08 狩猟大会の終わり

 狩猟大会はレベッカの優勝で幕を閉じた。

 リアム王太子殿下からねぎらいの言葉と月桂樹の冠を授けられたレベッカは相変わらず冷静沈着な面持ちだったが、どことなく嬉しそうに見えた。野営地の隅で拍手を送ったわたしに――正確にはわたしの腕の中にいるみゅーちゃんに向かって手を振ってくれた。


 献上された熊型の魔獣は雷の魔力を帯びていたようで、結晶化してそこから光のエネルギーを抽出するらしい。そうすることで本来は暗い王都の夜が明るくなるのだから、有難い限りだ。

 討伐数は全体で百体にも及び、前年度の百二十体には及ばないまでもまずまずの結果であったらしい。大会参加者代表としてサイラス様が総括を話していたから間違いない。色々あったがなんとか無事でいられたことに安堵していたときだった。


「リーリエ嬢も災難だったね」

「は……り、リアム王太子殿下っ!」


 ざ、と草を踏み分け目の前に現れたのは今回の狩猟大会の主催者でもあるリアム殿下だった。

 サイラスから話は聞いているよ、と人の好さそうな笑みを浮かべてリアム殿下は頷いてみせる。


「……君は僕と一緒に転移魔法で王都に帰ると良い――勿論、サイラスも連れてね」

「ありがとうございます……」


 とんでもない好待遇に眩暈がしそうだった。未来の国王に同行を許可していただけるなんて、しがない男爵令嬢にとって身に余る光栄とはこのことである。実家のヴェルファ家の面々に話したところで到底信じてもらえそうにない。しばらく会っていないけれど、妹のヴィオレットは元気でやっているだろうか、としみじみしていたときだった。


「リアム王太子殿下……?」

「ふふ」


 にこにこ微笑みながら、リアム殿下はさりげなくわたしの手を取った。


「転移するときは主たる転移者に触れていないといけないんだ。だから、ね?」

「は、はあ……」


 戸惑いながらも唐突な握手に応えていると「殿下、リーリエを揶揄うのはやめてください」と地を這うような声が背後から聞こえた。振り返るとものすごい形相でリアム王太子殿下を睨むサイラス様が立っていた。王族に対してこの表情、不敬だと言われないのだろうか。わたしのほうがハラハラしてしまう。


「あはは、妬いているのかい? 朴念仁と思っていたサイラスにも可愛いところがあるじゃないか」


 軽やかに言いながらサイラス様の肩を叩くリアム殿下は怖いもの知らずというかなんというか……それほど仲が良いのだろう。

 リアム殿下と繋いでいた手を素早く解かれたわたしは、さっとサイラス様の背中に隠されてしまった。どうやら転移しているときに触れていないといけない、というのは嘘だったらしい。それにしても殿下、掴めないひとのようだ。


 他にも従者らしい人物がリアム殿下のすぐそばに影のようにぴったりと控えて、わたしたちを含めた三人がこの転移魔法の同行者のようだった。どうやら魔法にも定員があるらしく、レベッカは通常どおり他の狩猟大会参加者たちと共に八日間かけて王都に戻ることになっていた。


「さて準備は出来たかな? では王宮へ向かうとしよう」


 すると殿下が胸に下げていたペンダントが眩い光を放った――どうやら魔道具であったらしい。起動するとリアム殿下の周辺に大きな青い光の輪が生まれる。

 全員が輪の中に入ったことを確認してからリアム殿下が呪文を唱える。途端、ペンダントがちかちかと激しく瞬き始めた。

 わたしは転移魔法でラスグレーンの森に飛ばされたらしいので、一度は体験しているはずなのだがなんだか怖い。

 思わず隣にいたサイラス様の腕を掴むと、ふっと優しく笑って大丈夫ですよ、と声をかけてくれる。そしてそのままわたしの腰に手を回し引き寄せた。


「サイラス様……!」

「たとえ時空の狭間に落ちたとしても俺がそばにいるので安心してください」

「お、恐ろしいこと言わないでくださいっ」

 

 次の瞬間、強力な魔力の波動を感じて思わず目を閉じる。歪みを潜り抜けるような奇妙な心地が続いた数拍後、目を開けたときには背の高い木々が生い茂るラスグレーンの森は視界から消えていた。


 その代わり眼前に広がっていたのは王宮夜会でも訪れた、大きなホールだった。きらきらと頭上で輝くシャンデリアが眩しい。


「どうかな皆、転移酔いはしていない? それなら結構。無事に到着して何よりだ」


 軽やかなリアム殿下の声音に張り詰めていた緊張が解ける。ようやく帰って来れたのだ王都に……。じんと喜びを噛み締めていたときだった。


「みゅ、みゅみゅ!」

「えっみゅーちゃん! なんで……もしかしてついて来ちゃったの?」

「あれミュゼットだ。可愛いね、リーリエ嬢になついているのか」


 みゅみゅ、とふかふかの胸を張りみゅーちゃんはリアム殿下の前でも誇らしげだったが、わたしは冷や汗を流していた。ただ殿下もみゅーちゃんが危険な魔獣だという認識はないらしく、ちっちゃなみゅーちゃんの手と握手をしている。


 和やかな空気が流れていたとき、かつん、とホールに何者かの靴音が響いた。


「殿下、無事のご帰還何よりでございます……おや」


 皆様お揃いでどうされたのですか、と柔らかな声が耳に入る。はじかれたようにサイラス様が声の主へと視線を向けた。つられてわたしも顔を向け、息を呑んだ。


「おお、ロレル侯爵家の。君の用意してくれたこの魔道具のおかげで、楽に転移魔法を発動できた。心から礼を言うよ」


 リアム王太子殿下は笑顔を向けていたが、サイラス様もわたしも表情を強張らせたままだった。


「……ジェレミア様?」


 思わずこぼれたわたしの呟きを拾い、ジェレミア・ロレルは薄い唇に微笑みを浮かべた。


「誰かと思えばリーリエ嬢ではありませんか……、何よりです」


 氷よりもなお冷えきった声音が響くと共に、どこかで嗅いだかのような甘い花の香りがふわりと漂っていた。


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