08 思いがけない告白
ぶわ、とわたしの身体をやわらかな風が包んでいた。
途端にふわふわと落下のスピードがゆっくりになる。着実に落ちてはいるのだが浮かんでいると言った方がふさわしい。時間をかけてわたしの身体は崖下に着地した。有難いことに痛みもなかった。
「もしかしていまのって、みゅーちゃん……ミュゼット、のおかげ?」
わたしのお腹の上に乗っかったまま、みゅ、とふかふかの胸を張るみゅーちゃん。みゅーちゃんのふわふわ毛並みを囲むように見える緑色の膜は、おそらく風の魔力なのだろう。
ぱらぱらと砂が頭上から落ちてくる。
思ったよりも崖が高くなかったようで、此方を覗き込んでいるサイラス様の姿が肉眼で見えた。
「リーリエ! 無事ですか⁉ そこでじっとしていてください」
「わ、わかりました……!」
叫ぶと、サイラス様の姿が見えなくなる。崖下まで大回りで向かう方法を探しに行ったのかもしれない。
と思いきや、岩場を伝うようにわたしのもとまであっさりするすると下りてきてしまった。運動神経がわたしとは雲泥の差だということがよくわかった。なんて羨ましい。
「みゅみゅ!」
片手を上げたみゅーちゃんとサイラス様が握手をする。大型犬のような男のひとと小動物が戯れている……なんだか心温まる光景だ、とうっかりほのぼのしてしまう。
「リーリエを守ってくれてありがとう、ミュゼット」
「みゅみゅみゅーみゅ」
「そうか、それは良かった」
ん? とそのときわたしは気づいた。
「もしかしてサイラス様、みゅーちゃんとお話しできるんですか?」
「いえ、なんとなくです――ミュゼットは賢い魔獣ですし、人間にも好意的ですから」
確かにわたしもなんとなくでみゅーちゃんと意思疎通していた。それとまったくおなじである。それが妙におかしくてわたしは口元が緩んでしまった。
「サイラス様、あの……」
「リーリエ」
口を開いたのはほぼ同時で、思わず顔を見合わせた。サイラス様は端正な顔立ちにかすかに柔らかな笑みを浮かべた。
「どうぞ、リーリエから」
「い、いえっ、サイラス様こそどうぞ!」
お互い譲り合った結果、最終的にわたしが話すことになった。勿論、話す内容というのはわたしがこのラスグレーンの森にいることになった経緯である。サイラス様が訊きたかったこともおなじだったようで、わたしの拙い説明に熱心に耳を傾けてくれた。
王都のエルドラン邸に昨晩何者かが侵入したこと、ヨナスが倒されわたしが誘拐されてしまったこと。翌朝、気が付いたらこの森の中でひとり放置されていたことなどを順を追って話すとサイラス様の表情が険しくなった。
「リーリエ」
「ひゃいっ」
名前を呼ばれ、しゃきんと背筋を伸ばした次の瞬間、わたしはサイラス様の腕の中にいた。たくましい胸に手を触れてしまって慌てて離れようとしたが、サイラス様は許してくれなかった。
「……申し訳ありません、また怖い思いをさせてしまいましたね」
貴女を守ると誓ったのに、と自嘲気味に言って息を吐いたサイラス様を見ていられなくてわたしは勢いよく首を横に振った。
「わ、わたし丈夫なのが取り柄なので平気です! それに怖かったですけど、サイラス様にまた助けてもらいましたし」
「みゅ!」
「あ、勿論、みゅーちゃんにもねっ、本当にありがとう」
存在を忘れてくれるな、とばかりに声を上げたみゅーちゃんをわたしは見た。ふかふかもふもふの姿は愛らしい小動物でしかないのに、完全にわたしの言葉を理解しているようで感動してしまう。
サイラス様はそんなわたしを見ていて少し力が抜けたのか、みしみし骨が軋みそうな抱きしめ方だったのを若干緩めてくれた。ほっと一安心である。
「……あっ、そういえばサイラス様、いま狩猟大会の真っ最中なんですよね? 大会に戻らなくていいんですか」
「そんなものより、俺はリーリエの方が大切ですから」
きっぱりと言われてしまってわたしは赤面した。
あれ、いまのってもしかして「仕事とわたし、どっちが大事なの」みたいな質問だっただろうか。さすがにわたしにとっては目下、緊急事態が続いているわけではあったので……わたしを優先すると言ってくれた方が助かるのだけれど。
「リーリエに、話しておかねばならないことがあります」
サイラス様は静かに息を吐くと、わたしの目を見て言った。サイラス様の碧い眸にはかすかに迷いがあるように見えた。まるで本当は話したくない、とでも思っているみたいだった。サイラス様はいつだってわたしを尊重して……大切にしてくれているけれど、どこか踏み込ませない一線がある。そんなふうに感じていた。それをもしかしたらいま――超えることを許可してくれているのかもしれなかった。
「貴女を怖がらせるだけだとわかっていましたから、何も言わないままでいようと思っていたのですが――これ以上、口を噤んでいても事態は悪化する一方だと判断しました」
サイラス様の表情がみるみるうちに曇っていく。思わずわたしは手を伸ばし――サイラス様の頬を
「サイラス様。わたし、平気です」
どきどきと心臓が鳴っているのが自分でもわかる。それでも此処で引いたら駄目だと直感していた。
「何を聞かされたって、あの、驚くことは驚くかもしれないですけど……サイラス様の言うことを信じます」
どんなことを言われようと平気だ。たとえ、いままでわたしに優しくしてくれて、婚約者として大切に扱ってくれていたのは近衛騎士の任務のためだった……とか。平気……少し、いやかなり心臓がぎりぎり締め付けられるように痛むかもしれないけれど、仕方ない。
ぎこちないだろうけれど精一杯の笑顔を向けると、サイラス様は申し訳なさそうに眉を寄せた。ああやっぱりそういうことだったのか、とわたしが一人納得していたときだった。
「リーリエ。貴女は信じられないとは思いますが……」
前置きの段階でもう既に涙が出そうだった。いままでの関係が脆くも崩れ去ってしまう予感がひしひしとしている。ぐっ、と目に力を入れてサイラス様を見つめる。泣かない、泣かないぞと固く決意するわたしに掛けられたのは思いがけない言葉だった。
「俺は、貴女が死ぬ瞬間を目の当たりにしたのです」
「は……い?」
いまなんて――?
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