03 果たされなかった約束(✦サイラス視点)
リーリエが亡くなったのは、サイラスがちょうど近衛騎士の任務に就いている最中だった。
任務を終えた翌日は、彼女と出かける予定になっていたのでいそいそと官舎に戻り、入浴を済ませ身だしなみを整えてからサイラスは部屋を後にした。
行きつけのレストランで食事をした後、王都から少し離れたところにある湖畔に連れて行こうと思っていた。何故かこの手のことに詳しいリアム王太子から教わった「女性受けがいい」というお勧めスポットである。
「遅いな……」
リーリエが遅れるなんてことはいままで一度もなかったことだ。
待ち合わせをしていた場所にいつまで経っても現れない彼女に痺れを切らしたサイラスが、ヴェルファ男爵家の門をくぐったとき――屋敷の中からまだ幼い少女の泣き声が聞こえてきた。
嫌な予感はしていた。
胸騒ぎのようなものもずっと感じてはいたが、それが確信に変わったのはそのときだった。
サイラスがヴェルファ邸に入っても誰も此方を顧みることなく、飾り気も何もない玄関ホールの床に三人が蹲っていた。ヴェルファ男爵夫妻、そしてまだ十歳になったばかりのリーリエの妹ヴィオレット。
そして、彼らが取り囲む簡素な木の箱――棺の中に「誰か」が横たわっている。
サイラスは自らの目が信じられなかった。
ぐら、と地面が揺れたような心地がした。
「……リーリエ?」
白木の棺の中にいる彼女はかたく目を閉じ、生気が失われていた。
溌溂とした頬から赤みは失われ、青白い肌は蝋で出来ているかのようだ。サイラス様、と名前を呼んでくれた愛らしい唇はぴくりとも動かず凍てついたままだった。
ようやくサイラスの存在に気付いたというように、ヴェルファ男爵が此方を振り返る。その顔はひどくやつれていた。
「これは……どういうことなのですか」
己の声がひどく張り詰めていたことにサイラスは気づいていた。
ふとした瞬間に粉々に砕けてしまいそうなほどに、目の前の事実に打ちのめされていた。
「あの――エルドラン卿、ですよね。近衛騎士の」
ええ、と頷くとヴェルファ男爵が恐る恐ると言ったようすで口を開いた。
「娘とはどういったご関係なのですか」
「それ、は……」
サイラスがヴェルファ家の面々と顔を合わせるのはこれが初めてだった。結婚の約束もリーリエとの間で交わした言葉だけで、互いの両親と顔を合わせる機会をリーリエは何気なく避けていたように思う。態度には出さないまでも自らの家の窮状を恥じていたのかもしれなかった。
「――親しく、お付き合いさせていただいていました」
項垂れていたヴェルファ男爵夫人が顔を上げる。年齢を重ねてはいるが、どことなくリーリエの面影があった。泣き腫らした目で、ヴィオレットがサイラスを見る。あの子とおなじ榛色の瞳だった。
「何も知らず、申し訳ございません」
「いえ、俺――私こそご挨拶が遅れてしまい」
しばらくするとリーリエの亡骸は教会へと運ばれた。行われた簡素な葬儀の最中もまだ彼女の身に起きたことが信じられず、サイラスは茫然としていた。墓地に運ばれた棺に砂をかけられ、埋められ――ヴェルファ家の面々が立ち去った後もサイラスはその場から一歩も動けずにいた。
どうして――何故こんなことに。
降り出した雨に打たれながら考えていた。墓守さえいない無人の墓地で、愛する女性がひとり眠らなければならなかったのか。何が彼女の身に起きたのか。調べなければならないと思った。調べて、必ず――。
「復讐してやる……」
ぽたりと呟いたサイラスの声は雨音が塗りつぶしていった。
リーリエは図書館での蔵書整理の帰り道、暴漢に襲われ、命を落としたという。ちょうどサイラスが夜番としてリアム王太子殿下の近くに控えていた時刻の凶行だった。彼女は、サイラスの名を呼んだだろうか。助けてと叫んで、泣いて――惨たらしく死んだのかもしれない。
彼女のことを考えると胸の内側がすべて、黒一色に塗りつぶされたような心地になる。いまは彼女を殺めた者を探し、復習を果たすことが、サイラスの新たな生き甲斐となった。
幸いにもサイラスには侯爵家出身の近衛騎士という相応の身分があり、容姿にも恵まれたおかげで人脈も伝手もあった。おかげで警邏隊に配属されている知人に、リーリエの遺体を発見した状況を聞くことができた。
背後から心臓を刺されたリーリエは幸いにも一撃で命を落としたそうだ、と知人は沈痛な面持ちで語った。
「ヴァルファ男爵令嬢を襲った暴漢はすでに逮捕されているぞ」
「……それで?」
「獄中で死んだ」
これ以上は聞いてくれるな、とでも言いたげな表情で知人は息を吐き、去っていった。呆気ない幕引きだった――リーリエを殺めた者は既に地獄に堕ちた。サイラスが直接手を下すまでもなく、だ。
「……いや、まだ終わりじゃない」
ぎり、と歯を食いしばりサイラスは思考をめぐらせる。リーリエは何故殺された――その理由すらいまとなってはわからない。だが、サイラスには知る必要があった。知ってどうする、という身の内から聞こえる冷ややかな声は無視をした。
彼女を喪った痛みを紛らわせるために、生前のリーリエの行動をサイラスは追いかけた。城下町で身分を偽って大売出しの手伝いをしたことがあるとは聞いていたが、多くの商店でリーリエは顔なじみだった。安い賃金で色々な場所に顔を出しては、便利使いされていたらしい。食堂の主人が「最近顔を見ないが、あの子は気が利く良い子だった」と語っていた。
「リーリエのお知り合いの方ですか?」
そう声をかけてきたのは、図書館で働いている少女だった。
仕事の合間に立ち寄った図書館でサイラスはリーリエの同僚たち何人かに声を掛けたのだが「よく知らない」と口をそろえて言うばかりで――向こうから話しかけられて少し驚いたぐらいだ。
地味な装いにエプロンをつけた姿の少女に、ふいにリーリエを思い出してサイラスは胸が詰まった。ぎこちなく笑みを浮かべ「はい」と頷くと、彼女は安堵したように息を吐いた。
「これ――リーリエから預かっていたんですけど、ずっと私が持っているのもなんだか落ち着かなくて」
あの子に渡していただけますか、と封筒を彼女は差し出した。
リーリエが死んだことを彼女は知らないのだ。
そのことを少し羨ましいような気がしながら手にした封筒を眺めたサイラスはそれを見つけたのだった。
真白の封筒の隅に記された「逆三角形を縦線で半分に割る印」を。
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