第5章 かつて幸せだったわたしたちへ。

01 ヴェルファ家のニセモノ令嬢(✦サイラス視点)

「わ、わたしが死……んだ?」

「ええ。かつて俺はリーリエを目の前で失いました。今度こそ貴女の死を回避するために、今世において俺は――この身命を賭すと決めているのです」


 サイラスがそう言ったとき、リーリエはぽかんとしていた。それはそうだろう、自分が彼女の立場であれば困惑するに違いない。苦く笑いながら彼女の肩に手を置いて、その瞳を覗き込んだ。


「その、今世とはいったい何ですか……?」


 リーリエは目を白黒させながら、かろうじて聞き取れた言葉の切れ端を口にしたようだった。よりによって一番説明が難しいところだ――サイラスは考えあぐねた結果、端的に事実のみを伝えることにした。


「俺は一度死にました」


 さらりとそう告げると余計にリーリエを混乱させてしまったらしい。


「えっ? え……⁉ 死、死んだって、わたしだけじゃなくってサイラス様も……そんな、ことって」

「申し訳ありません、リーリエ――長くなるかもしれませんが、俺の話を聞いてもらえますか?」


 嘘や冗談を言っているようには見えないよう、サイラスは可能な限り真面目な顔で訴えかける。たとえ信じてもらえなくても構わない。それでも知っておいて欲しかったのだ。

 これから彼女の身に降りかかる危険を避けるためにも。


 少しの逡巡の後、彼女はこくんと頷いたのだった。





「あらぁ、あれってニセモノ令嬢じゃない?」


 意地の悪いドロシアの声音が鼻についた。

 近衛騎士団の同僚のフィリップ・ダーレンの妹、ドロシアは黒髪の美人だが批評好きですぐひとをこき下ろす悪癖があった。サイラスは彼女の開くお茶会に何度か招かれたことがあるが、毎回招待客のうちの誰かを標的にして、取り巻き達と笑い合うのだ。

 今回のターゲットは冴えない緑色のドレスを身にまとったどこかのご令嬢のようだった。赤茶色の髪が陽光を浴びてよく熟れた果実のようにきらきらと輝いている。まるでその一点だけ光が当たっているかのようにサイラスには見えた。


「なんだ、お前も気になるのか」とフィリップに小突かれるまで、サイラスは自分が赤茶髪チェリー・ブラウンの彼女を注視していたことに気が付かなかった。


「リーリエ・ヴェルファ……巷では、主に妹の友達連中の間では、あまりの貧乏くささに『ニセモノ令嬢』、だなんて呼ばれているらしいぞ」


 中々可愛い顔しているけどな、とぼそりとフィリップがサイラスにだけ聞こえるように呟いた。妹に聞かれでもしたら大変、と顔に書いてある。そんな中、ドロシアたちはリーリエの噂をひそひそと話していた。


「ヴェルファ家って新しいドレスも買えないくらい困窮しているらしいわ」

「どおりであの古い型のドレスなのね。ふふっ、あの方にはお似合いですけれど」

「いま、ご覧になりまして? マドレーヌをハンカチに包んでいましたわよ。意地汚いわねえ、マナーもご存じないのでしょうか」


 ――聞くに堪えない。サイラスはため息をひとつ吐いて、彼女たちのそばからそっと離れた。


 花の名はよく知らないが季節の花が咲き乱れた庭は庭師の努力の賜だろう。しっとりと濡れた花弁が陽光を浴びてきらきらと輝いて見えた。

 庭園は息を呑むほどに見事なのに、フィリップにしてもドロシアにしても意地が悪い。サイラスは自分にやや潔癖気味なところがあることを理解していたから、ダーレン家の兄妹との付き合いに若干嫌気が差していた。性格が合わないことを理解していながら、この茶会に来てしまったのは完全な義理である。いまとなってはフィリップ経由の招待に応じたことを後悔しているくらいだ。


 ひとり茶会の会場を離れ、庭園を散策していたとき数歩後ろで「わあ」という無邪気な歓声が響いた。思わず振り返ると、先ほどの赤茶色の髪の令嬢と目が合った。

 榛色の瞳がぱち、と瞬きするさまに思わず見惚れ――言葉を失っていた。


 リーリエ・ヴェルファ、確かそういう名前だった、はずだ。

 彼女が気まずそうに踵を返そうとした途端、思わず声をかけてしまった。

 

「っ、待って……!」


 びくっと小動物か何かのようにリーリエは肩を震わせた。おどおどとしたようすでサイラスの方に振り向いた彼女は、怯えているようだった。どうやら無断でダーレン家ご自慢の花園に入ったことを咎められると思ったらしい。それならサイラスも同罪である。


「俺は、サイラス。サイラス・エルドランと言います」

「り、リーリエ・ヴェルファと申します……あの、こんにちは」


 サイラスが名乗ったからだろう、律義に彼女も名乗ってくれた。


「……」

「……えっと」


 声をかけたはいいものの、初対面だ。何を話したらいいやらでお互いにただじっと見つめ合ってしまう。サイラスは女性から話しかけられることは多いものの、ひたすら相手が喋ってばかりなのであまり自分から気の利いた話題を提供することがすこぶる苦手だった。


「その制服」

「えっ」


 沈黙に耐えかねたのか、リーリエがぎこちなく口元に笑みを浮かべて言った。


「騎士様、ですよね。いつもオディール王国のためにお疲れ様です」

「いえ、当然のことをしているまでです」


 リーリエを見ているとどぎまぎして、いつになく返事も素っ気ないものになってしまう。再び途切れてしまった会話を繋ぎ直すきっかけすら見つからない。


「それでは――失礼いたします、サイラス様」


 一礼して、リーリエはお茶会の会場まで戻ってしまった。サイラスは急激に上昇した頬の熱が収まってから、彼女のあとを追うようにお茶会の席に戻った。叶うならばもう一度、リーリエと話す機会が欲しい。今度こそ失敗はしない、と意気込んだものの彼女の姿は会場のどこにもなかった。

 フィリップに「リーリエ嬢は」と尋ねると、何故かドロシアがサイラスの腕に自らの腕を絡ませて言った。


「あら、サイラス様。リーリエ嬢でしたらもうお帰りになりましたわ。ねえ、傑作ですのよ……あの方、馬車もないから歩いて帰るんですって! 本当にニセモノ令嬢なんか招待するんじゃなかったわ。お茶会の品位が落ちてしまうじゃない」

「他人のことを悪く言うのは感心しませんね」


 絡みついた手を振り払い、醒めた目で見遣るとドロシアは「だって」と不満げに眉を下げた。


「みんなそう思っているはずですわ。私だけではありませんもの!」


 むうと頬を膨らませた妹をフィリップがなだめているのを眺めながら、サイラスは胸の中にくすぶる感情について思いを馳せていた。

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