02 貴女を守るために
「リーリエ、少し時間をいただけますか」
サイラス様がわたしの部屋を訪ねてきたのは、ちょうど就寝前の時刻だった。少し緊張しながら招き入れると、サイラス様は何と声を掛けて良いのか迷っているようだった。落ち着かないようすで室内をきょろきょろ見回している。
ちょうどみゅーちゃんはおねむのようで、みゅ、みゅと寝言を言いながらふかふかのソファの上でお腹を天井に向けて眠っていた。
「あの……お話、というのは」
サイラス様の碧い眸がじっとわたしに向けられ、どきりとした。
「……どうして、ジェレミア・ロレルの誘いに乗ったのですか」
「それ、は」
思わず後退ると、一歩詰められる。縮まった距離に心臓がざわめいた。ふたたび一歩下がるとベッドの足にぶつかってそのまま後ろに倒れ込んでしまった。
慌てて起き上がろうとしたとき、サイラス様の腕に阻まれた。
「サイラス様……?」
「貴女は、俺がどんな気持ちになったかわかりますか?」
身体全体がどきどき鼓動しているように感じられ、かあっと頬に熱が集まる。サイラス様の端正な顔が近づいてきて、あと少しで唇が重なってしまいそうなほどの距離で止まった。吐息が当たってぞくっと背がしなる。
「――俺は貴女を死なせないために、もう一度やり直す機会をいただいたと思っているんです。どうしてもリーリエを危険な目に遭わせたくない、この気持ちは伝わっているでしょう?」
「あ……」
サイラス様は一度死んで――その前にわたしも死んでいて。ふと気づいて思わず声を上げていた。
「サイラス様は亡くなられたあと、どうなったんですか……?」
「気が付いたら、貴女と出会ったときまで時間が巻き戻っていたんです。いままで信心深い方ではなかったのですが……神に感謝しました。もう一度やり直す機会をいただいたのだ、と」
そう語るサイラス様は泣きそうな顔をしているように見えた。つい出来心で、手を伸ばして頬を撫でるとくすぐったそうに、でも嬉しそうに目を細めてくれる。その顔を見ているとじんわりと胸に染み出してくる感情がある。いままで、傷つくのが怖くてきっと錯覚に違いないと受け入れがたく感じていたもの。
「リーリエさえいればいい……ただそれだけを考えていられればよかったのですが」
「リアム王太子殿下が心配なんですね」
申し訳なさそうに表情をゆがめた彼の頬を大丈夫だと伝えるように撫で続けた。
「……愛しています、リーリエ」
悔いるように吐き出されたその言葉が胸にぐさりと刺さった。求婚するときに向けられた剣のように、彼の声音が胸の奥まで届く。その表情で、熱っぽい声で嘘偽りのない本音だと否応なしに気付かされる。
そして同時にわたしも、芽吹いていた自分の気持ちにようやく追いついた。
「ありがとうございます。あの……わたしも、あなたのことが好き……みたいです」
「えっ」
「え」
とっくにバレていただろうと思ったのだが、サイラス様はぽかんとした表情を浮かべていた。
「え、ええっといまのは……その、やっぱり忘れたくださ……んっ」
紙一枚ほどの隙間があった距離がいつのまにかゼロになり――唇がふさがれていた。やわらかな感触に胸がどきんと高鳴る。
「……申し訳ありません、これほど嬉しいとは思ってもみなかったので」
吐息がかすかに濡れた唇に当たってくすぐったくて。おそらくわたしの顔は真っ赤になっていることだろう。いつもとは違う、サイラス様の蠱惑的な笑みに心臓を握られっぱなしだ。ぎゅうぎゅうと身体を引き絞られたかのようにあえかな息がこぼれた。
するとふたたび熱が唇に重ねられて、もう何も考えられなくなった。
「これ以上、続けると我慢が出来なくなりそうです」
「が、我慢……」
「ええ。もっと貴女の愛らしい表情を引き出したくなってしまう」
真面目な顔をしてそんなことを言うので、いっそうわたしは恥ずかしくなってしまって――サイラス様の顔を見ていられなくなった。すると最後にもう一度、唇の端を掠めるようなキスが落ちてきて悶絶した。
「さ、サイラス様……もう、しないっ、て!」
「そんなことは言っていませんよ。このまま貴女に触れているとどうにかなりそうだ、と言ったまでです」
いつもよりちょっとだけ意地悪に微笑むと、サイラス様はベッドの端に腰を下ろすと、自身の膝の間にわたしを座らせた。後ろから抱き込まれるような恰好におさまった筈の心臓が、ふたたびどきどき鳴り始めてしまう。
「――決意は変わりませんか」
ジェレミア・ロレルのもとを訪ねることを指しているのだとすぐにわかった。こくりと頷くと背後から回された腕が、植物の蔦のようにわたしに絡みつく。緩い拘束に息苦しさはなく、ただ甘い窮屈さがある。
「わたし、サイラス様のお役に立ちます。ジェレミア様は、まだわたしを、それに王太子殿下を……殺めようという気があるのなら、あの場で何かを仕掛けてくると思うんです」
これからジェレミア・ロレル、そして影で暗躍する反王太子派を表舞台に引きずり出さねばならない。
仕掛けるときには必ず隙が生まれる。その隙をサイラス様が突けば、反王太子派の企みを阻止し、ジェレミア様を止めることが出来るかもしれない。サイラス様は首を横に振った。
「危険すぎます――殿下にはうまく説明して、ジェレミア・ロレルに近づかないようにさせますから」
「それでもきっと、ジェレミア様はあきらめないと思います。そんな気がするんです」
反王太子派がやりとりしていた手紙に触れた、というだけのわたしを執念深く狙うようなひとなのだ。王太子殿下に矛先を向ける前になんとか食い止めなければ。
「作戦を立てましょう! 大丈夫、サイラス様は今度はひとりじゃありませんから」
わざとらしく張り切ってみせたわたしを見て、サイラス様はほんの少し緊張を緩めてくれたようだった。
「ええ。俺も貴女とならなんだって出来るような気がしますよ」
柔らかな表情で言ったサイラス様を見て、どきんとまた胸が高鳴ってしまったことが気づかれませんようにと密かに祈った。
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