の活動資金と……新たな魔道具を開発するための費用に充てられるようになっていきました」
言いながらクロエは作業台の引き出しからひと振りの短剣を取り出した。
彼女の小さな手には大きく見えるその刃物は、地下室の淡い明かりの下でもぎらぎらと輝いていた。
「――そして、あの夜会の夜にわたしは貴方を殺すように命じられたのです」
取り出した短剣の先に指を添えて、クロエは息を吐きだす。
「これを私は『回帰の剣』と呼んでいます――ジェレミア様がサイラス様を私に殺すように命じたとき、この魔道具を使うと決めました。ジェレミア様はただの短剣だと思っていたようですが……とある効能があるのです」
「効能、ですか」
サイラス様がクロエを見遣って続きを促すと、震えながら彼女は言った。
「それは……刺された者の時間を巻き戻すというものです――その者にとって、最も深い後悔をおぼえた原因を取り除くことが出来る瞬間まで」
「時間を巻き戻す……つまり、サイラス様が『やり直し』を出来たのはこの魔道具のおかげだということなんですね!」
感心したようにわたしが叫ぶと、クロエは「はい」と消え入りそうな声で肯定する。
「この底なし沼のような状況に、いつのまにかわたしはどっぷりと浸かっていました……もう引き返すこともできないほどに、魔法士としての手を汚してしまい――この世界をリセットすることで誰かに、助けてもらいたかったのかもしれません。都合がよすぎるとは自分でも思います」
クロエの重苦しいため息が室内に満ちた。
「どうやら私も気づいていなかったようですが、この剣には刺された者だけではなく、刺した者……私にも『やり直し』の効果があったようで、いつかサイラス様にこの話が出来る機会を窺っていました」
重ねてお詫び申し上げます、とクロエは深々と頭を下げた。サイラス様は腕組みをしながら尋ねる。
「――貴女は、ロレル家のお抱え魔法士なのでしょう。ジェレミアが魔道具を流した犯罪組織や、資金を回した反王太子派が誰なのかわかりますか」
「は、はい! この研究室に出納記録と、取引先名簿の写しがあります……私、いざというときのために準備をしていて」
するといままで黙って話をきいていたリアム殿下が「おお」と声を上げた。
「なんだかよくわからんが、この子が証言してくれるということか?」
そのとき、階段を駆け下りるような足音が響き、クロエが怯えたようすで叫んだ。
「隠れてください! ジェレミア様が此処に来ます」
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