06 対峙(✦サイラス視点)

 その人物と初めて顔を合わせたのは、実家であるエルドラン家で開かれた食事会でのことだった。


 出席者同士が情報交換して親睦を深める、という意義深い趣旨の会合も次男であるサイラスにとってはひどく退屈なものだった。とはいえ、当主である父から参加を義務付けられているのだから仕方がない。近衛騎士団に入団したばかりだったサイラスはまだ何者でもなかったが、に整った容姿と長兄を凌ぐとされる出来の良さから周囲から一目置かれる存在だった。


「初めまして」


 退屈な会合に嫌気が差していた頃、声を掛けてきたのはいかにも毛並みがよさそうな青年だった。柔らかそうな髪からふわりと甘い花の香りが漂った。


「声を掛ける相手を間違っておいでですよ――兄ならあちらです」

「いいえ、貴方とお話をしてみたかったのです。サイラス様」


 人好きのする柔和な表情を浮かべた彼に、サイラスも警戒心を解いていた。


「――ジェレミア・ロレルです。お見知りおきを」


 ジェレミアに差し出された手を、サイラスも握り返していた。

 それが彼との交流の始まりだった。




 社交界は広いようで狭い。ほぼ同格であり、おなじリアム王太子派の家であるロレル家とエルドラン家は近しい間柄にあったというのもある。知り合ってからというもの格段に顔を合わせる機会は増えていった。

 親しい友人と呼べるほどの付き合いではなかったが、時折、手紙のやり取りをする程度の知人となった頃にはサイラスは近衛騎士団でも頭角を現してきていた。


「サイラス様は今日も人気者ですね……話しかけるどころか近づくのも大変でしたよ」


 舞踏会で女性に囲まれていたサイラスのもとに歩み寄ってきたジェレミアは苦笑まじりに言った。ジェレミアが近づくと、いつもおなじ花の香りがする。愛用している香水のせいだろう。

 サイラスは「ジェレミア様こそ」と肩を竦めた。


「いつも違う女性を連れて夜会に参加なさると評判ですよ――どなたか特定のお相手はおられないのですか」

「まだ、運命の相手には出会えていないようなのです。残念ながら」


 目を細め、ジェレミアは少し離れた場所にいた淑女に手を振った。きゃあ、と悲鳴にも似た歓声が上がる。サイラスとジェレミアが並ぶとひどく目立つらしく、会場のあちこちから同行者そっちのけで自分たちに熱視線を向けている女性たちがいた。


「サイラス様はお話しこそされていましたが、どなたかと踊らないのですか」

「もう同伴者パートナーの従妹とダンスは済ませましたので」


 従妹はサイラス兄さまと一緒にいてもつまらないわ、と自由に社交に勤しんでいるようだった。活動的で何よりである。自分は酒でも飲みながら退屈な時間を過ごすくらいでちょうどいい。

 もったいない、とジェレミアは大げさに驚いてみせた。


「此処に集っている女性たちも一曲お相手を願いたいと思っていることでしょうに」


 サイラスの周りを取り囲んでいた女性たちにジェレミアが流し目を送ると、夢見心地のようすでぼうっとして頬を染めていた。つまるところ誰でも良いのだろう。相応の家格があってそれなりの見目であって……と、幾つかの条件を満たしており、自分が並び立つのに相応しい相手を選別する冷ややかな眼差しを彼女たちは持っている。


「よろしければジェレミア様がお相手なさったらいかがですか。俺は堅物なもので、どのような話をすれば女性が喜ぶのかもわかりませんし」

「女性は自らの容姿に敏感ですからね。美しさを讃える詩の暗唱でもされてはいかがですか」

 

 ちょうど音楽が切り替わるタイミングで、ジェレミアはサイラスのもとに集っていた女性のひとりに声を掛けホールの中心へと歩み出た。サイラスにも誘ってもらいたい、という思惑を隠そうともしない女性陣の視線がぐさぐさと突き刺さったがあえて無視をする。踊りたい相手などいない。

 優雅なダンスを見せつけるかのように踊るジェレミアを、サイラスは醒めた目で眺めていた。


 リーリエと出会い――恋に落ちてから、ジェレミアと顔を合わせたのは王宮主催の夜会でのことだった。「よかった、ようやくあのエルドラン卿にも春が来たのですね」としきりに……いささかわざとらしく喜んでみせたことをサイラスはよく覚えている。

 それでもダンスホールのシャンデリアの光を浴びながら踊るリーリエをジェレミアが注視していたことにはそのときのサイラスは気づかなかった。




「ジェレミア・ロレル――話がある」


 サイラスがジェレミアに声を掛けたのも同じく夜会だった。

 華やかな場に縁がある男だったが、手っ取り早く話をつけるには一番いい場所でもあったのだ。いきなり歩み寄り肩を掴むという無礼だと言われても仕方がないほどの作法ではあったが、それほどあのときのサイラスは血が上っていた。


「どうされたのですか、サイラス様……血相を変えて」


 いつも通りの穏やかな表情を浮かべたまま、ジェレミアはサイラスに対峙した。相変わらず傍らに女性を侍らせており、腰に手を回して身体を密着させていた。端正な顔には動揺の欠片も見受けられず、サイラスの苛立ちは募るばかりだった。それでも形だけは丁寧に、周囲に変に思われないように取り繕うことにした。


「――少し、時間をいただけますか。二人きりで話したいことがあるのです」

「ええ、構いませんが……ここで待っていてくれるかな?」


 同行者の女性に声をかけると、ジェレミアは意外にもためらうことなくサイラスの誘いに乗った。

 月明かりが降り注ぐ庭園に出て向かい合った彼は、まるで自らが月の化身であるかのような堂々とした態度を崩さなかった。若干の居心地の悪さを感じながら「もうすべてわかっているのですよ」とサイラスは口を開いた。


「もうわかっている……? いったい何のことでしょうか」 

「貴方が反王太子派の一員である、ということです。城下町の図書館で貴方がこの件に関与しているという証拠を見つけました。すぐに当局の調査が入るでしょう」


 ジェレミアは首をかしげる。


「嫌だなあ。言いがかりはやめていただけますか。不当に名誉を傷つけるような真似をあのサイラス・エルドラン卿がなさるとは――失望しましたよ」


 はあ、とため息を吐きつつ肩を竦める仕草は落ち着き払っていて、自分が追い詰められているとは微塵も思っていないようだった。 


 何も間違っていない筈だ、あの手紙の気取った筆跡は間違いなくジェレミアのものなのだから。鑑定にかければ有力な証拠のひとつになり得る。それに……図書館長とリーリエを殺した者の素性を辿ればロレル家の関与が明るみに出るに違いない。


 それでもサイラスは、自分が優位に立っているはずなのに、何故か後退させられているような気さえした。おそらくジェレミアの余裕ぶった態度が一向に崩れないせいだろう。


「ああ、そういえば近頃――サイラス様の大切な女性を見かけませんね?」


 ジェレミアはいま思い出したとばかりに、にっこりと微笑んでサイラスを見遣った。


あったのですか」


 そのとき、ふつり、とサイラス・エルドランをかろうじて保っていた一本の糸が切れたような気がした。


 燻っていた疑いが確信に変わる瞬間だった。

 この男が、リーリエを――死に追いやったのだ、と。


「死ね」


 凍てついた声音を発すると同時に掴みかかっていた。訓練を受けているサイラスにとって、貴族令息でしかないジェレミアを無力化することなど容易い。しかもろくな抵抗もなかった。ただされるがまま、草むらの中に横たわったジェレミアは怯えてもいなかったように思う。しゃらり、とジェレミアの腕に嵌められていたブレスレットが揺れた。


「よくもリーリエを」


 馬乗りになると細い首に手をかけ、両手で締め上げる。

 ぎりぎりと負荷をかけ、ゆがんでいくジェレミアの顔を見下ろしているときどこか自分が遠くにいる気がした。


 だが一瞬、もう意識を保っているのがやっとである筈のジェレミアの口元が笑みをかたどったとき――サイラスは現実に引き戻された。


「っぐ……」


 背中にどん、と衝撃が走った。

 燃えるような痛みにその場にくずおれると、背後から甲高い女性の声が聞こえた。


「わたしやりました、ジェレミア様……!」

「……っ、ええ、よくやってくれました。クロエ」

 

 咳き込みながらサイラスを退かし、ふらふらと立ち上がったジェレミアは勝ち誇ったような表情を浮かべていた。先ほどホールでジェレミアと一緒にいた女性がぴったりと寄り添っている。その顔は底知れない狂気に歪んでいた――この顔つきをどこかで見たことがある。そういえばオディール王国で禁止されている薬物の常用者が彼女によく似た顔つきになっていた、はず……朦朧とする意識の中で、サイラスの思考は徐々に閉ざされていく。


「刃には毒が塗ってあります……すぐにリーリエ嬢のもとに行けますからご安心を」


 もうジェレミアが何を言っているのかも、頭に入ってこない。



「おやすみなさいエルドラン卿」



 ただこの不快な声を一刻も早く。



「そして永遠に、さようなら」



 止めてくれ、と願っていた。

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