06 魔獣の森

「みゅ?」


 がさがさと茂みを揺らしてわたしの前に現れたのは小型犬サイズの獣だった。

 ピンク色のふっくらもこもこの毛並みと長い耳、つぶらな緑の瞳が愛らしい。ウサギに似てはいるが、手足は短くよちよちと二足歩行をしている。あまりに予想外すぎて、わたしは投げつけようとしていた石をぽとりと地面に落とした。


「かっ」


 わたしは思わず叫びそうになったのを口元を押さえて無理やり飲み込んだ。この謎の生きものを驚かせてはいけないと思ったのだ。

 それにしても。

 かわいい〰〰、可愛いけれど、この子はいったい何。

 みゅみゅ、と謎の鳴き声を発しながらこてんと首をかしげ、わたしの方をじっと見つめている。数拍、緑の目と見つめ合った。

 次の瞬間、くるりとわたしに背を向けてよちよち歩きはじめた。


「行っちゃうの……?」


 途端に心細くなってしまって、思わず話しかけていた。通じるはずもないのに、と自嘲気味に笑ったところで「みゅみゅみゅ」とそのウサギ(?)は甲高い声で鳴いた。まるでついてこい、とでも言われているようだ。おそるおそるその子に近づくと、わたしから逃げることもなくその場で待っていてくれた。

 ひとまずわたしはこのウサギっぽい生きもののことを「みゅーちゃん」と呼ぶことにした。そして思い切って、その道案内に乗ってみることにしたのだった。


 よちよち。よちよち。

 歩くのは遅いが明確に目的の場所があるようで、迷うことなく森の入り組んだ木のあいだや草むらを突っ切るように歩いていく。わたしが遅れても数歩先で待っていてくれる。優しい。


 みゅーちゃんの案内に従ってしばらく歩き続けると、やがてごおお、という音が聞こえ始めた。まさか、と思いつつそのままついていくとそこには……。


「うわああ! すごい、すごいよみゅーちゃん!」


 思わずみゅーちゃんのちっちゃな手とハイタッチしてしまった。


 わたしの目の前には滝があったのだ、そして滝が流れ込む美しい川が。

 水辺のそばの低木にはわたしでも見覚えがある紅い木の実が生えていた。みゅーちゃんが小さな手で木の実をもいで、わたしに差し出してくる。その表情は心なしか誇らしげに見えた。

 ぷっくりとした実を口に含むと甘酸っぱい果汁が舌の上に広がる。やっぱりこれ、子供の頃に庭にっていておやつ代わりに食べていた木の実だ! 懐かしい味に涙が出そうだった。


「まさかみゅーちゃん、わたしがお腹すいたり喉渇いてたりしたのわかったの?」

 

 思わずみゅーちゃんを抱き上げてしまったが暴れることなくすんなり受け入れてくれた。ふわふわもこもことした毛並みが気持ちいい。


「みゅ!」

「わぁいありがとう、命の恩人だ~!」


 みゅーちゃんを抱きしめたままわたしはその場でくるくる回る。空腹と不安の極限状態でテンションがおかしなことになっているようだが、周りに誰もいないので気にしないことにした。みゅーちゃんのおかげでわたしは水と少しではあるけれど食料を入手することが出来た。食べられそうな野草も近くに見つけたが、生で食べるとお腹を壊すかもしれないと我慢する。


「はあ、全部みゅーちゃんのおかげだよ……ありがとう」


 ピンク色のもふもふ毛並みを撫でていると不思議と心が安らいだ。温かくて気持ちが良い。此処が得体の知れない森でさえなければ最高なのに。わたしはそっと息を吐く。


「でも結局、此処ってどこなんだろう」


 みゅ、とみゅーちゃんが何かを訴えてくるがわたしにはその意味が解らない。わたしが行方不明になったとして実家のヴェルファ家はまずあてにならない。捜索隊を出すお金の余裕さえないからだ。となると……やはりこういう状況で頼りになるのはサイラス様しかいないだろう。

 

「でもサイラス様がいるのって、王都の北にあるラスグレーンの森で……」


 わたしがつぶやいたとき「みゅ!」と甲高い声でみゅーちゃんが鳴いた。


「何、どうしたの?」

「みゅう……」


 どうやらわたしと会話を試みているようなのだが、通じないことにじれったさを覚えているらしい。賢い生きものだ。何に反応したのだろう、考えながら言葉を発してみる。


「サイラス様?」


 まったくの無反応だ。興味がないようすで木の実をもぐもぐ齧っている。


「王都?」


 だんだん、と小さな足で地団太を踏むような仕草も愛らしいみゅーちゃん。これも外れ。ということは――?


「ラスグレーン……?」

「みゃう! みゅみゅみゅみゅーん!」


 心なしかみゅーちゃんが「そう、ラスグレーン!」と言っているような気がした。


「ええっ、まさか此処ってラスグレーンの森なの⁉」


 そうだよ、と言わんばかりに頷くみゅーちゃん。

 ちょっと待った、ラスグレーンの森は王都から馬で八日の距離だったはず……体感として拉致されてからさほど日数が経過しているようには感じない。せいぜい一晩程度だ。


「転移魔法でも使ったのかな……わざわざそんな手間とお金をかけて、なんでわたしなんかをこんな場所に置き去りに?」


 首をかしげるとみゅーちゃんもわたしにつられたのか首をこてんと傾ける。可愛い。でも違ういまはそうじゃない。


「狩猟大会がいままさにこの森で行われているってこと? ということは近くにひとがいるんだ……」


 ようやく光明が見えてきた。

 国内最強の呼び声も高い精鋭騎士たちが揃っている野営地にたどり着けばなんとか助かるかもしれない。それにこの森にはサイラス様とレベッカがいるはずだ。

 いまは気まずいとか腑抜けたことを言っている場合じゃあない、サイラス様に縋りついてでも無事に此処から脱出しなければ。

 わたしは決意を新たにして希望をくれたみゅーちゃんを見た。ふあ、と大きな口を開けて欠伸をしている。真っ暗な口の中は無限にものを飲み込めそうなほどに深く見えた。


「ねえ、いまさらながら気づいたんだけどみゅーちゃんってまさか魔獣、なんじゃ……」

「みゅ」


 肯定とも否定ともとれるその鳴き声にわたしが翻弄されているときだった。

 がさがさ、と背後の茂みが揺れた。もしかしてみゅーちゃんの仲間かもしれない、とそのときのわたしは呑気なことを考えていた。大小さまざまなみゅーちゃんが森の中をお散歩している姿はさぞ可愛らしかろうと、そんな妄想までしていたのだが。


 わたしの妄想はあっさりと崩れ去ることになる。

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