02 さすがにそれはちょっと(✦サイラス視点)

 リーリエ・ヴェルファと再会したのは、ひと月後の夜会でだった。


 くすんだピンクのドレスは盛りを過ぎた花のようで、彼女を嘲笑する声がホールのあちらこちらで耳に入った。ちなみに悪評を主にばら撒いていたのはドロシアである。どうやらサイラスがリーリエを気にかけていることが癇に障ったらしく、あの茶会以降、苛烈に口撃しているさまを何度か目にしている。窘めても状況は悪化するばかりで、関わることさえうんざりしつつあった。


 壁際で退屈そうに欠伸を堪えているリーリエを見て、サイラスは意を決して彼女のもとに歩み寄った。


「リーリエ嬢――俺のことを覚えていらっしゃいますか」


 まさかサイラスに声を掛けられるとは思ってもいなかったのか、リーリエはきょろきょろ辺りを見回して話しかけられたのが自分であると確かめずにはいられないようだった。その結果として紛れもなくリーリエを見つめていることをようやく自覚すると、観念したように息を吐き「勿論です、サイラス・エルドラン卿」と言って深くお辞儀をした。

 

「何かわたしに御用でも……? あ、もしかして此処にいるのがお邪魔でしたか? でしたらすぐに退きますので」


 いそいそと移動しようとしたリーリエを引き留めなければならない。咄嗟にそう考えて口から滑り出たのは思いがけない言葉だった。


「俺と結婚していただけますか」

「……え?」


 リーリエは呆気にとられた表情を浮かべている。続いて頬を真っ赤に染めた。


「えええええっ、さ、さすがにそれはちょっと……あの、わたしたち知り合ったばかりですし」


 言いかけてハッとしたように表情を曇らせ、リーリエは疑いの眼差しをサイラスに向けてきた。


「あの――もしかしてからかっていらっしゃいますか?」


 サイラスは内心、頭を抱えていた。最悪の事態である。

 言うつもりもなかったことを、つい言ってしまった。完全に順番を間違えた。

 なにしろまずは知人から。そして友人になりたい、と思って声をかけようと思ったのだ。それが猛スピードで突進し、勢い余って求婚してしまった。

 挙句、不審者でも見るような目で見られている。ちっとも望んでいなかった展開だった。


「違います」


 でも。


「からかってなどいません――俺は本気です」


 サイラスは自らの言葉に偽りなどないことを誰よりも理解していた。彼女のことをもっと知りたい、話してみたい。


「どうか、俺のことを好きになっていただけませんか?」


 彼女の榛色の瞳に映る栄誉を与えてもらうことが出来たなら――どれほど嬉しいことだろう。そう、思って……願ってしまったのだった。


 恥じらいながらもサイラスの手を取ってくれたリーリエとダンスを踊ったあのときほど、高揚した瞬間はいままでになかった。リーリエは明るく、朗らかな性格でよく笑う娘だった。

 彼女の笑顔を見るために自分は生きているのだ、と真剣に考えるほどにつたない恋にサイラスはのめり込んでいった。


『俺と結婚していただけますか』


 最初こそ、引かれてしまったこの唐突な求婚もデートのたびに繰り返すうちにリーリエは真面目に耳を傾けてくれるようになった。またですか、と呆れたように笑いながら、彼女の好きなケーキを食べながら過ごす休日の午後ほど得難いものはなかった。

 サイラスの愛ゆえの奇行は部下のレベッカを「近頃の団長は浮かれすぎていて気味が悪い」と眉を顰めさせ、リアム王太子殿下を「堅物の君にも春が来たんだね」としみじみさせた。


 何度目かの告白と求婚の末「わたしでよければ」とリーリエが言ってくれたときほど嬉しいことはなかった。震える手を握り返し、はにかむように笑ったリーリエを何があっても守り抜くとサイラスは誓ったのだ。


 最近、誰かに見られている気がするんです――そんなふうにリーリエが語ったとき、サイラスは自分が手隙のときに護衛を兼ねて彼女のあとを尾行していることに気付かれたものだと思っていた。

 さすがに気味悪がられるだろうと思って黙っていたのだが、それにしてもリーリエは一般的な淑女と比べて無防備にもほどがあった。

 専属の護衛もつけておらず、使用人もいない男爵家の屋敷で家族とひっそり暮らしているせいだろうか。時折、不埒な者が彼女のそばに近づいているような気がしてサイラスはひとりやきもきしていたのである。

 そのわりに活動的なリーリエは頻繁に城下町に赴き、手仕事を引き受けたり、店番を手伝うなどしたりして日銭を得ていた。


「リーリエ。夜遅くまで外出するのはさすがに危ないと思いますよ」


 サイラスが窘めても、リーリエは「今月ピンチなので……」と苦笑するばかりだった。幾らサイラスが援助を申し出ても、頑として受け取られなかったのは彼女の意地だったのだろう。


 先にヴェルファ男爵に話を通してしまえば、サイラスの支援を断られることはなかったのだろうが――リーリエはサイラスとの交際を、両親に打ち明けるのはまだ早いと考えているようだった。恥ずかしいと思っていたのかもしれない。後になってわかったが、リーリエの父親は悪人ではなかったが貴族にふさわしい心根の持ち主とは言えず、立派な紳士とは程遠かった。


 投資に失敗して身を持ち崩したヴェルファ男爵家は周囲に借金を重ねてなんとか体面を保とうとしてそれも上手くは行かず、家財をほとんど売り払っていたし、生活費はリーリエの少ない賃金に頼りきりだった。


「あ、サイラス様……申し訳ありませんが、今日はこれで失礼します」


 すっかり常連となった町のパティスリーのテラス席でケーキを食べていたときも、リーリエはちらちらと広場の時計を気にしているようだった。


仕事ですか?」

「もう、意地悪言わないでください……わたしだって、サイラス様と少しでも長く一緒にいたいんですから」


 ここ数日、リーリエは町の図書館の蔵書整理を手伝っている。何度かサイラスも足を運んだことがあるが、木造の温かみのある場所で子供から大人まで多くのひとが利用する場所らしい。

 賃金は低いもののやりがいがあると腕まくりして語っていたリーリエは、サイラスの眸に眩しく映った。


 せめて送っていく、という申し出さえも断られ、図書館へと走っていく小さな背中を見送ったサイラスは――強引にでも彼女の手を取らなかったことを、ひどく後悔することになる。

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